過去編28-2
アーク・ルーン軍の真の作戦、真の狙いに気づいた時には、アーシェアにはもうどうすることもできなかった。
一端、退いたタルタバの師団が、先刻まで攻めていた場所から三騎の竜騎士がいなくなり、手薄になったのを見計らって再び攻めかかり、今度はあっさりと突破する。
それより少し遅れて、二騎の竜騎士と数百のワイズ兵を倒し、クロックの統率する部隊も、ワイズ軍の陣地の突破に成功する。
アーシェアにはこれからの展開、自軍がどう負けていくのか、カンタンに予想がついた。
二ヵ所から陣地の中に踏み込んだアーク・ルーン兵たちは、手近なワイズ兵に襲いかかっていき、そこから防衛線がどんどん崩れていき、さしたる時を必要とせずに全面敗走となるだろう。
もちろん、負け方をシュミレートできるのだから、敗北を回避する方法もわかってはいる。
それは至極、カンタンなもので、陣内に踏み込んだアーク・ルーン兵たちにひたすらワイズ兵をぶつけて押し返し、突破された箇所をワイズ兵たちで塞げばいいだけなのだ。
ただ、それには全体の配置を把握する必要がある。後方から指揮を採っていれば可能だが、前に出たアーシェアはタルタバやクロックに対し、どの部隊を動かすべきか、位置的に判断できるものではない。
そして、アーシェアは後方に戻ろうにも、ヅガートが攻勢に出る態勢にあり、ここを離れればヅガートの率いるアーク・ルーン兵らの突破も許すことになる。
ヅガートやランディールからすれば、わざわざアーシェアやイリアッシュを労力と犠牲を費やして排除せずとも、突入したタルタバやクロックたちがいずれワイズ軍の敗走を招くまで、二人の乙女を牽制して動きを封じていればいいだけであり、軍団長も参謀長も実際にそうしている。
前に出たのはアーシェアの失策である。彼女は味方を動かすことに専念していなればならなかったのだ。そうすれば、多くの犠牲は出ようが、タルタバやクロックの動きにも対応できただろうし、ヅガートたちの突入も防げたかも知れない。
「叔父上がいてくれれば……」
ヅガートの率いる部隊と対峙し、猫科の猛獣に狙われているような感覚を味わいながら、アーシェアはらちもないことをもらす。
イライセンがいれば、アーシェアの代わりに司令官としての責務を果たしてくれただろうし、アーク・ルーン兵らが陣内に踏み込んだ途端、ワイズ兵らが動揺して及び腰になっていくこともなかっただろう。
「せめて、もっと地の利のある場所に陣地を築ければ……地の利がなくとも、城塞などにこもれていれば……」
アーシェアは胸の内でつぶやく内容がどれも実現していないからこそ、
「総員、退けっ! 下がりつつ、敵を迎え討てっ!」
叔父に前線を託された姪は、味方に撤退を命じるが、それは陣地を放棄することを意味しない。
アーク・ルーン帝国の偽りの友好に味方がだまされ、その不理解と制約の中、イライセンの築いた砦や陣地は、防御力こそ低いが、それを補う手立てが施されていた。
その一つとして、陣内は大軍が展開できぬようになっており、それで後退したワイズ軍に続き、敵陣へと踏み込んでいった十万のアーク・ルーン兵は、思わぬ動き難さに足が鈍り出す。
その間に、イライセンが用意し、定めた手順に従い、残った竜騎士らの駆るドラゴンらが並び、その隙間を埋めるかのように荷車を移動させ、新たな防衛ラインで敵を食い止めるという構想も、発案者の不在であっさりと破綻した。
ワイズ兵が決死の覚悟で抗うのを前提に、陣地に踏み込んで来た敵軍を食い止める算段を立てたのだ。イライセンがいた時の心境を保持していれば、このような劣勢でも死に物狂いで戦い、アーク・ルーン軍の攻勢を防いだだろう。
だが、生き残れるという希望を抱き、助かると思った命を賭けられなくなったワイズ兵は、アーク・ルーン軍に守りを突破されて劣勢になるや、腰を浮かしていて立ち向かおうとする気概がまるで見えない。
一応は指示されたとおりに荷車を動かし、守りを固める気配を示すが、そのような見せかけはあっさりとヅガートに看破され、
「全軍突撃! 敵はビビってんぞっ!」
アーク・ルーン軍の攻勢を前に百を数える間ももたず、ワイズ兵は次々と逃げ出し始める。
「逃げる前に、するべきことを成せっ! 撤退はそれからだ!」
もはや抵抗を断念するしかない状況にアーシェアがそう叫ぶが、我先に逃げ惑うワイズ兵の大半には、第一王女の声は届かない。
が、一部のワイズ兵はアーシェアの声でイライセンの指示を思い出し、陣地のあちこちで火の手が上がり出す。
ワイズ兵らが放った火は燃え広がっていき、
「追撃を中止しろっ! ボサッとしてっと、火に巻かれるぞ!」
イライセンが味方を逃す際の手も打っているのに気づくと、ヅガートは追撃を止め、兵を退かせる。
そして、何人かは火傷を負ったものの、アーク・ルーン兵たちは砦や陣地と共に炎に包まれる事態を回避し、ワイズ兵も炎を背に逃げ延びていく。
当然、戦死した両軍の兵士は別にして。