過去編104-1
当人の思考が止まろうが、時は止まることはなく、イリアッシュが呆然としたまま朝を迎えたことに気づいたのは、ネドイルが起きる気配を感じてのことだった。
上半身を起こし、大きく伸びをして、寝起きはいい方のネドイルは、眠気を感じさせない動作でベッドを降りると、
「ひっ」
イリアッシュが小さな悲鳴をまた上げたのも当然だろう。
大宰相に見下ろされていることに気づいたのだから。
無言で若い娘の下着姿を凝視していたネドイルは、おもむろにパジャマを脱ぎ出し、脱力していたイリアッシュは緊張して身を固くする。
脱ぎ終えたパジャマを丁寧に折りたたみ、パンツ一丁になった大宰相は、部屋の壁にかけられた姿見へと歩き出し、その前に立つ。
そして、魔法戦士として鍛え上げた肉体を映すと、
「ふんっ!」
力こぶを作ってポーズを取る。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
さらに十ほど様々なポージングをかましたので、目を点にするイリアッシュの反応はまだ早かった。
「イチ、ニー、サン、ハイッ!
今日ものぼるよ、太陽さん。
真っ赤な真っ赤な、太陽さん。
元気に元気にかがやいて、ぼくらをてらすよ、太陽さん。
まいにち、まいにち、ありがとう。
明るいまいにち、ありがとう。
ぼくらも負けずに元気だよ。
あかるい笑顔で元気だよ。
みんなみんなでありがとう。
太陽さんにありがとう」
手足をばたつかせたり、お尻をふりふりして踊る魔法帝国アーク・ルーンの最高権力者の姿に、イリアッシュの思考は完全に凍結した。
フレオールの母親が考案し、子供たちに教えてきた幼児向け創作体操である。
当然、母からフレオールも二歳の頃に教えられ、六歳くらいには恥ずかしくて踊らなくなったそれを、ネドイルは四十三のこの時はおろか、その覇道の終焉まで躍り続けたという。
やがて、三番が終わると同時に、大宰相の執務室の扉が開き、タオルを持ったサクロスが現れる。
「おう、サクロス。毎朝、すまんな」
頭を垂れ、うやうやしく差し出されるタオルを手に取ったネドイルは、それを肩にかけ、鼻唄を歌い出しながら、皇宮の大理石の大浴場へと、朝風呂のために向かう。
言うまでもなく、ネドイルはパンツ一丁の姿のままである。
それを頭を下げて見送ったサクロスは、室内、イリアッシュに視線を転じ、一つため息をついてから、
「この季節、その格好はお体に良くありません。今、温かい飲み物をお持ちしますので、しばらくお待ちください」
主のベッドの毛布をイリアッシュにかけ、一礼してから立ち去る。
冷えきった体は毛布の温もりに包まれたが、それよりも凍てついた心が気遣いという温もりを感じた途端、冷たい頬は自然と流れ出た暖かいもので濡れ、そのまま少女は泣き崩れた。