過去編85-1
アーク・ルーン軍というより、イライセンの作戦では、最終的に第十一軍団は四つに分かれて動くことになる。
まずは十万の兵を二分し、ヅガート率いる五万の兵で連合軍の本隊を撃破し、追撃はするが、深追いはせず、敵を追い散らしたら、そこで兵を休める。
イライセンが自身の反乱を伝えたことで、アーシェアがいるにも関わらず、本隊は混乱の極みに陥り、五万の兵で十二万の兵が一方的に打ち破られ、敗走することになったが、ここから敗者を相手にするのは、ランディールとクロックの率いる半数だ。
兵を休めた後、ヅガートは別動隊の撃破に向かうが、ここでまた兵を二つに分ける。
ヅガートは少数の兵で別動隊の背後に回り、襲いかかる。指揮官たるゲオルグが周りに気を配らず、急ぎに急いで警戒していないところに、少数で多数をかき回すことにおいては右に出る者のいないヅガートが強襲するのだ。別動隊も混乱の極みに陥り、そこを前からフレオールに任せた残る軍勢も襲撃に加わる。
つまりは、挟撃するために行動していた別動隊は、逆に挟撃されることになるのだ。
そうしてヅガートらが連合軍を敗残兵の群れとしている間に、ランディールとクロックはワイズ王国の王都タランドを制圧する。
クレコフ城で使った方法だが、連合軍の本隊との戦いに参加しなかった半数の兵で、ヅガートらが敗走させた敵兵を追うようにランディールらはタランドへと向かう。
アーク・ルーン軍の追撃から逃れたと思っている連合軍本隊の敗残兵たちが、命からがらたどり着いた王都はイライセンの手中にあり、その城門は固く閉ざされている。
無論、アーク・ルーン軍に大敗したとはいえ、王都の前にたどり着いた兵は七、八万を数える。対して、反逆者イライセンの手勢は一千強、しかもその大半を王都の要所を押さえるのに用いており、城門を実際に守る兵は二百に満たない。
もし、連合軍の兵が攻めかかってくれば、その圧倒的な数の差の前に、城門は一時と持ちこたえられなかっただろう。
だが、現実には、八万弱の兵が二百弱の守りを前に立ち往生することとなった。
連合軍の兵たちは城門の守りが、まさか、それほど少数と思わないどころか、敗走してきた彼らは精も根も尽きており、何かを考える気力も湧かないありさまだ。
敗軍の中には、竜騎士が数十といるにも関わらず、二騎がイリアッシュに撃墜されると、近づくのをためらい、上空からの偵察を諦めさえする。
王都の内にいるワイズ兵らも、イライセンに要所と、何より王妃と王太子を押さえられているので、外の味方と呼応して動くことができない。
だが、最も彼らの心理と動きを縛ったのは、
「アーク・ルーン軍が兵をまとめ、王都まで来るまで二、三日はかかるはず。それまでに、何とかすればいい」
そんな軍事的な常識を元に、策を練ろうとしようとした矢先、ランディールとクロックの率いるアーク・ルーン軍が、体を休めていた連合軍の兵たちを再び敗走させた。
城門の前から連合軍の兵を追い払い、イリアッシュらが城門を開くと、ここでもアーク・ルーン軍は二手に分かれた。
ランディールが一万五千の兵と共に、再び敗走する連合軍の兵たちを追撃し、クロックは残る兵で王都タランドの制圧にかかろうとしたが、ここで予想外の事態が生じた。
軍務大臣と外務大臣も反旗をひるがえしたのである。
祖国の命運を見限った両大臣は、このままでは国を売り渡す功績をイライセンに独占されると焦り、慌てて兵を挙げたのだ。
アーク・ルーン軍が王都に突入する、勝敗が明白なまでに決した段階での裏切りなど何の価値もないのだが、二人の大臣はその程度にことにも気づかない。
能力だけではなく、人望も欠如している両大臣である。王都に駐留するワイズ兵の大半は、軍務大臣の指揮下にあるが、それは職務上のことでしかなく、ワイズ兵らは軍務大臣を個人的には嫌っていても、慕っているということはない。
軍務大臣が裏切るように命じても、それに従った者はごくわずか。大半の者はいきなりのことに戸惑った。何しろ、軍務大臣や外務大臣の私兵の中ですら、裏切りを拒否する者が現れる始末だ。
おまけに、配下のワイズ騎士らに軍務大臣は、ワイズ王を捕らえるように命じると、その内の何人かがワイズ王に危機を報せ、その脱出に貢献した。
結局、両大臣の反逆は最終局面で無用な混乱を招き、ワイズ兵とワイズ兵が殺し合う場に巻き込まれるのを避けるため、クロックは城門を確保した後は、自軍をその場に留め、事態が沈静化するまで静観に徹した。
イライセンの芸術的な作戦に、最後の最後でシミをつけた軍務大臣と外務大臣は、ワイズ王を取り逃がしただけではなく、挙兵そのものに失敗して、わずかな兵に守られ、どうにかクロックの元まで逃げ延びた。
無計画な両大臣の反逆による混乱に巻き込まれ、王都の各要所を押さえていたイライセンの兵らも、少なくない被害を受けたが、国務大臣は混乱にうまく対処し、作戦そのものは破綻させず、また王妃と王太子を逃がすようなヘマもしなかった。
局所的に反乱を鎮圧したワイズ兵たちは、そのまま西の城門へと向かい、同胞の血で染まった武器をアーク・ルーン兵へと向けた。
クロックの手元にいるアーク・ルーン兵は、全軍の約三分の一くらいだが、それでも王都にいるワイズ兵より多い。
数に劣るワイズ兵らが武器を向けるのは、一種の興奮状態にあるからだ。クロックは彼らと睨み合うに留め、その興奮が冷めるのを待つ。
実際に、血に酔っていたワイズ兵らは、時が経つにつれて、整然と隊列を組んで突撃体勢を保持し、堂々と構えるアーク・ルーン兵らと相対していることに動揺を始めると、精兵がかもし出す雰囲気に飲まれ、戦意が見る見る内にしぼんでいく。
だが、怯みながらも、ワイズ兵らはアーク・ルーン兵らと対峙を続け、踏み留まった。
王都を攻め落とされれば、ワイズという国がアーク・ルーンの手に落ちるが、それよりも重要なのはワイズ兵らの背後に広がる市街地には、彼らの家族が住んでいることだ。
その地理的、心情的な点がある限り、ワイズ兵は気圧されながらも、歯を食いしばって命の限りに抗い続けただろう。
味方からのその命令が無ければ。
「皆の者、武器を捨てよ!」
「王太子殿下と王妃殿下が敵の手中にあるのだ! アーク・ルーンに逆らうことはならんぞっ!」
「お主らの無念はよくわかるが、両殿下のお命がかかっておる! ここは耐えてくれ!」
「もし、命に背けば、お主らを討たぬばならくなるのだ! これ以上、味方の血で手を汚すことのないようにせよ!」
王妃と王太子に剣を向けながら、軍務大臣と外務大臣の茶番劇の幕引きを待っていた国務大臣は、王宮に残っている貴族たちに、兵を鎮めてアーク・ルーン軍を迎い入れるように要求した。
軍務大臣らの反乱の際、大事にならぬようにワイズ王を逃がしている。さらに、我が身、大事で、けっこうな数の貴族が逃げ出しているが、裏切り者に一矢、報いんと残った貴族も少なくない。
彼らの熱意と奮起に、多くのワイズ兵が同調し、軍務大臣と外務大臣の反逆こそ鎮圧したが、その勢いが通じるほど国務大臣の方は甘くない。
お粗末な二人の背信者を追い払った忠臣らは、二人の人質を救出し、もう一人の背信者も何とかしようとしたが、その動きも指が八本に減った王妃の悲鳴を耳にすると、無条件降伏と祖国の滅亡を受容するものへと変わった。
馬を駆って現れた数名のワイズ貴族に武器を捨てるように命じられても、ワイズ兵らはカンタンにはそれに応じようとはしなかった。だが、王家への忠誠心ゆえ、忠臣たちの必死で悲痛な呼びかけや説得を何度も聞く内に、ワイズ兵らも同じ無念の思いを共有するようになり、石畳に手にする剣や槍を叩きつけてへし折り、その場で泣き崩れていった。
やがて、武器も戦う意思も折れたワイズ兵たちが肩を落として去ると、
「これより、タランドの制圧に取りかかる。各隊、不測の事態に備えつつ、事前の指示を速やかに実行するように」
クロックの命令の元、勝者のするべことを果たすため、アーク・ルーン兵らは止めていた足を進めた。
折れた武器が散乱する濡れた石畳を踏み越えて。