過去編8-2
「あれだけ注意しておいたというのに、あっさりと敵の策や罠に引っかかるとはっ」
クラングナから四騎の竜騎士と共に戻ってきたアーシェアは、一昨日と同じ天幕で叔父であるイライセンの前だけで怒りを爆発させていた。
イライセンの指示に従い、別動隊十五騎の内、十騎はここに残し、四騎を率いてクラングナの軍事基地への空襲を見事、成功させたアーシェアだが、その心中は満足とはほど遠い。
約二年前、軍務大臣との取り引きが成功し、ワイズ王国の軍組織を動かせるようになった国務大臣は、何人もの密偵を使って、アーク・ルーン帝国のクラングナ領にある軍事基地の位置を割り出しはしたが、その全容を暴いたわけではなかった。
ワイズ王国に限らず、七竜連合の諜報能力は低い。竜騎士の圧倒的な力を以てすれば、ちまちまと小細工をする必要がなかったからだ。だから、アーク・ルーン軍の小細工、軍事物資を分散して保管しているのに気づかないまま、少数の竜騎士による長駆しての空襲を、イライセンは姪に命じた。
そして、実際にクラングナの軍事基地を空襲したアーシェアは、そこにある物資が異様に少ないのに気づいたが、長々と当てもなく探せるわけもなく、敵軍の物資の一部を焼き払って引き下げてみれば、自軍は五百もの兵を失い、その十倍近い負傷者を出した上、決して多くない竜騎士が三騎も減っていたのだ。
だが、アーシェアが最も腹立たしさを覚えたのは、
「我らが退いたのは、敵の卑劣な罠にかかったからだ。真っ向から戦えば、二倍の敵とて真っ向から撃砕していたわ」
大敗しかけたクセに、そのような大言を吐くどころか、竜騎士たちは鼻息も荒く、雪辱の一戦を求める始末だ。
昨日の戦いについては、すでに聞き知っている。こちらの軍を釣り出して半包囲する手際、別動隊を用意して空となったこちらの陣地を制圧しようとする手口、アーク・ルーン軍の作戦と戦いぶりを知ると、アーシェアは慄然とせずにいられなかった。
叔父が流言で退却するタイミングを作り、兵の一部を伏せて別動隊に対処していなければ、自分たちは一敗地にまみれていただろうが、最強の竜騎士が最も瞠目したのは別動隊の敗走についてである。
背後から攻撃を受ければ、振り返って反撃しようとして、被害を大きくするものである。が、アーク・ルーンの場合、前へと逃げることで、窮地を最小限の被害で切り抜けている。
クラングナの基地の司令にしても、あるかどうかもわからない襲撃に備え、物資を分散して管理するなどという手間のかかることをした一事においても、尋常な人物ではない。アーシェアとしてはアーク・ルーン軍の強さの秘訣が強力な魔道兵器にあるのではなく、人材の豊富さにあると認めざる得ないというもの。
クラングナの基地司令や別動隊の指揮官のような人物がいれば、アーシェアとしてはすぐにでも副将に取り立てたい心境だが、現実問題として彼女の部下は、ドラゴンに跨がって突進するしか芸のない人間ばかりだ。
先の戦いはイライセンがいたから痛み分けですんだが、叔父の他に、頼みとする人物が自軍にいないことを、今更ながらアーシェアは痛感し、味方に対してグチをこぼす姪に対して、
「これはゲームではない以上、手元に良い手札がないからと言ってドロップできるものではない。思いの外、死者を出したのは痛いが、だからこそ味方に対する材料となる」
沈痛な表情のイライセンは、自分自身を言い聞かせるように、想定以上の被害を受け止めている。
アーク・ルーン軍の策を読み切っていたイライセンだったが、敵兵のレベルが予想を上回っていたため、思っていた以上の死傷者を出しはしたが、だからといってその基本方針は変えられるものでもない。
再度の出撃を望む竜騎士らに対しては、敵に勝つ策がなければ出撃を許可できない、という論法を用いているが、それよりも有効な材料となっているのが、タルタバの別動隊の存在であった。
「陣地を手薄にすれば、アーク・ルーン軍はそこを狙ってくる。敵の数はこちらの倍なのだ。正面の敵軍をいくら蹴散らそうが、陣地を奪われては何もならぬぞ」
実際に手薄にした陣地を狙われた以上、それに備えるのは当然の処置であり、イライセンの狙いどおりワイズの竜騎士らは出撃の際に陣地をどう守るかに頭にひねっている。
だが、それよりも重要なのは、竜騎士らがアーク・ルーン軍にしてやられ、ワイズ兵の安易な希望を失った点だ。
ワイズ兵はアーク・ルーン帝国の悪評を信じており、自分たちの背後にいる家族や故郷を守るため、死んでも退けない心情にある。
希望を失うことで死兵と化している彼らがいるからこそ、にわか造りの砦や陣地にアーク・ルーン軍は安易な攻撃を仕掛けて来ないのだ。
可能な限り犠牲を避けたいイライセンとしては、昨日の一戦は望んだものではないが、味方が一度、叩かれないと、味方を抑える材料が手に入らなかったのだから仕方ない。
アーク・ルーン帝国の偽りの和平を信じる者が多く、にわか造りの砦や陣地しか築けなかった以上、兵士たちに絶望的状況にあると信じさせ、必死に戦うよう仕向けねば、とてもアーク・ルーン軍に対抗できるものではなかった。
が、そうして対抗できる状態にある限りは、アーク・ルーン軍は軽々しく攻撃に出ないであろう。不合理な軍事行動を取らない点に置いては、イライセンは味方より敵を信頼していた。
「アーク・ルーン軍が理に従った動きをするのは明白だ。ならばこそ、消耗戦の愚かさを理解し、犠牲の大きな戦いには出るまい。死兵で待ち構える態勢をもう四、五十日と維持すれば、アーク・ルーン軍は一端、退く。初戦だけでのことにしても、こちらもこれ以上、兵を失わずにすむ」
元来、積極攻勢を好むアーシェアではあるが、アーク・ルーン軍の強さを痛感した今は、叔父の消極策を是とするしかない。というより、それしか対抗できる手立てがないのだから、選択の余地はなかった。
だから、ワイズ王国の第一王女は我を抑えて、
「叔父上の方策こそ最善のもの。それを理解できぬ味方が独断で動かぬよう、私も注意しておきましょう。しかし、我らをここまで苦しめる敵の指揮官とは、どのような男なのでしょうか?」
最後のセリフは単なる軽口のつもりだったのだろう。
もちろん、この直後、天幕に駆け込むように入って来たワイズ騎士が、大いに困惑した様子で、
「アーク・ルーン帝国の東方軍司令官などと称する子供が、我が陣地を訪ねてきましたが、どうしましょう?」
有り得ない報告を受け、イライセンとアーシェアは眉間にシワを寄せた。




