暴竜編12-1
タスタル王宮は現在、重苦しいほど暗い雰囲気がたちこめているが、昨今の情勢からすれば当然のことだろう。
先日よりタスタルの未来と存続を不安視するしかない凶報が相次ぎ、それらと接した王族、貴族、高官の顔も一様にかげっているのだ。一部の者はタスタルの不滅を唱えているが、そんな根拠のない発言だけで意気が上がるほど、タスタル王国の抱える内憂外患は甘いものではなかった。
暗い表情なのは、つい昨日、生まれ育ったタスタル王宮に戻って来た王女ナターシャも同様である。
彼女は傷ついた同胞を率い、ライディアン竜騎士学園からの長い旅路の末、父王の御前で高官らと立ち並んでいるが、顔色の悪い理由に長旅による疲れもあるかも知れないが、やはり祖国の現状を憂いての部分が大きい。
全ての凶報を聞き終わった時、ナターシャは意識を失いかけたほど、タスタルの未来は絶望的なものだった。
まず、タスタルの王都にも、ライディアン竜騎士学園と同じく、マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』が撃ち込まれた。正確には、契約したドラゴンが棲まう王都の側にある山中にだが、これで五十頭を越すドラゴンが狂って暴れ出し、その一部が王都にも押し寄せ、小さくない被害が出た。
マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』の弱点は、とっさでも偶然でも精神防御すれば防げる点にある。そうして見習いを含めて乗竜の契約を失わずにすんだ竜騎士十三騎が、王都で暴れるドラゴンらを追い払ったが、それで問題が解決したわけではない。
暴走したドラゴンらは王都周辺の町や村に次々と襲いかかり、甚大な被害な与え、十や二十できかぬ村が全滅した。
それだけでも大きな痛手であるのに、暴走するドラゴンらは王都へと往来する人々をも襲い、街道に人や馬の食い残しが散乱し、それが流通に停滞を招いた。
一国の王都、大人口の大都市となるほど、食料や物資の消費が激しく、外からの供給が滞れば、都市内の物資はすぐに底をつく。狂ったドラゴンに食い殺されるリスクがある以上、商人らは二の足を踏むようになり、王都の食料・物資は慢性的に不足し出し、それにともなう物価の上昇によって、市民生活は日々、困窮の度合いを深めるありさまだ。
暴走するドラゴンらを討とうにも、健在な竜騎士はその数が少なく、王都の守りから離れられず、放置するしかないのは、タスタルに限らず、七竜連合の他の国々も王都一帯は似たり寄ったりの苦境にある。
だが、タスタルの苦難はそれのみではない。連合軍に撃ち込まれたマジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』によって、フリカの北西部と同様、タスタルの南西部も狂ったドラゴンのエサ場も同然の状態にあり、その地から王の元に救援を求める声がいくら届こうが、タスタルにそれに応じる余力はなく、同胞を見殺しにし続けた。
そして、最大の凶報、七竜連合の最後の望みである連合軍の大敗の報が、タスタル王宮を震撼させた。
参戦した竜騎士もドラゴンも全てが死ぬか狂うかし、二十八万の内、四万人しか落ち延びられなかったという凄まじい損害までは伝わっていないが、詳しい被害報告を受けることも調べることもできないのが七竜連合の実情だ。
連合軍の大敗は、何人、いや、何十人ものタスタル貴族に、祖国タスタルを見限らせた。アーク・ルーンに亡命する者もいたが、アーク・ルーン軍が侵攻した際の心証を良くするため、地方の貴族の中には挙兵する者らが現れていき、祖国を内乱状態にした。
そこにタスタル王国の北にある二ヵ国、北西のベネディア公国と北東のリスニア王国が侵攻してきた。
両国が繰り出して来た兵は共に一万。北の国境には二、三騎の竜騎士と数千の兵がおり、北からの侵攻を防げてはいるが、両国が本格的に兵を投入してくれば、援軍なしでは持ちこたえられないだろう。
が、言うまでもなく、タスタル王国に北の国境に兵を送る余力はない。挙兵した反乱貴族に攻められている貴族も、狂ったドラゴンの被害を受けている人々も助けを求めてくるが、自らを助ける力もないタスタル王に、他に分け与えられる力はなかった。
ロペスを、引き止めるティリエランの声を振り払い、帰国したナターシャを待ち受けていたのは、破滅する直前のタスタルの惨状であった。
竜鱗の鎧を脱ぎ、ドレスに着替え、顔色の悪さを化粧でごまかしたナターシャは、帰国した初日は父王らとタスタルをどう保つか思案していたが、
「陛下。残念ながら我がタスタルに落日の時がおとずれたようです。この上は、タスタルの明日に時を費やさず、この地に残る民のことを考え、速やかに決断すべきでしょう」
一晩、経ち、祖国のどうしようもない状況を認め、イタズラな延命策で無様な失血死を避けるように述べる。
これまで降伏論を唱える者がいなかったわけではないが、七竜姫の一人として名高いナターシャのそれは、これまでの者の発言とは重みが違うし、
「何を言われるかっ、姉上。一時の危機に弱気になり、タスタルの幕を降ろすなど、あってはならないこと。それでは、先祖に冥府であわす顔がありません」
主戦論の筆頭、この期に及んでも闘志と戦意を失っていない、タスタル王国第一王子ネブラースが声高に異を唱える。
ネブラースはナターシャの弟で十五歳。姉より硬質で色素の濃いハチミツ色の髪に、年の割には立派な体格の持ち主で、本来なら来年の春、ライディアン竜騎士学園に入学する身であるが、今の状態では入学願書を出すことはないだろう。
タスタル王の長男ではあるが、ネブラースは王太子ではない。彼は第二夫人の子で、ナターシャとは異母姉弟となる。
正室と第二夫人、タスタル王は二人の女性との間に二人ずつ、二男二女をもうけている。それゆえ、ナターシャの同母弟が王太子として立てられているのだ。
当人らの性格もあるだろうが、タスタル王室の家族関係は極めて良好である。タスタル王は温厚な人物で、その二人の妻も控えめな人柄であり、ネブラースもまっすぐな性格をしていて、王太子である腹違いの弟も母親が同じ妹も可愛がっているし、ナターシャのことも尊敬している。
ただ、直情的な分、視野の狭いところがあり、尊敬する姉が降伏を口にしたことに、明らかに驚いた表情をしていた。
これまで降伏を唱えた者は、皆、ネブラースの反対で黙らされている。
第二夫人の子とはいえ、王子という立場もあるが、健在な竜騎士は皆、主戦論者なので、数が激減したとはいえ、彼らの発言力は未だに大きい
国王以下、大半が戦意を失っている中、タスタル王国の態度が不鮮明なのも、ネブラースと竜騎士一同が、頑として降伏に反対しているからである。
だから、高官の多くのみならず、父親さえナターシャに期待するような視線を送っており、タスタルの第一王女も第一王子に遠慮して、自らの主張を引っ込めることはなかった。
「降伏しないのであれば、我らは自力で国の再建をなさねばならないのですよ。いったい、どのようにタスタルを旧に復するというですか?」
「決まっています。アーク・ルーンを撃破する。あれこそ諸悪の根源。アーク・ルーンが健在な限り、我らに安息の時は訪れません」
「我が国にアーク・ルーンと戦う余力が残っていると思っているのですか」
鼻息を荒くして勇ましく断言する弟の姿に、ナターシャは呆れ果てるしかなかった。
魔法帝国アーク・ルーンの侵略が全ての元凶であり、それを討たねばタスタルは常に侵略の危機にさらされるのは、間違った見解ではない。
根本的に間違っているのは、狂ったドラゴンも内乱・内通した貴族も討伐できぬタスタルには、もうアーク・ルーンと戦う力など残っていない点だ。
民をさらに苦しめ、無理に無理を重ねれば、もう一戦、アーク・ルーンに挑むのも不可能ではないが、確たる勝算もなく軍事行動に出られる状況にタスタル王国はない。
また、バディンなどの盟友に支援や協力を求めたところで、この情勢ではどれほど力を貸してもらえるか。向こうとて、自国の安定を第一とするだろう。
「仮に戦ってまた敗れれば、民を今より酷い状況としてしまうのですよ。そして、我々はアーク・ルーンに敗れ続けている。それを認める時がきたのです。気づくのが遅すぎたかもしれませんが」
「敗れたと言っても、それは全て、アーク・ルーンの卑劣な策略にやられただけだ! マトモに戦えば、我ら竜騎士に敗北はありえないっ!」
気勢を上げるネブラース、それに同調する竜騎士らに、ナターシャはそっとため息をつく。
竜騎士の強さは、七竜連合の者にとって、もはや信仰の域にあり、ナターシャもかつてはその信徒であった。
だが、アーク・ルーンによってその強さはすでに否定されている。当たり前のことだが、竜騎士の強さは絶対のものではない。その程度のことに気づくのに、ナターシャは数多の流血と不幸を見なければならなかった。
ただ、彼女はまだ気づけただけマシな方であろう。まだ多くの者が竜騎士の強さを絶対的なものという幻想を抱き、現実に気づいていないのだから。
「アーク・ルーンが卑劣な手段を取ったから負けた。それは我らが卑劣な手段を取られる限り、負けるということなのですよ。アーク・ルーンが卑劣な手段を取らないという確証がない以上は、アーク・ルーンと戦うのは自ら敗北を求めるようなものです」
戦争はチェスなどのゲームではない。明確なルールがあり、決められた戦力をマス目にそって相手に真っ向からぶつけ合う遊戯ではないのだ。
うまく相手をだまし、効率的に相手を殺した側が勝者となる。それが人が定めた戦争の大原則というもの。
敗者がいくら勝者を非難しても負け犬の遠吠えでしかない。だから、卑劣な手段に敗れたなど、むなしい弁明でしかなく、
「それとも、あなたには、アーク・ルーンの卑劣な手段を止める手立てがあり、また卑劣な手段を見破る術があるのですか」
姉の論法の前に弟はぐうの音も出なくなる。
不満げな表情ながら、ネブラースが反論の言葉を出せないため、
「ナターシャ殿下のお言葉、たしかにもっともにございます。その点におきましては、ネブラース殿下に速戦を勧めたこと、まことに浅慮でございました」
竜騎士らの中で最も年配である初老の男、ノルゲンはネブラースを庇うように進み出て、深々と頭を下げてきたので、ナターシャは思わず眉をひそめそうになる。
ノルゲンはナターシャの亡き祖父、先代のタスタル王の代から仕えている。というより、先代のタスタル王に誠実な忠勤ぶりが認められ、名誉ある竜騎士に取り立てられた人物である。
元々、忠義に厚い人物なのだが、竜騎士としてもらえたのをよほど感謝しているのか、その忠義は分厚くなり、タスタル王家を何よりも先に考える、正にタスタル一の忠臣であった。
ただ、それだけに、タスタル王家の存続を誰よりも考えているがゆえ、ネブラースを立てて主戦派を形成しているのだろう。
アーク・ルーンに降伏すれば、当然、タスタル王家は終わりの時を迎える。それだけではなく、タスタル王族の主だった者が打ち首になる可能性もある。
だからこそ、ノルゲンは主戦論を唱えて降伏論を抑えており、
「ですが、愚考しますに、ナターシャ殿下の降伏論も拙速でありましょう。ただ、降伏を申し出るだけでは、アーク・ルーンに軽く見られましょう。一戦して痛い思いをさせるといかずとも、何か我らの実力を示さねば、アーク・ルーンに不要と切り捨てられるかも知れませんぞ」
この発言で、多くの貴族が動揺を見せた。
ただ降伏を申し入れるだけで、終わりを迎えるのはタスタル王家だけではない。
ワイズ王国が滅びた際、大半の貴族が領地も財産も失った。領地や財産を保全してもらえたのは、最後に祖国を裏切った国務大臣、軍務大臣、外務大臣とその一族親類のみである。
アーク・ルーンの侵略に対して何もせずにいれば、審判の時に全財産没収の判決が下るだけだ。だから、何十人ものタスタル貴族が情状酌量の余地を求めて内乱を起こしている。
祖国の混乱に右往左往するばかりだったこの場の貴族らも、これで自分たちが公判の準備が整っていないのに気づき、
「ノ、ノルゲン卿のおっしゃるとおり、降伏するにしても、もう少し環境を整えてからにすべきでしょう」
「そのとおりです。民への保護など、細部を詰めていかねば、どんな不利益を押しつけてくるかわかりませんぞ」
「交渉に駆け引きは必須。ただ、我らには交渉のための材料がありません。まず、駆け引きのできる材料を用意し、それから交渉に臨むべきでしょう」
「ともあれ、拙速は禁物。国の命運を定めるとなれば、慎重に慎重を重ね、よくよく検討していくことをお勧めします」
降伏の決断を口々に先延ばしにしようとする裏には、時間稼ぎをしようとする意図が明白であった。
アーク・ルーンに降伏するにしても、手土産なしでは相手にしてもらえない。だから、タスタル貴族らは、手土産を用意する時を稼ごうと、慎重に判断すべしと口を揃えているのだ。
そして、最大の手土産となるのは、タスタル王やナターシャ、ネブラースなど、王族の首や身柄であろう。王妃と王太子の身柄をアーク・ルーンに引き渡した、イライセンという前例もある。
本音の見え透いているタスタル貴族の態度に、ネブラースは顔を赤くして怒鳴りつけようとするが、ノルゲンが腕をつかんで、未然にそれを防いだのは、この展開が主戦派にとっても悪いものではないからだ。
彼らが会議を踊らせ、長引かせるほど、ノルゲンらも色々と準備を整える時を得られる。何よりも、侵略者に手土産を用意しようとするということは、タスタルを裏切ろうとすることであり、その動きを押さえて反逆者を討てば、功績を挙げた主戦派の発言力が高まることになる。
ワイズの時は、アーシェアが可能な限りの戦力を前線に引っ張っていき、王都に竜騎士を残さなかったが、逆に言えばそれを教訓に、竜騎士を残して備えさせておけば、お粗末な反乱などカンタンに鎮圧できるのだ。
「わかりました。まず、アーク・ルーン軍に使者を送り、その反応を探り、次の方針を定めましょう。それでどうですか?」
迂遠ではあるし、ノルゲンの思惑のとおりになるが、アーク・ルーンの考えを確かめずに降伏を申し出るのは、雑な手順であると言えるだろう。降伏したから、助けてくれる。国家間のやり取りはそんな単純なものではないのだ。
娘の提案に、誰も異を唱えないのを見計らってから、
「では、アーク・ルーンに使者を送り、向こうの出方をうかがうものとする。ただ、いかなる名目で使者を送ることにするか、意見を述べてもらいたい」
降伏とかしたらどんな感じになりますか?とストレートに聞くわけにいかない以上、使者を送っての腹の探り合いになるが、その使者を送るにしても、何かしらの名分はいる。
もちろん、本当の目的はアーク・ルーンのタスタルに関する処置・対応を調べることなので、使者を送る名目は別段、何でも良く、何か適当なものはないか、とタスタル王は問うているのだ。
「では、ちち、いえ、陛下。アーク・ルーンに抗議の使者を出すべきです」
「なっ、抗議の使者だと!」
息子の言葉にタスタル王のみならず、居並ぶ貴族高官も目をむく。
ナターシャとノルゲン以外、驚く一同に対して、
「いかなる魔術か知りませんが、ドラゴンを狂わせ、民に牙をむかせるなど、悪辣にすぎるというもの。その非道な所業に対し、我がタスタルは正式に抗議するべきです」
ネブラースの言い分はそれほど奇異なものではない。
戦争とはいえ、目に余るような非人道的なやり方に抗議するのは、別に珍しい話ではない。実際に、タスタルはスラックスに大敗した後、使者として赴いたナターシャは、アーク・ルーンの非を責めている。
もちろん、それで相手国が非を悔いるということはまずないが、相手の悪辣さを正式になじるだけでも、政治的にも外交的にも無意味ではない。
だが、滅亡の淵に立たされているタスタルの現状からすれば、交戦国を怒らせるような行為に二の足を踏むのは当然な反応だが、
「陛下。ネブラース殿下の意見は妥当なものと思われます。どのみち、この情勢、アーク・ルーンは我らを侮っておりましょう。だからこそ、ここで強気な姿勢を見せねば、これよりの先の交渉において足元を見られかねません」
信頼し、実績のある初老の竜騎士の言に、タスタル王は深く考え込む。
もちろん、主戦派のネブラースとノルゲンには、アーク・ルーンに下手に出て何もせぬまま無条件降伏となるのを避けるという意図がある。
また、アーク・ルーンが怒り、攻め込んでくれば、なし崩し的に戦闘状態に入れる。何より、王都しか万単位のまとまった戦力のないタスタルだが、国力の乏しい現在、数万の兵を国境に移動させるだけの物資もなく、敵にここまで攻め込んでもらわないと、戦うことすらできないのだ。
「ナターシャよ。そちはどう思う?」
「駆け引きのいっかんとしては、悪くない手ではあるように思われます。あくまで抗議であり、こちらの態度が無礼と取られないように気をつけるべきでしょう」
父王の下問を受け、ナターシャは弟や老臣の心中を察しながら、反対することがなかったのは、アーク・ルーンをある意味で信頼しているからである。
使者としてトイラックと相対した際、アーク・ルーンの凄みの一部を味わっている。ネブラースらの思惑がわからず、挑発されるような敵なら、どれだけ楽なことか。
見え透いた算段が通じる相手ではないのだ。とにかく、侵略者の思惑を探り、その意向を察することが肝要となる。
アーク・ルーンの脚本や演出がわからねば、タスタルはマシな終幕すら望めないのだから。