過去編6-1
「あのアーク・ルーンの練度、あやつらは何日も対峙していて、まったく気づかぬのかっ」
ワイズ王国の第一王女アーシェアが吐き捨てる家臣らに対する失望は、その大きさに比して声量は抑えられたものであった。
五万の軍勢と共にアーク・ルーン軍第十一軍団の侵攻を食い止めて六日となると、睨み合うだけの現状に業を煮やした竜騎士たちを中心に、ワイズ軍の中で一戦して敵を撃破すべしという気運が高まり、ついにイライセンもアーシェアもそれを抑えられなくなった。
これまで砦や陣地を守るワイズ軍五万の指揮はイライセンが執り、アーシェアは十五騎の竜騎士と共に森や山の中に潜み、別動隊として動いていた。
本隊はひたすら守りに徹し、別動隊は空襲によってアーク・ルーン軍に打撃を与え、疲弊させていく。が、この方策はアーク・ルーン軍の巧妙な対空装備の配置と、厳重な警戒体制の前に仕掛ける機会が見出だせず、アーシェアは敵軍の頭上を飛び回ることしかできなかった。
妹のウィルトニアほどでないにしても、アーシェアも血の気が多い方であり、積極攻勢を好む。当初は叔父であるイライセンの専守防衛に努め、アーク・ルーン軍の撤退を待つ消極策に不満であり、二倍の敵でもやり方しだいでいくらでも叩き潰せると考えていた。
が、それも初日の奇襲における速やかな対応に加え、敵陣の隙の無さを知り、何よりもアーク・ルーン軍が魔道兵器に頼るだけではない、将兵それ自体の質が高い精強な軍隊であると悟った今は、叔父の戦法と方針を全面的に是としている。
竜騎士の絶対性を盲信せず、アーク・ルーン軍の強さを冷静に分析し、現状では自分たちの力が及ばぬ点を理解すると、戦わずに勝つ方策に切り換える。端的に言えば、ドラゴンの力があれば絶対に勝つと思い込んでいないのが、最強の竜騎士がその他の竜騎士たちと根本的に違う点であり、彼女が将としても高い評価を得ている最たる理由であろう。
が、ワイズ王国の中で竜騎士の力を過信していないのはイライセンとアーシェアくらいもので、それ以外の者が竜騎士が先頭に立って戦えば二倍の敵くらい軽く撃破できると思っているのだから、たった二人では出撃を望む声をどうしようもない。
竜騎士らの強硬に出戦する声で、陣中が好戦的な雰囲気がはびこり出すと、
「一度、叩きのめされるのも必要か」
苦々しく思いながらも、イライセンはそう自分を強引に納得させ、毎晩、アーク・ルーン軍の陣地の上を飛び回り、竜騎士の力を以て嫌がらせを敢行していたアーシェアを本陣に呼び寄せた。
彼女にしても、魔道兵器への対策が立ってもいない状態で出撃するなど、家臣らの正気を疑いたくなる心境だ。
が、結局はアーシェアも家臣らの勢いをどうにもできなかった。正確には、憤然と無謀な出撃を止めさせようとしたのを、叔父のイライセンに止められたのだ。
かくして、ただ砦や陣地から打って出て、竜騎士を先頭に攻めるという、作戦とも言えない作戦が決まった夜、勝てない戦に勝てると信じ込んでいる家臣たちに聞こえぬよう、アーシェアが抑えた声で吐き捨てた激しい憤りを耳にするのは、同じ天幕にいる叔父だけだった。
イライセンとて味方に失望を覚えぬではなかったが、彼からすればそんなものは、この十年間、ずっと繰り返し味わってきたものだ。味方の無能や無理解を加味した上で、アーク・ルーン軍に対抗していくことなどこれが初めてのことではない。
「アーシェよ、不満を口にする前に、明日という日のことを考えねばならないのが、我々の立場だ。我らまで無為無策でいるということは、味方の敗北と死を黙認するということだぞ」
厳格な叔父にたしなめられては、アーシェアもグチをこぼせるものではないが、
「わかっております、叔父上。ですが、今の我らにアーク・ルーン軍を打ち破る手立てがあるとは思えません。そのようなことは叔父上もわかっておられるでしょう」
「当たり前だ。現状で勝つ方策などないが、重要なのはそこではない。例え一戦か二戦、勝てたところで、アーク・ルーンの国力はその程度では小揺るぎもせん。一度の敗北が大きく響く我らの側とは違う。肝要かのは、戦わぬこと、負けぬことだ」
叔父の言うことも方針もわからぬ姪ではないし、その正しさも理解できる。
敗北は論外としても、戦えば勝敗に関係なく両軍に損害が出る。兵や民の数、そして税収と国家資産で大きく劣るワイズ王国、引いては七竜連合は、消耗戦に引きずり込まれただけでも国を失うことになるだろう。
好戦的なアーシェアもそれを理解するからこそ、我を抑えて、守りに徹して戦いを避ける叔父の方針に賛同しているのだ。
だからこそ、目の前の敵しか、目の前の戦いしか見ない家臣たちに腹が立つのだが、叔父の言うとおり家臣たちに腹を立ててもいられない。
「が、こうして戦いを避けられぬ以上、我らは致命的な敗北だけは避けられるよう、知恵を絞られねばならない。そこで、アーシェよ、お主には明日、いや、今日から動いてもらわねばならない」
「何か妙案があるのですか?」
姪の問いに、イライセンは一枚の地図を広げ、
「今より、ここに急行せよ」
不充分な説明に、アーシェアはいぶかしげな顔となるが、すぐにその作戦がわかるがゆえ、納得しつつもいくつもの疑問が浮かぶ。
「叔父上、この襲撃がうまくいけば、勝敗に関わらず、アーク・ルーン軍は撤退を余儀なくされるでしょう。が、明日の戦いに意味を成さぬのでは?」
「こちらがそれを教えてやれば良い」
「なるほど。それならば、虚報を伝えることとし、私はこちらに留まった方が良いのでは?」
「魔法による通信手段があると聞く。それで確認する可能性を思えば、実際に襲っておいた方が、敵は追撃をひかえるだろう。何より、襲撃がうまくいくのが、我らにとっては最善の結果だ」
「たしかに。しかし、叔父上の策なら、アーク・ルーン軍が混乱を起こすのは必至。この機会に叩いておくべきでは?」
「叩けるなら、それに越したことはない。が、混乱は短いものだ。アーク・ルーン軍はすぐに混乱から立ち
直るだろう」
「たしかにそうですね」
初日の襲撃の際、アーク・ルーン軍の素早い対応を思い起こしながら、欲をかくのは禁物と、自らを言い聞かせるアーシェア。
「ところで、イリアを呼び寄せたそうですが、それも此度の策と何か関係が?」
「ない。が、あやつはアーク・ルーン軍を追い払った後にやってもらわねばならぬことがあるので、呼んだ」
「アーク・ルーン軍を追い払った後ですか?」
アーシェアでなくとも、気の早い話と思うだろう。何しろ、またアーク・ルーン軍と対峙して十日と経っていないのだ。順調にアーク・ルーン軍を防げたとしても、その撤退まで五十日かかるか、百日かかるか、わからない状態なのだ。
最悪、冬の直前までこのままの状態が続くかも知れないのだ。
だが、イライセンの方からすれば、悠長に構えていられるものではなく、
「アーク・ルーン軍は退いても、新たな作戦が立てば、すぐに攻め込んで来る。こんな奇策めいた防衛手段は一度きりしか通じない。今度こそアーク・ルーン軍に対抗できるだけの国防体制を確立せねばならんのだ。目の前のことだけに囚われていては、アーク・ルーン軍に対抗などできぬぞ」
「たしかに、そのとおりです。ですが、イリアはまだ学生です。初陣は学園を卒業させてからでも良いのではないですか?」
正直なところ、イリアッシュを呼んだところで、実戦の役に立つか、アーシェアには疑問である。
イリアッシュはたしかに優秀な学生ではあるし、ヘタな竜騎士よりは役に立つだろう。が、アーシェアからすればドングリの背比べでしかなく、わざわざ呼び寄せる必要があるようには思えないのだ。
叔父が娘を過大評価しているという姪の推測は甘く、
「無論、娘を実戦に投入しようなどとは思っておらん。イリアを戻すのは、こし入れのためだ」
「なっ、それは……」
「娘の行く末を心配してくれるのはありがたいが、これから長い戦いが続くことになる。その戦費はワイズ一国でまかなえるものではない。同盟国からの支援、それも膨大かつ速やかなそれがなくば、ワイズの国庫は一、二年で底をつくのは明白だ」
ゲオルグは盟主国バディンの三番目とはいえ王子、つまりバディン王家直系の血筋であり、その発言は決して軽く扱われるものではない。
いかな七竜連合が強固な同盟関係にあるとはいえ、イライセンの試算した戦費の額は同盟国への友好ですんなりと出るものではない。同盟国の国庫が閉じぬよう、ゲオルグをつっかえ棒とせねばならないのだ。
ワイズの国務大臣ともなれば、同盟国の王族と面識もあれば交流もある。当然、ゲオルグの性格も知っている。
悪い人間ではないが、思慮が浅く、何よりロマンチストで現実感覚に欠く。その気にさせれば、これほど操り易い者もいないので、美しい新妻をめとったゲオルグが有頂天になり、ワイズのためにバディンの税金を突っ込んでくれるのは目に見えている。
そして、バディン王国は第三王子の愛情と情熱を無視できず、盟主国として自国の負担が減るよう、シャーウ、ロペス、タスタル、フリカ、ゼラントに必死に金を出すよう働きかけるだろう。
「欲を言えば、ウィルトニアもどこかの王家に嫁いでもらいたいのだがな。フリカか、タスタルあたりに」
現在の七竜連合で未婚の十代の王子がいるのは、フリカ、タスタルの両国に限られる。バディン、シャーウ、ロペスにも未婚の王子はいるが、彼らは皆、十に満たないので、ウィルトニアとの年齢的な釣り合いにやや難がある。
フリカの方は十九、タスタルの方は十四で、しかも両人は共に長子である。もっとも、フリカの方は王太子であるが、タスタルの方は側室の産んだ庶長子であるので、王太子に立てられているのは弟の方だが。
無論、姉のアーシェアの方が順番的に先にすべきだが、その将才は今のワイズの国防に必要不可欠なものなので、他国に嫁いだり、家庭に入られてそれが失われてしまえば、イライセンの防衛構想が崩れてしまい、ワイズ王国を守ることができなくなってしまう。
アーク・ルーン帝国と相対していくために、アーシェアには独身でいてもらわねば困るのだ。一方で、ウィルトニアに政略結婚は防衛構想において必要不可欠な要素ではない。
正確には、ウィルトニアをヘタに政略結婚させようものなら、夫婦ゲンカの日が夫の命日になりかねず、引いては同盟国との関係悪化の要因になりかねないので、イライセンの計画も第二王女を活用しない方向で構築されている。
「叔父上。どうしてもというなら、妹には私が我慢するように強く言いましょうか? 正直、ワイズを守るため、叔父上やイリアを犠牲しているようで、気分がいいものではありませんので」
「言って聞かせるなど、無理な話だ。あのレイドが認めるほどの闘争心に、通じる言葉は無い」
妹もその乗竜たるレイドも良く知るアーシェアからすれば、叔父の見解に異を唱えることができなかった。
双剣の魔竜レイドは、ドラゴン族の中では特異であり、唯一の存在である。
ドラゴンが人間社会に関わるのは、野生のドラゴンが竜騎士見習いとの契約によって、主の側に棲むようになるからであり、主を失ったドラゴンは元の棲みかへと戻っていく。
が、レイドはまず武芸を学ぶために人間社会にやって来て、修練の最中、自らが認めた人間を主とする。昔、アーシェアが主と選ぶ理由を問うたところ、
「人の中には、たまに、修羅が棲むモノがある。それに気づくと、やたらと血が騒ぎ、魂が震える。それだけだ」
優れた武人であり、異様な闘争本能の妹を知るアーシェアには、そのマトモでない論理が何となく理解できた。
「アーシェよ。いずれアーク・ルーンの恐ろしさがわかるようになるだろう。私はアーク・ルーンが、いや、ネドイルが怖い。私が最善を尽くした程度で何とかなるか、疑問ではある。だが、ワイズの民を戦火より守るため、私はあらゆる手を尽くさねばおられん」
静かな口調で心情を語られ、アーシェアは叔父の決意に何も言えなくなる。
「だからこそ、常に全力であらねばならん。全てを尽くさねばならん。でなければ、明日の戦いを乗り切ることもおぼつくまい。何も惜しまず一戦一戦に尽くしていく。これより続く百や千の戦いを乗り切る手立ては、他にないのだ」