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過去編3-1

 ワイズ軍の前後からの襲撃をしのいだアーク・ルーン軍が、少し戻って見晴らしのいい平原に布陣し、三日の時日がすぎた。


 布陣してから三日、アーク・ルーン軍はワイズ軍の砦や陣地に攻撃を加えることなく、それを調べることに専念した。


 当然、その間、ワイズ軍は砦や陣地の補強に勤しんでいるが、ヅガートはそれよりも敵の情報を集め、攻略への糸口を見出だすことに重きを置いた。


 そして、三日の間に集めた情報の元に今後の方針を決めるため、大きな天幕に主だった部下たちのみならず、ヅガートは渋々ながら、現場で唯一の上司たるフレオールも呼んでいた。


 先の襲撃でフレオールが軍の後衛を指揮・統率した結果、アーシェアたち竜騎士を大した被害もなく退けられたが、それよりもヅガートが重視したのは敵の力量だ。


 形だけとはいえ、命令権を持つフレオールをハブり、連携を怠れば、そこが軍の弱点になりかねない。初日はケガの巧妙ですんだが、初日の采配からして、こちらの欠陥に気づけば、そこを突くくらいの力量を敵将にヅガートは見て取った。


 それゆえ、フレオールの同席で、ただでさえ不機嫌なヅガートの表情は、


「目の前のワイズ軍の数はおよそ五万。統率するのは、国務大臣のイライセンと第一王女のアーシェアです。砦や陣地は急造ゆえ、脆い箇所はいくつものありますが、ワイズ兵には皆、決死の覚悟が見られます。ヘタに砦や陣地に突入すれば、狭い場所で死兵と際限ない殺し合いとなる恐れがあります。それと潜入させていた間者の内、五人ほどが見つかり、首を打たれました。その点にも配慮をお願いします」


 それらの情報によって、ますます不機嫌なものとなった。


 もっとも、景気の悪い顔は軍団長に限らず、司令官を含む幕僚一同も、気難しげに考え込んでいる。


 だが、ただ考え込んでいるばかりでは会議にならないので、


「やはり、ここは力攻めで一挙に突破を計るべきだ。いくら補強しようが、急造の砦、脆い部分を突けば突破できるのは明白。後は二倍の兵で圧倒できるではないか」


「あの砦や陣地が、十五万人が立ち回れる広さか。突破して踏み込めたとしても、全軍が突入できねば数の優位などないも同然よ」


「それだけではないぞ。こちらが突入した分、敵が退けば、数の圧力の分、こちらが有利となる。が、敵が死兵となり、退かねば、実質的に数の優位などないまま、血みどろの殺し合い、消耗戦となる。もちろん、数に勝るこちらが生き残るとしても、ここで半分といかずとも、兵を一万、二万と失えば、今後の作戦行動が継続できなくなるぞ」


 一人の師団長が声高に唱えた強攻策を、他の二人の師団長が言下に否定する。


 さらにクロックが口を開き、


「それ以前に、アーシェア率いる竜騎士たちが遊撃の位置にいるのを忘れないでください。我々が敵陣に攻め寄せたら、彼女たちはこの陣地か、我々の背後や頭上に襲いかかって来るでしょう。極論すれば、竜騎士たちが我々の頭上を飛び回るだけで、こちらはうかつに動けなくなります」


 その指摘が一同をさらに暗然とさせた。


 昔の魔術師なら出世できたアーク・ルーンと違い、軍人、山賊、商人、役人など、出自に関係なく能力を示せば、高い地位を得られるのが、今のアーク・ルーンだ。元傭兵のヅガートなど、その端的な例だろう。


 そのアーク・ルーンでこの場にいるのは師団長以上の地位にある者ばかりだ。だが、その優秀さゆえに、今の状況がどれだけ手詰まりかが理解でき、結果、全員が暗い顔となってしまうのだ。


「敵軍の中には、まだ十人くらいは間者が残っていよう。彼らを使って、内側を乱すことはできんか?」


 師団長の一人が言うとおり、偽り平和を装った十年間は伊達ではなく、敵兵の中に少なくない間者を紛れさせている。


 今より約一年後、スラックスの第五軍団がタスタル王国のカッシア城を落とした際にも、タスタル兵に化けた間者たちの流言が大きな役割を果たしている。


 一片の流言が一万の兵に勝ることもある。敵を内部からの情報操作で乱し、そこを討つのも、アーク・ルーンの得意とする戦法だが、


「残念ながら報告にあったとおり、間者たちがおかしな動きを見せた途端、イライセンの網に引っかかり、五人が斬首されたそうです。残った間者は正体がバレぬようにするのが精一杯で、今はとても間者を動かせる状況ではありません。無理に動かして、敵の手で間者が全て処分されては、長年に渡って間者を潜ませてきた成果が無駄になります。今はヘタな行動をひかえさせておかねば、後で必要な局面がきた際、敵を内から乱すことができなくなります」


 クロックの説明に、誰もが間者を活用できぬ現実を了解するしかなかった。


 敵の中に味方を紛れ込ませる。言うのはカンタンだが、それを実行するには年単位の草の根活動を必要とし、決してカンタンに間者たちは敵国に潜入しているわけない。


 それゆえ、決して多いわけではない、貴重な間者たちを減らす選択肢は愚かにすぎ、


「では、正攻法で攻める。あるいは、そう見せかけ、竜騎士たちを誘き出し、連中を討ち取る。しかる後に、改めて砦や陣地の攻略に着手するというのはどうであろうか?」


 師団長の中から出たこの提案は、他の師団長たちのみならず、フレオール、ランディール、クロックも目を見張るほど、良策のように思われた。


 飛行能力による高い機動性を有する竜騎士らは、実に厄介な存在である。こうして会議を開いている今、突如、空襲をかけてきてもおかしくないのだ。


 無論、現在の第十一軍団は、七竜連合、引いては竜騎士たちとの交戦を想定し、魔砲塔などの対空装備を充実させ、また自陣の見張りを通常の倍とし、空襲には充分に警戒させている。


 うまくアーシェアらを誘い出し、対空装備による集中砲火を加えれば、竜騎士らを全騎、撃墜するのも不可能ではない。そして、アーシェアら遊撃隊の討ち取れば、見張りの負担は大きく減るのが明白だ。


 一同は決断を求め、形式的な司令官ではなく、実質的な司令官に集中させる。


 部下たちのズレた考えに軽く肩をすくめつつ、


「あの女を仕留めると言うが、そうカンタンにいかんだろう。そもそも、竜騎士をどれだけ倒そうが、本隊をどうにかせんと、結局はここで足止めを食うだけだ」


 初日にフレオールの後、指揮を採ったヅガートだったが、竜騎士らを撃退はできたものの、一騎も撃墜することはできなかったのだ。

 王女の統率の元、竜騎士らは突出せず、互いに庇い合い、アーク・ルーン軍の反撃と砲撃をしのぎ、退却していった。


 その動きと統制から、アーシェアの並々ならぬ力量を感じ取ったヅガートからすれば、巧妙な罠を張っても、まず引っかかってくれないだろう。


「遊撃隊をまず仕留める。順序としては間違っていないが、それに手数と時を割いていては、元来の目的を果たせんぞ」


「では、閣下は、遊撃隊を無視し、先に敵陣を突破しろと言われるか?」


「それこそ論外だ。砦や陣地にこもっているのは死兵だろ。大臣やら王女やらをどうにかしようが、そいつらが気合いを入れている限り、仕掛けられんぞ。ミベルティンとかで戦ったことのあるヤツは、オレ以上にオレの言いたいことがわかるだろうがな」


 ヅガートの言葉に、ランディールと三人の師団長の顔が、この上なく苦味を帯びる。


 彼ら四人は、かつてはメドリオーやシュライナーの部下であり、今の上司よりは人間的にはるかに尊敬できる上司の元、ミベルティンで三万の死兵と激戦を繰り広げた経験を持つ。


 死兵とは、決死の覚悟、正に死に物狂いで立ち向かう兵である。人間、死ぬ気になれば何倍もの強さを発揮するから、相手にする側からすれば、これほど厄介なものはない。


 ベルギアットの謀略でミベルティン帝国の名将エクスカンが無実の罪で処刑された後、主将を欠いた城塞は以外にも、アーク・ルーン軍を前になお不落を保った。


 亡き主将の遺命に従い、エクスカンの部下や兵が城塞を死守したからだ。


 エクスカンを排除すれば攻略できると踏んでいた魔竜参謀にとって、それは予想外の事態であったが、さらにベルギアットの予想を上回る、呆れ果てた命令がミベルティンの皇帝より下された。


 出撃命令である。


 アーク・ルーン軍二十万に対して、ミベルティン軍は三万弱。堅固な城塞にこもっているからこそ、七倍近い敵軍を防げるのだ。その城塞より出れば、敵の圧倒的な数の前に敗れるだけである。


 当時のミベルティン帝国は極度の財政難で、皇帝は軍費の支出を抑えるため、早々にアーク・ルーン軍を何とかしろと命じたのだが、命じられた方からすれば、


「わずかな金を惜しんで、全てを失うつもりかっ!」


 そう憤慨することはなはだしいが、逆らえばエクスカンの二の舞になるのは明白である。


 命令に従っても逆らっても、死ぬより他ないと悟った三万人は、


「どうせ、死ぬなら、あの世でエクスカン将軍に見えた時、恥ずかしい思いをせぬ死に方をしてやろうぞ」


 正しく決死の覚悟で城塞より打って出て、アーク・ルーン軍に襲いかかった。


 無論、二十万対三万である。勝敗は見えている。ミベルティン軍は二万が討ち死に、残りの半分は辛うじて逃げ延び、もう半分は力尽きて捕らえられた。


 だが、魔道戦艦七隻を沈められ、魔甲獣四十六匹を倒され、約三千の兵が討たれたが、メドリオーとシュライナーをさらに憮然とさせたのは、捕らえた約五千の兵が降伏に応じず、一兵とて命乞いしなかった点だろう。


 その苛烈な死闘を体験しているランディールらでなくとも、死兵とマトモに戦うのがいかに愚かかわからない者はこの場にいない。


「竜騎士ら遊撃隊はしょせんは枝葉にすぎぬ。本隊をどうにかできれば、勝手に枯れ散るものだ。枝葉をいくら刈り取っても、本隊という幹が残っては何にもならんぞ」


 ランディールがその巨体にふさわしい声量で、そう論点を修正するが、そもそも死兵と化したワイズ軍の砦や陣地を攻略するのが困難であるからこそ、遊撃隊を先にしようとしたのだ。


「ならば、しばらく静観して、ワイズ軍の心理を計って見てはどうですかな? 決死の覚悟など、そう長く続くものではありますまい」


「それ以前に、ワイズ兵を死兵とさせている原因、これはどのような心理が働いた結果なのだ?」


 二人の師団長がそう考えるのも当然で、人間、中々に決死の覚悟などできるものではないし、そんな心理を長く維持するのも難しい。


 アーク・ルーン帝国が十年に渡り、ワイズ王国を筆頭に七竜連合をあざむき続けた。ワイズ侵攻の報が届けば、七竜連合の人間は怒るであろうが、それも上と下では温度差があろう。


 直にだまされた王族、貴族は顔を真っ赤にするだろうが、アーク・ルーンと直にやりとりのない庶民たちは怒るよりも、


「アーク・ルーンたら国とは仲良くやっていたのに、いつまの間に戦になったんだべ?」


 首をひねる者こそおれ、深刻な怒りを抱いている者はほとんどいないのだ。


 そして、兵士は庶民出身の者ばかりだ。竜騎士や騎士が怒り狂うならわかるが、兵士らが決死の覚悟を抱く理由が今一つ理解できない。


 その疑問を感じたランディールは、その点を詳しく調べておいたので、


「どうやらワイズ兵は、我らが征服した国の民を、魔法の実験に用いると思い込んでいるようだ」


「何ですか、それは! 一昔前ならいざ知らず、ネドイル閣下は民を魔術師の玩具とするがごとき悪習、これを全面的に廃止なされたのですよ!」


「クロック殿、落ち着かれよ」


 声を荒げる魔術師を、隣に座る師団長がたしなめる。


 この中で純粋に魔法帝国の出身なのは、フレオールとクロックだけである。そして、フレオールはネドイルが実権を握った後のアーク・ルーンしか知らないが、クロックは幼い頃、魔術師にあらねば人にあらずという、ネドイルが台頭する前の祖国の理不尽さを見知っている。


 魔術の発展というお題目を掲げさえすれば、魔術師が魔術師以外の人間をどう扱おうが許される社会というのが、クロックが子供の頃の祖国の実態であった。


 祖父母や両親、近所の大人から魔術師たちの酷い仕打ちを聞いて育ったクロックにとって、そんなアーク・ルーンを変革したネドイルは、おとぎ話の英雄を上回る存在であり、心の底から尊敬する大宰相と初めて会った時は、感動で全身が震えたほどだ。


 ネドイルによって変わった魔法帝国を否定され、いきり立つクロックにランディールはやや呆れた風に、


「昔の風評がこの地に流れ、それをワイズの民が信じたのだろう。それはまったくの誤解だが、我らがこうして攻め込んだ以上、我らがいくら抗弁しようが、ワイズの民の誤解を解きようがない。つまらは、彼らが自分の家族を魔術師の玩具にさせないため、命がけで戦うことをどうにもできんということだ」


「あるいは、ワイズの誰かが、味方を死兵に仕立てるため、オレたちの悪口を広めたのかも知れんな。何も、情報操作はオレたちの専売特許ってわけでもないしな」


 ヅガートが面白くなさそうにつぶやくと、一同は目をむくが、すぐにうなずきもしてワイズ軍の防衛策を理解もする。


「……なるほど、あのような急造の砦や陣地では、我らを防げぬのは明白だ。だから、兵を死んでも守ろうとするように仕向け、急造の陣地でも万全の防備を実現したか」


「急に攻め込んだ我々に、ワイズの民は深刻なものではないにしても、怒りや不信の念を抱かずにはいられない。そうした土壌に偽りの種をまき、味方をだまして絶望させることで、兵の危機感を高める。兵は死地に置いてこそ活きるという一節、これをここまで活用した実例を目にしたのは初めてです」


 ランディールとクロックは共に唸り、他の者も感嘆の息をもらすが、敵をほめてばかりでは戦いにならず、これからどうするかを一同はヅガートに視線を向け、無言で待つ。


 思いよらぬ厳しい戦況に緊張した面持ちの部下たちと異なり、ヅガートは無精髭をかきながら、

「今のところ、手の出しようがないな。当面は睨み合いだ。死兵とマトモにやり合えば、それこそ撤退せんといかんだけの被害が出る」


「ですが、時を置けば、敵の守りは固くなっていきますぞ」


 師団長の一人が消極策に異を唱えると、軍団長は面白くなさそうに応じた。


「どれだけ補強しようが、急造品は急造品だ。立地も守るに適した場所じゃない。連中が土木工事に勤しむのを、そう気にする必要はないな」


 第十一軍団の行く手に立ちふさがる砦や陣地は構造だけではなく、いくらか起伏のある程度の場所にあり、その立地はとても迎撃に適したものではない。


 アーク・ルーン軍の進軍路は想定できており、その途上の険しい場所にイライセンは城塞を築きたかったが、そのようなマネをすれば、敵が国内の親アーク・ルーン派を動かし、なんやかやと妨害してくるのは目に見えている。


 それゆえ、進軍のコースから外れた場所に資材を集め、増水した川で運ぶという変則的な手段を用いたが、その結果、得られたのは地の利に乏しい脆弱な防衛拠点だ。


 だから、ヅガートが眼前の建物より重視するのは、


「あんな出来損ないの砦など、うちの砲撃でカンタンに砕ける。本当に砕かねばならんのは、ワイズ兵の戦意だ」


「つまり、今は日を置き、決死の覚悟が鈍るのを待ってから、敵に仕掛けるというわけですか?」


「基本的にはそうだ」


 ランディールの言葉を、ヅガートはあいまいに肯定する。


「命を捨てる覚悟など、そう長く抱いていられるものではない。日が経てば、ワイズ兵というより、人の決意など鈍っていくものだと思いますが?」


「普通はそうだ。だが、連中のそれは自らの内より生じたというより、外からの働きかけによるものだ」


「まさか、イライセンがワイズ兵の心理をずっと維持し続けると?」


「そこのところが、ようわからん。だが、初日にオマエから聞いた速やかな引き際からして、もしかしたら、かなりの手腕の持ち主かも知れん」


「たしかに、見事な手際でした」


 初日の襲撃、正確にはその際の撤退の様子を思い出しながら、ランディールは苦い表情でうなずく。

 ワイズ軍の前後からの襲撃に、ヅガートが間一髪で事前に気づいたから、さしたる被害もなくすんだが、同時にワイズ軍もさしたる被害もなく引き上げている。


 特に、アーシェアは損害を出してはいないが、退くのがやや遅れたのに対して、ランディールが指示を出して隊列が整うと同時に、イライセンが撤退を命じたとなると、うまくいきかけた襲撃に固執せず、引き際を的確に判断したことになる。


「イライセンとかいうヤツは、しょせんはクソ貴族だ。今頃、どうせ、戦陣だってのに、何人も美女をはべらせ、いい酒をたらふく飲んで、いい物をたらふく食っているに決まっている。コンちくしょーっ!」


「いや、閣下。耳にした評判によると、イライセンという人物、清廉で高潔な立派なご仁だそうです」

 クロックは敵将を擁護するも、血走った目をワイズ軍のいる方に向ける将軍の耳には、明らかに副官の言葉が届いていない。


 七竜連合との戦端を開くまでに、アーク・ルーンは当然、その主だった者たちのことは一通り調べているが、ワイズ王国の国務大臣イライセンに関して、念入りな調査が行われた理由は二つ。


 反アーク・ルーン派の筆頭であり、絶えずアーク・ルーンの再侵攻に備えるよう、警鐘を鳴らし続けているゆえ。


 もう一つは、大宰相ネドイル自身が徹底調査を厳命して強い警戒を示し、最要注意人物と目されているゆえ。


 アーク・ルーンの再侵攻に際して、自らの望んで前線に赴いているが、イライセンが一軍を率いるのはこれが始めてであり、その軍事能力は未知数である。


 だが、国務大臣としてワイズの政務を統括してきた実績は大きく、何より民からの信望はワイズ王よりはるかに勝る。


 ある地域で病が流行れば薬を、別の所で不作となれば食料を手配し、また国内の貴族、役人、商人、地主に行きすぎた行いがないよう目を光らせてきた。


 ヅガートらの眼前にいる展開する五万のワイズ兵の中にも、イライセンの配った薬で家族を失わずにすんだ者もいれば、施してもらった食べ物で急場をしのげて助かった者もいる。


 もっとも、そうした者は五万人の中だけではなく、ワイズ国内にいくらでもいるが。


 二十年近く民を第一に考える姿勢で政務に取り組んでいたから土台があるからこそ、イライセンが口にするアーク・ルーンの悪評を、兵も民もあっさりと信じ、強い危機感や決死の覚悟を抱くのだ。


 言うならば、イライセンに対する絶対の信頼が、アーク・ルーン軍に二の足を踏ませていることになる。


「貴族なぞクソ野郎の集まりだから、オレみたいな人格者なぞいなくて当然だ。だが、ネドイルの野郎みたいに性格は悪くても能力だけはあるヤツはいてもおかしくない。で、それがイライセンとやらだったらシャレですまん」


 図々しい言いぐさのヅガートは二つの特権を有している。


 一つはネドイルに頭を下げなくて良く、もう一つはネドイルに敬称を用いなくて良いというものなので、自分の部下どころか、他の将軍らの前でも平然と大宰相を呼び捨てにしている。


 もちろん、ネドイルは全ての部下にタメ口を許しているわけではない。ヅガートが非常識な物言いを容認しても有り余るほど、将才に優れているからだ。


 そして、人間としてはクソ野郎でも、将軍としてはアーク・ルーンの中でも屈指の実力者であり、特に戦場での駆け引きと動物的な直感においては誰よりも秀でた男が、前面のワイズ軍にここまで強い警戒を示すのだ。


「ヅガート将軍。まさか、イライセンがネドイル閣下に匹敵するほどの傑物と言われるのですか?」


「そんなものはわからん。が、わからんからこそ、しばらくは見に徹しておくってのが、オレの考えだ」


 冗談めかしたランディールの確認を、即座に否定しないヅガートの反応に、この場にいる一同は生唾を飲み下す。


 よりにもよって、ネドイルを引き合いに出し、あいまいな態度なのである。しかも、それが、危険をかぎ分けるのに優れたヅガートのものとなれば、まったく冗談ですまなくなる。


 イライセンがネドイルに比肩し得るというたわ言が。


「正直、何かしらの確信やらがあるわけじゃない。ただ、オレは様子見に徹した方がいいと思うだけだ。無論、消極的なのは、オレも好きじゃない。オマエらに、何かイイ感じの策があれば、それを用いるが?」


 好戦的なヅガートがここまで警戒を示すのだ。ランディールらも軽々しい策を口にできるものではない。


 ランディールは同僚らを見渡し、自分を含めて積極策がないのを確認すると、


「これと言った方策がないようなので、当面は敵の出方を見るのが妥当でしょう。ただ、竜騎士らによる奇襲は気をつけるべきと存じます。対空装備の配置はよく考え、警戒は厳にすべきと思いますが?」


「それは当然だ。ただ、それに加えて、睨み合いで兵たちがダレんように気をつけておけ。もっと言うなら、いつでも臨戦体制に移れるようにしておけ。何日かしたら、敵が仕掛けて来る。その時に兵どもがふぬけていたら、打てる手が打てんようになる」


「敵が仕掛けて来ますか?」


 ワイズ軍はずっと防備の強化と土木工事に勤しんでいる。初日の奇襲も、アーク・ルーン軍に打撃を与えるよりも、アーシェアら遊撃隊の存在をアピールする、牽制の意味合いが強い。


 何より、ワイズ側は戦って勝たなくとも、負けないことに徹していれば、アーク・ルーン軍は撤退するしなかなく、それで充分な勝利なのだ。


 妙策があるか、あるいはアーク・ルーン軍に大きな隙があるならともかく、守りを第一とするべき守備側が、数で大きく劣るにも関わらず、打って出るなど論外だ。失敗すれば、侵略者に門を開くも同然となるのだから。


 軍事的な常識を踏まえ、納得いかない表情のランディールらに、


「音に聞こえし竜騎士なぞ、当たり前のこともわからん、バカばかりだ。ドラゴンの力を過信して、こちらに攻めて来るに決まっている」


 もし、ヅガートの揶揄するとおり、ワイズ軍が出撃してくれば、愚かとしか言いようがない。


 竜騎士はたしかに一騎当千の力を有し、これまで周辺諸国との戦いで、竜騎士が先頭に立ち、倍どころか、五倍や十倍の敵軍を打ち破った実績がある。


 だが、七竜連合の周りにある国々と魔法帝国アーク・ルーンでは、軍事力に大きな差がある。単純に魔道兵器を保有していないだけでも、他の国々はアーク・ルーン軍に対する不利を抱えているのだ。それゆえ、一昔前のアーク・ルーン軍も魔道兵器を前面に押し立てて勝利してきたが、今のアーク・ルーン軍はその時とは比べものにならない。


 ネドイルは魔道兵器をそれまでより有効的かつ効率的に運用することで、兵や魔道兵器の数で勝るアーク・ルーンの貴族たちを打ち倒し、内戦を征した。その方針はそれ以降のアーク・ルーン軍の基本となり、今より旧式な魔道兵器を駆使して、十年前、ネドイルの父ロストゥルはワイズの竜騎士たちを撃破してている。


 そして、先日、ヅガートらがアーシェアたち竜騎士を退けたられたのは、その頃より魔道兵器が進化したからだけではない。ロストゥルらが戦った経験を元に、この十年、より有効な竜騎士への対処法を考案し、それを繰り返し訓練してきたからこそ、長年に渡る努力の積み重ねという土台があったればこそ、先日の不意打ちにも見事に対応できたのだ。


 そうした今のアーク・ルーン軍に身を置くランディールたちからすれば、魔道兵器への対策がないまま、竜騎士たちが決戦を挑もうものなら、


「マジでバカ?」


 と呆れ返るしかない。


 だが、相手がドラゴンのような超生物に乗っていようが、その手のバカなら叩き潰す策を立てるのは難しくなく、


「しかし、敵が竜騎士を先頭に押し寄せてくるのがわかっていれば、対応は難しくありません。策略と呼べるものではありませんが、とりあえず一計を考えました」


「それでバカどもの相手は充分だが、敵にはバカじゃない奴もいる。その点だけは気をつけておけ」


 クロックの策を詳しく聞かずに採用するヅガートが、複雑な表情で注意と警戒を怠らぬように言う様は、自らに言い聞かせるようでもあった。


 この時点で、ランディールらはイライセンを怖れておらず、ヅガートの警戒を過剰反応のように思っていた。


 ヅガート自身、何となくイヤな予感がするだけで、確信のようなまったくなく、部下たちの不審をむしろ当然のものとして受け止めていた。


 だが、それが当たり前なのだ。十年前から変わることなく、ワイズの国務大臣を怖れ、警戒する、アーク・ルーンの大宰相の方がおかしいのだから。


 いかに正しくとも。



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