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過去編105-3

「何も、ああも追い詰めることはないだろう。可哀想じゃないか」


 渋面でネドイル、諸悪の根源がこぼした言葉に、同席するトイラックは表情を消して受け流すが、フレオールの方はさすがにイラッとした表情となる。


 あの後、フレオールの前から立ち去ったイライセンは、その足でネドイルの元に再び直談判に赴き、今度はワイズ及び七竜連合への軍事行動の変更と駐留継続を内約させた。


 形式がどうであれ、ネドイルは魔法帝国アーク・ルーンの最高権力者であり、独裁者だ。そのネドイルが内々とはいえ、オッケーを出したのだから、不合理な作戦案は承認されたも同然だ。


 合理性と効率性を重んじるネドイルが、イライセンの嘆願を聞き入れたのは、その内面の変化に気づき、今のイライセンに対するメリットとデメリットを読み取ったからに他ならない。


 この数日で精神的に崖っぷちに追い込まれていたところに、あのフレオールの一言である。普通なら、イリアッシュのように精神が転落して壊れるのだが、イライセンは心が壊れてなお、ワイズの民を思いやる心を失わなかった。


 正常な思考を失いながらも、異常な思考でもワイズの民を守ることを考え続け、人間性を失いながらも、怪物性を得たことで、ワイズの民にとってより強力な守り手へと自分を変容させた。


 イライセンの元々の才幹は言うまでもない。その巨大な才幹は、今や狂気という猛毒をはらみ、倫理や良識といったものに一切、縛られることはなくなっている。


 少し前、義姉に当たる王妃と甥に当たる王太子を人質とし、それまで親類として親しく、また臣下として忠実に仕えていた相手の親愛や信頼を裏切ることに葛藤もしたし、大いに迷いもしたが、そんな人として当たり前のものは消え失せ、今のイライセンの識別機能は、その二人のみならず、ワイズ王を初めとするかつての主家や同胞を、害虫としてしか認識しなくなっている。


 自分の娘すら、害虫かそうでないかとの区分の対象であり、前者とカテゴライズされたなら、イリアッシュも父親にひねり潰されて終わることとなる。


 その認識はネドイルらもにも有効であり、だからこそワイズの民の害とならぬように作戦の変更に同意して、怪物と化した男を敵に回す愚を避けた。


 すっかりと危険な存在となったイライセンだが、それは内面の変化にすぎず、娘のように腕が立つわけではないので、始末することそのものは難しくない。だが、人間性を失って機能性が高まったことで、作戦を変更をした際の不利益も、将来的に回収することができるようにもなっている。


 何より、ワイズの民という首輪をつけ、今のイライセンをうまく取り込めば、ネドイルの政権はより強固なものとなり、手綱をきちんと握っている限り、長期的には大益すら見込めるのだ。


 人の才を何よりも重んじ、決起した時より危険を隣人としてきたネドイルにとって、目先の安全のため、これだけ稀少で大才ある人材を拒むという選択肢はなく、本当の意味でイライセンを配下として、その陣容をさらに強化したが、


「フレオールよ。たしかに、イライセンの苦悩を何とかしたいと考えるのは、間違っていない。そして、オマエの一言で、イライセンが悩みから解放された。だが、ワイズの地で血が流れ、当人がどれだけ無力さに苛まれることになろうと、人として苦しむ方がマシであったのではないか」


 新たな人材をより利用価値の高い存在としてくれた異母弟に対して、その非と軽率さを軽くとがめる。


 イライセンが不幸となり、それでネドイルはより益を得たが、それを喜ぶような人物なら、今ごろ、大宰相という地位になかっただろう。


 人材を重んじ、そして心から大切にする。ネドイルのその姿勢に偽りがないからこそ、部下の大事な部分に気づけるのだ。また、その点をきちんと尊べるからこそ、目先のごまかしなど通じぬ者たちが従っているのである。


 ネドイルもトイラックも、イライセンを追い詰めすぎないように気をつけていたからこそ、


「わかっているよ。大兄の言うとおり、オレの余計な一言が元で、イライセン卿とイリアッシュ嬢がああなったんだ。二人のような眼力もないクセに、わかった気になっていたオレが悪い。今さら、反省しても後悔しても遅いが」


 娘が父を案じる点は言うまでもないが、父親が娘を想う点も、フレオールの眼に狂いはない。周りからはわかりにくいが、イライセンは一人娘を政略の道具と見ていたわけではなく、肉親としてその幸せを願っていた点に偽りはなかった。


 フレオールが見誤ったのは、イライセンの信念だ。己も娘も、何もかも捨てて、ワイズの民を守る点、それをああも譲らないとは思わなかったのだ。


 そうした部分に何となく気づいていたネドイルやトイラック、そしてヅガートに比べ、フレオールの危機意識や眼力は、青二才の域を出ていなかっただけの話だが、自分のクチバシがまだ黄色いの気づかず、一丁前の口を叩いた結果、イライセンとイリアッシュの苦悩の日々にトドメを刺したのだから、悔やんでも悔やみ切れぬというもの。


 その大いにへこんでいるフレオールに、


「しかし、フレオール様の発言は、きっかけにすぎないと思いますよ。イリアッシュ嬢の行動を黙認していた時点で、イライセン卿がああなる可能性は小さくありませんでした。起こるべくして悲劇は起こり、成るべくして破綻しただけにすぎませんよ」


 イライセンが断崖絶壁の淵ぎりぎりに爪先立ちしていたような精神状態にあったのは間違いなく、フレオールの発言がなくとも、ちょっとした弾みで転落した可能性は大であり、その点ではトイラックのフォローは的確なものであった。


 もっとも、それでフレオールの気が晴れたり、罪悪感が薄れたりはしないが。


「トイラックの言うとおり、今回の結末はイライセン卿が自ら選んだようなものだ。とはいえ、いかに当人の決断であるから気にするなと言ったところで、オマエは納得しまい。あの男の信念の固さを思えば、何とかするのは至難どころではないが、それでも何かするつもりであるなら、大宰相としては何もできんが、一人の兄としてなら協力を惜しまんぞ」


 あのような状態になったからこそ、大宰相として作戦を変更しても収支決算が合うと判断したのだから、フレオールがイライセンを元に戻そうとした場合、それを公的な立場で支援することはできない。だが、個人、兄の立場なら協力をすると言っているのだ。


 もちろん、己の権力基盤を思えば、今のイライセンの状態を放置すべきだが、自分の利益よりも部下の心情を重んじるのが、ネドイルという人物だ。


 そして、異母兄に見抜かれているとおり、自分の軽率さと未熟さのツケを踏み倒すつもりのないフレオールにとって、個人的なものでも兄の協力がある方がありがたいが、


「ですが、イライセン卿はワイズの民のため、絶対に譲れないもののために、一線を越えています。その厄介さは、サム将軍やレミネイラ将軍に通じるか、それ以上と思われますよ」


 トイラックに指摘されている点は言われるまでもない。

 サムやレミネイラと深いつき合いがあるわけではないが、面識はあるし、何よりその背景は聞き知っている。


 本当に大事なもののために、それ以外を捨てた人の姿。それがどうにもならないことは、二つほど見知っている実例で、フレオールとしても絶望的なまでに理解している。


 公的な立場と利益を、ある意味、誰よりも重んじるトイラックが、フレオールを止めようとしないのも、どう足掻こうが「無理」とわかっているからであり、


「ともあれ、本丸よりも先に外堀を埋めることを優先すべきでしょう」


 こうして的確なアドバイスをするのも、外堀を埋めたところで、どうにかできる本丸でないからだ。


 もちろん、外堀とは言うまでもなく、イリアッシュのことなのだが、


「外堀? イライセン卿の内側に踏み込む、何かきっかけがあるのか?」


 魔法帝国アーク・ルーンの大宰相は、小首を傾げながら問う。


 異母兄の態度と反応に、末弟はため息をつきつつ、


「イリアッシュ嬢だ。まず、彼女をどうにかして、然る後に、ってのが、正しい手順だ」


「ああ、娘がいたな。まっ、それも何とかしたいなら、ガンバレ、弟よ」


 父親の方には個人的にできることをするが、娘の方には、指一本、動かす気がないと心情が、ありありと伝わる。


 ネドイルは優れた部下を大切にし、また民衆にも慈悲深くはある。だから、イライセンの現状を心底、何とかしたいと思う一方、イリアッシュのような存在は、心底、どーでもいいと思っているのが、ネドイルという、一代の大英傑だ。


 例えば、平民の子供が病に苦しんでいると耳にすれば、ネドイルは自分のポケットマネーで、ただちに医者を手配する一方、没落貴族の子供が重病と聞いても、


「ふ〜ん。あっ、そう」


 で、すませてしまう。


 とにかく、人への対応に天と地ほどの落差があり、自分の部下や民が一人でも失われることを全力で何とかしようとするのに対して、それ以外の人間が何万、何十万と死のうが、全く気にしないのだ。


 ネドイルの区分において、大事とカテゴライズされたならばいいが、それから外れた者は悲惨の一言に尽きる。アーク・ルーンの皇族、貴族などがわかり易い例であろう。


 無論、カテゴリーから外れても、ネドイルと接点を持たぬように努めれば、悲惨な目に合わずにすむが、


「ふむ。思い出したぞ。たしか、あの娘、夜、オレの部屋に押しかけてきて、バカなことを言っていたな。小娘の無思慮に怒るのも大人げないゆえ、いつも通りにしていたが、まったく腹立たしかったぞ」

 大宰相のいつも通りがいかなるものかを知るフレオールとトイラックは、生温かい表情となる。

「イライセン卿の手前、我慢はしたが、作戦を変えるということが、兵の生存率に関することというのも、わからんのか、あの娘は。自分の体が兵の命に勝る価値があるなど、話にもならんわ。自重はしたが、娘のしつけを理由に、作戦の変更を突っぱねてやろうかと思ったほどだぞ」


 もし、自分の行動が原因で、父親が祖国を売り渡し、名声を捨ててまで手に入れたわずかなチャンスを失っていたら、イリアッシュは自責の念で首をくくっていただろう。


 美女のおねだりやご機嫌とりのために、権力者が地位や富を与えるなど、数え切れぬ例がある。バディンの王子ゲオルグも、イリアッシュの微笑み一つを得るために、最後は己の命も費やしたが、実のところ、そのような話は珍しくもない。イリアッシュの美貌を前に、兵の命が大事と考えられるネドイルの方が稀少例なのだ。


 そして、そうした稀少例はネドイルばかりではなく、


「次はトイ兄の所に行ったと思うんだけど……」 


「はい、来られましたよ。私はネドイル閣下と違い、美人に弱いですからね。とりあえず、ヅガート将軍に駐留の継続をお願いしておきました」


「もし、イリアッシュ嬢のことが気にかかるなら……」


「気にかからないと言えばウソになりますが、あいにく、やるべき仕事が多々あり、残念ながらイリアッシュ嬢のことをどうにかできそうにありません」


 この返答を予測していたフレオールは、内心で「まっ、そうだろうなあ」と嘆息する。


 イリアッシュの態度を見れば、トイラックにどういう感情を抱いたか、何となく察することはできる。それでトイラックの方もそうなら、イリアッシュの心に希望の光を灯せるが、現実は彼女にどこまでも厳しかった。


 トイラックがイリアッシュの必死な願いを聞き、ヅガートやイライセンに働きかけたのは、全てはネドイルのためである。


 ネドイルにとって、イライセンもヅガートも共に貴重な人材である。そして、この両者は、ワイズにおける作戦において、その立場が大きく異なり、だからこそトイラックはヅガートのフォローに回っているのだ。


 イリアッシュが執務室に押しかけてきた夜、トイラックがヅガートに駐留の継続を頼んだのは、イライセンの今の状態となる可能性があると考えたからである。


 ワイズの民を守るために人の心と道理を捨てたイライセンは、必要ならアーク・ルーン兵の犠牲は元より、ヅガートを使い潰すことすら辞さないだろう。そして、危険に鋭敏なヅガートは、今のイライセンに逆らう愚を徹底的に避けるだろうが、それでは第十一軍団に加え、ワイズの集結するであろう新たな四個軍団も危うくなりすぎる。


 イライセンがワイズの民を守るためにやりすぎないよう目を光らせる必要があり、その役目は能力や立場の面でトイラックぐらいしか務まらない。


 変更された作戦案では、トイラックもワイズの代国官として赴任する。つまり、ワイズの民を直に統治する立場ゆえ、今の状態になって、むしろ、より冷徹な計算ができるようになったイライセンは、トイラックに遠慮してヅガートらにそう無茶な命令を出さないはずだ。


 つまりは、トイラックはすでにイライセンに睨みを効かせる役割があり、とてもイリアッシュに関わっていられる状況にない。いや、例えイライセンの件がなくとも、ネドイルのためならいくらでも割り切れるトイラックは、イリアッシュを助けるようなマネはしないだろう。


 冷徹に割り切れば、百人のイリアッシュが苦しもうが死のうが、ネドイルには何の益も損もないのだ。一方、イライセンやヅガートら将軍は皆、ネドイルの将来と覇道に大きな役割を果たす者であり、その点においてトイラックの価値基準は明白であった。


 フレオールも、トイラックとは長いつき合いである。その視線と意識がどこに向いているのか、だいたい察している。


 そして、トイラック以上につき合いの長い異母兄は、


「しかし、嘆かわしい話だな。サリッサとそう年の変わらん娘が、あのような短絡的な行動を取るとは。まったく、最近の若いもんは、何を考えているのか」


 四十三のオッサンは、二十と十五、二人の若者の前で、本当に嘆かわしいといった口振りでくさす。


 が、大宰相ネドイルの常識のラインと価値観が異なることを知る二人は、


「人生に近道などないのだ。安易な手段で、目先の目的を果たしても、何の意味もない。たしかに、努力すれば必ず報われるとは限らん。だが、努力せねば報われることはないのだ」


 右の拳を固く握り、熱く語り出す姿に、いささかも驚くことはなく、またかという表情となる。


「なのに、近頃の若いもんは、努力というものをおざなりにする。この世に明けない夜はないのだ。希望を信じ、絶望に屈せず、前を見て進み続けるより他の道はない。若者には、未来へと力強く歩んでもらいたいというのに、目の前の困難や理不尽に足を、何より思考を止める若者がなんと多いことか」


 この世の明けない夜の権化の無自覚な言い方に、思わずフレオールが口を開こうとしたのを察し、


「あ〜、フレオール様、フレオール様。ネドイル閣下へのツッコミなんて、誰にもさばき切れませんよ」


 小声でトイラックが不毛な言を先んじて封じる。


 一方、異母弟の心中も世間の風評など気にせず、その独自の偏った価値観を貫いてきた男は、


「オレとて、若かりし時は、世の中がイヤでイヤでたまらなかった。今風に言う、ヒキコモリ、とかいう逃げすら考えたほどだ。だが、そのような社会人として恥ずべき生き方をしては、身内に心配や迷惑をかけるがゆえ、社会と向き合って生きてきた」


 一般論として、決して間違っていない考え方である。ただ、世の中、万事、一般論が常に正しいわけではない。


 ネドイルは二点、気がつかなかっただけの話だ。


 例外は必ず存在すること。


 そして、自分が最大の例外であること。


 社会に向き合うのは、悪いことではない。問題は、ネドイルの場合、社会を殴り倒してしまった点だろう。


「幸い、多くの良き出会いに恵まれ、オレはここまで来れた。彼らと力を合わせて、職場を良くしていった結果、今ではイヤな上司は全ていなくなり、イヤな外交先もどんどん減っている。頑張れば、世の中もそれに応じてくれるものなのだ」

 イヤな上司、アーク・ルーン帝国の旧指導者層はネドイルの手で処分され、イヤな外交先、アーク・ルーン以外の国々は、ネドイルが送り出す侵略軍によって攻め滅ぼされているのだから、世の中が応じてくれたのというよりも、時代を自らの手で主導している結果と言えよう。


「とはいえ、まだまだムカつく外交先は多いがな。まったく、バカのクセに、人に上から目線くれやがったり、タメ口をききやがったり、よ。王室や皇室に生まれたからって、ヤツら、何様のつもりなんだ」


「いや、王様のつもりなんじゃない、向こうは」


 フレオールがため息混じりにツッコミを入れる。


 身分制度が当たり前の社会である。王侯貴族にとって、身分の下の者に上から目線を投げかけるのは、息をするのと同じくらい当たり前の行為なのだ。


 大なりとはいえ、形式的にはネドイルは魔法帝国アーク・ルーンの貴族の一人であり、家臣団のトップだが、国のトップである皇帝でもなければ、皇族の一員ですらない。


 社会常識からすれば、ワイズ王はワイズ王国のトップであり、アーク・ルーンの一家臣であるネドイルに上から目線を投げかけるのは、当然のことなのだ。また貴族より王族が上とされているから、ワイズの滅亡後、ウィルトニアはネドイルと密かに会った際、対等に話しかたのは、むしろ譲った態度なのだが、そんな常識にアーク・ルーンの大宰相は縛られていない。


 身分や地位ではなく、その中身と能力にしか重んじないネドイルは、マードックとまでいかなくとも、その孫、自分より二十は若いムーヴィルに頭を下げることにも、何の抵抗も苦痛も感じることはない。一方で、ワイズ王やウィルトニア程度に、上から目線はもちろん、対等な口を叩かれても、不愉快、極まりないのだ。


 約一年後、ウィルトニアと会う際、ネドイルが上機嫌なのも、マードックらに視線と意識を全て向けており、亡国の王女をまったく認識していなかったからに他ならない。


 もし、その国の王族が全員、クロックぐらいの才覚の持ち主ばかりなら、どれだけ上から目線を投げかけられようと、終始、ネドイルは穏やかに対応して、侵略しようとはしないだろう。もちろん、そんだけ人材が揃っている国にケンカを売れば、アーク・ルーンとて痛い目に合うという点もあるが。


 ただ、当たり前の話だが、確率論の見地からして、一つの血統が優れた人物のみで占められるということはありえない。一族の一割が一角の人物であるだけで、信じられない確率の末となる。ネドイルの身内とて、クロック以上の人物となると、父親と異母弟のヴァンフォールの二人しかいない。


 血統のみを誇る連中がうつむいて暮らす世の中を実現するため、四方に兵を繰り出しているのが、世界征服の理由の一つだ。


 もちろん、王族だろうが皇族だろうが、ちゃんと己が才をわきまえて平伏するならば、アーク・ルーン軍に刃を向けられることはないが、それはネドイルに戦わずに従属することであり、命は残るが、祖国と誇りを失う点には変わりはない。


「そうしたバカも、まっ、世界征服するようになってから、だいぶ減ったがな。ホント、あいつらがはびこっていた時は、酷いもんだったぞ。オレもストレスのせいか、ベンピに悩まされて、毎日、強引に踏ん張っていたもんだ。だが、世界征服を始めて、大きさ、形、色ツヤ、どれも人様に見せても恥ずかしくないもんがひねり出せるようになった。やっぱり、我慢は体に良くない。人間、やりたいことをやって生きんといかんな」


 それ以前に、人間、やっていいことと悪いことをわきまえねばならない、と言ったところで無駄である。世間一般の、やっていいことと悪いこと、と、ネドイルの、やっていいことと悪いこと、では、いかなる峡谷よりも深いミゾがあるのだから。


 そして、その価値観の異なる、世界征服を行わんとする最大の理由は、


「今回、作戦が変更した点は、何も悪いことばかりではない。予定より早く七竜連合が滅ぶだろうから、その分だけ早く、あいつらを昇格させてやれる。これ以上、待たすのも悪かったから、結果的にこれで良かったのかも知れんな。まだまだポストが足りんが、一部でもあいつらが喜ぶ顔が早く見たいんもんだ」


 ネドイルが口にする「あいつら」とは、古参の部下たちのことである。


 能力主義を重んじるネドイルだが、その覇道の初期はそんな選り好みしていられる余裕はなかった。だから、組織が強大化するにつれ、どうしても人事面で大きなジレンマを抱えることとなってしまったのだ。


 古参の部下で魔法帝国アーク・ルーンの要職にある者は、ベルギアットを含めほんの一部しかいない。大半は名誉職や待機ポストにある状態にある。


 ベルギアットのように、組織が大きくなっても、それに対応できるだけの能力があればいい。だが、五十人の兵を指揮する力量しかない者に、五千の兵を任せるわけにはいかない。


 古参の部下の大半は、下士官ならともかく、国家の要職に能力面でつけるわけにはいかない。とはいえ、最も苦しい時期を共に歩んだ戦友らを、下士官のままにしておくわけにもいかず、そこで彼らのために用意しようとしているのが、名誉職である。


 実権はないが、待遇だけは良い地位というのは、どこの国にもけっこうあるものだ。魔法帝国アーク・ルーンにも、皇族や名家のために用意されていた、その手の役職は数百とあったのは、もうそれはかつての話にすぎない。


 充分な役割を果たさず、待遇だけはいい地位が多いのに比例して、余計な支出も増える。アーク・ルーンの実権を握ったネドイルは、財政の健全化のために不要ポストのほぼ全てを廃止し、わずかに残した名誉職を古参の部下に与えたが、それではとても足りないので、他国に古き戦友らのイスを求めた。


 好景気の際、リストラが行われないのは、積極拡大の攻めの経営で事業規模が大きくなる分、ポストも拡充されるからである。三十人の部署なら課長ひとりで統括できても、それを五十人に増員すれば、課長補佐を置かねばならなくなるものだ。


 アーク・ルーン帝国は近々、ワイズ王国を併合して領土が広がる分、名目上の役職を増やす余地が生じる。それに伴い、何人かの古参の部下が、格式だけならベルギアットにひけを取らない地位に就任するだろう。


 リストラ回避策の手段として侵略戦争を選ぶ点に、フレオールも疑問を感じないわけではない。特に今は、イライセン父娘の哀れな姿を見ただけにその思いはかつてないほど膨れ上がり、


「ネドイル閣下。イライセン卿の件、これは一朝一夕に何とかなるものではありません。気長に取り組むべきことですが、その前にイライセン卿の望んだよう、ワイズの件を片づけるのが先決でしょう。代国官として赴任するための諸問題、またヅガート将軍の説得にも早速、取りかかりたいと思いますので、今宵はこれまでとしましょう。それに際して、フレオール卿の手も借りたいのですが、よろしいでしょうか?」


 大恩人への非難めいた気配を察し、トイラックがフレオールを連れて立ち去ろうとする。


 一方、トイラックの無言の制止で、フレオールも少し冷静になり、ネドイルの古き戦友らへの思い入れを思い出した。


 自分が、いや、トイラックが生まれる前より、共に戦った古参の部下らは、それこそ傷ついた身体を共に支え生き残ったことすらある、正に死線をかいくぐった仲である。


 サリッサのように、才がなくとも大事に思う存在であり、魔法帝国アーク・ルーンの理不尽さに対して、共に命を張った戦友、いや、同志らを心底、大事にしている異母兄に、いかなる否定の言葉も届かないだろう。


 それを悟った、いや、思い起こしたフレオールは、トイラックと共に大宰相の前から去った。


「おう、今度、落ち着いたら、酒でも呑みながら、ゆっくりと話そうぞ」


 名残惜しげなネドイルの声を背に受けながら。



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