過去編8-3
「お初にお目にかかります。アーク・ルーン帝国の東方軍司令官を務めまする、フレオールと申します。まっ、ネドイルの異母弟と言った方がわかり易いでしょう」
一礼して、あいさつをする十五歳の少年を前に、イライセンはどうにか困惑を隠して相対した。
信じ難い報告を受けると、国務大臣は戸惑いつつもフレオールを陣中に通してすぐの天幕で、五人の竜騎士と共に会うことにした。
昨日、殺されかけたワイズの竜騎士たちは、司令官であるからというより、アーク・ルーンの人間という理由で、斬ってしまえと主張したが、さすがにそれはイライセンがいさめた。
敵国であろうと、使者を殺したり、抑留したりするのは、文明国としては恥ずべきことである。
その点を指摘すると、竜騎士らは赤面して主張を取り下げたが、イライセンがフレオールを害さないのは、恥や外聞を恐れてのことではない。
イライセンは今日までにアーク・ルーン帝国の情報をかき集めたゆえ、実質的な司令官であるヅガートが、貴族嫌いであるくらいは知っている。だが、それが大宰相の異母弟が死んだら、かえってせいせいするほどのものとまでは知るよしもない。
敵方の思惑も内部事情もわからないのでは、イライセンとて無難な対応に終始するしかないというもの。
何よりも、当惑ばかりもしていられない。
単身、敵の陣地を訪れたフレオールは、数万の敵意の中でもふてぶてしいほど落ち着いており、年の割りには侮れない相手であるのがうかがえた。
だからこそ、イライセンは用心して、陣地に入ってすぐの天幕で、アーシェアを同席させずに会うことにしたのだ。
使者というのは、ただ用件を告げるだけの存在ではない。堂々と相手の内側に入り込み、その主要人物と見えることができる。つまりは、使者に充分な眼力があれば、敵方の内部構造を把握したり、敵将の人物像を見抜いたりして、味方に有利な情報を得ることもやってのけるのだ。
そして、ネドイルを筆頭に、幼い頃から一流の為政者や将軍、参謀と接して来たフレオールの目は、充分に肥えている。
その点では敵の司令官を内に招いたのはよろしくないが、相手の用向きを思えば無視できるものではなく、
「ワイズ王よりこの軍を任されているイライセンだ。一軍の長がわざわざご足労された用向きをさっそく聞かしてもらおう」
「用向きは単純な話。昨日の戦で失った互いの戦友らが野ざらしとなっているのは、あまりにも哀れ。ゆえに、明日より二日間、互いに軍事行動を止め、互いに戦友の骸を弔うことに尽くそうというもの」
「もっともな話だ。こちらに否はない」
断るべき提案でもなければ、断れる提案でもない。できれば、その提案をこちらからして、敵に内部情報を与える機会を与えたくなかったが、後手に回った以上は仕方ないし、それ以上に双方の職場環境が大きく異なるのだから仕方がない。
昨日の戦の後始末をイライセンは一から十まで采配しなければならないのに比べ、ヅガートはそれらをクロックやランディールに丸投げして、次のことを思考を巡らすことができる。
さらに、その手元には、フレオールという、失っても戦力に影響しない、目端の効く者もいるのだ。
こちらから先に使者を送り、アーク・ルーン軍についての情報を得たかったイライセンだが、先手を打たれた以上は、フレオールの目になるべく多くが触れぬようにするしか手立てがない。
「用件は承った。正直に申せば、貴国の背信には腹立たしい思いを禁じ得ん。ゆえに、早々に立ち去ってもらいたい」
怒りを抑えた口調で言い放つが、それは半ば以上は演技であり、今のイライセンは敵の観察と洞察への危機感の方がずっと強い。
その点を無言の内に理解したフレオールは、軽く会釈して引き下がろうとしたが、
「閣下、そのような甘いことで黙認してよいものではないでしょう。せっかくの機会です。アーク・ルーンに正式な謝罪をさせるべきでございます。今、この場で」
竜騎士の一人が怒気をにじませた声で引き止め、思わずイライセンは舌打ちしかけた。
小柄な方で、顔立ちに若さと幼さが目につくフレオールは、外見的になめられ易い。その上、態度が恐縮とか萎縮とは無縁であるから、カンに障り易い。
が、来年にはライディアン竜騎士学園で学生ライフを臆することなく送るフレオールである。
五人の竜騎士に睨まれても、まるで怯える色を見せず、
「我が国に正式な謝罪を要求させるというのは、外交の話となるが、さて、戦場でそのようなものを求められても、困ることこの上ないな」
正論であろう。
一国に頭を下げろという話となれば、一司令官の権限を越えている。この場合、アーク・ルーン帝国の皇帝、実質的には大宰相にしか判断のできぬものである。
この場でそのような話を持ち出しても、ワイズの竜騎士の不見識をさらすだけのことにしかならない。
だが、一国と一個人の謝罪を混同している竜騎士らは、フレオールの指摘した点が理解できておらず、怒りで顔を真っ赤に染め、腰の剣に手を伸ばし、
「ひかえよ。アーク・ルーンの非をどう鳴らすかは、陛下が決めるべきこと。陛下の判断を仰がずに決めるとは何事かっ」
イライセンは竜騎士らを一喝して、恥の上塗りを避ける。
軍の者が何の権限もないまま、外交にクチバシを突っ込む。十五歳の若造でもわかる理屈を、理解していないのが味方であるのが、イライセンにとっては恥ずかしい限りだが、味方の質が低いからこそ、アーク・ルーン軍と渡り合うために、統制とフォローが不可欠であるのだ。
反論しようとする竜騎士らを、イライセンは睨みつけて抑えながら、
「戦場で多く語る必要はあるまい。また、憤る気持ちを丸腰の相手にぶつけていいものではない。我らの役目は、言葉ではなく、剣を以て、敵の頭を陛下に垂れさせるか、あるいはその御前に並べることである」
戦場と剣というワードを出されては、非武装の使者に斬りかかれるものではない。
顔は赤いままだが、怒りをこらえる竜騎士らの様子に、フレオールは苦笑をこらえながら、
「こちらも、これ以上の言葉はないゆえ、これで失礼させてもらいます。できれば、高名なアーシェア殿下にお会いしたかったのですが、不在では仕方ありません」
去り際のあいさつをしつつ、隠れているアーシェアを探すように視線を動かすと、五人の竜騎士の表情は、一様に赤みが薄れて戸惑いの色が生じる。
最後に余計な情報を手土産としてしまい、心中の苦い思いを表に出さぬように努めながら、イライセンは油断なく敵の司令官を見送った。
自分という人間を見抜かれたかも知れないという不安を押し隠したまま。