過去編82-2
フレオールのみならず、イライセンやヅガートがいかに洞察に優れようが、性別的にアレがどういったものかを把握するのは困難であり、提案したヅガートも「やらないよりマシ」といった感覚であったが、重い方であるアーシェアの方は「たまったものじゃない」という心境であろう。
実際、クメルの山中に不時着したアーシェアは、レイラを人の姿とすると、急ぎその場を離れ、小さな洞穴に身を隠した途端、緊張の糸が切れたか、体が一気に重くなり、フレオールが懸念した、他の味方との合流など、体調的に無理な状態になっていた。
もちろん、思考が鈍っているとはいえ、王都か別動隊、どちらかに一刻も早く向かうべき状況なのは理解している。
叔父の手引きの元、王都にアーク・ルーン軍が入れば、奪還は困難を極める。また、別動隊を現状を報せねば、為す術もなく撃破されるだろう。
が、そうとわかっていても、アーシェアは動くに動けない状態だが、それは体調のせいばかりではない。
フレオールの目算のとおり、レイラの翼が酷く損傷していて、飛べる状態にない。そして、ドラゴンの足は馬より遅いが、さりとて山を下って馬を調達する頃には、大勢が決しているかも知れない。
加えて、アーシェアの方はアーク・ルーン軍が兵の一部を残し、山狩りをしていると見ている。普通、敵軍の司令官を放って次の戦場に向かうとは考えられないから、アーシェアの誤断は当然のことだろう。何より、ヅガートたちと違って、彼女は叔父の作戦の全容を知らないのだ。
多い日に多事多難の状況に陥ったアーシェアは、
「……これから、どうするか……」
洞穴の壁に背をあずけながら力なくつぶやく。
ここをうまく脱し、味方と合流できても、ワイズ王国もワイズ軍ももうズタボロで、自国を自力で保つことが不可能なのは明白だ。
もちろん、ワイズが失われても、七竜連合の他の六ヵ国は健在だ。バディンあたりに落ち延び、亡命政権でも作って、同盟国からの支援を受けながら、さらにドラゴン族の助力を得れば、今度こそアーク・ルーン軍を打ち破り、ワイズを奪還するということは、
「それがかなえば、叔父上とイリアを殺すということか。いや、その前に民たちを死なせるのか」
ワイズのみならず、今度の大敗で、七竜連合は少なくない兵を失っている。再び連合軍を組むには相応の時を必要とするし、何より時間感覚と社会情勢に乏しいドラゴン族が、早急に動いてくれるかわからない。
ならば、そうなるまでの時間稼ぎの手を打たねばならず、その最良の手段はワイズの民を煽動して回ることだ。
ワイズの民を煽動し、至る所で決起させれば、アーク・ルーン軍はその鎮圧に奔走している間、動くに動けない状態となり、七竜連合は決戦に向けての準備期間を得られる。
が、それはワイズの民の命を用いての時間稼ぎであり、多くの民を自分たちの都合で殺すことになる。
魔法帝国アーク・ルーンが、魔術師にあらねば人に非ずとうそぶき、民を虐げていたのは昔の話で、ネドイルが台頭してからは公正かつ寛大な施政で民衆から支持されている。
その方針は征服した土地でも異なることがなく、アーク・ルーン帝国に祖国を滅ぼされたおかげで、圧政から解放された民はいくらでもいるのだ。
単純に、法制や税制だけを見ても、七竜連合よりアーク・ルーン帝国の方が、民にとってありがたい内容となっている。
イライセンが民を何よりも大事に考える人であるのを知るアーシェアは、だいたいアーク・ルーンに寝返った理由を察することができた。
連合軍が敗北し、ワイズが占領された後、七竜連合に与していれば、アーク・ルーン軍に民を殺させるように仕向けねばならない。ワイズの民を守るには、アーク・ルーンに与するより他ないのだ。
「民を殺し、叔父上やイリアと戦うか。民を守るために、父上やウィルらと戦うか」
叔父に及ばないにしても、民を犠牲にしてまで国を保とうとする方針を是とする気にはなれない。
民を守る役割を果たすからこそ、民の税と労役に対して報いることができるのだ。その役割を果たすことができないなら、せめて自分たちの命を民のために用いるべきであろう。
税や労役どころか、血や命さえ民の負担とするだけなら、自分たちは民の害悪となっているだけではないか。そのような立場に耐えられるアーシェアでもなければ、そのような味方と共に在りたいとも思う彼女でもない。
だが、ワイズの民を守る側に立てば、両親や妹、弟と敵対することになる。そうして、アーク・ルーンを勝利に導けば、家族を破滅させることになる。
アーク・ルーン軍の一員として功を立て、それで家族だけでも助けるというのも、叔父がいる限りは無理だ。父たちがワイズの民の害悪となると実証されたなら、それを見逃すイライセンではない。王家の生き残りなどという、ワイズの民の平穏を乱す存在は処理されるだろう。
「なるほど。レイドに認められぬのは当然か。戦うことに迷う、いや、逃げるのでは、な」
自らを嘲り、自らの弱さを認めると、アーシェアは艶やかな褐色の肌をした、背の高い、長いダークブラウンの髪の、二十代前半の硬質な美女という人の形をしたレイラに視線を向け、
「私の戦いはここまでのようだ。レイラ、オマエはどうする?」
「そなた次第だ。アーシェア、これより、どうする?」
「これより、か……そうだな、アーク・ルーンを見に行くか。報告で聞き知るのではなく、直にかの国を見たい。本当に民に優しい国なら、安心して終われる」
「主に進む道があるのなら、従う。それがそなたと我の契約」
「進むというより、逃げる道だがな」
自嘲的な笑みを浮かべながら、己のドラゴンがなおを従う点に異を唱えなかった。
竜騎士である彼女は、ドラゴン族の契約に対する誠実さや愚直さをよく知っている。裏切ったイリアッシュが竜騎士と戦う事態になっても、ギガは彼女の乗竜であり続けた。
だから、レイラが従ってくれている点はありがたいというより、
「だが、レイラよ。まだ私を主としてくれること、心から礼を言おう。でなければ、逃げることすらままならないからな」
洞穴の中に入ってきた十本の触手を睨みすえながら、アーシェアは重い体で身構えた。




