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暴竜編22-2

「いやいや、お待たせして申しわけありませんて」


 本当に二時間も待たされ、天幕に入って来たのが老人であることに、タスタル王国の王女ナターシャは、形の良い眉を思わずしかめずにいられなかった。


 旧ワイズ王国とタスタル王国、そしてベネディア公国との国境に接する、アーク・ルーン軍が築いた長大な防衛線の最も北にある第五軍団の陣地、そこをタスタル王国の王女ナターシャが乗竜『ライトニングクロス』を駆って訪れたのは、敵の司令官たるスラックスと祖国の終わりについて話し合うためである。


 が、突然の訪問とはいえ、二時間も待たされた上、やって来たのは明らかにスラックスではなかった。


 完全に白くなった長い髪を結い上げ、やたらとシワが多く、甲高い声の老人は、副司令官たるロストゥルのようには見えず、


「わしはスラックス閣下の副官を努めるシダンスと申す。あいにく、帝都で変事があったゆえ、スラックス閣下は不在なので、ご用の向きはわしがうかがわせてもらいますじゃ」


 実際にフレオールの父親ではなく、スラックスと同じ旧ミベルティン帝国の生まれであり、同じ宦官である副官が、タスタルの王女に深々と一礼する。


「タスタルの王女ナターシャです。本日は国の使者として訪れたのですが、スラックス殿は今、帝都におられるのですか?」


 礼を返しながら問うのは当然だろう。


 彼女はタスタルの終わりという重大な話し合いのために、敵陣に訪れたのだ。正直、敵将ならともかく、副官と話すような内容ではない。


 もちろん、当人が不在なら仕方ないが、副司令官のロストゥル、後方総監のトイラック、他の三人の将軍など、副官以上の者が全員、不在なわけではないどころか、


「いえ、ロストゥル閣下の元におられますじゃ。ちとプライベートな話なのでのう。もし、使者殿の用件がわしでうかがえないものなら、出直してきてもらいたい。わしも色々と雑務があるので、そうしてもらえるありがたいのでな」


 慇懃無礼な対応をしてくれる。


 待たされた時間を思えば、スラックスにナターシャの訪問を伝えることができたはずだが、玄関払いも同然の扱いからして、そんな常識的なことすら期待できそうになかった。


「わたくしはタスタルの国使として、スラックス殿との会談を求めております。それに応じてもらえないほどの変事、よほどのことが貴国に生じたということでしょうか?」


 もちろん、こんなストレートな問いかけで、アーク・ルーンが内部事情をもらすわけはない、ということはなく、


「ええ、そのとおりにございましてな。何しろ、スラックス閣下の弟君がトイラック殿の妹君に告白なされたそうで。これで両者がうまくいけば、両家が結ばれることとなり、トイラック殿とスラックス閣下はご親類となりますれば、より緊密にアーク・ルーンを支えていけるようになりますでのう。これほどの吉事はありますまい。まっこと、うまくいってもらいたいものですじゃ」


 シワだらけの顔をほころばせて笑うが、ナターシャの方は微笑の一カケラも浮かべられる心境ではない。


 自分たちの侵略行為がどれだけ、タスタルの、いや、七竜連合の民を殺し、苦しめていると思っているのか。


 罪悪感のカケラも感じさせない態度、何より強者が見せる理不尽な現実に、ナターシャの美しい顔は、噛み殺し切れぬ怒りで険しくなり、


「……そのような理由で、スラックス殿は一国の正規の使者に会おうとしないのですか」


「そちらがそう思われるのも仕方ありますまい。ただ、スラックス閣下の家はちとよんどころない事情がございましてな。父君は亡く、母君は病弱。妹君はベダイル殿に仕える身であり、当時者たる弟君は十四と若年。頼れる親類の方々もおられず、かたじけなくも我らの同胞を何人か雇って下さっておられるが、彼らにできるのは雑事や遣い走りだけ。当主たるスラックス閣下でなくば、務まらぬことが多々ありますのじゃ」


 社会的な地位が高まるほど、結婚は当時者間のことだけではすまなくなる。


 例えば、サリッサの兄、相手方の当主であるトイラックにあいさつするとなれば、これはスラックスにしか務まらない。


 十四と十七、若年の弟と妹ではむしろ相手に失礼に当たるし、母親では体調的な心配がある。


 両親の兄弟などは、ミベルティン帝国が健在なりし頃、没落したスラックス一家を切り捨てるように絶縁してきたので、アーク・ルーン帝国の支配下になった今、当時の怒りと恨みを忘れぬスラックスに絶縁状態を維持され、ことごとく没落して散り散りになり、行方がわからなくなっている。


 自分の代理を任せられる親類がおらず、何人か雇っている宦官も使用人でしかない。このため、一軍の将として多忙であっても、一家の当主としてスラックスしか相手方との話し合いができる者がいないので、一国の王女と話し合っている暇がないのだ。


 もちろん、二度に渡って連合軍を大破し、七竜連合に撒いた混乱のタネが咲き乱れ、周辺十ヵ国を共犯関係に引きずり込んだ、軍事と謀略の巨大な成果があるからこそ、相手国に傲慢な態度と強気一辺倒な交渉で臨めるのは言うまでもない。


「幸い、ヅガート閣下の策で、貴国らの兵は退散しておりますからな。そちらの内情を考えましても、当面、大軍を繰り出される心配もございますまい。散発的に襲って来るドラゴンに対処しつつ、相手国が落ち着くのを待てば良いだけのことに、スラックス閣下の采配はいりませんからな。まっこと、天も粋な計らいをしてくれもうす」


 七竜連合が自力で現状を何とかしようとするほど、国力が低下していく。アーク・ルーン帝国の最善の戦略は、七竜連合が自国の混乱に国力と戦力を費やし、国内をそれなりに安定させて弱り切ったところに、復興の時を与えず、トドメの一撃を繰り出すことだ。


 今、七竜連合に進軍すれば、暴れ回っているドラゴンらの処理をアーク・ルーン軍が行うことになる。それよりも、狂ったドラゴンと残っている竜騎士が潰し合うのをじっくりと眺めてから進軍した方が、軍事的な手間が省けるだけではない。


 今の混乱が長引くほど、七竜連合の民は身も心も疲れていき、気力を失っていく。そして、新たな支配者からすれば、気力を残して反抗的な民よりも、疲れ果てて従順な民の方が扱い易いのだ。


「……くっ……」


 言外に、シダンスの駆け引きを理解し、ナターシャの顔はさらに険しくなる。


 降伏を承諾させ、アーク・ルーン軍の進軍を促すなら、行動を早めることで増える手間と労力、まずはそれに見合うだけのものを用意すること。手ぶらで降伏を申し出るなど、論外。


 反抗の気力が残る十人の民より、狂ったドラゴンに五人が殺され、残る五人も怯えて逆らう気力を失った民、管理のし易い数と心理の方を選ぶ。


 冷徹な効率性の論理、魔法帝国アーク・ルーンのやり口を見せられ、


「あなた方は、あなた方は自分たちのしたことを、何と心得ているのですかっ! わたくしたち竜騎士を倒すだけではいけないのですかっ! あなた方の狂わしたドラゴンたちは、何万、いえ、それ以上の罪のない民を害して、まだ足りぬと言うのですかっ!」


「ホッホッホッ、何やら誤解しておるようですな。ただ、貴国らのドラゴンが暴れているのをこちらのせいにされては、たまりませんぞ」


 最初、自分の怒りと糾弾に対して、人の良さそうな笑みを浮かべる老宦官の言葉が、ナターシャには理解できなかった。


 が、すぐにその厚顔さに気づき、


「そのようなごまかしが通用すると思われているのですかっ! あの日の夜、何隻かの魔道戦艦がドラゴンらに砲撃を加えたこと、我ら健在な竜騎士がドラゴンの目を通して確認しているのです。言い逃れの余地はありません!」


 マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』を食らったドラゴンの全てが狂ったわけではない。彼女の乗竜ライトニングクロスもその一頭である。


 ライディアン竜騎士学園の敷地に発砲した魔道戦艦の存在を、乗竜の知覚を通じて目にしたナターシャは、目撃者の一人ではあるが、


「ホッホッホッ、たしかに威力偵察と威嚇射撃を魔道戦艦が行いましたが、それだけでございますな。我が国としても、貴国らのドラゴンが急に暴れ出し、驚いておるのです。こちらとしては常々、ドラゴンの専門家たる竜騎士に原因を問いたいと思っておりました」


「白々しいにもほどがあります。アーク・ルーンの砲撃がドラゴンらを暴走させた光景、わたくしたちの目には闇夜であっても明白でした」


「ですが、ワイズでの戦いのおり、魔道戦艦の砲撃を受けても、狂ったドラゴンが出たとは聞いておりませんでのう。なのに、あの夜だけ砲撃で狂ったという考えはおかしいではありませんか」


「そのようなこと、そうした砲撃を用いた、それだけで説明がつきます」


「では、それが正しいと証明してくれませんかのう」


「なっ! それは……」


 物証、いや、魔術的な鑑識結果を求められ、ようやく目撃証言の無力さを悟る。


 彼女も目撃者の一人だが、魔道戦艦の普通の砲撃と、マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』の込められた砲撃の違いを見分けるだけの、魔術的な知識はない。それはどの竜騎士もその見習いも同様だろう。


 シィルエールなどの魔法の使える竜騎士もいないではないが、魔術の知識があることと、魔道技術の専門家であることは似て非なるものだ。


 七竜連合にも少ないが魔術師はいるものの、彼らに魔術的な証明を期待しようにも、


「しかし、そのように誤解なされていたとは思いませんでしたな。それならば、当日の魔道戦艦をそちらで調べてもらっても構いませんぞ」


 物証は全てアーク・ルーンが握っているのだ。マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』の痕跡を消されたらそれまでだし、そもそも当日に用いていない魔道戦艦を持って来られる可能性もある。


「ナターシャ殿下、まだ水掛け論を続けるおつもりですかな?」


「…………」


 アーク・ルーンに自白させる方法がない以上、マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』の件を問い詰めても、平行線に終わらせるほどアーク・ルーンは甘くない。


「しかし、話し合いには相互の信頼が不可欠。このような疑いを抱かれていては、何を話し合っても実を結びますまい。ですので、我が国の主張が正しいこと、ナターシャ殿下に認めていただけませぬかのう、公文書で」


 シダンスの要求に、ナターシャの表情は引きつる。


 一国の王女として公文書をしたためれば、タスタル王国は魔法帝国アーク・ルーンが、公式にドラゴンらの暴走に関与していないことを認めることになるが、ナターシャもさすがに敵の目的が熟成期間を得ることだと察する。


 降伏を、ナターシャやタスタル王ほど、アーク・ルーン側は甘く考えていない。正確には、降伏もタイミングによって価値が変わってくるのだ。


 七竜連合はどの国も基本的に善政を敷いている。貴族の中には横暴な者もいるが、それも全体の極一部にすぎない。だから、ワイズの民を統治するにあたり、かなりの費用と手間をかけたが、他の国々に一々そんなコストはかけていられない。何より、ワイズの場合、多額の投資をしても、イライセンというハイ・リターンがあるからこそなのだ。


 目ぼしい人材がいないタスタルにコストパフォーマンスをかけてはいられない。なまじタスタル王は善良な人物で、民に優しい政治をしてきただけに、その降伏にはもっと熟成期間をかけ、タスタルの民の苦しみをもっと高めなければならない。


 狂ったドラゴンや内乱、食料や流通の悪化などによって、苦しみのどん底でタスタルの民が王の無力さを痛感し、それが失望から絶望に至った時こそ、アーク・ルーンの出番になる。逆に言えば、タスタルの民が苦しみのどん底に至っていない今は、舞台袖で待機する時なのだ。


 だから、シダンスは何くれと理由をつけ、予定時刻まで出演を伸ばそうとし、ナターシャの側はどんな理不尽で屈辱的な要求にも全てイエスで答え、アーク・ルーンの出演を早めねばならない。


「……わかりました」


 震える声で応じ、ナターシャは震える手で、シダンスが用意した紙にペンを走らせ、罪人に言われるまま、有るべき罪を無いとする公文書を作成する。


 屈辱に身を震わせながら。

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