過去編-700-1
登場人物
七竜連合陣営
イライセン……ワイズ王国の国務大臣。
アーシェア……ワイズ王国の第一王女。最強の竜騎士。
イリアッシュ……竜騎士学園の生徒会会計で三年生。イライセンの娘。
ティリエラン……ロペス王国の王女。竜騎士学園の生徒会長で三年生。
クラウディア……盟主国バディンの王女。竜騎士学園の生徒会副会長で二年生。
ナターシャ……タスタル王国の王女。竜騎士学園の書記で二年生。
ウィルトニア……ワイズ王国の第二王女。竜騎士学園の書記で一年生。
魔法帝国アーク・ルーン陣営
フレオール……アーク・ルーン帝国の東方軍の司令官。
ヅガート……第十一軍団の軍団長。元傭兵。三十二歳。
クロック……ヅガートの副官。平民出身の魔術師。二十五歳。
ネドイル……アーク・ルーンの大宰相であり、実質的な支配者。フレオールの異母兄。
トイラック……内務大臣。元浮浪児。
「イリア、考え直せ。たしかに外交的にいくらかこじれたが、こちらの落ち度を謝せば、バディンも理解してくれよう。自分の一生に関わることだ。もっと、ちゃんと考えろ」
ライディアン竜騎士学園の制服をまとう、三年生の女子生徒は憤然した様子で、従妹である同じ服装の一年生に再考を強く求める。
騎竜戦が終わり、目の前に迫った長期連休に向け、教官や生徒らが帰郷の準備に手をつけているライディアン竜騎士学園で、ワイズ王国の第一王女アーシェアと、左手の薬指に意にそわぬ荷物をはめた、ワイズ王国の国務大臣の一人娘イリアッシュもその例外ではない。
帰国する教官や生徒らは荷物だけではなく、家族への土産を用意している者もいるが、その中でイリアッシュの土産はその父イライセンのみならず、ワイズ王やその重臣一同に大いに喜ばれるであろう。
アーシェアの同級生に、バディン王国の第三王子ゲオルクがいる。そのゲオルクがイリアッシュに一目惚れし、プロポーズしたのが事の発端であった。
ちなみに、従妹にちょっぴり劣るものの、かなりの美人であるアーシェアにも、ゲオルクは好意を抱いていたが、そんなもの、最初の実技訓練で手合わせした際、たっぷりとその実力と恐怖を叩き込まれ、とっくに吹き飛んでいる。
ともあれ、一国の王子の申し出であろうが、イリアッシュ個人がイエスもノーも口にできることではない。それゆえ、ゲオルクの件はその日の内に、手紙にしたためて、ワイズ王国にいる父親の判断をあおいでいる。
名家になればなるほど、結婚や恋愛は個人の問題でなくなる。その家の当主の決定が全てであり、当人の想いなど差し挟む余地はない。
イリアッシュの家はワイズ王国でも、代々、大臣や将軍の要職につき、王の妹が嫁ぐほどの名門中の名門である。そんな名家の一人娘となれば、普通は婿を迎えて家を存続させようと考えるものだ。あるいは、アーシェアの弟、ワイズ王国の王太子に嫁がせ、次代の王妃としようとも考えているかも知れず、父親の判断をあおがない内は返答できるものではないのだ。
王族であるゲオルクもその点は理解しており、申し込んだ婚約の返事を気長に待っていた。
娘の手紙を受け取ったイライセンは、まずワイズ王や同僚にゲオルクの申し出を伝える。家と家ではなく、国と国のつながりに関わることだから、この点は当然のことであろう。
次に、バディン王の元に前向きに善処するといった内容の書状を送ったのも、相手が相手なだけに軽々しい返事のできるものではないので、慎重に対応するための時間稼ぎをしておくのは間違った対応ではない。
が、そこからイライセンは百日に渡り、娘の将来についてあいまいな態度を取り続けた。バディン王もゲオルクも傲岸な人物ではないので、他に先約があるなり、家を跡絶えさせないためなり、理由があって丁重に断れば理解を示すだろう。が、ちゃんとした説明も事情もなく、イエスともノーともハッキリしない態度を取り続ければ、困惑もすれば、次第に不快なものを覚えるようにもなる。
見かねたワイズ王も義弟に対し、
「誠実さに欠く態度を改めねば、バディン王のみならず、バディン臣下一同を不快にさせ、我が国との関係にヒビが入ろう。すでに、外交面で良くない影響も出ている。外務大臣と不仲とはいえ、このような形で意趣返しするのは良くないぞ」
そうたしなめるのは、ワイズ王の下で、国務大臣と軍務、外務大臣が対立関係にあるからであり、そこには魔法帝国アーク・ルーンも絡んでいる。
イライセンは反アーク・ルーン派の代表であり、何年にも渡って、ずっとアーク・ルーンの再侵攻に対する警鐘を鳴らし続けている。
だが、アーク・ルーン帝国と和平が成立して、もう八年の月日が経っている。年々、イライセンの言葉に耳を傾ける者は減っており、今ではアーク・ルーン帝国への警戒心など、陽光に当たった薄氷のようにほとんど溶けてしまっている。
アーク・ルーン帝国がワイズ王国のみならず、七竜連合の主だった者に贈り物を欠かさないのも、友好関係を強める一因となっている。
イライセンの他、数人が高価なプレゼントをはねのけるだけで、七竜連合の王族一同が気にせずにアーク・ルーンの贈り物を受け取っているのだから、貴族たちがアーク・ルーンの「好意」に疑問を抱くはずもない。
それどころか、ワイズ王国における親アーク・ルーン派の代表である軍務大臣と外務大臣に至っては、
「イライセン卿の態度は、アーク・ルーンとの友好を壊しかねない危険なものです。ただちに国務大臣から更迭し、アーク・ルーンに我らの誠意と友好を示すべきでしょう」
古くからの友人でもある義弟ゆえ、ワイズ王はそうした意見を退けたが、アーク・ルーンとの良好な関係に一片の疑問を抱いてもいないので、心中ではイライセンをうとましく思ってもいる。
アーク・ルーンの、否、大宰相ネドイルの野心と危険性を唱え続ける父が、王宮でどんどん孤立していき、その主張が陰で笑われる姿を何年も見続けてきた娘は、
「アーシェ姉様、お心遣いは嬉しいですが、私がゲオルク殿下の元に嫁ぐからこそ、悪化させた外交関係が元に戻り、また軍務大臣閣下を黙認させられるのです。何より、父様はアーク・ルーンへの防備に着手できるのであれば、それは私ごときが国の役に立つということ。これに勝る喜びはありません」
ワイズ王国の西の守りは、八年前よりゆるくなっている。何しろ、国境を接するのが敵対国のクラングナではなく、友好国のアーク・ルーンなのだから、当然の国防政策であろう。
ネドイルが前回とは比べ物にならない軍備と準備を以て、再び攻め込んで来ることを確信するイライセンにとって、現在の西の国境の防衛体制と、それを強化できない現状は、正に卵を重ねるがごとき危うい状態と言うきべもの。
何年にも渡り、祖国のありように苦悩している父親の姿を見てきた娘からすれば、自分の身と引き換えに父がその苦しみから解放されるのであれば、ためらう理由などどこにもなかった。
「……叔父上の狙いはわからなくないが……」
イライセンのあいまいさで、バディンとの関係が悪くなれば、それで最も困るのは外務大臣である。そして、関係悪化の原因が国務大臣の国事ではなく私事である以上、ワイズ王も「娘をゲオルクと結婚させよ」と命令できず、せいぜい「バディン王に早く返事せよ」と促すことしかできない。
王が頼りにならず、部下たちから何とかして欲しいと言われ続けた外務大臣からすれば、イリアッシュが婚約指輪を受け取ってくれた現状は、しかしまだ安心できるものではない。
イリアッシュはまだ十六。今年、ライディアン竜騎士学園に入学したばかりだから、ゲオルクに嫁ぐには二年半は先となる。その間、父親の命で婚約指輪を床に叩きつければ、バディンとの外交関係が再び悪化する。
こうして親アーク・ルーン派の代表の一人を抑えてから、もう一人をイライセンは籠絡した。
一人娘のイリアッシュが他家に嫁げば、イライセンは跡継ぎを失うことになる。無論、それは養子をとれば解決する問題なので、軍務大臣の末子をイライセンは養子に望んだ。
基本的に家は長男が相続するものだ。だが、軍務大臣は可愛い末子に跡を継いで欲しかったが、強引にそんなマネをすれば、長男と争うことになる。だから、イライセンの養子縁組の話に軍務大臣は飛びついた。
家格、財産、領地で、軍務大臣は国務大臣に劣る。つまりは、可愛い末子に長男以上の家を相続させられるのだ。これでワイズ王国の反アーク・ルーン派と親アーク・ルーン派の対立問題が解決しただけではない。軍務大臣はイライセンの提唱する西の国境の防衛強化案にも応じるようになった。
ちなみに、これでイリアッシュに新たな弟ができた、というわけではない。養子の話は誓約書にしただけで、軍務大臣は実際に養子に出すのは末子が大きくなり、自己の判断を備えてからという名目で、なるべく最も可愛い我が子を手元に置いているからだ。
従妹ほどでないにしろ、叔父がアーク・ルーンを極度に危険視している姿を、アーシェアも幼い頃より見知っている。また、叔父が民と国を何よりも大事に考え、民と国を心から憂いる人物であるのも知っている。
だから、祖国のために全てを、それこそ可愛い己の娘すらなげうつ姿勢にも、自然と納得ができた。が、ワイズ屈指の大貴族であっても、王族ではないイライセンやイリアッシュにここまでされては、アーシェアとしては立つ瀬がないというもの。
何より、従妹が自分を犠牲にするかのような婚約には、とうてい納得できるものではなかった。
「イリア、やはり、思い直すべきだ、叔父上も含めて。私もあと半年で卒業し、国元に戻る。そうすれば、叔父上の国を想う気持ちに、いくらでも協力しよう。だから、イリアも自分の幸せを第一と考えてくれ。それこれ、叔父上がオマエに、本当に望んでいることだ」
叔父が娘を国のために人柱とするのは、民を守るためにはそうするしかないからだ。本当は、民に苦しんで欲しくないが、娘にも幸せになってもらいたいと考えているだろう。
その心中を察し、ワイズの第一王女は再三、再考を求めたが、イリアッシュは首を左右に振る。
「父が言うには、今から準備を始めねば、完全に手遅れとなるそうです。少なくとも、いざという時、兵は集められても、食料は手配できなくなる。アーシェ姉様、お気持ちはありがたいのですが、私の身勝手で民に害が及べば、父様がどれほど苦しむか。そのような父様の姿を見ることになれば、私は私を許せません。絶対に」
アーシェアも軍事に精通しているので、イリアッシュの、否、イライセンの準備の意味が良くわかるゆえ、もはや何も言うことができなくなる。
兵を集め、動かすのは難しいものではない。食料を集め、動かすのに比べれば。
アーク・ルーン軍が攻め込んできたとして、その進路に兵を集めるだけでは不充分だ。何万もの兵を食わせる食料があってこそ、軍は軍として機能し、長期戦などの選択の幅を確保できる。
もうすぐ収穫期が訪れる。一年の内で最も食料が市場に出回り、食料を買いつけ、備蓄しておくのに適した時期だ。半年も経てば、それが難しくなる。
充分な兵糧を用意せず、またそれを前線に送る手配を怠れば、どうなるか。慌てて食料を大量に買いつければ、市場に混乱と高騰を招き、それは民の家計と胃袋に打撃を与えるであろう。
また、兵糧を充分に用意しても、それを前線に送る手立てがなければ、前線の兵は食料を現地調達、手近な民から奪うことになる。
そのように民を苦しむ事態を避けるため、イライセンが収穫期の前に娘に婚約指輪をはめさせたとも言える。
それゆえ、イリアッシュは従姉にどれだけ気遣われようが、婚約指輪を外すことができない。外せば、民が苦しむこととなり、何よりその姿に父親が苦しむことになる。
そして、父親の苦しむ姿が、イリアッシュを苦しめることを知るからこそ、アーシェアは後に大いに苦しむこととなった。
なぜ、あの時、自分は中退してでも、叔父を助けに戻らなかったのか、と。




