過去編49-2
「全軍撤退! とにかく、力の限り、駆け続けよ!」
アーク・ルーン軍を西へと駆逐せよと命じた王女の口からは、一時ほどでワイズ軍に東へと逃げるように命じていた。
それほどデリンク平原で激突した両軍の戦いは、一方的にワイズ軍の望まぬ展開へと至っていた。
アーシェアを含む六十四騎の竜騎士に率いられたワイズ軍八万の突進は、アーク・ルーン軍からの魔道戦艦および魔砲塔による一斉射で、その足はあっさりと足を止められてしまう。
アーク・ルーン軍からの砲撃は的確に竜騎士たちを撃ったが、六十四騎に向けて放たれたそれは、一騎に対しては最大で五発くらいなもので、ドラゴニック・オーラや乗竜の能力で全弾、危なげなく防がれる。
それでも砲撃は放たれ続け、ワイズの竜騎士たちがそれを一発、残らず防いでいる間に、魔甲獣を先頭にアーク・ルーン軍が足の止まったワイズ軍へと突き進むと、アーシェアは敵の戦法と自軍の敗北を悟った。
竜騎士は部隊の指揮官を務めている。その竜騎士は今、砲撃で身動きが取れないため、指揮官からの指示のないワイズ兵たちは、迫りつつあるアーク・ルーン軍に対して、ある者はどうすればいいかわからず立ち尽くし、ある者は武器を構えて立ち向かい、ある者は弓矢で迎え撃つなど、一貫性のない行動と対応は、ワイズ軍が軍隊として機能していないことを意味していた。
兵が一丸となって戦う側と、兵がバラバラに戦う側ではマトモな戦いになるわけがない。元より、アーク・ルーン軍はタルタバら師団長が手勢を手足のごとく操りつつ、他の部隊と高度な連携を成す上、ヅガート、ランディール、クロックの司令部から出される指示を速やかに遂行していき、ワイズ軍とは雲泥の差と言うべき集団行動を見せる。
アーク・ルーン軍がワイズ軍に斬り込み、白兵戦となると、砲撃は味方を巻き込まないように放たれ、竜騎士の一部は指揮官として采配を振るえるようになる。が、軍としての機能にここまで大きな差がある上、機先を制されたのだ。
それでもアーシェアは周りの戸惑うワイズ兵をまとめ上げ、アーク・ルーン兵と戦わせているが、他の竜騎士たちにはそこまでの手腕はない。兵と共に右往左往するばかりで、アーク・ルーン軍の迅速な動きにかき回され続け、犠牲を増やし続けた。
もし、竜騎士らにタルタバくらいの指揮能力があれば、アーク・ルーン兵の猛攻に耐えつつ、ワイズ兵の隊列を整え、劣勢から持ち直せたかも知れないが、それができる部下が一人もいないのを承知しているので、敗戦の傷が致命傷にならぬ内に撤退を命じるしかアーシェアに選択肢はなかった。
ヅガートの指揮の元、一兵一兵が勇敢な戦士として戦っていたアーク・ルーン兵だったが、ワイズ兵が敗走に移った途端、冷酷な狩人へと変貌していく。
「一兵も逃がすなっ!」
指示というより、けしかけるようなヅガートの声に、約十万のアーク・ルーン軍はワイズ兵の背に武器を突き立てていくが、さすがに必死に逃げる八万人を殺し尽くすことなどできようはずもない。
アーク・ルーン軍の刃によって一万ほどのワイズ兵が倒れるが、六万七千のワイズ兵はアーク・ルーン軍の刃に届かぬところまで逃げ延びていく。
「すまんが、味方が逃げ延びるまで私につき合ってくれ。竜騎士らも、踏み留まれ」
三千の兵を指揮し、しんがりを務めるアーシェアの姿に、ワイズの竜騎士らもドラゴンの長い首を西に向け、濁流のごときアーク・ルーン軍の追撃と真っ向から立ち向かう。
「チィッ、追撃中止だ! 敵に合わせて、こっちも退くぞ!」
「お待ちください、閣下! 今こそアーシェアを討つ好機! 三千ほどの兵は失いましょうが、それに見合うだけの竜騎士の首は取れましょう!」
興奮し、頬を紅潮させて異を唱えるクロックの進言と分析は間違ったものではない。
その性格と性分から味方が全て退き終わるまで、アーシェアが戦場に留まるのは間違いないだろう。そして、その才覚を思えば、アーク・ルーン兵に千単位の犠牲を出してもお釣りが出る。
だが、ヅガートは首を左右に振り、
「そいつも間違っていないが、とにかく、犠牲を出さんのを優先する。すぐに兵を退かせろ」
「はっ、わかりました」
重ねて言われた副官は頭を下げ、上司の命令を各所に伝えるべく、ランディールと共に軍団長の前より去る。
戦場における駆け引きと呼吸は、アーシェアも心得ている。アーク・ルーン軍の追撃がゆるみ出すと、彼女もしんがりの竜騎士やワイズ兵たちをじわりっじわりっと引かせ、ある程度の距離を取った瞬間、一気に戦場よりの離脱を計る。
最後尾に立つアーシェアの姿が見えなくなるや、アーク・ルーン軍は負傷者の手当てや戦死者の確認を始める。
当然だが偵察隊を出し、アーシェアが万が一にも逆襲に出てくるのを警戒しつつ、ワイズ軍が落ち延びる先の確認も忘れない。
また、負傷して逃げられなかったワイズ兵も、捕虜の身となったものの、アーク・ルーン兵と同じ治療を受け、可能な限りの命を助けた。
もっとも、ワイズ軍の戦死者に関しては埋葬されたものの、その前に身ぐるみをはがされ、敵が遺棄した物資と同様、戦利品として接収しているが。
こうした戦の後の細々とした処置を行いつつ、大まかな自軍の状況がわかった段階で、次の大まかな方針を決めるため、クロックはヅガートの元に戻り、
「チィッ、五百も死なせたか」
副官からの被害報告に、元傭兵の将軍は苦り切った表情になる。
無論、ワイズ軍の戦死者は一万人以上であり、二十対一を越す損害比率を思えば、アーク・ルーン軍の大勝利といった内容だが、
「どうやら、あのクソ王女をなめていたな。追撃をひかえさせていれば、二百、いや、三百は助かったってのによ」
アーク・ルーン軍の戦死者の実に七割が、圧倒的に有利な追撃戦に生じている。正確には、しんがりとして踏み留まったアーシェアと竜騎士、ワイズ兵たちに討たれたのだ。
それだけアーシェアの采配が優れており、彼女の指揮を仰いだ者たちが勇敢に戦った証拠であり、ワイズ兵が背中から次々と討たれる中、その勇戦はワイズ軍の名誉を一部なり救い上げたと言えよう。
「乱戦状態になると、思うように砲撃はできませんからね。あの戦法の今後の課題でしょう」
クロックの指摘するとおり、白兵戦になると味方を巻き込むため、思うように竜騎士らを砲撃で狙えなくなる。
白兵戦に持ち込むまでの間、砲撃で竜騎士とその指揮権を封じる戦法が有効なのはこの一戦で証明された一方、実戦で初めて運用された戦法ゆえ、問題点が浮き彫りになるのも当然のことと言えるだろう。
「まっ、そいつは後で考えるとして、今は逃げた敵だ。向こうから引き返してくれたら楽なんだが」
「さすがに、そのような無謀なマネをする気配はありません。偵察隊からの報告はまだですが、どこかで軍の立て直しを計るでしょう。ワイズ軍にはまだ六、七万の兵がいると思われますし」
「一応、あのクソ王女も考えているわけか。たしか、この先に城があったな」
「はい、クスコフ城という、かなり堅固な……ああ、そういうことですか」
上司の言いたいことと作戦がわかった副官は、得心して大きくうなずく。
「よし、もう一度、クソ王女を叩くぞ。ランディールには三万ほどと、後からゆっくり来させろ。負傷者や捕虜は、クソガキに五百ほど与えて管理させろ。オレたちはすぐに進発だ」