過去編103-1
閣議にて検討し、可否を計る。
それが要求を突っぱねるためのネドイルの方便であるとしても、逆に言えば大宰相は面倒な形式を整えて断るほど、イライセンの懐柔に気を配っていることを意味する。
大帝国の大宰相が一介の新参者に示す配慮と厚情は、これだけではない。お蔵入りになるであろう、アーク・ルーン軍の作戦の変更案のために、十人の優れたスタッフを用意した。また、ワイズの民への損害保障のため、財務大臣である異母弟の元に自ら赴いて承諾させている。
現在、ワイズ王国にアーク・ルーン軍が駐留しており、それはイライセンにとってワイズの民を人質に取られているようなものだ。ネドイルはその現状を踏まえ、いくらでも高圧的にイライセンを従えることができるが、脅すようなマネも言動も一切、見せていない。
ネドイルが甘いから脅迫しないなどという、甘い見方は論外である。権力だの武力だので従わせても、それは駒を得ることにしかならない。古参だろうが新参だろうが、部下に対して最大限の配慮を示し、その要望に可能な限り応じようと誠意を見せ、相手の心を得るしか人は得られないと理解しているからこそ、脅迫という下らぬマネに走らず、一個人として全力で向き合おうとするだろう。
だが、そのような傑物だからこそ、イライセンにとっては説得するのがこの上なく難しい相手となるのだ。
イライセンの要望はすでに伝えている。それが可能か否か、ネドイルがちゃんと熟慮してくれる人物であるのは、疑う余地もない。だが、そこまでしてくれる相手が否という結論を出し、頭を下げてくれば、どうしようもないことになる。
元々、無茶な要望というのもあるが、それ以前に、イライセンがワイズの民を最優先に考えているのに対して、ネドイルはアーク・ルーン全体のことを考えて答えを出しているのだ。加えて、イライセンの考えに同調するのが娘くらいで、アーク・ルーンの重臣高官の共感が得られないのだから、ほぼイライセンは孤立無援のような状態にある。
ネドイルの指示でイライセンの元で働くことになった十人のスタッフも、ワイズという国や民に何の関わりも関心もない面々だったが、
「実現の薄い作戦案に関わるのをバカバカしいと思うかも知れんが、当人は自分の祖国のことゆえ必死なのだ。すまんが、その心情を汲んでやってくれ」
大宰相が口添えしたので、臨時の部下たちが手を抜いたり、サボタージュを決め込むことはなかった。
イライセンがいかに有能とはいえ、体の数も手足の数も限られている。イリアッシュに手伝わせても、資料集めや各所との連絡、その他の雑用を思えば、どれだけ時間がかかることか。それだけにネドイルが人手を用意してくれ、しかもその全員が娘より役に立つのだから、イライセンからすれば二重の意味でありがたい配慮ではある。
だが、それはそれだけの人材をあっさりと揃えられるほど、魔法帝国アーク・ルーンの人的資源が豊富であることを意味する。
相対したヅガート、クロック、ランディールは言うに及ばず、タルタバら師団長らも一角の人物ばかりだ。おまけに、降伏して接するようになったアーク・ルーン軍の士官らも、さすがに七竜姫やイリアッシュに勝るとはいかずとも、ワイズ軍、いや、七竜連合のどの軍の士官らとは比べものにならないほど、高い水準を誇っていた。
トイラック、ベルギアット、メドリオー、ヅガートなどの飛び抜けた才をネドイルが得たのは、運による部分が大きかっただろう。だが、その下、さらにその下で働く者にも優れた人材が見られるのは、実力主義を標榜し、一貫してその登用制度を維持して、家柄や縁故で高位高官にあった無能者を限界まで取り除き、有能な者を貪欲にかき集め続けた成果の一端、それがイライセンの目の前にいる十人であろう。
ひるがえって、ワイズ王国は名家の生まれという理由で、軍務大臣や外務大臣のような下らない人間が、一国の中枢で大したことのない手腕を振るっていた。また、その下の面々も家柄や縁故による登用が大半だ。イライセンとて、親類に頼まれれば、見所のない若者に大事な役職を任せねばならなかったが、この身分制度が当たり前の社会では、ワイズに限らず、それが世のありふれた姿であり、ネドイルの政権が異常なのだ。
だが、異常なほど国という器に才を注ぎ続けた結果を、イライセンは大敗と滅亡という形で痛感させられている。アーク・ルーンに比べてはるかに小さなワイズという器が、中身でも劣っていたという点も、痛いほど思い知らされた。
ネドイルが独裁権力を有するから、非常識な人事がまかり通っている一面もある。だが、ネドイルは最初から順境にあったわけではない。むしろ、逆境から独裁者となるまで、また独裁者となってからも人材を集め、自国を強く、充実させる努力を怠らず、今もそれを継続している。
ワイズ王国を守るために、イライセンとて努力をしなかったわけではない。だが、十年の月日があったにも関わらず、祖国の矛盾や欠点に気づきながらも放置し、有為の人材を得られぬ登用・人事の制度を改めようとはしなかった。
そうした制度というよりも、国の姿勢・方針により、新たな人材を多く得て、魔法帝国アーク・ルーンの陣容はこの十年で強化されたが、それだけではない。ワイズ王国で、イライセンが経験を重ね、子供だったアーシェアが成長したように、ネドイル自身も、その古参の部下たちもその才を伸ばしてきた。その中でも成長がいちじるしいのがシュライナーで、それまでメドリオーの亜流といった戦いぶりが、サムに敗れてからは、メドリオーにひけをとらない将帥となっている。
そして、七竜連合に勝ち目が、いや、勝負にもならないと判断し、降伏を選択したイライセンによって、アーク・ルーン帝国の人材面はますます強化された。
アーク・ルーンに取り込まれることに否はない。裏切りを選んだ時に覚悟したことだ。だが、イライセンの予想を上回り、形だけの服従ですむほど、ネドイルは甘くなかった。
ワイズの民を守るための降伏であり、それが困難なのはわかっていたことだ。が、想像してよりもはるかにアーク・ルーンの陣営には一筋縄でいかない傑物が多く、その現実がイライセンの心を折らんばかりに圧迫してくる。
ヅガートを筆頭とする現場サイドに反対されている。ネドイルは妥協案を出してくれたが、それ以上の譲歩は難しい。
変更案の作成にともなう打ち合わせのため、娘をともなってネドイルに次ぐ実力者、魔竜参謀、内務大臣、司法大臣、吏部大臣、財務大臣の元に行き、政治的な根回しもやっておこうとしたが、これもカンタンに応じてくれる人間とドラゴンはいなかった。
彼らは一様に、イライセンには好意的、同情的な反応を示したが、アーク・ルーンが不利益を被る変更案にうなずくことはなかった。
もっとも、大した説得材料もないのだから、ベルギアットらが賛成に回るわけがないの当たり前だが、イライセンとしても手札がないからといって、何もしないわけにはいかない。ベルギアット以外、四人の大臣は男性ゆえ、ダメ元で娘を連れていったが、一国の王子のハートを射止める美貌が一票に変わることはなかった。
好色なことで知られる吏部大臣は、イリアッシュの美貌に強く関心を示しこそすれ、ツッコミたいという理由で厄介事に首を突っ込む軽率な人物でもなかった。
具体的な打つ手を見出だせぬまま、可能な限り作戦の変更案の完成度を高め、閣議に臨むしかないのがイライセンの現状だ。
一応、予想以上の速さと完成度で変更案が出来上がりつつあるが、その要因がネドイルに貸し与えられた部下たちのおかげでは、大宰相の牙城を崩すどころか、ヒビすら入れられないだろう。
いつヅガートら第十一軍団が撤退して手遅れになるかわからないから、このまま出口のない迷路をさ迷い続けるわけにはいかないが、さりとて今の状況でゴールすれば、ワイズの地でアーク・ルーンの予定どおりの血が流れる。
ここまで形勢と相手が悪いと、イライセンの才幹ですらどうしようもなく、ただ苦悩を重ねることしかできなかった。
そして、苦しむ父親の姿をただ見ていることしかできなかった娘は、ついに己の無力、何もできない自分に耐えられなくなった。




