暴竜編32-2
魔法帝国アーク・ルーンからマードックらに供与されたのは、純粋に魔道戦艦十隻のみではない。細かい点を言及すれば、魔道戦艦を動かすための魔術師たちもいれば、十隻にはあらかじめ積まれていた魔法の道具もあった。
自衛するだけなら魔道戦艦のみで事は足りたが、ゼラント全土を切り取っていくには、魔術師や魔法の道具も有効に活用していかねばならない。実際に、術や道具による連絡・移動の手段もあるからこそ、マードックらの勢力は急速に伸長しているのだ。
魔法による通信方法があるからこそ、マードックらはアーク・ルーンの工作員らと連絡を取り合え、また迅速に指示を出していけるだけではない。
マードックらの活動は帝都にもすぐに報告され、必要ならば魔法による移動方法で、工作員の増員も追加の支援物資も素早くゼラントの地に届くのだ。
そして、魔法による移動方法が構築されたからこそ、魔法帝国アーク・ルーンの大宰相は、ぶらりっと酒を片手にマードックとミリアーナの前に現れることができたのである。
「突然、押しかけてきて、すまんな、マードック卿。なに、トイラックが代わりに仕事をしてくれることになったんで、急に手持ちぶさたになったのだ。前に会った時は慌ただしく、ゆっくり話せなかったから、この機会にと思ったわけだ」
トイラックは七竜連合を現在の窮地に追い込んだ『ドラゴンなんて大キライ』の作戦直前に、失恋した妹と、キューピッド役に失敗した恩人のフォローのため、帝都に戻って今もそちらにいる。
妹をネドイルと仲直りさせた後、すぐにワイズ領に戻ることもできたが、戻らずとも問題がないのは、現状が示すとおりである。一応、妹と共に両親の墓に参ったり、領地の様子を見に行ったりもすると、小さい頃から働き詰めの生き方をしていたせいか、これといってプライベートですることがなく、ネドイルの手伝いをしたところ、膨大な大宰相の政務をかなり処理してのけた。
トイラックのせいで、深夜残業どころか、早上がりを余儀なくされた大宰相は、マードックらとゆっくり話したことがないのを思い出し、敵国のど真ん中にやって来たのだが、当たり前だが突然、やって来られた側にはそんな事情がわかるわけもなく、ただ驚くばかりだ。
もちろん、愕然となっているのは、ミリアーナも同様である。アーク・ルーンの実質的なトップが目の前に現れたこともそうだが、その理由が、暇だからダベりに来たというものだから、彼女からすれば二重の驚愕を覚えずにいられなかった。
敵味方、共ににわかに声も出ないほど驚かせた当人は、
「しかし、どうやら、先客がいるようだな。仕方ない。そちらの話が終わるまで待たせ……」
「いえ! 話は終わりました! ネドイル閣下を待たせるなど、そんな畏れ多いマネはできませぬ!」
年の割には豊かな声量で叫んだマードックは、血走った目で一国の王女を睨みつける。
今後の戦局を睨めば、マードックの立場と機嫌を損ねるわけにもいかず、無言で出て行けと言われたミリアーナは、
「別にオレは用件があって来たわけではないから、先客を追い出す必要はないぞ。もし、オレが同席してもいい話ならば、共に酒杯を酌み交わそうではないか。若い娘がいた方が、酒席が華やいでいいからな」
言うまでもなく、ネドイルはゼラントの王女という立場と地位を知らない。当人は先客を追い出す形になりそうなので、マードックに気を遣っているのだが、気を遣われた方はその気遣いを無下にすることをためらった。
「ボ、いえ、私が同席しても迷惑にならぬなら、この場に留まらせていただきたく存じます」
機嫌を取るならより高い地位の相手の方が良い。無論、機嫌を損ねればより危険なことになるが、ネドイルとの知己を得る好機を見逃すわけにはいかない。
だからミリアーナは、緊張しつつも座る位置をずらし、マードックと正面から向かい合う位置をネドイルに譲る。
そこにネドイルが腰を下ろしている間に、マードックは使用人を呼び、グラスを三つ持ってこさせる。
手にする酒のコルクを抜き、ネドイルは置かれた三つのグラスに、琥珀色の液体を注いでいく。
「おお、ネドイル閣下の御手、自ら……何と、もったいない……」
マードックは本当に全身を震わせ、自分の前に置かれたグラスをうやうやしく両手で掲げ上げる。
高い地位の者から杯を受けるというのは、それだけで名誉なことだ。が、そんなことよりも、心酔するネドイルから杯をいただいたという事実に、マードックは感極まっていた。
「残念なのは、ミストール卿、メリクルス卿、ムーヴィル卿とも酒を飲みたかったが、あいにく不在であるらしいな」
この城館を訪れた際に使用人か誰かから聞いたのか、それ以前に、ここに魔法で転移した際に魔術師なりが報告したのか、ネドイルは口にするとおりにその三人は数千の兵と共にここより西へと出払っている。
「ネドイル閣下にわざわざ足を運んでもらったというのに、申し訳ありません。ただ、事前に来られることがわかっていても、それがし以外は不在であったでしょう」
解放したヨーク伯爵らによってゼラント軍が誘き出された場合に備え、ミストールらはその迎撃の準備のためにいないのだ。
例えネドイルが来ると通知されていても、ミストールらは歓待のためにこの場に留まるわけにはいかない。それが許されるほど、マードックらの勢力は確固たるものではないのだ。
忠実な精兵が大軍を成し、補給と支援の体制が確立されている、ワイズ領に展開するアーク・ルーン軍とは比べものにならないほど、マードックらの戦力も支配も脆いものなのだ。
魔法帝国アーク・ルーンの領域の中でも、孤島のような飛び地となっているマードックの勢力は、どうしてもバックアップが難しい。
マードックの手元には十隻の魔道戦艦があるが、それは逆説的に、そのような特殊な兵器しか送れぬことを意味する。アーク・ルーン兵に隊列を組ませ、マードックの元に送ろうとするには、七竜連合のタスタル、バディンを横断し、さらにゼラントの西部と中央部を踏み越えるか、北から大回りしてベネディア公国、リスニア王国、フェミニト王国、ゼルビノ王国、カシャーン公国を通過する、どちらも実質的に不可能な二つの経路しかないのだ。
アーク・ルーンの権威こそ振りかざしているものの、勝ち続け、その勢いを維持し続けるからこそ、マードックらは敵中にあって飛び地となっている領土を保っていられるのだ。兵も物資も、何よりゼラント貴族の支持も、ほぼ自給自足でどうにかしている現在、一度でも敗北すれば、それが勢力の瓦解につながるのは明白である。
もっとも、そうした厳しさや危うさを対処するだけの力量があるからこそ、ネドイルはマードックらを高く評価しているのではあるが。
息子らの不在を詫びるマードックの姿に、ミリアーナは心の中で強い苦味を覚える。
マードックは恐縮しつつも、ミストールらがいない点は、ゼラント軍に備えるためのものと主張しているし、ネドイルも残念がってはいるがミストールらの不在に理解を示している。
こんな当たり前の光景を、しかしゼラントの王女は生まれ育った王宮で、ほとんど見たことがないのだ。
このような、自分が勝手に決め、報せもせずに押しつけた予定がその予定の通りにいかなかった場合、王を筆頭とする上層部はかんしゃくを起こして、部下を叱りつける。そして、部下も部下で、理不尽な叱責に反論せず、ひたすら頭を下げて言い訳を繰り返し、上の間違いをただやりすごそうとする。
間違っていることが間違っていると指摘されず、間違っていることを押しつけ、それがまかり通るのがいかに危険なことか。ミリアーナにとって、先日の父王の振る舞いを思い出すだけで、充分だ。
狂ったドラゴンらが暴れ回る中、王都の軍勢を動かし、マードックらを討とうとすることが、無茶や無理なものであるなど、現状を少し分析すればわかることなのに、ゼラント王はそれを命じようとした。
自分の言葉や意見が肯定され続ける人生を送ってきた結果、自分の想像や妄想が間違っているなどと考えられなくなり、現実をちゃんと認識できなくなってしまったのだろう。
ミリアーナが暗然となるのは、自分にとって都合の良い想像を現実と同一視しているやからが、味方の大半を占めている点だ。
が、そんな幼稚な思考をしているからこそ、彼女の前にいる、精密な思考のできる傑物に勝てるという幻想を抱けるのかも知れないが。
「ミストール卿らと酒を酌み交わす楽しみは、後日、機会を設け、その時の楽しみとしよう。今はマードック卿のみではあるが、先日、マヴァルの大軍を破った功績を称えさせてもらおうか」
「いえ、それは、事前にマヴァル軍の作戦を教えていただけたからでございます。決して我らの力のみで勝てたわけではありません」
「何を言う。伝えた情報を活かし、勝てるだけの作戦を立て、そうして勝利をもぎ取ったのはそなたらなのだ。そなたらの先達らも、アーク・ルーンの情報網を活かし、常勝不敗を築いてきたのだぞ」
すでにマヴァル帝国の軍機密を得られるほど、その中枢に食い込んでいる、それは七竜連合を滅ぼした後、さらに東に兵を進める準備がかなり進んでいるということである。
アーク・ルーンの諜報戦の高度さに、傍らで声が出ないほど真っ青になっているミリアーナの傍らで、
「だから、貴殿らの大勝利を祝おうではないか」
「恐縮であります。では、アーク・ルーンの勝利に」
「ああ、勝利に」
二人の男は笑顔で杯を掲げ、勝利の美酒を喉に流し込んだ。




