過去編25-2
アーク・ルーン帝国の第十一軍団の長にヤリマンと見なされているワイズ王国の第一王女は、心底、身も心も委ねられなくてもいいから、兵の指揮を一部でも委ねられる男性を欲していた。もちろん、女性でもドラゴンでも何でもいい、という心境でもあるが。
だが、天幕で苦悩するアーシェアの傍らにいるのは、頼りとしていた叔父ではなく、まったく頼りにならない従妹である。
そして、そんな竜騎士見習いのイリアッシュの方が、味方のどの竜騎士よりマシなのが、ワイズ軍というよりも七竜連合の実状であった。
十年に及ぶ準備期間と金に糸目をつけぬプレゼント攻勢によって、アーク・ルーンに内部はかなり侵食されており、いつ背後から火の手が上がってもおかしくない状勢に七竜連合はある。そして、その点に、つまりは味方に備え、イライセンが王宮に戻るのは、必要不可欠なことではある。
アーク・ルーン帝国がどれだけ謀略の糸を織り成そうと、イライセンが王宮で睨み効かせていれば、火種はくすぶるだけで燃え上がることはないだろう。だから、アーシェアに後顧の憂いはない。ただ、前線、自分の足元に憂うべき点がいくつもあるのだ。
「アーシェ姉様。援軍が、連合軍が到着するまでの辛抱です。それにはまだ日数がかかるでしょうが、日々、砦や陣地は皆の手で強固なものとなっています。それまで耐え抜けば、アーク・ルーン軍を当面のことだけとはいえ撃退できるはず。及ばずながら私も助力しますから、がんばりましょう」
苦悩する従姉を励まそうとするイリアッシュの気遣いも、自軍の状況もアーク・ルーンの策略も理解していない言葉では気休めにもならない。
連合軍を組めば、敵を大きく上回る戦力で戦えるというメリットはある。アーク・ルーン軍が真正面から戦いを挑んできたならば、その数を活かして撃破はできるだろう。
ただし、それは負けや不利に気づかずないほど、アーク・ルーン軍が愚かであると前提がなくば成立しない。アーシェアからすれば、敵軍が愚かと決めつけて作戦を立てることこそ、度しがたい愚かさだ。
何より、デメリットも当然あり、その最たるものは指揮系統が異なる軍隊の集まりである点だろう。つまりは、連合軍は七ヵ国の軍隊で形成されており、例えばアーシェアが司令官となったとしても、ワイズ軍はその命令に即座に従うが、他の軍はその将を介しての指示となる。最悪、一つの命令への対応する速度が、七つの軍隊でバラバラになることもあり得るのだ。
加えて、司令官を決めようが、連合軍を成そうが、実質的に七つの軍隊の集まりである以上、一つ一つの行動に各国の将の合意を得る手順が必要となる。
アーク・ルーン軍は連携の齟齬を見逃すほど甘くなければ、後手に回って対応できるものでもない。
無論、連合軍の指揮系統を統合しておけば、そのような無様な事態は避けられるがゆえ、アーシェアは父王に連合軍の結成にもっと時間をかけるべきだと言ったのだ。
もっとも、軍事に疎い父が連合軍の指揮系統の調整対する重要性が理解できているとは思えないし、仮に理解できたとしても、父にどうこうできる問題とは娘も思っていない。
いや、そもそもワイズ王のみならず、それができる味方が七竜連合にいないのが致命的な問題なのである。
もちろん、イライセンならば連合軍の指揮系統を整えれるだろう。アーシェアもやってのけられる自信はある。だが、イライセンはアーク・ルーンの謀略に備えねばならず、アーク・ルーン軍と直に対峙していて、とても手が回らない。
味方に足を引っ張られる形でイライセンが前線を離れねばならなかったように、このまま陣地を守っていられたとしても、連合軍がここに到着すればアーシェアもまとまりのない味方に足を引っ張られることになる。
アーク・ルーン軍と戦いながら連合軍を再編成すれば、ピンチをチャンスに変えられるが、そんな離れ技をやってのける自信は最強の竜騎士にはなかったが、それは無用の心配だろう。
各国からの援軍がワイズ王国に到着するまで、まだまだ日数を必要とするのだ。アーシェアの目算では、それまでこの砦や陣地が保てるか疑わしい。
イリアッシュの言うとおり、砦や陣地は日々、強固さを増しているが、元が簡素な造りな上、要害の地に建てていないので、例えばタスタル王国のカッシア城あたりとは比べ物にならない。
だが、それ以上にマズイのは、その程度の守りに味方が安堵してきている点だ。
砦や陣地を築いた当初は、ワイズ兵たちはにわか造りであるのを理解し、自らを頼む気持ちが強かったが、今ではにわか造りに毛が生えた程度の砦や陣地に依存する心情が大きい。
さらに連合軍が到来するという報に、兵たちはもうアーク・ルーン軍に勝った気になっており、気持ちにゆるみが生じている。
正確には、イライセンがいなくなった途端、アーク・ルーン軍の間者たちが活動を再開して、ワイズ兵たちに耳障りのいい言葉を吹き込んで回り、アーク・ルーン軍を侮る気持ちに芽生えさせ、イライセンがいた時の張りつめた空気を信じられないほどに弛緩させられたのだ。
もちろん、アーシェアも味方の緊張感を高めようとしたり、アーク・ルーンの間者らを見つけ出そうとしたが、自分が叔父に及ばぬという結果しか得ることはできなかった。
後に、ネドイルはイライセンに対して、
「軍事において地味なことをさせれば、あやつの右に出る者はおらん」
そう評価するほどの人物だからこそ、アーク・ルーン帝国の軍務大臣として迎えたのだろう。無論、この時点では後の話でしかないが。
ともあれ、大宰相がそう評価するほどのイライセンが抜けた今、後方から迫る連合軍を気にする以前に、アーシェアは身近な味方をどうにかしなければならないのだが、その最たる存在であり、最強の竜騎士を最も苦悩させているのは、イリアッシュのことであった。
イライセンが最も危惧するのは、連合軍の到来でアーシェアまで身動きが取れなくなる点である。
国境で敗れても、ワイズ王国には王都までいくつも城もあれば、天険の地もある。敗北しても、余力を残して撤退すれば、いくらでも再戦は可能ではあるのだ。
ただし、然るべき城で数万の兵がいようが、そこにイライセンやアーシェアがいなければ、アーク・ルーン軍に対抗できるものではないだろう。
だが、アーク・ルーンの謀略に踊らされた味方で、イライセンは身動きができなくなっている。そして、連合軍が集結を終えれば、その司令官に据えられるであろうアーシェアも、身動きが取れなくなるか、指揮系統がバラバラのままヅガートらと戦うはめになる。
ワイズ王国は最悪、天然の要害であり、戦略上の要所であるクメル山を押さえればいい。十年前もそれでアーク・ルーン軍は退いている。が、だからこそ、ヅガートは進軍速度を調整して、連合軍によってアーシェアが自由に動けぬ時に、クメル山の奪取にかかるだろう。
クメル山をアーク・ルーン軍に押さえられるということは、ワイズ王国にとって最悪の事態を迎えるということなのだが、さらに最悪なことは、それを理解できる人間がワイズ側に二人しかいない点である。
だが、イライセンとアーシェアを何よりも苦悩させているのは、イリアッシュを殺せば、連合軍の到着を遅らせるかも知れないという、最悪の選択肢があることだ。
七竜連合において、急速に連合軍が結成されつつある要因の一つは、その音頭を取る盟主国バディンの第三王子ゲオルグが舞い上がっているからだ。最愛の婚約者イリアッシュを助けんとするがゆえ、その目的が失われればショックで寝込むか、少なくともテンションは下がって、それが連合軍結成への遅滞となるかも知れない。
ただし、あくまでも、かも知れない、という話だ。もし、確証があれば、イライセンは非情の決断をしただろう。
ゲオルグが率先して動かなくなっても、ここまで生じた流れが止まらない可能性もある。物は試しで、一人娘を殺そうとは、さすがにこの時のイライセンにできることではなかった。
それはアーシェアも同様である。いや、イライセンは連合軍の遅延に確証が得られれば、娘に自決を命じるだろうが、アーシェアは確証が得られても、従妹をその場しのぎのために殺すことなどできるはずもない。それを成すということは、何の非もないイリアッシュを一時の都合で犠牲を強いるということなのだから。
だから、叔父が娘を前線に残した真の理由を、無言の内に最強の竜騎士は理解してはいるが、それを自分が実行できないことも、最強の竜騎士は理解していた。
そして、自分では叔父が約二年の歳月を費やした防衛策を維持することができないのを思い知ったアーシェアは、それでも打開策を見出ださんと悩み苦しみ続けたが、何ひとつ光明を見出ださぬまま、彼女のみならず、イリアッシュと五万のワイズ軍はその夜を迎えた。




