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過去編59-1

 アーク・ルーン帝国の軍法に、行軍中、田畑に踏み入り、作物を荒らした者は厳罰に処す、という一文がある。


 ネドイルの台頭と共に設けられた軍法の一つで、この点は元農夫であるからか、それとも略奪する物が減るのを嫌ってか、サムでさえ兵たちに厳しく守らせている。メドリオーに至っては、一度、乗馬が暴れて畑に入ってしまった際、自主的にヒゲに切り落とし、額にイレズミを入れ、自らの身で軍律を正している。


 ヅガートの第十一軍団も、落とした城や敵陣の物資は回収しているが、ワイズの民には傷ひとつつけることも、麦一袋も奪うこともしなければ、田畑を荒らすようなマネもしない。


 もちろん、敵地の奥深くに入り、民衆の反感やひんしゅくを買うのを極力、避けるという意味合いもある。


 いかなる意図があろうが、ワイズの民に害を及ぼさない点は、イライセンにとってありがたいことであった。何しろ、バディンを初めとする同盟国からの援軍が次から次へとやって来て、次から次へと民ともめ事を起こしている状況なので、味方のフォローで手一杯のワイズの国務大臣としては、敵にまで同じことをやられてはたまらないというもの。


 さしたる話し合いも計画性もなく、結成ありきで動き出した連合軍の存在は、実行と共に色々な問題が噴出したが、そのどれもアーク・ルーン軍なら厳罰どころか、処刑されてもおかしくないものばかりであった。


 バディン、シャーウ、ゼラント、ロペス、タスタル、フリカから援軍として向かう兵は、それぞれ任地から直にワイズへと目指している。その方が国内で集結する工程を省く分、迅速にワイズへと向かえるというメリットがあるが、当然、デメリットもある。


 数百人、あるいは数十人という集団が大した準備もなく、一国か二国を横断するほどの移動をするのだ。これで問題が起きなければ奇跡であろう。


 同盟国とはいえ、他国の地理などわからないのが当たり前だが、アーク・ルーン軍に比べてはるかに軍律がゆるい七竜連合の軍は、回り道すればいいところを、歩く距離をわずかに縮めるために畑の中に踏み入り、ショートカットする者がいくらでもいた。


 収穫期を迎えた今の時期、田畑には作物がたわわに実っているが、それらが無惨に踏み荒らされる程度の被害ではすまなかった。


 ある村では、両親の畑を踏み荒らした兵士に石を投げつけた子供が、長い行軍で気が立っていたせいもあるだろうが、味方の刃で幼いその命を失った。


 ある村では、収穫直前の大地の実りを台無しにされた後、やって来た役人に例年と同じ税を徴収され、味方の手でトドメを刺されることとなった。


 ワイズへと向かう同盟国の兵たちが来る前に収穫を終えた町や村も、通過の際に兵糧として収穫物を奪い取られた。酷いケースになると、タスタルのとある村では、まずタスタル兵に収穫物を奪われ、次にバディン兵に収穫物を奪われ、さらにゼラント兵に収穫物を奪われ、最後にタスタルの徴税官に収穫物を税として徴収され、村人たちは涙が枯れ果てかねないほどの悲哀を味わった。


 無計画な連合軍の集結が、民に害を及ぼすことを予期していたイライセンは、当然、その対処に手は尽くしている。ワイズ東部の民には例年より早く収穫を終えさせ、それらを税として徴収するか、買い取るかして、各国からの援軍の当面の兵糧とした。


 バディンなどの同盟国からは、兵を送るだけではなく、兵糧もワイズへと運ばせているが、先に兵を動かしてから、兵糧を集めて輸送しているので、どうしても双方の間にタイム・ラグが生じてしまい、その皺寄せをワイズ以外の民が被ることとなったのだが、イライセンの配慮と対処で、ワイズの民に何の被害も出なかったわけではない。


「連合軍の兵が訪れた際は、用意した兵糧を出した後、酒や娘、金目の物は速やかに隠せ。それと、近隣のワイズ兵も呼ぶことを怠るな」


 援軍が通過するであろう村や町に、イライセンは密かにそのような注意を伝え、その対応が正しいことが各所で証明された。


 遠路、ワイズまで援軍としてやって来た兵たちには、ワイズの民のために戦ってやるという意識が、大なり小なり芽生えてしまい、それがワイズの民への尊大な態度へとつかながった。


 ワイズの民を守るために戦ってやるのだから、ちょっとくらいイイ思いをさせてもらっても、あるいは特別報酬をもらう権利はあると考えた時、ワイズの民にとって味方は敵より危険な存在と化したが、イライセンの注意を守った村や町では大事にならずにすんだが、


「援軍はわしらを助けに来てくれるんだ。そんな盗賊みたいに気をつけるマネをしたら、失礼だ。酒の一杯くらい振る舞ってやればいい」


 国務大臣の注意と規律のゆるい軍隊を軽く見た者たちは、悔やんでも悔やみ切れぬ体験をすることとなった。


 イライセンがいくら注意を払おうが、その注意そのものを守らぬのではどうしようもない。だが、ワイズの民が傷つくのを見過ごせるものではなく、連合軍への対応にイライセンの意識が向いた隙を、ベルギアットは見逃さなかった。


 アーク・ルーン軍にとって、目下、最大の障害は、クメル山に陣取るアーシェアの存在である。


 ワイズ王国の第一王女は、デリンク平原からの戦いからの連敗で、かき集めた八万の内、二万を失った後、残る六万の内、三万五千を王都タランドに向かわせ、二万五千の兵でクメル山に陣取り、そこから文字どおり動かなくなった。


 すでにワイズ王国の王都には、バディン、シャーウ、タスタル、フリカ、そしてゼラントとロペスの兵の一部を除いて到着している。連合軍の兵が集結し終えるのは目前であるので、ワイズ王はその司令官を務めさせるため、再三、長女を呼び戻そうしたが、


「私は若輩ゆえ、そのような大任を果たせません。誰か別の者を当ててください」


 再三、アーシェアは断り、クメル山でアーク・ルーン軍を睨み続けた。


 連合軍にゲオルグが参加しておらねば、アーシェアの言う「適当に誰か」という人選はまだ可能かも知れなかったが、バディンの王族がいるのでは、ワイズ王家の直系でなければ司令官として、特にバディンの者たちが納得しないだろう。


 現在、ワイズ王家の直系の者は、ワイズ王とアーシェア、ウィルトニア、エクターンの四人となる。


 第三王子のゲオルグに対して、ワイズ王と、まだ九つとはいえ王太子であるエクターンならば、立場的には問題はない。ただ、軍事能力に問題があり、ウィルトニアが祖国にいないので、アーシェアが最も適任と目されるのだ。


 何より、王女とはいえ、最強の竜騎士としての勇名と実力も大きく、ワイズ側がアーシェアを司令官に推し、他の六ヵ国もその人選を承諾したのである。それだけに、今さら、当人に拒否されては、ワイズ王は娘の身勝手どうにかできないとなり、国王としても父親としても面目、丸潰れとなる。


 が、王命と父親の意向に反抗する娘からすれば、父王の顔が泥まみれになろうが、国が滅ぶよりマシとしか言いようがない。国があるからこそ、体面を気にすることができるのだが、ワイズ王国の王と、一人を除いた重臣一同はそのことが理解できておらず、


「陛下、アーシェア殿下のワガママを許せば、国の内外に示しがつきません。早々に王命と従わせるべきでしょう」


 ワイズ王に詰め寄る軍務大臣は、自分が口にしているだけの意見に対する、他の大臣たちの反応を、目を左右に動かして確認する。


「左様です。いかに殿下であろうと、陛下がお決めになったことに従わぬとなれば、これは反逆も同然でございます」


「反逆は言い過ぎとしても、陛下の定めたことに、我ら一同が同意し、国の方針として正式に決定したこと。殿下もワイズの者ならば、それに従うのが筋でしょう」


「殿下に何かしら考えがあって従わぬにしても、それは陛下の御前で思うところを述べ、再考を願い、皆で改めて話し合うべきなのです。王命を無視し、自分の好き勝手に振る舞うは言語道断ですぞ」


 他の大臣たちも口々に、用意された内容に同意する光景に、軍務大臣は内心で安堵する。


 親アーク・ルーン派の代表であった軍務大臣の屋敷には、アーク・ルーンからの友好の証がいくつも飾られている。一国の大臣への贈り物ゆえ、それらは全て高価な品物であり、それゆえに購入経路を調べれば、購入先がアーク・ルーンであるのがカンタンに判明するだろう。


 そして、この状況でアーク・ルーンからの贈り物が手元にあるとなれば、内通の物的証拠と見なされる可能性がある。


 急いで処分しても、痕跡を残せば、より疑惑を深めることになりかねない。そもそも、それらの物的証拠は、十数人の使用人や何十人もの来客が目にしており、物的証拠をうまく始末できたしても、目撃証言を全て封じるのは完全に不可能だ。


 イライセンのように、アーク・ルーンからの贈り物が届く都度、国に届け出て国庫に納めていれば、後ろ暗いところを感じずにすむのだが、七竜連合の王女らがアーク・ルーンからの贈り物で身を飾る状況で、そこまで気を配るなどできようはずもない。


 かくして、背中から魔竜参謀へと見えざる糸が伸びる軍務大臣は、その指示に従ってアーシェアを王都へと呼び戻そうとしているのだが、それは脅迫に近い形であり、嬉々として祖国に害を成そうとしているわけではない。


 人間社会で謀略を織り成すようになって、ベルギアットが未だに不思議に思うのは、小人や小悪党ほど見苦しいほどに自己正当化を計り、裏でどれだけの悪事や背信を行おうが、表面だけは必死に取り繕う点だ。


 だから、軍務大臣はアーク・ルーンから指示で言わされている内容に、他の大臣たちが同調することに、心から安堵している。


 例え、アーク・ルーンに強要されての発言とはいえ、他の大臣たちと発言内容が同じである以上、自分が間違ったことをしているわけではない、と。


 もちろん、他の大臣たちの背中からも見えない糸が、小人の心理を読み切っているベルギアットにまで伸びているのは言うまでもない。


 だが、自分以外の背中から伸びる糸に気づかぬ大臣一同は、周りの反応と発言で自分が決して間違っていないと信じ込み、ワイズ王に娘を何とかするように迫る。


 ワイズ王は他人の意見や周りの雰囲気に流され易い性格だが、父親として長女の気性も知っているので、


「そなたらはそう言うが、あれがここまで強くはねつけておるのだ。余も強く言ってみるが、果たしてそれで素直に応じるか」


 困り果てた表情となる。

「では、イライセン卿の書状を添えてはどうでございましょうか? 陛下に加え、叔父の意見もあれば、殿下も考え直されるでしょう」


 実のところ、父王より叔父の意見の方に重きを置くのだが、主君を前に正直に言えるものではない。


 そして、それは別にアーシェアに限ったことではない。ワイズの貴族も民も王よりも国務大臣の見識や存在を頼りとし、慕っている。国内のみならず、他国にもイライセンの令名の方が響いているほどだ。


 そもそも、ワイズ王自身が子供の頃から、困り事があるとイライセンを頼る習慣があるので、家臣の発言に不機嫌になるどころ、ほっとした表情となる。


「では、イライセンを呼び、そのように手配させよう」


「お待ちください、陛下。もう各国の兵馬が集結を終えようとして、一国の猶予もありません。先にイライセン卿の名を使って殿下を呼び、殿下が戻られてから、陛下と共に叱っていただけば良いではありませんか」


 大臣の一人の言葉に、ワイズ王は眉をしかめる。


 その言葉の裏にアーク・ルーンの気配をまるで感じられない王だが、さすがに義弟の名前を勝手に使うことにためらいを覚える。


 だが、連合軍の兵士らの狼藉による後始末と、ワイズ東部の民のフォローで多忙であるとはいえ、国務大臣の不在の場で、他の大臣たちがワイズ王に詰め寄っているのは、ベルギアットの指示によるものだ。


 アーク・ルーンに脅迫されている彼らとしては、自らの保身のために必死とならざる得ない。


 それが祖国を滅ぼす行為につながると気づかぬまま。


 元々、押しに弱いワイズ王は、保身を第一に考える大臣らが揃って上げる声に最後にはうなずき、国を守ることを第一に考える娘をだますことを是とした。


 ワイズの民を誰よりも案じる義弟の名を使って。



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