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プロローグ6

「……お願いします! 誰か! 誰かあっ! 妹を助けてっ! 助けてくださいっ!」


 路上でぐったりした少女を抱える少年の、必死で悲痛な叫びに気づいたのは、そこを通過した後のことだった。


 背は高く、肩幅の広い、堂々たる体格。黄金色の頭髪と見事な口髭には艶があり、端整かつ重厚な顔立ちは、見る者に強い信頼感と頼りがいを覚えさせるだろう。


 まだ、三十に届いていないその男の名はイライセン。その若さでワイズ王国の国務大臣にある彼は、現在、魔法帝国アーク・ルーンの皇宮に向かう馬車に座していた。


 ワイズ王国の西にはクラングナという国があった。長年、敵対関係にあり、何度も攻め込んできた隣国も、今はない。


 長く非友好的な敵国の滅亡を、ワイズ王国は喜ぶ間もなく、クラングナを征したアーク・ルーン軍は余勢を駆り、イライセンの祖国に侵入してきた。


 アーク・ルーン軍の勢いは凄まじく、ワイズ王国は城をいくつも落とされ、二度に渡る戦いにも敗れたが、真に恐るべき点はそんなことではない。


 国の危機に際して、イライセンがたった二千の兵でクメル山に陣取ると、その動きを察知したアーク・ルーン軍は、速やかに撤退したどころか、和平を申し込んで全面的に謝罪する姿勢を見せた。


 ワイズ王国において、王都タランドに近いクメル山は、その地形から攻守と、何より交通の要である。クメル山を押さえれば、国土深く侵入されようが、敵軍は結局、王都の前で立ち往生することになる。


 だから、イライセンは独断で兵を動かした。しかし、祖国を最も良く知る国務大臣ならともかく、ワイズ王国に攻め入った側もクメル山の重要性に気づていた。


 そして、最終的に勝利し得ないと悟ると、それまでの連戦連勝を捨て、兵を退いただけではない。和平を結んで時を稼ぎ、ワイズ攻略の準備に入ろうとしている。


 クラングナを含むいくつもの国家を滅ぼしたアーク・ルーン帝国が、単に強力な魔道兵器を誇る程度の国でないのを知ったが、イライセンはアーク・ルーンの偽りの和平に反対しなかった。


 理由は二つ。


 一つは、敵が攻める準備をしている間に、こちらも国の守りを固めることができる点。クラングナくらいを防げる国防体制では不充分なのは明白だ。時を得ればこそ、今度こそアーク・ルーン軍にむざむざと国境を突破されぬ防備を築けるであろう。


 もう一つは、アーク・ルーン帝国というより、その実質的な支配者たるネドイルを知ること。


 連戦連勝から一転して、撤退と和平に出たアーク・ルーン帝国の行動を、イライセンとしては自分の深読みでないという確証をまず得なければならない。


 アーク・ルーンのような大帝国と戦い抜くとなれば、それはイバラの道よりも険しき道のりを歩むこととなろう。あやふやな心構えで踏破できる難路でないゆえ、イライセンはどんな険しい道のりであっても心が揺るがぬよう、強引に外務大臣の役目を譲らせ、敵国の総大将と会う機会を得て、ここにいる。


 もしかしたら、ネドイルはつまらぬやからかも知れぬ。そのような考えが頭の片隅に浮かべば、アーク・ルーン帝国に抗うという難路を進めるものではない。


 ワイズの民を守る最善の道を歩み抜くためにも、この大帝国を牛耳る人物を見極める必要があるのだ。


 もちろん、和平を申し込んできたとはいえ、それがワイズの要人を捕らえる策略である可能性もある。それゆえ、外務大臣はびびって職務放棄したのだが、イライセンはむしろだまし討ちして欲しいくらいだ。


 そのような謀殺を行えば、魔法帝国アーク・ルーンは対外的な信用を失う。容易くだまし討ちや謀殺に走るような人物であれば、ネドイルなどまったく恐れずにすむ。


 だが、イライセンの期待に反して、わずかな従者と共に敵国のど真ん中にワイズ王国の要人に対し、アーク・ルーン帝国のエスコートは完璧であり、早くも従者たちは侵略者の友好を信じ出している。


 確たる勝算のない戦争から手を引く際も、平和を偽るにしても、その徹底した姿勢に、ネドイルが想像以上に容易ならざる人物であるかも知れず、深く苦悩するイライセンは疾走する馬車の中であることもあり、路上に響く少年の助けを求める悲痛な声に気づくのが遅れた。


「今、子供が必死な声を上げていたが?」


「はっ。乞食の子供でしょう。妹が病とか、ほざいていましたな」


「それは哀れな」


 他国のことゆえ、余所事のように言う従者と異なり、イライセンは同情するような発言をする。


「野垂れ死にでもしたら、可哀想だ。引き返して、助けてやりなさい」


「なっ! いけません。そのようなことをすれば、ネドイルとの会見に遅れますぞ」


 非情だが従者の言の方が正しく、その立場を考えれば、馬車を引き返すどころか、止めていいものでもない。


「では、皇宮に着いた後、オマエはあの子の元に行き、金貨を何枚か渡してあげなさい」


「そこまでする必要がありますか?」


「私も人の親だ。子供が苦しんでいるのは見捨てられんよ。重ねて言うが、金貨を渡しに戻るのだぞ」


 不満そうな従者に厳しく言い渡すと、イライセンは視線と意識を通りすぎた場所から、馬車の進む先、ネドイルが待つ場所へと転じる。


 自分が通りすぎた場所、止まらなかった路上の一角に、大宰相ネドイルが馬車を停止させ、トイラックとサリッサという乞食の兄妹を拾っているのを知らぬまま。


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