過去編10-1
「我らは求めん! 留まり続ける魔力!『マジカル・シールエンチャント』!」
フレオールと五人の魔術師は呪文を唱和させ、同調させ魔力を張り巡らされた柵の一角へと宿す。
柵に囲まれた三百近い、土を盛っただけの粗末な墓の下には、ワイズ軍との戦いで死んだアーク・ルーン兵が眠っている。
フレオールとイライセン、一応は形として双方の司令官の取り決めにより、両軍は戦死者を弔いに従事していたが、共に全軍が参列しているわけではない。
いかに約定を交わそうが、敵を前に警戒を怠れるものではないし、ましてや陣地を空にするなど言語道断だ。
それゆえ、ワイズ王国への侵攻が失敗した時に備え、回収した三百弱の死体を陣地より西に離れた、クラングナ領の境に運んで埋め、その周りに獣避けの柵をこしらえ、戦友たちの冥福を眼前で祈るのは、タルタバとその師団の兵約五千、正確には四千七百八十八人である。
無論、この場にいるのはその四千七百八十八人だけではなく、軍団長とその副官もおり、東方軍司令官と五人の魔術師もいる。
どれだけ頑丈な柵を作ろうが、経年劣化や風化は避けられないのは、魔法を使わなかった場合である。一人の魔法戦士と五人の魔術師、計六人の術者による儀式魔法を用いれば、対象の物体に半永久的に魔力を宿し、百年単位で物体の現状を維持することができるので、ヅガートは不快な連中と共にいるのだ。
柵を魔法で強化せず、何年かして墓が動物に荒らされたのでは不憫だし、戦友を見送る機会を逃せるものではないので、九万五千の兵をランディールに任せ、我慢してこの場にいるのである。
ちなみに、魔術師であるクロックが儀式魔法に参加していないのは、術者としてその域にないからである。
どちらも警戒と供養を優先している以上、何事もなく葬儀は終わり、自陣への帰途に着いたヅガートの表情が相変わらず仏頂面であるが、それも仕方ないことだろう。
側で馬を走らせるのが、先の戦の責任を引きずって冴えない顔のクロックとタルタバだけではなく、フレオールもいる上、大宰相の異母弟からイライセンについての報告を受けているからだから。
顔を合わせるのがイヤな相手とはいえ、首と胴がつながって戻って来た以上、イヤイヤでもワイズの国務大臣について見聞きしたことを耳を傾けねばならなかった。
もちろん、クロックがフレオールから話を聞き、それを又聞きするという方法も、この際はよろしくない。副官を信用してはいるが、人伝ての話というのはどこかしらに歪みが生じるからだ。
最初の強襲も先の戦いも、イライセンに行動と策を読まれて、もう少しで大打撃を受けるところだったのだ。ヅガートとしては、不快だ何だと言っていられるものではない。
「オレの見るところ、イライセンは事前に手を打ち、それを後方から采配するタイプだ。兵を直に率いるヅガート将軍方の諸将よりも、大兄やトイ兄に近いタイプだな。おそらく、兵を用いる事に関しては、ネドイルの大兄よりも上だ」
「そんなバカなっ! 大宰相閣下と同格、まして、それ以上の者など、この世にいるわけがない!」
うなだれていた顔を赤くして上げ、末弟の千倍は祖国の改革者を尊敬する魔術師の叫びと否定に、ヅガートやフレオールは苦笑を浮かべる。
第十一軍団の中でも屈指の常識人で温厚なクロックだが、意外に感情が激し易く、冷静さを欠くことがわりとある。
当然、感情的になったクロックの言葉など聞き流し、
「自分にできることとできないこと、攻める側のイヤなこと、守る側のアドバンテージを理解して、堅実で隙のない戦い方を指示できるってヤツか。オレと最も相性が悪いな」
「まあ、実戦指揮官としてはヅガート将軍には及ばないないから、敵陣から引きずり出しさえすれば、正面から撃破するのは難しくはないとは思う」
「いや、それは困難でござろう。向こうはこちらが混乱したところを叩こうとしなかったのですぞ。あれだけの隙にも食いつかない者が、おいそれと出撃するとは思えません。無論、こちらが大きな隙を作って見せ、敵を食いつかせるという策も、イライセンなる者なら逆手に取られる危険がある」
一度、裏をかかれているタルタバの発言は、ヅガートの心中を代弁したものだ。
もちろん、フレオールとて先の一戦、自分の実戦指揮官として力量と味方の地力を理解し、痛み分けという形で対処したイライセンの対応を知っている。タルタバの言うとおり、イライセンが陣頭の勇者でなくとも、ワイズ軍の質が低くとも、それをどうにかできる器量がイライセンにあるのは明白だ。
「先にヅガート閣下が述べられたように、今は守勢に徹して時を稼ぎ、敵軍の後方が乱れるのを待つべきです。イライセンが容易ならざる人物であるとしても、前後の物事に同時に対処できますまい」
「そいつが理想的というより、唯一の活路だが、ネドイルやドラゴン女のように、向こうもこっちに謀略を仕掛けて来た点だ。あのクソ王女のようなクソな性格していたら、座して待っていたら、状況は悪化するからな」
ヅガートが口にするクソ王女とは、第六軍団の軍団長レミネイラのことである。
レミネイラは、元王女であり、そしてアーク・ルーン帝国で一軍を率いる今、その将才と謀才で、祖国を滅ぼした国家に大いに貢献している。
彼女の手腕は今より約一年後、南の地で証明されている。アーク・ルーン帝国が用意し、張り巡らせたエレメンタル・キャンセラーによって、弱体化した精霊戦士たちはレミネイラの策謀により、味方どころか、これまでアーク・ルーン軍から守ってきた民衆からも狩り立てられ、アーク・ルーン軍以外の刃でその数がどんどん減じている。
味方であるだけに、ヅガートはレミネイラがどれだけ厄介な人物か、良く知っている。おそらく、元王女でなくとも、ヅガートはレミネイラを敬遠しただろう。
が、もし、イライセンがレミネイラと同じか、近いタイプだった場合、実際にこうして対峙しているヅガートからすれば、距離を置くとこともできなければ、シャレになる話でもない。
直感的なものであるが、ヅガートはイライセンにレミネイラやサムと同種のヤバさを感じているが、
「これもオレの見解だが、おそらく、イライセンは謀略に気づけても、それを成せる人間じゃない。そういった気質じゃないんだろう」
「お言葉だが、フレオール卿、先の戦いでヤツはうまく密偵を用い、流言によって我らを混乱させたのですぞ。それで謀才がないというのは、おかしな話ではありませんか?」
「いや、タルタバ殿。それは工作に長けているだけで、謀略とは別の手腕ということになるんだが」
フレオールの、自分の半分も生きていない若造の説明に、生粋の武人たるタルタバは首を傾げる。
「間者や密偵を用いるのは、将や士官なら当たり前の話で、タルタバ殿とて経験のあることだろう。それとベル姉、もといベルギアット総参謀長のやってきたことを比べればいい」
「まあ、そうと説明されれば、違う気はする」
漠然とした反応ながら、タルタバはあいまいながら理解をする。
ベルギアットもヅガートも、共に間者や密偵をうまく用いるが、その規模や方針は異なる。
ヅガートは情報収集や偽装工作によって、一つ戦場での駆け引きを有利にして、勝利をつかめるようにする。対して、ベルギアットは一国を舞台にした情報操作で、対象を破滅へと導いていく。その一例が、味方の手で処断され、戦死さえできなかったミベルティンのエクスカンであろう。
ベルギアットもヅガートも共に共に知性に優れるが、ヅガートには後方でベルギアットのような工作を行うことができない。逆に、ベルギアットも、前線でヅガートのような工作はうまくこなせないのだ。
「イライセンなる人物は、聡明ではあるが、人格的に立派であると聞く。そのような性格の者は、どれだけ賢くとも、やはり謀略には向かないのだな」
「いや、それは一概には言えんな。頭の良し悪し、性格の良し悪しは、謀略に関係ない。ベル姉やトイ兄がいい例だろう」
フレオールの口調は歯切れが悪いが、それだけ謀才というのは気質という判然としないものに起因するのだ。
ベルギアットは言うまでもなく、トイラックも謀略家としては一流の手腕とセンスを有するが、両名は他者の破滅を喜ぶような性格はしていない。共に気さくで物腰が低く、下の者の面倒見も良い人柄からは、陰のある性根だの、暗い情熱だのは感じることができない。単純な人間性においては、ヅガートなどよりはるかに出来た人物である。まあ、ベルギアットは人ではないが。
また、ベルギアットもトイラックも賢くはあるが、単純に頭のいい人間なら、二人より優れた人間はいくらでもいる。知識という面では、七竜連合のロペス王やフォーリスの方がずっと上であるのだ。ただ、知識で劣っても、智謀、智を以て謀を成す能力は、ベルギアットやトイラックの方がずっと上なだけである。
他者の幸せを誰よりも喜べるベルギアットとトイラックが、誰よりも他者を不幸にすることに長けている理由が、フレオールとて完全に理解できているわけではないので、タルタバを得心させるような言葉を用意できるものではない。たしかなのは、人の世において、特殊な分野、突出した才能ほど、素質的なものが決め手となる。
フレオールは小さい頃から軍学を学んできたが、軍人としては軍学を学んだことのないヅガートの足元に及ばない。小さい頃から魔道に励んできたクロックは、魔術師としては三流だが、補佐役としては一流である。
「イライセンは実戦指揮官としても、謀略家としても二流以下ではあるが、戦略家としては一流であり、何より戦争を全体的に描き、統括する才は、何人にも勝る。無論、政治家としても優れているのは言うまでもない」
「人の身に得手不得手があるのは当たり前のこと。イライセンが恐るべき点は、長所を活かし、短所を補えるところでありもうすか」
まとめるようなタルタバの表現に、ヅガート、フレオール、クロックは硬い表情でうなずく。
「だが、フレオール卿、短所はしょせん短所。イライセンにそれがあるなら、やり方しだいで斬り崩す方法があるのでは?」
「まあ、短所というわけではないが、評判と合わせて会った人間として言わせてもらえば、民を大事する人間との評は上辺だけどころか、根底となっていると感じた。ここがイライセンの弱点だろうな」
フレオールの口にした内容に、タルタバは太い眉をしかめ、
「民を人質に用いるか。武人としても人間としても恥ずべきことでありもうすが、勝利のためにはやむを得まいか」
国境地帯とはいえ、ワイズの集落は少し離れた場所にいくつもあり、その気になれば百人や二百人の人質くらい確保できるだろう。
だが、民に手を出すような行為に対して、クロックは真面目な表情と口調で異を唱える。
「タルタバ殿、そのような短絡的な手段、敵の意志と守りをますます頑なとするでしょう。イライセンの民を害する者は何人も許さぬ姿勢を思えば、我らに向く矛先はより鋭くなるだけのこと。ゆえに、ワイズの民を害する、あるいは見捨てさせる役割は、ワイズ王などにやらせるべきです。さすれば、イライセンは味方と対立し、その矛先がこちらかそれるやも知れませんゆえ」