暴竜編22-1
「この度は我が弟の無思慮な行動でご迷惑をおかけして、真に申し訳ない」
魔法帝国アーク・ルーンの第五軍団軍団長スラックスは、第十軍団軍団長ロストゥルに深々と頭を下げる。
すでに六十を越すロストゥルだが、見事な赤髪に混じる白いものは少なく、顔に見られるシワも大したものではない。生来、童顔だったためか、渋さや威厳に欠けるものの、親しみ易い顔立ちをしている。
年齢に比しての若々しさは、首から下、小兵な肉体の方が顕著で、しなやかな筋肉はフレオールのそれと性能的に劣るものではなかった。
アーク・ルーン帝国の東方軍において、スラックスは司令官であるので、本来なら副司令官であるロストゥルを呼びつけられる立場にあるが、今回の用事が私事でなくとも、相手の年齢、アーク・ルーンにおいてははるかに先達である点に常に敬意を払っているスラックスは、ロストゥルに礼儀正しく、物腰低く接している。
もっとも、今回は物腰が低いどころか、平身低頭という態度をロストゥルのみならず、同席するベルギアット、フレオール、そしてラティエを見せている。
弟が告白したサリッサの肉親はトイラックだけだが、オクスタン侯爵家で十一年前から暮らしている二人にとって、フレオールなどとは家族に近しい存在である。
何より、トイラックらを拾った大宰相ネドイルは、二人の養父も同然の立場にあり、サリッサを目に入れても痛くないほど可愛がっている点が、スラックスの最大の頭痛のタネであった。
「いや、スラックス卿。わしらはあくまで外野でしかないが、まあ、まったく無関係というわけではないのも心得ている。当人同士が自然な落着をする分には、協力するのもやぶさかではない」
「それで充分でございます。何とぞ、皆様のお力をお貸しください」
再び深々と頭を下げるスラックスだが、今回の件を穏便にすませられるなら、頭なぞどれだけ下げようが安いものだ。
将軍として重用されているからこそ、自分が仕える大宰相がいかに規格外の人物か、スラックスは思い知らされている。
滅亡したミベルティン帝国の宦官の一人であったスラックスは、祖国を滅ばした、正確にはミベルティンを滅ぼした反乱軍を撃破したアーク・ルーン軍が帝都に足を踏み入れた時、同行していたネドイル、新たな支配者を総出で出迎える約一千人の一人として、皇宮の廊下で平伏していた。
だが、そんなスラックスの前をネドイルは通りすぎることなく、
「君、将軍、やんない?」
いきなりスカウトされ、唖然としたまま引っ張られた衝撃は、色あせることなく彼の胸の内に残っている。
そして、諦めていた武人として生き様、一軍の将となる夢をかなえてもらえた感動も、まだスラックスの心を占めており、ネドイルに忠を尽くす心境は揺るぐことはない。
だから、弟の件は覚悟はしているものの、一方で家族想いでもあるので、最悪、弟が失恋ぐらいですむように動いてもいる。
「とりあえず、トイ兄は当人同士の問題と言っているんだろ?」
「はい、ありがたいことに。トイラック殿が怒らずにいてくれるのは、本当に助かります」
意中の相手に告白し、両想いとなった後、両家にあいさつに行くというのは、平民の手順である。
家と家との結びつきを重視する貴族の場合、好きな相手に想いを告げる際は、まず自家の当主に相談し、その是非の判断を委ねる。そして、是とした場合、当主が相手方の当主と話し合い、婚約や結婚の可否を定めるのが慣わしだ。
貴族とはいえ、没落して幼い頃から平民に混じって暮らしてきた妹弟は、多分に貴族の慣習に疎いところがある。
事前に恋愛相談をしてくれれば、と兄として思わなくもないが、当人は告白に踏み切るだけでいっぱいいっぱいだったのだろう。
幸いなのは、平民であるトイラックが、妹への直接的な告白を家への侮辱と取らず、当人同士で決めることというスタンスを見せていることだろう。
あるいは、内心でトイラックは、政略的にスラックスの家との結びつきを強めるのに賛成しているかも知れないが、
「とにかく、周りが納得し、当人同士が両想いになったとしても、ネドイルの大兄をどうするかが、問題なんだよなあ」
フレオールの発言に、全員が難しい顔となる。
魔法帝国アーク・ルーンの実質的最高権力者であるネドイルの、サリッサへの溺愛ぶりを思えば、一同が暗然となるのも当然だろう。トイラックにしても、ネドイルに気を遣って、妹を政略結婚させないようなものである。
何しろ、サリッサに意地悪をした者は、皇太子であろうと飛び蹴りを食らわす見境の無さだ。さすがに危害を加えようとするとまでは思っていないが、弟の身を案じるスラックスからすれば、ネドイルがいかなる反応を示すか、気が気でない。
ちなみに、サリッサが育ったオクスタン侯爵家の者ではない魔竜参謀がここにいるのは、ネドイルに対して最も強く物が言えるドラゴンだからだ。
スラックスもそうだが、帝都にいるマルガレッタも、人脈を駆使して、弟の恋愛成就に動いている。
「しかし、本当に弟が事前に相談してくれれば、水面下でネドイル閣下のお許しがいただけるように動けたのですが」
「まあ、あの内気な性格を考えれば、告白しただけでもよくやったとほめるべきだろうな」
親しいというほどでないにしろ、面識はあるフレオールの言うとおり、スラックスの弟は兄や姉ほど毅然としていないどころか、引っ込み思案な点が目につく。三つ上の姉に引っ張られて行動している内に、人の後ろにつくのが習性になったような感じだ。
ただ、姉のしつけが良かったのか、気弱なところに難はあるものの、心優しい少年であり、サリッサと親しくなったのも、彼女の慈善活動を手伝っているのがきっかけである。
たしかに、兄スラックスのような軍人・武人としての才気は見受けられないものの、
「少なくとも、良き夫、良き父になれる可能性は、ずっとあると言えますから。うちの子よりは」
苦笑しながら評する薄茶色の髪を短く整えた、四十という年の割には外見が若々しく、そして凛々しい外見の女性、ロストゥルの副官ラティエが口にする「うちの子」とは、当然、ヴァンフォールのことである。
代々、魔法戦士としてアーク・ルーンに仕えてきた家系のラティエは、当人は元より父親も魔法戦士で、しかもロストゥルの部下として師団長を務めている。
一人娘が敬愛する上司の愛人になり、生まれた孫が期待を裏切って、軍人ではなく大臣にまで出世したことに、複雑な心境にある親の心情の一部を、息子を立派な魔法戦士にするつもりだったラティエも共有している。
期待の斜め上をいってくれたが、すっかりとひねた性格となった息子と比べなくとも、スラックスの弟が素直をいい子というのが、一同の共有する印象である。
サリッサ当人が「ごめんなさい」と言えばそれまでの話だが、ネドイルの反対がした場合は「外野が口を出すべきじゃない」と、周りが口を揃えてくれるほど、もう一方の当事者の人柄は評されてもいれば、その労を惜しもうとは思わないほど、スラックスは人望を得ている。
「じゃが、そもそもサリッサは返事を保留しておるのだ。ヴァンのヤツとは残念なことになった直後だけに、まあ、残念なことになる可能性が高いのではないか?」
「何を言っているのですか、ロストゥル卿? 返事を保留にしたということは、サリッサがOKしたも同然ということですよ」
小首を傾げた後、何を言ってるの?と言わんばかりにドラゴンは一児の母と顔を見合わせる。
一方、女性陣の見解に、男二人と元男性一人は、そんなものなの?といった風で顔を見合わせる。
「たぶん、サリッサは、フュリー殿あたりに相談するでしょうし、あの人ならちゃんと背中を押しはするはずです。ただ、背中を思いっきり押して、相手に突進させる危険はありますが」
「たしかに、ありそうですね、それ」
ベルギアットの指摘と懸念に、実際に惚れた相手への突進を促されたラティエは、しみじみと同意する。
「いや、いくら母上でも、そこまでアグレッシブな答えは出さないだろう。年齢的に婚約ないし、内々での交際を勧めるぐらいの分別はあると思うぞ」
フレオールは一応、母親を弁護する。
ヴァンフォールやベダイルが産まれた経緯から、積極的かつ非常識な点はあるが、そればかりでもないと、息子としてはとりあえず信じている。
スラックスの弟はまだ十四。さすがに結婚は早いが、婚約ぐらいなら問題はない。サリッサの気持ちがそう固まっていないなら、もう少し様子見を勧めるはずだ。
「けど、だからこそ、あの人をどう納得させるかが、問題なんですよ。まあ、それよりはるかに頭が痛いのは納得しようがしまいが、何をしでかすか、わからない点ですが」
恋の行方は、うまくいくいかないの二通り、どちらにしても対応は常識の範囲内ですむ。
だが、大宰相ネドイルという人物の行動は、本当に、まったく、ぜんぜん、予測がつかない。
周囲が声を揃えて説得すれば、ネドイルとて二人の交際を認めはするだろう。それで、納得できずに何か妨害なりをするくらいなら、どれだけありがたいことか。
例えば涙を飲んで若い二人を祝福する気になったとしても、それですむ話ではない。ネドイル流の祝福となれば、ただですむものではないのだ。
とにかく、常識という物差しが通じないので、皇帝や皇族を全て追い払い、皇宮を貸し切って披露宴とかをやりかねないのである。マジで。
優れた智謀と長い付き合いと苦い経験のあるベルギアットですら、ネドイルが何をやらかすか考えても推し測ることができず、ため息しか出てこない。
だから、魔竜参謀は自分以上に付き合いの長い人物に視線を向けるが、
「言いたいことはわかるが、それは無理というもんだ。ぶっちゃけ、あやつが何を考えておるのか、さっぱりわからん」
さじを投げる父親。
「父上。その気持ちは本当によくわかるけど、サリッサらのためにも、身内としてわかりませんですますわけにはいかないよ」
そう口にするフレオールの視線は、すがらんばかりに頭を下げるスラックスの姿があった。
弟のために必死となる姿を前にして、ネドイルの血縁として知らん顔などできようはずがない。
「スラックス卿。安心してくれ、とは言えんが、可能な限りの協力は約束しよう。当然、帝都におる連中も巻き込む、もとい、協力させる所存だ」
それ以外の答え方などできるものではないロストゥルは、フレオール、ラティエ、ベルギアットとも顔を見合わせ、大きくうなずきあう。
前線にいる彼らは、たしかに帝都にいるネドイルへの動向をすぐに知ることはできないから、帝都にいる身内や知り合いとの協力と連携は不可欠なものだ。
だが、それ以上に重要なのは、多くの協力を得れば得るほど、より多く者と理不尽を共有でき、自分たちだけが不幸にならずにすむことだろう。




