過去編20-1
アーク・ルーン軍とワイズ軍の戦いは、共に墓をこさえた後は、十日に渡ってただ睨み合うだけの展開となった。
奇妙なのは、数で勝り、攻める側のアーク・ルーン軍の方が息を潜めるような消極的な姿勢に終始しているのに対して、数で劣り、守る側のワイズ軍の方が攻めっ気を見せていた。
もっとも、どれだけワイズの竜騎士たちが出撃を渇望しようが、イライセンに抑えられ、再戦を挑むことがかなわずにいる。
アーシェアの率いる別動隊は、毎日、その一帯の空を飛び回ったが、アーク・ルーン軍の陣地にも、十五隻の魔道戦艦が張りついた輸送部隊にも、空襲を仕掛ける隙を見出だすことができなかった。
ワイズ兵たちはイライセンによって、相変わらず決死の覚悟を維持しているので、アーク・ルーン軍は攻めかかることができない。そのアーク・ルーン軍の警戒体制は、何日、経とうがゆるむ色が気配がまるでなかったので、その日も十騎の竜騎士を率い、むなしく空を飛び回るだけだったアーシェアが、それに気づいたのはたまたまだろう。
だが、偶然とはいえ、ワイズ軍の陣地へと飛来する向かうギガント・ドラゴンに気づいたアーシェアは、
「私は陣地に向かう。オマエたちは今日はもう、戻って待機していろ」
竜騎士が伝令役を務めることはあるが、飛行能力があるとはいえ、速度の遅いギガント・ドラゴンを遣いとするなど、まず有り得ない話だ。
だから、部下たちに帰還を命じ、乗竜たるドラゴニアンのレイラを駆り、単身、陣地に着陸したアーシェアの予想したとおり、
「アーシェ姉様、お久しぶりです」
乗竜のギガから降りたばかりの、従妹のイリアッシュからあいさつを受ける。
ライディアン竜騎士学園の長期連休は目前といった頃合いだが、休学して帰国しているイリアッシュがこの場にいるのは、別におかしくない。が、アーシェアは従妹が嬉しげに微笑んでいる点に、どうしようもなく違和感とイヤな予感を覚えた。
何かしら吉報を届けに来たのかも知れないが、その吉報を想像したアーシェアは、従妹をまず人気のない場所に引っ張って行くべきと考えるまでに、しばしの時を有したのが致命傷となった。
物陰に引っ張っらんと、アーシェアが従妹の腕をつかもうとした矢先、
「父様、お喜びください。ゲオルグ殿下の発案の元、連合軍が結成されることになりました」
早足でこちらに近づいて来る父親の存在に気づき、イリアッシュは大きな声で致命的な吉報を届ける。
途端、イライセンの歩調は荒々しいまでに、さらに早くなり、
「キサマはそれを黙って見ていたのかっ!」
表情を歪めるほどの怒気と共に、娘を怒鳴りつけただけに留まらず、振り上げた右手でその頬を張り飛ばす。
ガタイの良いイライセンが手加減なしに振るった力はかなりのものだが、それを食らったイリアッシュが愕然となりながらも、張り飛ばされた方が即座に体勢を立て直し、倒れることがなかったのは、彼女が武人として優れていたからだろう。
小さい頃から何度も叱られはしたが、説教こそされ、殴られたことのないアーシェアは、目を丸くしつつも、叔父が再び腕を振り上げ、もう片方の頬を張り飛ばそうとしたので、
「ま、待ってください、叔父上! イリアを叱っても何もなりません!」
姪に振り上げた腕をつかまれて止められると、イライセンもイリアッシュが「吉報」を届けに来ただけなのに気づき、ねじ伏せるように激情を抑え込もうとする。
連合軍の結成の報が、正式な使者によるものではないのは、ほぼ確定してはいるが、まだ本決まりでないからだろう。おそらく、少しすれば正式な使者が遣われされるそれを、イリアッシュが飛んで報せに来たのは、少しでも早く父親に伝えたかったからだ。
完全に確定する前に、連合軍の情報を得られた点は、イライセンも娘に感謝すべきではある。問題は、声を大にして「吉報」を口にしたので、近くにいた竜騎士、騎士、兵士が何人もそれを耳にした点だ。
「と、父様、何か、マズかったでしょうか?」
生まれて初めて父親にぶたれた娘は、おそるおそるに聞くが、今のイライセンに娘のフォローをしているゆとりはない。
つかんでいた腕を離したアーシェアと目を合わせ、一つうなずき合うと、
「私はこれより王宮に戻る。皆、後は頼むぞ」
姪と共にドラゴニアンのレイラへと向かい、その背にイライセンが跨がると、立ち尽くしていた周りの者は、口々に引き止め出すが、それを無視して最強の竜騎士は乗竜を飛び立たせる。
最悪の事態を回避するために。




