過去編90-1
揃って敗走の憂き目にあい、逃げた先でさらに酷い状態となった連合軍の本隊と別動隊だが、双方の悲惨さの内容は異なるものだった。
本隊の兵たちは一度は逃げ切り、王都タランドにたどり着いたものの、そこで立ち往生しているところに、再びアーク・ルーン軍に襲われて敗走し、そこからランディールの率いる追撃隊にさんざん追い回され、ワイズの国境の外に叩き出されると、後はそれぞれが勝手に帰郷してしまい、四散して消え去った。
連合軍の別動隊の方は、敗走したという点は同じだが、本隊とは事情も経路も困窮も異なる。
本隊の兵たちは基本、来た道を引き返すように敗走したのに対して、別動隊の兵は挟撃作戦の途中にタランドへの転進と急進を命じられたところに、アーク・ルーン軍の挟撃を食らって敗走した。
そのため、無我夢中でアーク・ルーン軍を振り切り、命からがら危地を脱して辺りを見回すると、彼らは自分がどこにいるかもわからない状況にあるのに気づいた。
いかに長きに渡る同盟国とはいえ、他国の人間にとってワイズの地理など、チンプンカンプンだ。ワイズ兵とて、地方から召集された面々は、王都一帯の地理に詳しい者の方が圧倒的に少ない。
この一帯の知識のあるワイズ兵と一緒に逃げた者は、すでにアーク・ルーン軍に制圧された王都に向かうことができたが、それ以外の別動隊の兵は王都にたどり着くことさえ困難を極めた。
王都タランドに行きたくとも行けないのは、何も別動隊の兵士に限らない。司令官たるゲオルグも、王都に向かってさ迷う者の一人だ。
「何としても、イリアを救うのだ。悪辣なるアーク・ルーンの手から」
乗竜を失いながらも、闘志と愛情は失われていないゲオルグの発言と態度に、つき従うわずか三人のバディン騎士には、もう呆れ果てる気力すら残っていなかった。
彼らはこの時点になっても、イライセンが裏切ったことを知らない。ゲオルグはイリアッシュが連合軍の竜騎士二騎を討ち取ったなどとは思いもよらず、彼の想像の中では、イリアッシュは父親と共に反逆者に捕らえられ、怯える日々を送っているのだ。
もし、反逆者の魔手が愛する女性に伸びたらと考えると、とても冷静にいられず、
「焦るお気持ちはわかりますが、まずは味方と合流しましょう。我らだけでは何もできません」
そんなバディン騎士の妥当な進言を無視し、ゲオルグは王都に向かうと思われる方向に馬を走らせ、迷子となってしまった。
自らのドラゴンを失い、わずか三騎のバディン騎士しかいない状態で王都にたどり着いても、どうすることもできないのは明白だ。
共にバディンから来た竜騎士は全滅したとはいえ、数万のバディン兵は戦場を脱しているし、他国の軍勢も十万以上の兵がまだ健在であろうから、それらを集めて兵馬を整えれば、アーク・ルーン軍に再戦を挑むこともできる。
逆に言えば、方々に散った味方を集結させねば、何もできずに終わるだけだ。ゲオルグがいかに愛情や勇気に満ちていようが、そんなものはアーク・ルーン軍に通用しない。
いくら進言しても聞き入れず、王子の恋愛劇につき合わされ、バディン騎士らも内心でうんざりしているが、主家である以上、放置もできず、ゲオルグと迷走を共にしていた。
ヘタに王都にたどり着けば、バディンは第三王子の身柄をアーク・ルーンの手に握られかねない。徒労感を覚えつつも、むしろ騎士たちはゲオルグの気が変わるまで迷走し続けてもらいたいというのが、彼らの切実な願いであり、それはある意味でかなえられた。
すでに五日に渡ってさ迷い、わずかな休みを取るだけで迷走を続けたゲオルグ一行は、体力はもちろん、精神的にだいぶ疲弊していたか、知らず知らずに注意力が散漫になったまま馬を駆けさせていた結果、彼らはかなり接近するまでアーク・ルーン軍の存在に気づかなかった。
そのアーク・ルーン軍はゲオルグを追ってきた、というわけではなく、連合軍の別動隊を撃破し、戦場で金目の物を拾えるだけ拾った後、次の作業現場であるクメル山に向かう途上の軍勢であり、双方の遭遇はたまたまのことであり、一国の王子という極上の戦利品を狙っての行軍なら、最悪の事態だけは避けられただろう。
だが、見通しの悪い場所でも、互いが互いに気づいた時には、まだ距離があった。だから、ゲオルグらは馬首をひるがえして疾走しようとしたが、わずかな距離で、酷使されていた四頭の軍馬は次々に倒れた。
一方で、ゲオルグらの存在に最初に気づき、対応したのは、魔法で作られたゴーレムたちだった。
荷車で戦利品を運んでいたゴーレムらは、怪しい人間の存在と接近を感知すると、その一部、数体が荷車を置いてゲオルグらを追い始めた。
力はあるが、足の遅いゴーレムなのだから、普通なら人の足でも充分に逃げ切れるのだが、疲労していたゲオルグらはすぐに息を切らし、走ることもままならなくなる。
「殿下、ここは我らが防ぎますゆえ、お逃げください」
三人のバディン騎士の命がけの忠義は、最悪の選択であった。
鈍った足で体力を完全に失うより、剣を振るえる余力のある内に足止めに努め、ゲオルグだけでも逃がそうとしたのだが、逃げているだけなら、アーク・ルーン軍のゴーレムに殺されることはなかったのだ。
ロボット的で単純な思考しかできないゴーレムは、高度な判断ができない。それゆえ、アーク・ルーン側も最悪の事態が起きないよう、相手を殺さずに留めるプログラミングを組み込んでいるが、その抑止機能はある反応で無効になる。
攻撃をされた場合、ゴーレムは対象を殺すことが許可され、火に油の忠義によって、三人のバディン騎士はゴーレムらに殴り殺されただけではなく、血で染まったその拳は、激しく呼吸を乱しながらよたよたと走るゲオルグの背後に迫り、振り下ろされた。
「……イリアッシュッ……」
当人は愛しい女性の名を叫んだつもりなのだろう。
だが、石や鉄を素材とするゴーレムの打撃力と打撃音は、大きくゲオルグの体内と体外で響き、弱々しい叫びをかき消した。
そして、アーク・ルーン軍の高度な連絡機能で、軍勢の一部で異変が起きたことを知り、フレオールが十人ほどのアーク・ルーン兵と馬を駆ってかけつけた時には、四人の人間は身につけている物ごと、ゴーレムの拳で原形を留めぬほどボコボコにされていた。
ゲオルグの左手の薬指にはめた婚約指輪も例外ではなく。




