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暴竜編32-3

酒杯の三分の一を飲んだマードックは、


「お恥ずかしながら、これだけの酒を飲んだのは初めてな上、これほどの勝利を味わうのも初めてございます。たいへん、たいへんに、美味しゅうございます」


「まだ酔うのは早いぞ。そなたのプランでは、第一段階が終わったところだろう。今からそれでは、ゼラントが滅びる前に酔い潰れるぞ」


「たしかに、セーブして飲まねば、とてももちませんな。しかし、勝利の美酒がこれほど旨いとなると、ついつい飲みすぎてしまいそうです」


「なに、何度か勝利すれば、酒量やペース配分も自然とわかろう」


「酒と勝利に呑まれ、お味方に、何よりネドイル閣下に迷惑をかけぬよう、精進させていただきます」


 当然、勝者の側は酒を楽しむことができるが、敗者であるミリアーナは、普段から酒をたしなんでいないという点を引いても、口をつけた高級酒は文字どおり苦杯以外のなにものでもなかった。


「じゃが、ご迷惑をおかけしたという点は、手遅れでありましょうな。それがしが勝手にゼラントを切り取りに動きましたため、そちらに余計な手間をかけることになりもうした」


「たしかに予定外の手間が生じたが、それ以上の成果が上がっているのだ。とがめる筋はない。何より、そなたらが力量を示し、ゼラントがあまり傷まず残る。その価値を思えば、多少の手間を惜しむ道理はない」


 七竜連合を征服した後、マヴァル以東の国々を攻めるには、ワイズの西にあるクラングナでは後方基地として遠すぎる。ゼラントかロペスに新たな軍事拠点を設ける必要がある。


 ロペスはタスタル、フリカに次いで狂ったドラゴンの被害が大きく、何よりその地と軍事に精通した人材の当てがないので、消去法でゼラントに後方基地を作るしかない。


 マードックらならば、能力的に東方軍の後方を充分に任せられる。また、今から功績という形で実力を示しておけば、アーク・ルーンの各方面も信頼して協力していける。加えて、大規模な軍事活動に従事する経験を積んでおくのも、マードックらのキャリア・アップには必要なことだ。


「アーク・ルーンのためになる働きをしてくれているのに、予定と異なるという理由だけで否定をするようでは、せっかくのやる気を削いでしまうというものだ。もっとも、働く意欲を削ぐという点では、昼間から仕事場に酒を持って押しかけているオレが、偉そうに言えるものではないがな」


「いえ、滅相もありません。己の全てをぶつけられる生き甲斐をいただけたのです。例え馬車馬のように働かされようが、くすぶらせて終わるはずだったこの老い先の短い命、激しく燃え尽くす機会を得られたこと、ネドイル閣下には感謝しかありません」


 そう真面目に礼を述べた後、マードックはとことん人の悪い笑みを浮かべ、


「じゃが、何よりもネドイル閣下に感謝しておりますのは、くそのヨークやゼラントのバカ王、あの下らん連中に頭を下げて来たお礼返しが、吠え面をかかせてやれる機会をいただけた点ですじゃ。それがしはああいう連中がとことん嫌いでしてな。バカのクセにそれがしを見下して来たあやつらが、それがしを見上げるようになる。その爽快な未来をこの手でつかめると思うと、疲れなんぞ吹き飛びますわい」


「ああ、わかるわかる。オレも二十年以上前、バカな上司が気に食わなくて、兵を挙げたからな。色々と苦労もあったが、勝ち誇っていたあのバカどもの末路は、本当に笑えたぞ。負けて縛られているというのに、連中は自分は名門の生まれだとか、祖父は大臣だったとか、そんなことをオウムのように繰り返すのだ。で、処刑場に引っ張り出されてからは、本当にボロ泣きして命乞いをする。見苦しさもあそこまでいくと、いっそ天晴れだよ」


「くそのヨークもそんな感じでした。あの時は皆の目があるので、笑いをこらえるのに苦労しましたわい」


 悪シュミな話を酒の肴に盛り上がり、大笑いする二人に、ゼラントの王女は引きつった笑みを浮かべて、慣れない手つきで、中味の少なくなった二つのグラスに酒を注いでいく。


 飲酒の習慣がなく、飲み物は使用人に注いでもらう立場のミリアーナは、給仕役などやったことはないが、不慣れであろうと将来の敗者としては勝者におもねるより他ない。


 父王や兄たちが敗北を遅まきながら理解した時、醜態をさらすのは目に見えている。だが、それを苦々しい思いつつも、やはり身内である以上、命だけは失って欲しくなかった。

「しかし、こちらに関しては、マードック卿らに任せておいて問題はないようだ。まあ、それはそれとして、いささか唐突な話になるが、貴殿の一族の中に妙齢の女子はおられるか?」


 ひとしきり笑い合った後、ネドイルは不意に話題を変える。


「まあ、幾人かおりますが……」


「何かあるのか、マードック卿?」


 いきなり話題が変わり、戸惑っただけではない反応を見せたので、ネドイルはそこを少し突っ込んでたずねる。


 マードックはしばしためらってから、


「はい、それがしの孫娘は竜騎士となるため、ロペスにおったのですが、先日からの混乱で所在がわからぬのです」


 モニカがライディアン竜騎士学園を去ってから、マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』が撃ち込まれるまでさしたる日数がなかったというより、ワイズの王女ウィルトニアの方ばかりがクローズアップされ、モニカの件は放っておいたのに近い対応となっている。


 側にいるミリアーナも、ウィルトニアのことがゼラントに伝わるようには手配はしたが、モニカに関することは完全に放置してしまった。


「それは大変だな。至急、ゼラントや他の国の内通者と連絡を取り、行方をつかむように働きかけよう」


「いえ、これは私事にございますれば、アーク・ルーンの手をわずらわせるべきことではありません」


 アーク・ルーンの密偵とは何人も接触し、何度も指示を出しているが、モニカのことは聞いたり、調べさせたりはしていない。


 モニカの行方を探すのにアーク・ルーンの組織力を使えば、公私混同となる。そして、元々、弱小貴族でしかないマードックらの私的な力など、小娘を探すことすらできぬ程度のものだ。


 また、学年は違うが同じライディアン竜騎士学園の生徒だったミリアーナにモニカのことを聞かないの

も、それでアーク・ルーンの、否、ネドイルの不利益につながるのを避けるためである。


 ゼラントの王女はあくまで敵でしかない。そして、敵に私的なことで借りを作れば、交渉で譲歩を求められるかも知れない。


 すでにマードックらの忠義は、ネドイルのためならモニカを捨てるのもいとわぬところにあるが、


「モニカ、いや、モニカ先輩は、ウィル先輩と、ここより東へと向かいました」


「何か知っているようだな。良ければ、教えてくれんか?」


 ネドイルに問われ、ミリアーナはうなずき、ウィルトニアに従ったモニカのことを全て話し、それを駆け引きの材料とはしなかった。


 駆け引きの材料としようとすれば、マードックが必死になって止めると判断したからだが、 


「そういうことか。では、マヴァルとの外交ラインでモニカなる娘に関する情報を集めさせよう。よくぞ教えてくれた、娘よ。礼を言わせてもらう」


 こうしてネドイルに感謝されるだけでも、充分な成果と言えよう。


「閣下、これは我が家のことでございます。そのようなことにアーク・ルーンの力をお貸しいただくわけにはいきません。お気持ちだけで充分でございます」


「では、これはオレが勝手にやっているお節介と思えばいい。オマエがオレのことを考えて私事を切り捨てるのも勝手だが、オレがオマエのことを考え、私事を何とかするのも勝手だろう。自分は勝手をしておいて、人の勝手に文句は言わせんぞ」


 大宰相の言葉に、マードックが涙をこらえて肩を震わせ出すと、


「ダメだ。父上とか、比べるだけで失礼だよ」


 その光景に、心の中でつぶやくミリアーナは、孫娘を捨てようとするまでの忠義に、いや、本当に報いるという言葉の意味に理解が及ぶ。


 マードックとてモニカが可愛くないわけではなく、ネドイルのために無理に切り捨てようとしているのは明白だ。だが、あんな言葉をかけられたのでは、孫娘どころか、己の全てをなげうたつずにいられないだろう。


 王女であるミリアーナは、忠誠を尽くされる側にある。何百、何千の家臣にかしづかれてきた。だが、それらの忠誠は所詮、国や王といった記号に向けられた空虚なものにすぎない。


「これを小さい頃から見ていたのなら、フレオールがボクたちに勝ち目がないと言っていたのは当然か。気づくのが遅すぎたけど」


 ネドイルの器量を見せつけられ、ミリアーナは再び心の中で力なくつぶやく。


 勝ち目のない戦いに国力を費やし、多くの犠牲を出してしまったことは、悔やんでも悔やみ切れない。だが、それ以上に深刻なのは、このままでは後悔もできないようになる未来も有り得る点だ。


「しかし、そのモニカなる娘がおらんのは残念だ。いや、トイラックの妹が異性から告白され、思い悩んでいるみたいなのだ。なので、同じような年頃の娘がいれば、その意見を聞いてみたかったのだがなあ」


「はあ、さようでございますか……」


 眉間にシワを寄せるネドイルの抱える命題は、マードックには何とも答えようのないものであり、


「ああ、そこの娘、年はいくつだ?」


「十六ですが……」


「サリッサとは、一つ違いなだけか。それくらいならば、ぜひ、そなたの意見を聞かせて欲しいのだが?」


 ミリアーナにしても、答えようがないものであった。


 一国の王女ゆえ、結婚や婚約の申し出はいくらでもあれば、甘い言葉や愛のささやきを聞き流したこともあるが、恋愛の経験など皆無に等しい。


 一応、好意らしきものを抱いている異性はいるが、ミリアーナ当人もそうした感情がハッキリとわかっていないのが実際のところだ。


 マードックのように無難に答えることもできるが、ここで女子力を発揮せねば、家族の命運が尽きかねない。


 ミリアーナは乏しい恋愛経験と、


「……当事者のことはわからないので、何もたしかなことは言えませんが、迷っているということは、当人もにわかに判断できない心理状態にあるんじゃないかな。そういう時は、周りのちょっとしたことでどちらにも傾くから、ゆっくりと考えられるよう、そっとしておくのが良いと思うな」


「なるほど。そういうものか」

 フレオールが言っていた、サリッサを大事しているという情報を元にした意見に、ネドイルは大きくうなずく。


「さすが、最近のオナゴの意見は違う。大変、参考になったぞ。おっと、そう言えば、名前を聞いていなかったな」


 良い感触を得られた上、名前を問われたミリアーナは、この機を逃さずに己の名と立場を告げるべく口を開いた。



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