入学編9-3
「アホですね、そのクラウディアってお姫様」
談話室での七竜姫による取り決めが終わり、解散となった後、自室に戻ったフレオールとイリアッシュから、事のあらましを聞いたベルギアットは、はるか年下の王女様を酷評した。
ライディアン竜騎士学園の学生寮の一室は、ベルギアットがいる間は、フレオールらが入退室する時を除いて、常に擬似的な異界化が成され、竜騎士らがドラゴンの知覚を用いても、中の様子を知ることはないので、敵地にあっても敵をいくらでも正当に評価できるのだ。
魔竜参謀の魔力で、物理的に侵入できなくなっているため、いつ百以上の人とドラゴンが敵対行動に出るかわからない学舎において、侵略者と裏切り者もここでだけは安心して肩の力を抜けた。
もっとも、竜騎士やその見習いは、部屋を異界化した程度で、完全に侵入を妨げられるほど甘くない。十騎以上がドラゴンの強大な魔力をぶつけてきたら、魔法で生み出されたドラゴン一匹の魔力など、強引に打ち消してしまうだろう。
が、向こうが強引な手段に出れば、それがアラーム代わりとなって、フレオールらも学友らの訪問を待ち構えるだけの準備が整えられ、不意打ちだけは避けられる。
それゆえ、二人と一匹は、先刻の取り決めが敵を油断させるための、盛大な下準備だとしても、外に気を配らずに雑談に興じることができるのだ。
「まあ、もう七竜連合にろくな人間はいないのは調査ずみでしたが、調査報告を上回るアホなお姫様のようですね。手強い敵ならまだ謀略でスムーズに話がすみますが、あまりにアホだと話にならなさすぎて、とことん面倒なんですよ。溺れる者はワラをもつかむと言うけど、数本のワラで人体が浮くわけないから、結局は溺死する。けど、アホはそれがわかってないから、その数本のワラまで謀略ではぎ取って、自分が溺死するのに気づかせてから、ようやく交渉できるようになるんですよ」
これまで状況判断ができない敵を、何百人と破滅させてきた、ネドイルの配下で最古参の参謀は、アホな敵を末路にまで導く労力を思い起こして、しみじみとため息をつく。
「そうストレートに言ってやるなよ、ベル姉。そのアホなお姫様のおかげで、オレたちのスクールライフがずっと安全になったんだからさ」
「だから、アホなんですよ。敵を安全にして、どうするんですか。長期戦の利を捨てるようなもんですよ」
小娘の愚かさに、ただただ呆れるベルギアット。
「ウィルトニアというお姫様の方が、まだ実戦というものがわかってますよ。ただ、まだまだ甘くはありますが」
「キツイ評価だねえ。あのお姫様の立場からすれば、ベターな選択はしていると思うぞ」
七竜姫の中で、最も立場が弱いのは、言うまでもなくウィルトニアである。何しろ、彼女だけ国を失い、権力基盤が大してないのだから、無理な行動や発言はできるものではない。
王を初めとするワイズ王国の残党の生活や活動の資金は、七竜連合の六カ国からの支援で担われている。ウィルトニアを初めとするワイズ出身の竜騎士見習いたちの学費の出所も同じである。
加えて、ワイズ王国の残党はバディン王国で亡命政権を樹立しているので、ウィルトニアはどうしてもクラウディアの立場や発言を重んじなければならない。
「クラウの性格がもっと悪かったら、ウィルも校舎裏とかでカタをつけられたでしょうが、性格がいいですからねえ、クラウは。国を失った相手をちゃんと労っているでしょうから、ウィルもその厚意に報いないといけず、結果、自分の考えと戦意を抑えないといけなかった、と」
「いい人間ほど、味方には迷惑、敵からしたら利用し易いもんだけど、それくらいのこともわからないとは、本当にオツムが残念なお姫様ですよ。面の皮の出来がいいのが、唯一の救いだけど」
「面の皮って……そりゃあ、美人だと思うが」
「それで充分でしょう。世の男の大半は、頭の中身より面の皮の出来を重んじますからね。大事にしてくれる男には事欠かないでしょうから、面の皮一枚で命くらいは助かるでしょう。美人は本当に得ですよ」
別段、ベルギアットは不美人というわけではない。クラウディアやイリアッシュとはタイプが異なるが、彼女たちに劣らぬ容姿をしている。
ただ、ベルギアットの場合、面の皮で女を判断しない男に重く用いられるだけの才があるので、他人に笑顔を振りまかずとも、他人の笑顔を叩き潰す生き方でやっていけるのだ。
「本当に私たちみたいなゴミクズは、何をしてでも優れた男の人が側にいないと、何の価値もないですからねえ」
自分を卑下するイリアッシュに、そんなことはない、と言えないのが、現在のアーク・ルーンの実状である。
イリアッシュにしろ、クラウディアにしろ、普通なら人格的にも能力的にも、非の打ち所がない人材だ。問題は、魔法帝国アーク・ルーンの実質的な統治者たる大宰相ネドイルの採用基準が極めて厳しく、当たり前の人材などでは、面接する価値すら認めていないことだろう。
「ところで、後学のために教えて欲しいんですが、なぜ、クラウの提案した取り決めが失策になるんですか?」
この程度もわからない時点で、ネドイルからすれば価値が無いどころではない。
ネドイルは、当たり前だがイリアッシュと面識がある。ただ、弟であるフレオールから見ると、アーク・ルーンの大宰相が皇帝やその他の大勢と同じく、軍務大臣の娘を人として見ているか、怪しいところがある。
同じ戦地に在る以上、イリアッシュが現状を正確に認識していないのは、いざという時に支障が出かねないので、
「まっ、それほど難しい話じゃないな。そもそも、お姫様らの目的は何だったかを考えればいい」
「そもそもの目的ですか? それは私たちがここに来た目的を探り、可能ならフレオール様、正確にはベルギアット様を取り込む、という皮算用だったと思いますが?」
「そう。だから、フォーリスって姫は、小細工を弄した。で、結果は四人ほど死んだが、これで連中は目的をはき違えるようになった。無論、これがクラウディア姫の策略で、オレたちと親密な関係を装うための下準備であるという見方もあるが」
「それはないですよ。クラウは策を弄するタイプじゃないですから。本気で、犠牲者が出たことに後悔して、悲劇が起こらないように奔走しているだけでしょう。けど、たしかにそう言われるとアホですね。目の前の状況に流され、目的を犠牲者が出ない点にシフトしたのは」
ようやく合点がいくイリアッシュ。
死者が出たことに動揺し、クラウディアのみならず、ライディアン竜騎士学園のほぼ全員が、新たな犠牲者を出さないことに腐心し、本来の目的を置き去りにしているのだ。ベルギアットやフレオールからすれば、失笑するしかないお粗末さである。
「命を尊ぶのは人としては正しいですが、我々にとって命は数字として扱うべきもの。これは初歩の初歩なんですが、どうもお姫様たちは足し算や引き算すら出来ないようですね。命なんて数として管理し、運用しなければ、何もできませんよ」
「ただ、ウィルトニア姫だけは、まあ、マシな部類とは思うぞ。少なくとも、長期戦になった際の要所もとポイントくらいは押さえているよ。たぶん、死んだ連中が丸っきり無駄死にじゃないのもわかっているはずだ」
「フレオール様、五人が死んだことに、何か意味があるんですか?」
「あるぞ。あいつらが手を出したこなければ、こっちが上級悪魔を封じた指輪を持っていたり、オレが『マジカル・リフレクト』レベルの上位魔法が使えるとかが、向こうにはわからなかったはずだ。つまり、五つの命を失うことで、オレらの手札が二枚、オープンにされたわけだ」
「あっ、それで、ウィルはシィルエール姫に、魔法のことをあの場で聞いていたわけですか。なるべく多くの者がフレオール様の危険性を認識するように」
イリアッシュがぽんっと手を打って、ひとしきり納得してから、
「けど、それがウィルからクラウらに伝わったなら、こちらの手札を探るため、今度は意図的にこちらを襲わせるということはありませんか?」
クラウディアが躍起になってフレオールらの安全を計ったのは、敵の身を案じてのことではなく、味方の返り討ちを恐れてのことである。が、敵を討つのに味方の犠牲が必要と七竜姫が判断したら、フレオールらの手札を暴くため、ライディアン竜騎士学園の生徒数がさらに減ることになるだろう。
「いや、それはないな。オレらと向こうでは、戦力が違いすぎる。イリア、オレと組んで、お姫様を全員、相手にする自信があるか?」
「それは無理ですね。ウィルがいるのを考えると、二対四でだいぶ厳しくなります」
「まっ、そんなところだろう。二対五以上となると、こっちに勝ち目はない。こちらの手札を探っておいても損はないが、そのために家臣を殺す必要もないほど、戦力に開きがあるんだ。油断せず普通に戦えば、向こうが当たり前に勝つのに、わざわざ犠牲を出すのは愚の骨頂だ」
「向こうが長期戦の構えを見せてくれただけでも、入学金がすぐに無駄にならず、こっちとしてはありがたい話ですしね」
七竜連合をそうなるように仕向けた魔竜参謀が、空々しくつぶやく。
「長居するのも、ネドイルの大兄の策の内だからな。何より、短期決戦を挑まれていたら、ヤバかった。初見で双剣の魔竜の動きに対応できていたかどうか」
言って、自嘲気味に小さく笑う。
七竜連合のことを知り尽くしているイリアッシュから事前にレクチャーしてもらったが、やはり聞くのと見るのでは大違いであり、何よりも接した経験のあるなしは、敵への対応力を大きく変える。
イリアッシュの話だけで、いきなり双剣の魔竜レイドと戦うことになっていれば、ろくにその激しい攻めに対応できず、斬り刻まれていたかも知れない。ウィルトニアとの訓練を見学でき、その動きを実際に見たからこそ、今のフレオールは色々と対応策が練ることができる。
それだけではなく、クラウディアやティリエランなど、直に接してその人柄に知っていれば、いざ対峙した時に相手をずっと洞察し易くなる。
「圧倒的に不利なこちらとしては、長期戦になればなるほど、敵に関するデータを集められるから、まっ、いざという時にマシに戦えるようになる。時は宝石よりはるかに貴重だな」
「でも、その逆も然りよ。レオ君が相手も見ているように、相手もレオ君を見る。特に、そのウィルトニアって姫は、レオ君に熱い視線を送ってくるんじゃない?」
時を得れば、それだけ敵のデータが収集できるが、それは相手も同様である。意図的な観察でなくとも、これからフレオールが訓練などの授業を受ければ、必然的にクラスメイトも、フレオールの身体能力がどの程度のものなのかがわかる。
「いや、ウィルトニア姫なら探り合いだけじゃあ、すませないだろう。こっちにプレッシャーをかけ、胆力を計るくらいはしてくれる。だからこそ、面白くもある。名高き七竜姫が評判倒ればかりじゃあ、こっちも張り合いがない。せめて、一姫だけでも、戦いが何たるか、それをわかっている敵がいなくては、こっちも張り合いがないからな」
どう足掻こうが、フレオールらの方が圧倒的に不利なのだ。いくらか胆が太い程度では、圧倒的に不利な状況に耐えられなくなっていき、自滅か暴発してしまう。
側につく不愉快な状況を逆用して、敵にプレッシャーを与え続け、過度に警戒させていけば、冷静さをどんどんと欠くことになる。
今は平然としているフレオールだが、いずれ重圧に耐えられなくなるか否か。大貴族の家に生まれたゆえ、これほどの厳しい環境は初めてであり、当人も耐え切れるかわからない。
「だからこそ、己の器量が計れるというもの。正直、ここまで敵、敵、敵、敵、敵ばかりだと、楽しくて仕方がない。何の遠慮もいらない分、魔法学園よりも充実したスクールライフが送れるというもんだ。フォーリス、シィルエール、ミリアーナ、ナターシャ、ティリエラン、クラウディア、そしてウィルトニアとレイド。降伏をしない以上、彼女たちが真の強者であってもらいたいものだ。でなければ、ネドイルの大兄の策が実った時、その地獄に耐えられんだろうからな。何よりも、そうでないと、とても命のやり取りができん」
七竜連合の末路を知る魔法戦士は、七竜姫が真に強きことを切に願った。
己の満足と当人らのマシな結末のために。