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暴竜編22-3

 シダンスの口調は、フレオールのそれより十倍は丁寧なものであったが、タチの悪さにおいては十倍、フレオールより上であろうほど、シダンスは老獪であった。


 そのような人物と、しかも相手方が圧倒的に優位な状況で、タスタルの王女は降伏を申し出たのだが、


「そちらの要望は承りました。では、我が軍は進軍の準備をしておくので、そちらは進軍路の確保と兵糧の手配をお願いしますじゃ」


 当然かつ不可能な要求を突きつけて来る。


 狂ったドラゴンや挙兵した貴族らを鎮圧する力がないから、タスタル王国は降伏を選択したのだ。そもそも、不足している食料をアーク・ルーン軍の兵糧に回し、民が怒って決起してしまえば、治安が乱れてアーク・ルーン軍の進軍路が不安定となるのは明白だ。


「お待ちください。お恥ずかしながら、我が国にはその要望に応じるだけの余力がないのです。いえ、国を治めていく術がないのを悟ったゆえ、王は降伏を決意なされたのです」


「それは無責任な話ですなあ。民の信と税に応えるのは、王者としての最低限の努めでございましょうに。自らの責任を果たせないから、我らアーク・ルーンに丸投げしようと言われるか。試みに問いますが、殿下は恥という言葉を知っておられますか?」


「シダンス殿の目にどう映っていようが、わたくしは知っているつもりです」


「なるほど。知ってはいても、理解されておられないのですな」


 恥辱に顔を赤くしながら、それでもナターシャは必死に怒りをこらえ、交渉の席を立つ衝動を抑える。


 席を蹴り、この場から立ち去るのはカンタンだ。しかし、それは降伏交渉の停止を意味し、タスタルの民を苦しみを長引かせることになる。


 何と言われようが、タスタルの王族としての最後の責任を果たすには、ただ耐えるしかないナターシャは、


「ちなみに、参考にお聞きしたいのですが、殿下の恥知らず度を十とするなら、タスタル王はいかほどになりますかな?」


「父は、父は、そのような人物ではありません! 民のことをきちんと考えられる、心優しい人です!」


 民が苦しむ現状を見かね、苦渋の決断をした父王への侮辱は、さすがに我慢しきれずに叫ぶ。


 ナターシャを怒らせたシダンスは、むしろ満足げな笑みを浮かべ、


「なるほど、そうでございますか。それほどご立派なご仁なら、我が国の助けなどいりますまいな、ホッホッホッ」


「……見栄を張りました。訂正させてください。父は、恥知らずで、何もできない人物なので、貴国に頼るしかタスタルを救う術がないのです」


「何と何と。実の娘にそこまで言われとるとは、タスタル王とはよほど恥知らずな人物なのですな」


「はい、そのとおりにございます」


 声が震えるのみならず、悔し涙に頬を濡らしながらも、ぎこちない笑顔を無理に浮かべ、父王の悪口にうなずくナターシャ。


 タスタルの王族として民への最後の責任を果たすべく、耐え難い屈辱にもそれでも必死に耐える王女の忍耐は、


「父もわたくしも惰弱無能で、タスタルの民を今の苦難から救うことがかないません。もはや、偉大なるアーク・ルーンにすがるしか手立てがないのです。どうか、タスタルの地と民をお納めください。そうしていただけるなら、わたくしどもはいかなる協力もいといません」


「そこまで言われるのでしたら仕方ありませんのう。降伏する際の条件を変えることとしましょうか。アルトリン伯爵、ラヒッチ子爵、ギュスター子爵、ツァース男爵、ルツェル男爵、ゼムナ男爵の六名の首を差し出してくださるか?」


 シダンスが名を挙げた六名のタスタル貴族は、アーク・ルーン軍がタスタルの王都に至るまでの進軍路、もしくはその近辺に領地を持っているだけではない。ヌーブム子爵とは正反対、アーク・ルーンに通じるなどまったく考えられない、忠誠心の厚い人物でもある。


 そのような忠臣は、どんなに不利な状況でも降ることなく、わずかな兵ででも抵抗をし続けるであろうから、アーク・ルーンにとって目障りな存在ゆえ、タスタルに排除させれば、邪魔者がいなくなるだけではない。


 アーク・ルーンに通じているタスタル貴族は少なくないが、通じていない貴族の方がずっと多い。ただ、彼らの中で祖国に絶対の忠誠を抱いている者は大していない。


 裏切るのは後ろめたく、また外聞も悪いので、大部分を占める踏ん切りのつかない貴族らも、アーク・ルーンにこびへつらい、忠臣を売り渡す様、そんな王の姿を見れば、彼らの忠誠心は陽光の前の薄氷のように溶け消え、タスタル王国は本当の意味で終わりを迎えるだろう。


 堅苦しいが忠義に厚い六人の貴族らを思い浮かべ、ナターシャは苦渋に満ちた表情となるが、シダンスに「無理」と即答しなかった。


 最初の条件は、タスタルの現状では物理的に無理なものであったが、この条件は心理的に抵抗を覚えこそすれ、物理的には不可能ではないのだ。


「……そちらの言い分はわかりました。試みとして聞きたいのですが、その六名を命以外に、代わりとなる条件はないでしょうか?」


「ありませんな」



 にべもなく即答され、ナターシャはうなだれつつ、


「では、その条件を陛下に伝え、ご裁断をあおぎたいと思います」


 彼女は王女であって、王ではない。アーク・ルーン側が即断ではなく条件を出してきたなら、一度、それを持ち帰って父王や重臣らと協議せねばならない。


 ましてや、六人の忠臣の命を差し出すとなれば、軽々な判断を下せるものではなかった。


 一礼してナターシャが去ると、シダンスは深々とため息をつく。


「降伏を申し出る環境やタイミングもわからんのかのう」


 遠回しに断っているつもりだったが、タスタルの王女にはまったく通じず、このままだと本当に首を六つ持ってきかねない。

 

先日までなら、こちらで降伏を受諾できるだけの環境を整えてやれないこともなかったが、今は将たるスラックスが弟のフォローで色々と動かねばならない分、シダンスは軍団長の代理として動かねばならず、とても負け犬の世話などしていられない。


 ミベルティン帝国が滅びた際、本来なら宦宦の多くが路頭に迷うべきところ、スラックスによってシダンスらは再就職先を見つけることができた。


 だから、シダンスはスラックスに恩義を感じている部分もあるが、それよりも大きいのは、宦官の集団としての特性だろう。


 宦官は内ではいくつもの派閥に別れて争うが、外に対しては派閥に関係なく協力して当たる。自分たちが男でも人でもない特殊な存在であり、特別な場所でしか生きられないのを理解しているがゆえ、宦官は自己の生存圏を守るのを何よりも優先する習性が身に着いてしまうのだ。


 魔法帝国アーク・ルーンには宦官という制度そのものがない。それでもアーク・ルーンが大量の宦官を雇用しているのは、スラックスに対するネドイルの配慮によるものだ。


 だからこそ、宦官は自衛のためにも、スラックスを中心にまとまり、またその手足となって働く。今回の件にしても、スラックスの弟がトイラックの妹と結ばれれば、有力者とのより強い絆が生まれ、それはスラックスの、ひいては宦官の利となる。


 大宰相の後継者筆頭たるトイラックとより親密な関係を築くのは、タスタル一国を接収することよりも、ずっと大きな価値を持つ。シダンスとしては、スラックスに弟の恋愛のサポートに専念してもらいたいので、


「第九軍団に丸投げするかのう」


 そうつぶやくと、シワだらけの顔に皮肉っぽい笑みが自然と浮かぶ。


 第十一軍団は先日の一戦で敵の負傷者を意図的に殺した疑いで後方に下げる予定だし、第十軍団は一人の囚人を得たことでフリカの担当になるだろう。第十二軍団は将の性格的に敵国を追い詰める策に向かないので、フィアナートにおはちを回すのが最も正しい選択と言えるだろう。


 アーク・ルーン帝国からすればだが。


 苦渋に満ちた決断によってタスタル王は降伏を決め、その交渉を進めるためにナターシャは恥辱に耐えた。その決意と忍耐は無駄どころか、より最悪の選択へとつながったのだ。


 さんざん、侮辱という名の警告を発したシダンスからすれば、悲劇的なまでに愚かさを積み重ねるタスタル王国の振る舞いには、もう笑うしか処置のしようがないものであった。


「降伏を決めたなら、まず第一に勝者の都合を考えるべきであろうに。進んで最悪というくじを引くも、天地自然の理が定めるところか」


 滅びた祖国の思想で、最悪の滅び方をするであろう国のことを割り切ると、第九軍団の将たるフィアナートと連絡を取るべく、魔道の通信設備の元に向かった。


 要りもしない首を六つも持って来るであろう、バカな王女の相手をしてもらうために

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