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暴竜編32-1

「殿下には申し訳ありませんが、息子は多忙なものでしてな。それがしでよろしければ、ご用件をおうかがいさせていただきますが?」


 乗竜たるフレイム・ドラゴンを駆り、ゼラント王国の使者として、かつてのヨーク伯爵の城館、今はミストールらの根拠地に着陸したミリアーナを出迎えたのは、モニカの祖父マードックのみだった。


 老齢のマードックはとっくに長男であるミストールに家督を譲っているし、アーク・ルーンが代国官に任じたのは前当主ではないので、ミリアーナが現当主を重視するのは当然のことだろう。


 使者の役を引き受けるのに、父や兄たち、家臣らを説き伏せる際、最もミリアーナが苦労したのが、護衛を伴わない点だ。竜騎士が激減して、何騎も引き連れては王都の守りと維持に、どうしても支障が出てしまう。そのため、先触れを飛ばす余裕もなく、単騎で飛び立ったミリアーナは、相手方の元に突然、押しかける形となり、ミストールの不在と時に訪れたのは、むしろ当然のタイミングと言えるだろう。


「なるほど。ミストール卿は、我が軍を迎える準備に出かけたのですか」


「はい、そのとおりです。メリクルスもムーヴィルもそちらに行っておりますが、これは無駄になったようですな」


 ヨーク伯爵ら解放した捕虜がどこに向かい、何を申し立てるかなど、カンタンに予想がつく。


 怒り狂ったゼラント王が軍を率い、東に向かうのも予想できることであり、もしミリアーナの進言が無ければ、今頃、せっせと構築しているミストールらの罠が、ゼラント軍に大打撃を与えていたかも知れない。


 ミストールらの不在の理由をそう推測したミリアーナは、しかしそれを言外に肯定するマードックと張り合おうとは考えていない。


 彼女の目は節穴ではないので、マードックとは役者が違うくらいは気づいている。


 だが、自分の二流の演技に対して、一流の演技がどう返すかを体験するだけでも、無駄になるものではない。


 国は残らずとも命が残る限りは。


「では、マードック卿。陛下よりのお言葉を伝えたい」


「承りますが、このような場所ではなく、悪趣味な応接間があるので、そちらにご足労を願えませんかな」


 自分の孫娘とそう変わらぬ年だが、実りのある交渉ができそうと踏み、マードックは室内に王女を招く。



 ドラゴンはその巨体ゆえ屋内に入れるものではなく、ミリアーナも武器も持たず、鎧も着ていないが、竜騎士、正確にはその見習いである以上、素手でマードックを殺すこともできるが、そんな軽はずみなマネをしないという点も読み切って対話する気になったのだろう。


 マードックの言ったとおり、ヨーク伯爵の城館は装飾過剰で、廊下の壁にある派手な飾りに統一感はなく、豪華というよりも下品な印象が強い。それは通された応接間も同様で、動かせる調度品はどかしたにも関わらず、取り付け式の装飾品もそうだが、家具も値が張るだけの物を買い揃えたような感じだ。


 革張りの弾力が有り余るソファーに向かい合うように座り、使用人が二人の前に飲み物を置き、一礼して立ち去る。


 ミリアーナは出された飲み物に軽く口をつける。乗竜の耐性を用いれば、アーク・ルーン製の特別な毒以外は無効にできるが、彼女としては毒など心配していませんよ、とアピールしているわけだ。


 もちろん、そのようなパフォーマンスは小細工にすぎないが、ゼラント側には大した手札がない上、その枚数も少ないので、小細工を積み重ねていくしか手がない。


「では、ミリアーナ殿下。改めまして、遠い所をわざわざご足労していただきありがとうございまする。しかし、殿下がわざわざお越しになるほどとは、よほどの変事が起こりましたのかな?」


 まず、マードックがとぼけた物言いで口火を切る。


 変事の原因のわざとらしさに、


「変事はありましたが、貴殿らによっておさまりました。不法に我が国の境を越えたマヴァル軍、それを貴殿らが討ったと聞き及び、陛下は大変に喜んでおられます。その功を称え、ミストール卿に男爵の位を授け、五百戸を加増すると仰せです」


 ミリアーナは眉ひとつ動かさず、大嘘を吐く。


「はて? それがしらはアーク・ルーンの臣ですぞ。我が国の領土を侵した侵略者を撃退しただけの話で、ゼラントに賞される謂われはございませんが?」


 かつての主家が口にした虚実の混ざった言葉に惑わされることなく、平然ととぼけ続けるマードック。


 元々、有効な手札のないミリアーナは、マードックの老獪さに、お手上げと言わんばかりに軽く肩をすくめ、


「一応、父上は、そちらの罪は不問とするとは言っているけど?」


「信じられませんな。こちらの魔道戦艦を取り上げようとし、うまくいってもいかなくても、首をはねようとするのが目に見えていますぞ」


「うん、ボクもそう思う」


 形式張ったしゃべり方を止めると共に、無益な探り合いや駆け引きも止める。

「けど、マードック卿らはともかく、他の人なら、こちらが許すと言えば、それにキッパリとノーとは答えないと思うけど?」


 マードックらに従うゼラント貴族は、大なり小なりアーク・ルーンの後ろ盾の元、勢力を拡大していく様を見て、その勢いに呑まれるような形で降伏や帰順をしている。ゆえに、マードックらやアーク・ルーンに形ばかり従っているようなものであり、ミリアーナが罪の不問を持ち出し、さらに地位や領地などをチラつかせれば、裏切り者たちは再び裏切ることを考えかねないだろう。


「まあ、最低でも、それがしらに与する者らが、日和見を決め込むことになりかねぬのう。そこをゼラント軍が討つというわけですか」


「いや、そんなことしないよ。返り討ちにあうだけだから」


 頼みにならない味方を頼みとせねば戦えぬマードックらではない。数だけ揃えるような愚をおかさず、少ない兵を活かす算段を整えるはずだ。


 今のゼラント軍というより、七竜連合の軍勢は、何かしらの欠陥をいくつも抱えている。マードックらならば、そこを一突きして、数の差をくつがえすくらいはできるというもの。


「けど、こちらがそんなマネをすれば、その頼りにならない味方への対処に、色々とすることが増えるんじゃないかな?」


「たしかに、余計な手間は省ける分には助かるがのう。それに、元は同じ国の人間、できれば血を流したくないのが本音だ。できれば、じゃが」


「それはボクも同じかな。無駄な策で無駄な血を流す気はないから」


 ミリアーナのかく乱の策を用いても、マードックらに対しては嫌がらせくらいの効果しかない。むしろ、そうした混乱を反逆者の側に引き起こせば、ゼラント側がそれを好機と見て、返り討ちにされるために出撃することになりかねないのだ。身内と味方の顔ぶれと無能ぶりを思えば、王女は自分の策が自分たちの害になる公算が高いと考えるしかなかった。


「どうやら、こちらにはそちらに手を出す術も、手を出さないようにする術もないみたいだ。どうしようかな。これでボクの方は打つ手がなくなっちゃった」


 娘であるので父王の性格は充分に心得ている。裏切りを許すという寛大な処置を断られ、激発しない人ではない。今回の交渉が不調に終われば、マードックらが当初の予定どおり、王命によって引っ張り出されたゼラント軍を撃破し、自分たちの立場を固める材料とするだろう。それに対してミリアーナができることは、しょぼいかく乱策で嫌がらせするくらいだ。


「いえいえ、殿下。そう悲観することはありませんぞ。察するに殿下の狙いは、アーク・ルーンに降伏する際、それがしらに便宜を計ってもらうというところでありましょう。それならば、こちらにも応じようはありますぞ」


 老いて衰えた肉体の外側と違い、長き時によって熟成した知性と洞察力で、小娘の意図を見抜いてのける。


「この地はネドイル閣下への献上品。それゆえ、あまり傷んだものを差し上げるは失礼。じゃが、中々にそれがしらでは手が届かぬところがありもうすのでな。ゼラントの価値を下げるバカどもの管理、それを殿下にしていただけたなら、ゼラント王室にいくらかの配慮を願ってもようございますぞ」


「やっぱり、役者が違うか」


 自分が手駒として取り込まれつつあるのを察し、ミリアーナは内心で己の敗北を悟る。


 ゼラントという国が亡くなり、これから負け犬として生きていけるなら、まだありがたいくらいだ。正直、父や兄ら、親類一同の可愛いげや才幹の無さを思えば、首輪をつける価値もないと、アーク・ルーン側に判断されてもおかしくない。


 アーク・ルーンの犬小屋で暮らしていくには、マードックらとのコネは不可欠なものだ。おそらく、降伏した直後、ゼラント王らはきゃんきゃんと吠えるだろうが、そうしたコネがあれば、アーク・ルーンもいきなり全頭を殺処分せず、身内を何人か殺して、残りを黙らせるくらいの配慮はしてくれるだろう。


 が、手駒になったところで、旧主のためにアーク・ルーンの利益を歪めるマードックらではない。元弱小貴族はハッキリと「バカどもの管理をしていただいたら」と、つまり便宜を計るのは成功報酬のみと言っているのだ。


「それでボクはどうしたらいいのかな?」


 虚勢を張っても仕方なく、ミリアーナはかつてモニカがやっていたような役を引き受けるのを承諾するも、


「基本、殿下の思うようにしてくださいされ。その結果を見て、成否を判定しますがゆえ」


 いかにドラゴンという移動手段があるとはいえ、王女という立場もあり、王都からここまでひんぱんに往来できるものではないから、たしかにマードックらの方もいちいち指示を与えてはいられない。


 ミリアーナを取り込んだ理由の一つも、指示がなくともこちらの思惑を読み取って動ける人間と踏んだからだ。


 もっとも、まったくの無指示ということはなく、


「ただ、肝心な点を申し上げれば、殿下には必ず、王宮にあるゼラント全土の土地・戸籍の資料、これを一部も欠けることなく後日、アーク・ルーンが接収するまでに管理していただきたい。わずかでも紛失しておれば、ゼラント王室にはその管理責任を取ってもらうことになりますからな」


 マードックが眼光も声音も鋭くするほど、その土地に関する資料は重要不可欠なものだが、そこには別の重要な意味も含まれている。


 ミストールが代国官に任命されている以上、マードックの要求した資料は、たしかに職務上、必要なものではあるが、所詮、それは紙の山でしかない。


 ゼラント王宮には、当然、資料庫の他に宝物庫もあり、それを押さえて目録をごまかせば、いくらでも私腹を肥やせる。


 だが、マードックらは自分たちの利益よりもアーク・ルーンの利益を考えている。目先の利益や状況に流され、裏切った者にできることではない。


 アーク・ルーンに、否、ネドイルに忠誠を誓っている、そして父王らに語った、マードックらを再びこちらに引き込むなど絶対に不可能な、何よりの証明であろう。


 これだけの忠義を見せられては、大将軍や宰相の地位を用意すれば、もしかして、と考えていた自分の甘さに苦笑しか浮かばない。


 そして、これだけの忠義を見せられては、元はゼラントの貴族であり、家臣だから、ゼラント王家に、旧主に多少の配慮はしてくれるかも、という考えは完全に吹き飛んだ。


 ネドイルに多少の利益が見込めれば、マードックらはためらうことなく、自分の首も父王の首もはねるだろう。


 マードックほどの男にこれだけの忠義を抱かせる。ネドイルという男の器量と力量は、到底、ミリアーナには想像もできなかったが、


「おーい、マードック卿。酒を持ってきたんだが、一献やらぬか?」


「なっ! ネドイル閣下!」


 玄関の方から響いてきた声に、立ち上がったマードックが愕然となり、直立不動の姿勢でもらした個人名に、ゼラントの王女も目をむいて驚きつつ、侵略者の親玉を肉眼で見る機会が彼女の前に現れた。


 開いた応接間のドアから、ワインボトルを掲げた姿で。

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