過去編8-1
双方、共に敵の用意した罠にかかり、双方、共に真正面から激突することなく後退し、決着を見るどころか戦いらしい戦いも起こらなかった、アーク・ルーン軍とワイズ軍の消化不良ぎみな二度目の戦いの翌日には、ヅガートらは前日の戦いの全容を把握していた。
ワイズ軍の損失は、おおよそ五百強と目される。その中には三名の竜騎士も含まれるが、逆に言えばあれだけ罠にはまっていながれ、竜騎士の九割は危地を脱したということになる。
クラングナの基地に関する流言による動揺によって、十字砲火による攻撃や魔法の網による束縛がゆるまねば、竜騎士の半数以上は仕留められていただろう。あるいは、あの絶望的な状況下で短くない時をしのぎ、混乱でできた隙に乗じて強引に切り抜けた、竜騎士の力はやはり侮れないと見るべきかも知れない。
もちろん、竜騎士の個々の戦闘力を軽視しておらずは、充分に対処法を練ってきたので、昨日の戦いで出たアーク・ルーン軍の戦死者三百弱の大半は、二千のワイズ兵に背後からの不意打ちを受けたタルタバの師団から出たものだ。
それゆえ、大天幕に集ったアーク・ルーン軍第十一軍団の主要メンバーにフレオールを加えた面々の中で、クロックとタルタバは自分の席ではなく、一同の前で青ざめた顔で頭を深く垂れていた。
昨日の戦の作戦を立て、指揮を採ったのはクロックであり、タルタバに別動隊として敵陣を突くように命じたのも、クロックの指示によるものだ。
厚顔な人物なら、クロックの作戦が悪かったと喚き立てるところだが、タルタバはそのような男ではない。クロックの指示に異を唱えずに従い、結果、敵の罠にかかって二百以上の兵を失った責任を痛感しており、言い訳めいたことはまったく口にせず、頭を垂れる姿からはいかなる処分も受け入れる覚悟がうかがえた。
それはクロックも同様であり、ランディールやフレオール、他の師団長たちも二人にとがめるどころか、同情するような視線を向けていた。
作戦はクロックの独断によるものではなく、この場の全員で話し合い、決めたものだ。ヅガートもクロックの作戦案を承認している。
それゆえ、昨日の戦の不首尾はクロック一人によるものとは言えず、全員に応分の責任がある。そもそも、作戦こそうまくいかなかったが、アーク・ルーン軍は敗北したわけではなく、損害においてはワイズ軍の方が上だ。
「ヅガート閣下は、昨日の戦をどう見ておられます?」
クロックが被告席におり、師団長たちは同格な立場である以上、ヅガートにそう切り出すのはランディールの役割である。
フレオールは自分の実質的な立場を理解し、発言をひかえるようにしているが、初陣の魔法戦士にとっては、歴戦の強者たちのやり取りを眺めるだけで、良い勉強となる。
常になく眉間にシワを寄せ、場の雰囲気を重くしている軍団長は、
「タルタバに何か、非があると思うか?」
「いえ、そうは思えません」
一人の師団長が言下に否定すると、他の師団長らもそれにうなずいて同意する。
ヅガートが無言で視線を向けて続きを促すと、
「こちらの策を読まれ、タルタバ殿は待ち伏せていた敵に、背後から襲われました。もし、この時、反転して敵を迎え討とうとすれば、振り返っている最中に猛攻を受け、五百や一千の兵を失っていたかも知れません。ですが、タルタバ殿は前進することで、被害を最小限としました。その判断は称賛しこそすれ、非難すべきものではありません」
背後から敵が迫る中、反転を試みれば、振り返っているところに攻撃を受けることになる。だから、タルタバは背後の敵の存在に気づくと、兵たちに全速前進を、つまりは後ろの敵からひたすら逃げるように命じた。
当然、まっすぐ前に進めばワイズ軍の陣地があるので、進退が極まる。だから、大きく回るように前進することで敵兵や敵陣が後ろになるよう部隊を方向転換して、背後の敵を振り切って味方の大部分を生き延びさせた。
敵に背後を突かれたという危機的状況を思えば、タルタバの判断は間違ったものではなく、二百の犠牲は仕方ないと考えるべきだろう。
「閣下、タルタバ殿は裏をかかれるような作戦の中、最善を尽くされました。昨日の責は全て、大任を任されながら甘い采配をした私にあります。この身をいかようにも罰していただいて構いませんゆえ、タルタバ殿や他の方々には寛大な処置をお願いします」
「と、クロックは言っているが、ランディールはどう思う?」
「先の一戦、たしかにうまくいかなかったですが、それは敵が一枚、上手だっただけのこと。それゆえ、今はクロック殿に頭を下げさせるよりも、頭を働かせてもらい、皆で敵の軍略を解明しておくべくと考えます」
非とも言えない非を鳴らして戦友の処罰を求めるような者はこの場には一人もおらず、全員が眉間にシワを寄せて思考を働かしていく。
「敵は竜騎士などという規格外の存在がいようとも、軍の大半を形成する騎士や兵士の練度は低い。おそらく、竜騎士の強さに頼るのが当たり前となり、兵の質の低下につながったのだろう。そのような兵はもちろん、あのようなにわか造りの砦や陣地は、元来、三日もあれば攻め落とせるのだが」
「だからこそ、兵を死兵に仕立て上げたとも言える。決死の覚悟を抱かせ、兵の質の悪さをごまかすだけではない。こちらが真っ向から攻められなくし、マトモにぶつかれないようにもした。これは敵がただ守りを固めてさえいれば、我々は何もできず、いずれ退くしかなくなったということを意味する」
「だが、ありがたいことに、竜騎士はバカが多いらしく、せっかくの守りを捨てて出てくれた。さらにありがたいことに、あんな単純な釣りだし戦法にかかり、こちらの包囲陣にはまってもくれた。だが、ありがたくないことに、敵には知恵者がいるらしく、あれだけの完璧な包囲陣を築きながら敵を取り逃がすことになってしまった」
「クラングナの基地を襲うとは、予想外だ。まったく、我が軍の陣地の方を襲ってくれれば、色々と出迎えの準備をしてあったのに」
「こちらの備えを見越した上で、クラングナの方を襲ったのなら、大した知恵者だ。だが、二つ解せない点がある」
「なぜ、実際にクラングナの基地を襲ったか、そしてその報で混乱したところを突くという戦法を取らなかったのか」
活発に議論を交わしてきた師団長たちだが、そこで彼らは思案に暮れるようになる。
アーク・ルーン軍にクラングナの基地の襲撃を伝えたのは、ワイズ兵の手によるものである。だから、本当に基地を襲撃せずとも、それがまったく虚報であってもアーク・ルーン軍を混乱させるだけではない。クラングナの基地を襲撃したアーシェアら竜騎士を、ヅガートらとの戦いに投入できる。
さらに師団長らにとって不可解なのは、自分たちを混乱させる手立てがあるにも関わらず、ワイズ軍がそこを突くという戦法を取らなかったことだ。
アーク・ルーン軍がどのような策を構えようが、流言による混乱が生じれば、その策を無効化できるだけではなく、そこにつけ入ることができると考える師団長たちが、重苦しい沈黙にしばし沈むと、硬い表情でクロックは口を開き、
「その疑問は当然のものですが、まず一つ目は魔法による通信手段を警戒してのことでしょう。あの時、実際に司令官閣下が基地とコンタクトを取ってくれましたが、敵方はこちらのリアクションというより、魔法でどこまでできるのかがわからず、安全策を取ったのでしょう。無論、うまくクラングナの基地を焼き払えれば、という思惑もあったでしょうが」
魔術師でなくとも、魔法の兵器や道具と日常的に接し、用いているこの場の面々と違い、イライセンは魔法に関する知識は浅い。正確にわからないがゆえ、クラングナの基地と連結を取られてもいいように手を打ったのだろう。当然、クロックが指摘したように、クラングナの基地というより、そこに集積された軍事物資をうまく焼き払えば、ヅガートら十万人の侵略者が戦線を維持できなくなるという狙いもあったのは明白である。
イライセンやアーシェアにとって運が悪かったのは、クラングナの軍事基地の司令は用心深い人物で、物資を分散して保管していたことが幸いし、竜騎士らが焼き払った物資が全体の一部に留まったことであった。
フレオールが再び基地司令と連絡を取り、詳しい報告は受けたところによれば、
「一部は焼かれはしましたが、物資は充分にありますので、補給に関しては安心してください。これよりは再度の襲撃に備え、より物資を巧妙に保管いたします。ただ、今後の物資の輸送においては、竜騎士の襲撃の危険がつきまといますれば、その警護に魔道戦艦を十隻ほど割いてもらえれば幸いです」
補給の重大さを理解するヅガートは、その要請に対して十五隻の魔道戦艦を物資の輸送に回した。
竜騎士、その中でも翼のあるドラゴンを駆る者らの機動力に有効なのは魔砲塔であり、それも固定式の魔砲塔よりも、自走できる魔道戦艦の魔砲塔の方がより竜騎士に対応し易い。
その第十一軍団に四十二隻しか配備されていない魔道戦艦を、十五隻も後方に回すのは痛いが、ヅガートはそれを仕方ないと判断した。
魔道戦艦が少なくとも戦いようはいくらでもあるが、補給が無ければ戦うことができないからだ。
「そして、思慮の深い敵は、流言による混乱ではこちらはすぐに立ち直ると判断し、実際にヅガート閣下が後衛にいたおかげもあり、我らを混乱から間を置かずに軍を立て直すことができました。もし、敵がその混乱を突いてきても、一時は押されはしようが、我が軍はそれに耐えて突き崩されず、敵と真っ向から戦い、互いに消耗戦となっていた公算が高いでしょう。我らはもちろん、敵も消耗戦を望んでおらず、だから敵は流言による混乱を撤退のためのきっかけに用いた」
消耗戦にもつれ込み、一、二万の兵を失えば、第十一軍団は作戦継続が不可能となる。一方で、ワイズ軍というより、ワイズ王国の国力からすれば、アーク・ルーン軍とマトモに戦って消耗戦となった場合、今後の国防に支障が出てしまう。
昨日の痛み分けの最大の責任者の弁に、打つ手のない現状を悟り出し、一同は苦い表情となる。
イライセンはアーク・ルーン帝国の強さも圧倒的な国力も理解しているだけではなく、味方の頼り無さも劣る国力も理解した上で、防衛策を立てている。昨日の戦いも、兵数や地力で勝るアーク・ルーン軍を策で勝り、痛み分けに持ち込んだ。
「もうわかっているが、初戦からオレたちは虚を突かれ、昨日もこちらの策は全て読まれ、危うくクラングナの基地やタルタバの兵が大打撃を受けるところだった。うまくしのげたのは、味方に恵まれていたからで、敵を上回れたからじゃない。生半可な策は裏をかかれる元だし、そもそも、敵はもう出戦することはないだろうから、こっちに打つ手がなくなったことを意味する」
「そ、それでは、我らはただ睨み合いに終始した末、疲れて退くしかないということですぞ、閣下」
「ああ、そうだ。だが、しょうがないだろうが。おそらく、イライセンとかいうクソ貴族がいる限り、敵陣の突破は無理だろう。オレたちに打つ手があると思うか?」
ヅガートですら有効な手立てが打てないと明言したのだ。師団長のみならず、クロックも重苦しく沈黙する中、
「ですが、手をこまねいていれば、何もできずに終わるだけです。今からでも援軍を頼み、変則タッグマッチを挑むべきではありませんか?」
ランディールの提案は、他の軍団を呼び、大兵力でカタをつけるというものではない。
この近くには第九、第十軍団がいる。そのどちらか、あるいは両方を呼び寄せる。
ワイズ軍がこのまま出撃してこねば、第十一軍団は打つ手もなく撤退するしかない。が、第十一軍団が引き上げると同時に、第九か第十軍団が到来すれば、ワイズ軍は新たな敵軍と対峙することになる。
各軍団のローテーションにより、ワイズ軍の滞陣を長引かせ、疲労の極みに達したところに攻勢をかけるという案は、
「敵が無為無策でいてくれたら、うまくいくだろうな。だが、時間をかけて敵を弱めるということは、相手に同盟国から援軍を引っ張ったり、どこか険しい土地に城塞を築く時を与えるってことだ。強引に策らしき策を立てても、そんなもんだ」
あっさりと却下され、ランディールは赤面して頭を垂れる。
「そもそも、オレたちの仕事は、一戦場でどううまく戦うか、だ。国全体をどうこうってのは、ネドイルなりドラゴン女がアレコレ考えているだろう。手強いクソ貴族がいるのを知っていたから、そこのクソガキの不愉快なツラがここにあるんだ。オレとしてはネドイルの嫌がらせで、せいぜいクソ貴族にも不愉快な思いをしてもらいたいもんだ」
表現や言い草はともかく、ネドイルやベルギアットが敵国の中枢部を乱す策を打っているのは、充分に有り得る話だ。ワイズ軍と対峙してから大した時日がすぎていないから表面化していないだけで、十日、二十日と経てば謀略の種が芽吹き、いずれワイズ王宮、いや、七竜連合の王侯貴族の心中に毒草が生い茂るだろう。
謀略で内を乱し、外から討つのはアーク・ルーンのお家芸である。逆に言えば、いつでも攻勢に出れる態勢を保持したまま、内が乱れる時まで待つのがヅガートらとこれからの基本方針となる。
いかにイライセンやアーシェアが優れていようが、背後や足元がおぼつかなくなれば、マトモに戦えるものではない。アーク・ルーンによって滅びた国には、幾人かの名臣、名将はいたが、彼らはアーク・ルーン軍と戦って名誉の戦死を遂げた者より、味方の手で不名誉な死に様を強いられた者の方がずっと多い。その筆頭は、反逆者と処断されたミベルティン帝国のエクスカンだろう。
つまりは、ネドイルやベルギアットの策謀によって、何人もの人間がマトモに戦えないどころか、マトモに負けることさえ許されなかったのだ。十年がかりの嫌がらせがうまくいけば、ヅガートの言う不愉快な思いや不幸など、イライセンやアーシェアは特盛ではきかぬ量を味わうことになるはずだ。
ランディールを含む一部の師団長、ミベルティン帝国での戦いを経験した、立派な敵ほど味方によって悲惨な末路をたどった実例を知る面々はあまり表情が冴えはしないが、目の前の敵軍を破る手立てがない以上、
「では、当面は睨み合いに終始し、敵方の変化を待つ。それでよろしいでしょうか?」
場をまとめるように、クロックが口にする消極的な結論しても、ランディールたちは異を唱えることはなかった。
ただ、軍団長が部下たちの忘れている足元に注意を払わせただけである。
「そいつはいいが、今日にでもガキにお使いさせておけ。明日にでも埋めておきたいからな」




