暴竜編30-1
「なにとぞ、なにとぞ、反逆者ミストールを討ち、陛下の、ゼラントの武威をお示しください」
囚人服をまとった薄汚れた格好で、やつれたとは元の体型から言い難いヨーク伯爵が平伏し、言上する相手は言うまでもなくゼラント王である。
狂ったドラゴンらが王都の周辺が暴れ回り、周辺国家が国境に兵を繰り出し、一部の貴族が挙兵しているという内憂外患の情勢は、他の七竜連合の国々、とりわけタスタルやフリカに通じるものがあるが、ゼラント王国の場合、内憂の内容が他とはだいぶ異なる。
タスタル王国やフリカ王国の内乱は、西側に偏りこそあれ、各地でまばらに発生しているのに対し、ゼラント王国は弱小貴族ミストールの挙兵に端を発し、それがただ広がっていっただけではなく、ミストールを中心に反乱勢力がまとまり、ゼラントの東北部が完全に離反した上、その勢いは北部と東部を侵食しつつあった。
ヨーク伯爵などの自分たちに従わぬゼラント貴族を十数人と撃破しただけではない。
ロペス軍に敗れたマヴァル軍は標的をゼラントに変え、今度は国境の突破に成功したものの、その直後、ミストールらの奇襲と奇策に敗れ、撃退されている。
こうして武名が高まり、実力を示し、さらにはアーク・ルーンの後援まであるのが知れ渡ると、ゼラント貴族らが次々と帰順し、それらをまとめ上げた時点で、ヨーク伯爵らの捕虜を解放した。
狂ったドラゴンらのせいで、王都への人の往来は激減したとはいえ、まったく0となったわけではない。が、少ない各地からの情報は雑多かつ不正確なものが多く、ゼラント王らは自国の現状を把握できずにいた。
だが、それもヨーク伯爵らなどが王宮に駆け込んで来ると、東側だけであったが、ようやく不愉快な情勢を知ることができた。
もちろん、ヨーク伯爵らは、情報提供のために、狂ったドラゴンが飛び交う道を越え、王の元へと参じたわけではない。
自力で奪われた領地を取り戻すのは不可能ゆえ、ミストールらがいかに危険であるかを訴え、ゼラント王に討たせんと画策しているのが、謁見の間に居並ぶ重臣らにはありありとわかった。
その場にいるゼラントの王女ミリアーナも、ヨーク伯爵の心中と狙いがわかりつつも、玉座にある父王が怒気をみなぎらせているのを、どうしようもなかった。
娘のみならず、重臣一同も、王の気性の荒さは知っており、それは同様であるヨーク伯爵が内心でほくそ笑むほど、
「東でアーク・ルーンに尻尾を振る犬どもがいるとは聞いていたが、それほどの大事になっておったかっ! もはや、我慢ならん! 余が自ら成敗し、ゼラントに牙をむいた罪を思い知らせてくれる! 今すぐ兵を集めよ!」
顔を真っ赤にして立ち上がるゼラント王の命令に、家臣一同はすぐに応じずに顔を見合わせる。
ミリアーナも王太子と第二王子に視線を向けるが、二人の兄は素知らぬ顔を決め込んでいるので、
「父上、いえ、陛下、お待ちください。これはアーク・ルーンの罠と思われます」
仕方なく、父王の短慮を止めにかかる。
怒り、冷静さを失っているゼラント王が、娘を睨みつけて怒鳴るよりも先に、
「捕虜とした者を解放すれば、彼らが陛下に助けを求めるのは自明の理。そうして陛下を誘き出し、罠を張って捕らえる策であるのもまた、自明の理でありましょう」
怒りっぽいが、頭がそう悪いわけではないゼラント王は、この指摘と発言で怒気が削がれて怒声を引っ込める。
王子らや家臣らもうなずき合い、思案顔となる。
進み出て戦うより、迎え撃つ方が罠を張り易い。実際に、ヨーク伯爵の大敗も、張り巡らした策の中に足を突っ込んだ結果だ。
「罠がどうしたというのだ! 小細工など、堂々と噛み砕いてくれるわ!」
「全軍で出撃できれば、それも可能でしょう。ですが、王都の現状を思えば、かなりの兵を残さねばなりません」
「うぬ……」
娘の指摘に、父王は言葉に詰まる。
狂ったドラゴンを全て片づけねば、とても全軍で反逆者の討伐になど当たれない。今、出撃するには、王都にかなりの兵、何より竜騎士は残さずにおかねばならないのは明白だ。
口ごもった父王からミリアーナは視線を転じ、
「ヨーク伯爵。ミストールなる者の所領、貴殿とは比べてどのようなものか?」
「は、はい。奴らは一門を合わせて五百戸ほど。取るに足らぬ連中でございます」
「その取るに足らぬ連中に、ヨーク伯よ、貴殿は敗れたというのか?」
「そ、それは、その……敵は魔道戦艦なるものを、そう、数十隻は保有していましたのです」
もちろん、ヨーク伯爵の言など、ミリアーナは頭から信じていない。
だが、彼女はその虚言に「なるほど」と大きくうなずいてから、ゼラント王に視線を戻し、
「聞かれましたか、陛下。ミストールなる者はせいぜい三百ほどの兵しか持たぬ身。ひるがえって、ヨーク伯爵ならば一万の兵を集められましょう。にも関わらず、ヨーク伯が敗れるほどの魔道兵器が逆賊の手にあるのです。それだけの魔道兵器を供与したアーク・ルーンの意図は不明ですが、だからこそ軽挙に走れば、アーク・ルーンの術策に落ちる危険があります。どうか、今はご自重ください」
ミリアーナの話術に、ヨーク伯爵が沈黙し、ゼラント王が玉座に座り込んで思案顔となる。
「父上、ミリアーナの申す通りです」
「奸智に長けるアーク・ルーンのこと、用心するに越したことはありません」
「陛下。殿下らもこう言われているのですから、危険な出撃などお止めくだされ」
「とにかく、今は敵の様子を探るが先決にございます」
「しょせん、一地方に根を張るだけの逆賊。討とうと思えば、いつでも討てましょう」
「そうです、そうです。焦ることはございません」
さらに、ここぞとばかりに、王子や家臣らが便乗するように言い募る。
全員から自重するように言われたゼラント王は、不機嫌そうな声と表情で、
「では、このまま何もするな、と言うのか」
途端に、二人の王子と家臣一同の視線がミリアーナへと集まる。
父王の性格に難があるとはいえ、自分のような小娘に頼る兄や重臣らに、内心で失望のため息をつきつつ、
「我々のすべきことは変わりません。暴れ回るドラゴンらを討ち、王都とその周辺の治安を回復させることです」
バディン、シャーウと並び、王都、正確にはその近郊の山中にのみ、マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』を撃ち込まれているゼラント王国は、暴走したドラゴンによる被害がまだ少ない方であり、七竜連合の中でそれを最も減らす努力をしているのも、ゼラント王国である。
無論、いつ襲来するかわからぬ狂ったドラゴンに備えるだけの王都の守りと、方々からの物資の運搬につける護衛に、数が激減した竜騎士を動員せねばならず、狂ったドラゴンの捜索・撃破に用いることのできる戦力は大したものではないが、ミリアーナは父王や兄ら、重臣一同をどうにか説得し、今まで何とか五頭のドラゴンの暴走を永久に停止させた。
狂って暴れ回るドラゴンの数を思えば、ミリアーナの指示で討った数など、正に焼け石に水、王都とその周辺の状況はわずかにマシになった程度のものでしかないが、一挙に解決する策がない以上、少しずつでも情勢を改善していくより他にない。
ドラゴンらが狂い暴れているが、外の情報がまったく入って来ないわけではない。それゆえ、ゼラント王らは今年が冷夏で不作なのを知っているが、それがいかに恐ろしいことかを理解しているのはミリアーナだけであろう。
元々、山地の多い七竜連合は作物の収穫量が多い方ではなく、またこれまで不作の年は何度でもあったが、それが問題となったことが一度もないのは、他国の食料を買って輸入してきたからだ。
だが、アーク・ルーンとの戦費がかさみ、またアーク・ルーンが引き起こした混乱でマトモな徴税もままならない七竜連合の各国は、去年よりも国庫の空きスペースがずっと広い。
ただ、それよりも深刻なのは、七竜連合の連絡・交通網の破綻や乱れだ。もし、不足分の食料を購入・輸入しても、今の混乱からすれば、どこでどれだけの食料が不足しているかを把握するのが難しく、輸入した食料をきちんと配分できるとは思えない。
それゆえ、ミリアーナは国内の混乱の収拾、特に連絡・交通網の再建を第一に考えている。
情報や物資を正常に集め、運ぶことができねば、ゼラントを立て直すことはできない。最悪、アーク・ルーンに降伏するにしても、混乱したままの国を渡すより、混乱を治めた国を渡す方が手間が省ける分、侵略者にとって都合がいいはずだ。
しかし、降伏まで視野に入れた娘の献策に対して、
「そなたがそのような迂遠なことばかり申しているゆえ、逆賊らがつけ上がったのだぞっ!」
ゼラント王が怒鳴りつけるばかりではなく、二人の兄や家臣の多くからも否定的な視線を向けられる。
表面的には、ミリアーナの献策は目に見える効果を上げておらず、王都とその近辺にばかり目を向けていたため、ミストールらの増長を放置したという一面もなくはない。
が、ミリアーナは目先のことしか見えない連中の視線にたじろぐことなく、
「では、ミストールらに帰参を求めてはいかがでしょう?」
「裏切り者を許せと申すかっ!」
「はい、そのとおりです」
思った通りに怒り出す父王に、王女は大きくうなずく。
そして、ミリアーナは兄や家臣らを見渡してから、
「陛下、これは非常の策にございます。裏切り者らはアーク・ルーンから魔道兵器を供与されていますれば、彼らを味方にするということは、我らの手にそれら魔道兵器が落ちることになります」
十六の小娘に指摘され、ようやく一同はその策の意味と価値を理解したので、ゼラントの王女は年長者への説明を続ける。
「それら魔道兵器は、王都一帯の治安回復に使うこともできれば、交渉材料に使うこともできます」
「アーク・ルーンに引き取らせるのか?」
「その手もありますが、マヴァルならより高く買ってくれましょう」
東の大国マヴァルの名が出され、ゼラント王らは一様に驚き、困惑するも、
「マヴァル帝国は亡命した魔術師に魔道兵器を作らせていますが、その中に魔道戦艦のような新しいものはありません。魔道戦艦を作れるアーク・ルーンよりも、魔道戦艦を作れないマヴァルの方が、一隻の価値が高くなりましょう」
これでやっとうなずく父王や味方に、ミリアーナは強い失望を抱かざるえなかった。
ミリアーナの口にする良いことづくめの話にばかり目を奪われ、ミストールらがこちらの呼びかけを拒否したら、という可能性をまったく考えていないのが見て取れる。
むしろ、失敗する公算の方が高いとゼラントの王女は踏んでいるが、別段、やらないよりやった方がマシという心算でもない。
うまくいくに越したことはないが、うまくいかずとも、ミストールらとの接点を作るだけでも意味はある。
アーク・ルーンが代国官に任じたということは、ミストールは敵に重用されているということだ。そうした相手に交渉の場で好印象を与えるだけでも、意味はある。うまくすれば、アーク・ルーンに降伏する際、便宜を計ってもらえるかも知れない。
ゼラントの、否、七竜連合の現状には、アーク・ルーンへの勝算は言うまでもなく、抗戦して降伏の条件を引き上げる力すら残っていない。
だが、ただ降伏しても、アーク・ルーンとの交戦を選んだ以上、悲惨な末路が待っているのも明白だ。アーク・ルーンも、戦略的にも政略的にも、戦って降伏した国と戦わず降伏した国では、待遇に差をつけるのは当然の処置である。そして、前者を厳しく扱って見せしめとすればするほど、戦わずに降る国が増えるというもの。特に、七竜連合のような竜騎士を有する強国が、惨めな敗残の姿をさらすとなれば、効果抜群だ。
将来の敗者として、待遇改善の一環のためにも、ミストールに「ちょっとカンベンしてくれませんか」と言ってもらえるよう、交渉というよりも、友好関係を築いておくべきなのだが、
「ミリアーナの策、実に見事だ。早々に、その何とかという反逆者に使者を出すが良い」
「陛下。その前に、ミストールを再び我が国に迎えるにあたり、どのように遇するかを決めておくべきではありませんか?」
「遇するだと? まあ、いい。たしか、五百戸ほどの者であったらしいから、もう五百戸、領地を与えておけ」
「お待ちください、ちち、いえ、陛下。アーク・ルーンはミストールにゼラントを任せるとまで言っているのです。こちらも相応の地位を用意するべきです」
「相応の地位だと? ミリアーナ、どうすればいいと言うのだ?」
「はい、大将軍に抜擢するか、宰相位を設けて就任してもら……」
「バカを申すなっ!」
娘の進言をさえぎり、ゼラント王が上げる怒声の方に、二人の王子や家臣の多くが無言でうなずく。
「姫様、正気ですか。大将軍などと、軍の指揮権を裏切り者に与えるようなものですぞ」
「そもそも、ミストールなる者、竜騎士ではありません。将軍職に就く資格すらございませんぞ」
「それに宰相などと。そんな下等な地方貴族では、これまで大臣どころか、中央の役職とは無縁でしたでしょうに」
「伝統を無視し、貴き血を軽んじるは、正に愚の骨頂。アーク・ルーンの卑しき価値観など、万民が認めるわけがありませんぞ」
「真にございます。冷静におなりくだされ、姫様。逆賊の勢いなど、一時のこと。代々、国王陛下の元、ゼラントを治めてきた我らの実績、それに勝るものなどこの世にありません」
王女の発した大胆な人事案に、口々に反対する家臣たち。
それら反対意見にミリアーナは絶句するが、彼女からすれば呆れ果てると同時に、
「こいつらに何を言っても無駄か」
そう悟って口を閉ざす。
黙った娘の姿を恐縮したとカン違いしたゼラント王は、
「皆の者。ミリアーナもまだ若く、至らぬこともあろう。とはいえ、相手は血迷って裏切るような者だ。本来なら、裏切りの罪を問わぬだけで寛大な処置と思うが、愚か者にはそのありがたみがわからぬかも知れん。そう思えば、ミリアーナの言うことも一理ある。よし、五百戸に加え、男爵号もさずけてやろう」
機嫌が少し良くなった声で、自らの心の広さに酔うように語る。
味方の頼りの無さと理解力の無さ、そして父王の性格は、今更のことであるから、ミリアーナは思考を切り替え、
「では、陛下。私の不見識を挽回する機会として、使者の役を務めさせてください。ゼラントの偉大さと、父上の寛大さ、ミストールに説いて参りますので」
さすがに公の場なので、普段のように「ボク」という一人称を使わず、父親の機嫌がさらに良くなるよう、かしこまって見せる。
敵味方も、どうにもしようがない中、最善の行動を取るために。




