過去編104-2
「……ち、父よりの書類を届けに来たと偽り、ここに通してもらいました点、まずは謝罪させてください。そして、願わくば、父の頼みに力添えをしてもらえないでしょうか? もし、父に助力してもらえるなら、その、この身を生涯、閣下に捧げさせてもらいます。どうか、父を、ワイズの民を助けてください」
相手の格好が格好ゆえ、少し切り出す際にどもりながらも、顔を赤くして服を脱いで下着姿をさらしながら、昨夜と似たセリフを告げたのは、昨夜と異なり、魔法帝国アーク・ルーンの大宰相ネドイルではなく、内務大臣のトイラックであった。
完膚なきまでに相手にされず、一度は心の折れたイリアッシュだったが、前日より深い苦悩をさらに深くする父親の姿に、もう一度、奮起したが、ネドイルへのアプローチがトラウマ・レベルで無駄と心に刻まれたため、お色気攻撃のターゲットをトイラックに切り替えた結果、彼女は深夜、ウサギさんのプリントが入ったパジャマを着る内務大臣と対面することになった。
二十歳の身で、動物のプリントのあるパジャマを着ているのは、ウサギが好きな妹のサリッサの手縫いであるからだ。
正確には、妹の気持ちに感謝しつつも、デザインがアレなのでタンスの肥やしにしていたのだが、サリッサを溺愛する大宰相が、
「着てやれや」
と、無言の圧力を恩人からかけられ、トイラックはこのパジャマに袖をたまに通している。
ちなみに、ヴァンフォール、ベダイル、フレオールもサリッサから手製のパジャマを贈られている。ヴァンフォールもトイラックと同じ対応をして、同じ無言の圧力を受け、同じ末路をたどったが、ベダイルとフレオールはもらった時期が成長期であったので、すぐに着れなくなって難を逃れている。
今日は仕事が長引き、屋敷に帰るのが面倒になり、執務室のソファーで毛布にくるまって寝ることにしたので、この恥ずかしいパジャマを着たのだ。
経験上、こんな深夜に執務室をたずねてくることはまずないので、朝早くに起きれば誰にも目撃されることはないという考えは、イリアッシュの不意打ちで脆くも崩れた。
見られたくない姿を見られてしまい、あちゃーな心境のトイラックだが、
「その件は先日、お答えしたとおり、ネドイル閣下やベルギアット閣下が是とするなら反対はしませんし、否とするなら、それにも反対はしません。軍事は専門でもなければ、権限もないので、私の同意など、閣議に役に立つものではありません。ネドイル閣下やベルギアット閣下とお話された方が良いですよ」
無難かつ不正直な説得で、イリアッシュを追い返そうとする。
権限こそないが、トイラックは軍事にうといわけではなく、何よりその立場は大宰相の後継者筆頭であり、今やベルギアットを抜いて実質的なナンバー2である。発言力においては、最古参の魔竜参謀と同等以上の存在だ。
ただ、政務にも軍務にも精通しているので、イライセンの求める変更案がアーク・ルーンにとって益よりも害の方が大きいのも理解できるがゆえ、積極的に賛成するつもりはなかった。
だが、同時に、トイラックには断固反対の姿勢を取る気もない。
純軍事的には、イライセンの要求は愚策そのものだ。トイラックが反対せずとも、ヅガートを筆頭に現場サイドが猛反対するのは目に見えている。
一方で、大局的な判断となると、微妙な部分もある。たしかに急な作戦の変更で損失は出るが、それでイライセンの才幹を取り込めれば、後に埋め合わせていけるという見方もある。
政治的な配慮による賛成という決着もある。ただ、その判定の目は極めて小さいが。
イライセンは能力的に申し分ないが、実績もさしてなければ、派閥や人脈がまったくない。降ってからの日数を思えば、アーク・ルーン内の立場は弱く、それが今この時の判断に影響を与えている。何しろ、どれだけ厳しい判断を下そうが、それに従うしか選択肢がないのだ
アーシェアが共に降っており、イリアッシュが従姉に匹敵する人材なら、小なりとはいえワイズ降伏組のの勢力は侮れず、ネドイルも配慮はやむえずという判断をしよう。が、今のイライセンの才幹と立場ではなめられても仕方なく、アーク・ルーンの利益を思えば、ワイズの民への保障という譲歩案でも恩情を示している方なのだ。
せめて、イリアッシュに父親を補佐するくらいの才があればいいのだが、実際にはイライセンの付属品、しかも不用なパーツ程度の存在でしかない。
「お、お恥ずかしながら、昨夜、ネドイル閣下にはお願いをしにいきましたが、その……」
うつむき、顔を真っ赤にして、己の恥と判断ミスを口にするイリアッシュに、トイラックもさすがに哀れみの表情となる。
伊達に十年も家族同然に暮らしていないから、予備知識もなしにあのシュールな光景に出くわしたとなると、イリアッシュが不憫でならなかったが、
「父君に命じられたのかも……」
「父様は関係ありません! 私が勝手にやったことです」
力一杯、否定されるまでもなく、イライセンがこんな無意味で浅はかな指示をしたとは思っていない。
ゲオルグの時とは違う。美女に微笑まれて舞い上がる程度の者などネドイルは重用しない。今、トイラックが注視しているのは、イリアッシュの下着姿ではなく、その裏面だ。
イリアッシュが何か計っているとは思っていない。イライセンの方を、娘でつまらぬ策を巡らそうとしている、と疑っているわけではない。ただ、気になる、気をつけるべき点は、父親が娘の愚行を黙認しているか、どうかだ。
ワイズの民を守る最善の手がうまくいきそうになく、行き詰まりを感じて、イライセンは精神的に追い詰められている。だから、万が一、いや、億が一という可能性にもならない可能性に賭け、娘のバカなマネに気づかぬふりをしているのであれば、そんなあやふやで成算の皆無なことに、一人娘を犠牲にしようとするほど、イライセンの理性は土俵際、いや、崖っぷちにあることになり、それは看過できるものではない。
「ヅガート将軍に、閣議の結果が出るまで、ワイズへの駐留を延ばすように頼みましょう。また、イライセン卿には、ワイズの件で協力はできないが、相談したいことがあれば応じさせてもらうと伝えてください」
「……ほ、本当ですか?」
「こんなことでだますつもりはありません。今からヅガート将軍に掛け合いに行きますから、あなたも一緒に来ればいい」
夢のように信じ難い恩情を示され、丸く見開いたイリアッシュの両目から涙がこぼれ出す。
「……ありがとうございます、ありがとうございます……」
涙ぐんで礼を言われるが、トイラックは面白くなさそうな表情で、
「礼を言われても困ります。私はイライセン卿の嘆願に賛成するわけでもなければ、大した協力をするわけでもないんですから」
「いえ、いえ、それだけで充分です。本当にありがとうございます。この礼は、その、この身で……」
「はぁ、だから、大したことをするわけでもないんですから、礼なんて受け取れませんよ。そもそも、うまくいくかわからないのですから。ただ、あなたにお願いしたいことはありますが」
「はい、何でもおっしゃってください。この身でできることなら、すべて応じさせてもらいますゆえ」
「では、着替えるので、部屋の外にいてもらえませんか? お願いしますから」
全身全霊を以て、それこそ純潔を失う覚悟さえ抱いたいてところに、上司と違い、人前でパンツ一丁になることに、当たり前の抵抗を示され、イリアッシュは何やら拍子抜けしたような顔となった。




