過去編71-1
「どうでございましょう。連合軍の半数を祖国に返しても、今の半数もいれば侵略者に対抗するには充分でありましょう。倍の兵でも、あの山に攻めかかってはイタズラに犠牲を出すだけであり、かと言って敵は下山する様子もない。無駄に兵を遊ばせる愚は避けるべきと考えまするが?」
「バカなっ!」
シャーウの竜騎士のあまりに浅はかな提案に、アーシェアこそ愕然となって吐き捨てたが、タスタル、フリカ、ゼラント、ロペスの竜騎士らはうなずいており、ゲオルグも否定しきれぬといった反応を見せていた。
アーク・ルーン側が失笑するしないような内容が論じられているのは、呆れたことにクメル山に攻撃を仕掛けてから、まだ五日しか経っていない時のことである。
先のクメル山での攻防は、死者こそ三千人ばかりと思ったより少なくすんだが、負傷者はその二十倍にも及ぶ。
これはアーク・ルーン軍が倒すよりも落とすことを優先していたからであろうが、負傷者の三分の一は打撲だけでなく骨折もしており、自力で立つこともできない者も少なくないほどだ。
この大損害で、連合軍の好戦さは消沈し、無謀な攻撃を主張する者はいなくなった。
当面は連合軍が連携して戦えるよう、指揮系統や命令伝達の改善に努めるつもりだったアーシェアとしては、味方がおとなしくしてくれる分にはありがたく、さっそく当人はその課題に取り組んでいたのだが、彼女は一つ、真っ先に片づけねばならない重要な課題を見落としていた。
いかに、味方をおとなしくさせておくか、という課題を。
アーシェア自身はやるべきことが山のようにあるとしても、難攻不落のクメル山を前に、他の竜騎士らは自らするべきことが見出だせず、暇を持て余した結果、余計なことを考える余地を与えてしまった。
結果、敵と渡り合うことばかりを考え、味方の暇潰しに気が回らなかった連合軍の司令官は、味方から敵は十万なんだからこちらも十万いれば充分という、セコくて非現実的な提案を受けることとなってしまった。
そして、会議用の大きな天幕の中で、アーシェアの前に並ぶ竜騎士たちの顔が、それが妥当と言わんばかりの表情を見せていた。
先日、痛いどころでない被害を受けた連合軍は、アーク・ルーン軍を攻める気がなく、それはアーシェアとて同様である。
クメル山の険しさだけなら、百数十騎もの竜騎士がうまく連携して攻めれば、突破できなくはないだろう。だが、先の攻防のように、少数の部隊でも背後に回られたら、同じ大敗を繰り返すことになりかねない。
山道、あるいは洞窟を使えば、小集団を秘かに移動させられるのも、クメル山の厄介な点だ。何より、山上に陣取った方は、上から敵陣の様子をうかがえるという利点がある。
だから、アーシェアは持久戦に持ち込み、アーク・ルーン軍が自発的に下山するのを待つことにした。そこで敵が押し寄せてくれば、陣地を活用して二倍の戦力で迎え撃つ。敵が退くならば、背後から襲いかかる。もちろん、それまでに可能な限り、指揮系統や命令伝達の機能を強化しておく。
もっとも、そこに唯一の勝機を見出だしていたのはアーシェアだけで、他の竜騎士たちの考え方は違った。
「敵は十万しかいないのだから、こちらもそれで充分。戦いもしないのに倍の兵を用意しても、十万人分の兵糧などが無駄になるだけではないか」
元々、七竜連合の戦いはアーク・ルーンのそれを除き、短期決戦で片づいてきた。正確には、どのような大軍も城塞も竜騎士の力の前に一撃で粉砕されてきたので、長期戦となりようがなかったのだ。
加えて、竜騎士らは建国以来、数に勝る敵を相手に敗れたのがアーク・ルーン軍だけなのだ。アーシェアとて、連敗するまで八万の兵で十万のアーク・ルーン軍に挑み、それで何とかなると考えていた。
竜騎士らが長期戦に持ち込むことに強い戸惑いを見せるのは、これまでの戦歴を思えば当然だろう。また、十万には十万で充分と考えるのは、開戦当初、五万の兵で倍する敵を打ち破れると息巻いていたワイズの竜騎士らに比べれば、まだ思慮深いとさえ言えた。
だが、アーク・ルーン軍が喉元まで迫り、それを多数の竜騎士と倍の兵力でどうにか牽制している状況で、他の竜騎士らの提案と思考は完全に自滅行為だ。
司令官として絶対的な権限があれば、アーシェアはこの愚策を却下して終われただろうが、寄り合い所帯の連合軍では強権など振るえるものではない。言葉を尽くして、他の竜騎士らを納得させ、翻意させるべきなのだが、それもまず不可能であろう。
彼女自身、アーク・ルーンとの決戦を主張した際、叔父の意見や懸念を多数の賛同で押し潰しているので、消極的な主張が通らないのは明白だ。
とはいえ、敵が下山さえすれば、本気で半減した戦力で充分に勝てると思っている味方を消極策で押し留められぬ以上、
「待たれよ。今、兵が半減すれば、敵を下山させ、前後から挟撃する策が実行できなくなる」
積極策を口にした途端、竜騎士たちは目の色を変えて、ワイズの第一王女の作戦に興味を示す。
「アーシェア殿、その策、もっと詳しく話していただけませんか?」
ゲオルグに促され、アーシェアは内心の苦々しさを押し殺して、
「策というほど、大したものではない。全軍を二つに分け、本隊はこのまま敵に対する一方、別動隊は山を大きく迂回して、敵の背後に出る。別動隊が背後に陣取れば、退路をふさがれた敵は山を降りざるえず、そこを前後より挟撃するというものだ」
「おおっ」
この場に竜騎士たちが感嘆の声を上げる。
「何と壮麗な策でありましょう。しかし、そのような妙策があるなら、なぜ、早く我らに教えてくれなかったのですか?」
「先日の戦いで我らには多数の負傷者が出た。作戦の実行は彼らの回復を待つ必要があると考えたのだ」
タスタル軍を指揮する竜騎士の疑問に、アーシェアは不誠実な答えを口にする。
同時に、こんな作戦の欠陥に気づかない味方への失望を、いや、絶望を覚えずにいられなかった。
兵力を二分して前後から挟撃する。倍の兵力を有していることからこその作戦であり、うまくいけばアーク・ルーン軍への借りをまとめて返せるだろう。
だが、この作戦には致命的な欠点がある。上から連合軍を見張れるアーク・ルーン軍は、兵力を二分しての動きが手に取るようにわかり、敵に各個撃破の好機を与えることになる。
もちろん、この作戦自体をアーク・ルーン軍を下山させる撒き餌にできなくもないが、やはり山上に陣取って連合軍の位置と動きを把握できる側にイニシアチブを握られるのは避けられない。
後手に回ることで、下山したアーク・ルーン軍に一方が攻撃されている間に、もう一方が反転して背後を突くという作戦も取れなくはないが、これを成立させるには最低限、本隊と別動隊の指揮官がそれなりの手腕がなければならない。
アーシェアの苦悩と懸念をよそに、竜騎士たちはこの積極策への議論を始め、ひとまず兵の半数を返すという案は立ち消えにはなった。
だが、この状況は新たなる危機が生じただけで、アーシェアは安堵する間もなく、祖国と連合軍の破滅を回避する手を打たなくてはならない。
竜騎士たちの話し合いは、司令官と本隊を指揮し、副司令官であるゲオルグに別動隊を任せるという風に進んでいるが、こんな人事を座視しては、アーク・ルーン軍に敗滅するだけである。
幸いというか、唯一の活路は、この作戦はもう少し負傷者の回復を待ってから実行されるという、日数的な余裕がいくらかある点だ。
だから、この後、即座に姪は叔父に早馬を走らせた。
この挟撃作戦で勝機を生み出すには、叔父にどちらかの指揮をとってもらわねばならないからだ。
無論、アーシェアは考えもしなかっただろう。それが不可能であった場合、イライセンが最終的な決断を下す材料となってしまうことを。