過去編5-1
アーク・ルーン再侵攻の凶報は、ワイズ王宮のみならず、七竜連合の他の六つの王宮にも伝わり、どこもてんやわんやの大騒ぎとなっていた。
そして、その騒乱がライディアン竜騎士学園でも起こっているのは、ロペス王の使者を務めたワイズの竜騎士が、その帰路に懐かしの母校に立ち寄ったからである。
無論、その竜騎士がライディアン竜騎士学園に赴いたのは私事ではなく、第二王女殿下に祖国の近況を伝えるためだ。正確には、ウィルトニアが勝手にワイズに戻らぬよう、言い聞かせるのが彼の受けた王命であった。
アーク・ルーン帝国の侵攻と背信は、いずれ七竜連合の国々の隅々へと伝わるだろう。それを耳にしたウィルトニアの反応など、彼女の気性を知る者なら想像に難くない。
実のところ、アーク・ルーン軍の再侵攻を聞き知った者の大部分は、これまでだまされていたことに憤りこそすれ、この時点では竜騎士を擁する自分たちが負けるなどと考えもしていなかった。
とはいえ、万が一のことを考えれば、ウィルトニアには学園に留まってもらった方が万全である。
何しろ、この自分のウィルトニアは感情的になり易く、いつ勝手に最前線に飛んで行ってもおかしくない性格をしていたのだ。その後、祖国と共に叔父や従姉、そして姉といった、いさめてくれる者がいなくなり、さらに父親が酒びたりとなっていくと、自らで自らを律する、しっかりとした性格となっていったが、ワイズ王国の健在な今、ワイズの第二王女は、
「姉上と共に、アーク・ルーンの二枚舌を引っこ抜いてくれる」
そう息まき、制服の内ポケットに休学届けを常に入れていた。
このような時、ウィルトニアの暴走を抑えるのはイリアッシュの役目だ。実際、学園に来たワイズの竜騎士は、まず国務大臣のご令嬢に協力を仰いでいたので、アーク・ルーンの背信にいきり立つ第二王女を、今のところは帰国させずにすんでいるが、問題はそのイリアッシュが休学届けを出して祖国へと戻る点であろう。
彼女の場合、父親であり家長であるイライセンから戻るように命じられた以上、それに従うより選択肢はない。だが、イリアッシュがいなくなれば、ウィルトニアを抑える役を、祖国の学友で任せられそうな者がいないので、生徒会室で別れのあいさつと共に、一人の同級生と二人の後輩、ティリエラン、クラウディア、ナターシャに、この場でふてくされる、好戦的で面倒な従妹のことを頼んでいた。
ちなみに、今年のライディアン竜騎士学園にはワイズの王女のみならず、シャーウの王女も入学しているが、彼女はこの場にいない。すでにウィルトニアとの仲は大いにこじれており、なるべく顔を合わさないようにするほど関係が悪化している。
王族同士のつき合いとなれば、個人的な感情など排して、国と国との関係を優先すべきであり、その点ではフォーリスとウィルトニアの態度はよろしいものではない。
イリアッシュとしては、二人を固い友情で結ばせるとまではいかなくとも、露骨に嫌い合う態度くらいは改めさせ、内心はともかく、表面的には形ばかりの笑顔で向き合うくらいには、と思っていたところでもある。
この点も放置すれば、従妹がシャーウの王女に拳を叩き込むか、バックドロップでもかましかねないので、学園から去るイリアッシュとしては、それもティリエランらに内々に頼んでおいた。
ウィルトニアもフォーリスも、年長の王女らが目を光らせれば、さすがにおとなしくするしかない。実際、こうしたイリアッシュの処置に、ウィルトニアは渋々ながら学園を自主休講して戦場に赴くのだけは思い留まっているが、
「しかし、叔父上は心配性だ。アーシェ姉様が陣頭にあるのに、自らも戦陣に在り、イリアまで呼ぶとは。どうせなら、ついでに私も呼んでくれたらいいのに」
従姉に加え、三人の先輩からも立場を考え、自重するように注意され続け、さすがに勝手に姉と乗竜を並べて戦うことを断念したウィルトニアだったが、それでもまだ未練がましさが見られるその発言に、イリアッシュ、ティリエラン、クラウディア、ナターシャの四人はとがめるように視線を向ける。
祖国からの凶報を耳にした時よりさっきまで、感情的になってどれだけ駄々をこねたか、少し落ち着いた今は、それが自覚できているので、バツの悪い表情を浮かべて、
「あくまで冗談ですが、ただ叔父上がアーク・ルーンを過大評価しているのでは、とは思っています。姉上がいるのに、イリアをわざわざ呼び寄せるというのは、私が正直に疑問を感じるところです。もちろん、叔父上のこと、万全を期しているだけかも知れませんが」
「アーク・ルーンの総兵力は二百万以上、国土、国力は我々の国の何倍もあるのです。決して侮って良い相手ではありません」
ウィルトニアをたしなめつつも、イリアッシュも父親の見解を聞いておらねば、従妹に近い心情にあっただろう。
十年前から父親が異常にアーク・ルーンを警戒する姿を見知っているゆえ、イリアッシュはアーク・ルーンを侮べきではないとは考えているが、さりとて物心ついた時より竜騎士の絶対性を信じる中で育ったため、ウィルトニアと同様、アーク・ルーンに負けるとまでは思い至ることはなかった。
竜騎士の不敗神話が崩れるのはワイズ王国が滅びた後である。今はウィルトニアのみならず、ティリエランたちにしても、七竜連合の各国首脳部も、竜騎士を擁する自分たちの敗北など想像もしていないのが実状だ。
「それだけの国でありながら、敵の数は十万であるなど、我がワイズを、そして竜騎士をなめるにもほどがある」
「十万はかなりの大軍ですよ。かつてワイズにそれだけの兵を以て攻め寄せたのは、アーク・ルーンだけです」
七竜連合の周辺諸国は、東のマヴァル帝国を除き、どの国も国力的には大差がない。
例えばイリアッシュの言うとおり、アーク・ルーンに攻められる前に、ワイズ王国に侵入した最大の敵軍は、クラングナの六万である。ロペス王国がマヴァル帝国に十万の兵で、一度だけ攻められたことがあるが、それとてロペスが単独で撃退している。
ワイズ王国の総兵力は約十五万。その数字だけ見れば、ヅガートの手勢を上回る。だが、一国が一つの戦場に全軍を集結させるのは事実上、不可能だ。
北東と南東のタスタル、フリカは同盟国だが、北のベネディア公国と南のウェブレム王国に対する備えは元より、国内の治安維持などにも兵馬を必要とするので、ワイズが一つの戦場に十万の兵を投入できるものではない。
「だが、かつて十万のマヴァル軍を、三万のロペス軍が正面から打ち砕いている。我が軍は五万、たかが二倍のアーク・ルーン軍など、姉上がひとひねりにしてくれようというもの」
ターナリィすら生まれる前、先々代のロペス王の時代に、十万のマヴァル軍を三万のロペス軍が撃退している。それはロペス軍が特に精強であるということではなく、竜騎士の力なら当然の結果ではあるが、
「ウィル、我が国に攻め込んでいるのは、マヴァル軍ではなくアーク・ルーン軍です。そして、マヴァル軍の保有していない魔道兵器によって、十年前、我が国の竜騎士らは痛手を被っているのです。ですが、何よりもアーク・ルーン帝国の恐るべき点は、マヴァル帝国よりも、いえ、我々、七竜連合の七ヵ国を合わせても、国力でまるで及ばないところです。今回の敵軍を撃退しても、アーク・ルーン帝国の国力ならば、すぐに新たな軍勢を送り込めるのでしょう。それも、二十万、三十万と増員することすら可能なはず」
侵略戦争というのは、かなりの軍費を必要とする。
ワイズくらいの国土、国力だと、五、六万の軍勢を送り出すのが精々、短期決戦が基本で、長期の軍事行動を支えられず、敵国の領土を得られず撃退されたならば、その年どころか、二、三年は国力の回復に努めねばならない。マヴァル帝国ですら、十万もの大軍がロペス軍に撃退された後、何年も対外戦争をひかえねばならなかった。
それだけに、百二十万もの兵馬を長期に渡って侵略戦争に従事させられるアーク・ルーン帝国の国力が巨大であり、
「イリア先輩、つまりマトモに戦い続ければ、先に国力の底をつくのは、我々の方ということですか?」
「はい。父からの受け売りですが」
むしろ、十九の小娘の言葉と推測でないことが、クラウディアのみならず、他の三人の王女の表情を深刻なものとした。
四人の王女もバカではない。一戦して勝てば何年もおとなしくなる周辺諸国と、世界最大の国家たるアーク・ルーン帝国を同一視していたあやまちに気づくと、目先の勝利にさしたる意味がないのを理解した。
軍隊というのは、何かと金がかかる。何しろ、数千、数万の人間が生産にまったく寄与せず、兵糧などの多量の物資を使い潰すだけなのだ。加えて、この世界の兵士は農夫などとの兼業兵士が多く、彼らが戦に動員されるほど、当然、働き手が減った農村や工場の生産力が落ちるのは言うまでもない。アーク・ルーン帝国とて、国内に配備している兵の一部は兼業兵士でまかなっている。
だが、遠征軍は全て専業兵士であり、その内の十万人と対峙するワイズ軍五万は、兼業兵士が三割以上を占める。
軍隊による支出と減収を思えば、アーク・ルーン軍と長期の戦争状態に入れば、勝敗に関わらずワイズの財政の悪化は確実であり、国力的に先に国庫が尽きるのはワイズであるのも確実である。
「ならば、それこそ、守っていては、じり貧となるだけではないか。敵が二度と攻めて来れないよう、徹底的に叩くべきだ!」
「敵の根拠地たる帝都ははるか遠くにあるのですよ。我々にそこまで遠征できると思うのですか?」
「それは……」
イリアッシュの反論に、ウィルトニアは言葉に詰まる。
魔法帝国アーク・ルーンの帝都は、大陸中央の西寄りにある。大陸東部の七竜連合からアーク・ルーンの帝都を目指すとなると、かなりの大遠征となってしまう。
もちろん、それは不可能としても、クラングナの軍事基地を叩くぐらいはできるだろう。ただ、それとてアーク・ルーンなら新たな軍事基地を建設するのが可能な以上、大して意味はない。
また、クラングナ領を制圧したとしても、戦場が西に移動するだけではない。自国に比べ、地の利に乏しく、補給の負担の大きい戦いとなる。
単純な防備の強化だけではなく、それを長期に渡って維持できる体制を確立し、アーク・ルーンが諦めるまで何年、何十年だろうが、粘り強く抗い続ける。それがワイズ王国、引いては七竜連合がアーク・ルーン帝国に侵略をしのぐ、唯一の方策なのだ。
考えていたよりも厳しい現実と戦況に、言葉を失っている四人の王女に対して、イリアッシュは父親より語り聞かされた厳しい予測を口にする。
「父が言うには、此度の戦いは、アーク・ルーンとの長い長い戦いの第一歩でしかないとのことです。一度や二度の戦いどころか、一年や二年ではすまないものとなるそうです。最悪、ネドイルの残る命数が尽きる時まで、我々に平穏な日々はないものと考えねばならないそうです。ですが、我々の国を守り抜くには、それに耐え切るより他にないとのこと。それをまっとうして、我々は全てを失うことを避けられるそうです」