竜殺し編24-6
「何だ、もうしまいか、こっちもそっちも」
目の前と水晶球の中でドラゴンらが倒れる姿を見ながら、手にする酒杯をチビリッと口にするヅガートはつまらなさそうにつぶやいた。
魔法帝国アーク・ルーンのステルスタイプの魔道戦艦から放たれたマジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』によって、現在、七竜連合で数多のドラゴンが暴走状態にある。
その中でも最多のドラゴンが暴れ回る、タスタル、フリカ、ワイズの境では、連合軍のみならず、アーク・ルーン軍第十一軍団もドラゴンに襲われていた。
マジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』はドラゴンを狂わせることはできるが、操れるわけではない。無秩序に暴れ出したドラゴンのほんの一部が、アーク・ルーン軍の陣地に押し寄せたが、その数は五十頭ばかりで、しかも個々が勝手に来襲するだけである。
土木工事に半年以上も勤しみ、アーク・ルーン軍の陣地は強固そのもの。おまけに、一万本にも及ぶ毒槍と五十台の射出機を用意しているので、アーク・ルーン兵は一万人以上がドラゴンに殺されている連合軍と異なり、一兵も失わず、陣地の前には毒槍が突き刺さった五十頭のドラゴンの骸が転がっていた。
言うなれば、事前にこの事態を想定し、万全の迎撃シフトを確立していたからこそ、ヅガートはこの異常事態に酒を飲み、
「やっぱ、セーブしながら飲むのはキツイな。かあ、何も考えずあおりてえ」
グチをこぼせるのである。
元傭兵という経歴を持つヅガートは今年で三十二歳だが、その髪と無精ヒゲは白い。それは老いによるものではなく、生来のものなので、白髪といっても艶や瑞々しさはある。
顔立ちは悪い方ではないが、何やら斜に構えた風貌は周りから言わせれば、その内面は斜めどころではないというほど、アーク・ルーン軍においては、サムと並ぶ問題児の双璧だ。
体格は中背よりやや高い程度で、それなりにがっしりとはしている。一人の戦士としては弱いわけではないが、スラックスの足元に及ばないレベルである。
が、用兵家としては卓越した手腕を有し、こと野戦においてはスラックスどころか、メドリオーも真っ向から戦うのを避けるだろう。去年、最強の竜騎士アーシェアは、野戦で苦杯をなめるどころか、頭から突っ込まれるほどの大敗を味わっている。
七竜連合の命運を決する『ドラゴンなんて大キライ』作戦の最中、酒を飲んではいるが、一応は責任感のカケラくらいはあるのか、酔っ払わないようにはしているものの、
「だったら、飲まないでください」
ヅガートの傍らで水晶球を操る魔術師は、マジメで分別くさいことを言いながら、ため息をつかずにいられなかった。
その黒髪で長身でまだ若い魔術師の名はクロック。第十一軍団の副官も務める彼は、かれこれ四年のつき合いになるので、上官の飲酒をたしなめつつも、言っても無駄なのも知っているので、結局はヅガートの酒杯が減っていくのを黙認する。
ヅガートの方も、クロックの注意を聞き流し、水晶球をのぞき込んで、
「しかし、相変わらず便利だねえ、マホウってやつは」
そこに映る連合軍がドラゴンの暴走に混乱する光景を眺めながら、また酒杯をチビリッと飲む。
遠見の水晶球。遠く離れた場所の光景を水晶球に映し出す、高度だが古くからあるマジック・アイテムである。
もっとも、その名称に反して、クロックが映し出しているのは、十キロほど先、連合軍の野営地の様子だ。
音声までは拾えないという欠点はあるものの、千数百頭のドラゴンが狂い、暴れる光景は圧巻の一語に尽きるというのに、
「しかし、こんだけすげえことができんのに、どうしてオレのムスコを治せんのかねえ」
「そんな魔法がないからですよ」
「ちっ、マホウも大したことねえなあ、やっぱり」
ドラゴンを暴走させ、二十数万の大軍に大打撃を与えている光景を見ているというのに、本当に役立たずと言わんばかりにこき下ろす。
上官の不当な評価を、努めて聞き流した副官は、
「しかし、敵は踏み留まっていますね。これは予想外ですよ」
頼みの綱であるドラゴンに、逆に自分たちの首を絞められているというのに、意外にも連合軍はパニックになって逃げ散ることなく、必死の反撃に出て、狂ったドラゴンを一匹、また一匹と仕留めていた。
「まあ、ドラゴンの全てが連中に牙をむいたわけではないからな」
酒杯の中身をわずかに減らすヅガートの指摘こそ、連合軍が奮戦する要因の最たるものだろう。
ドラゴンが暴れれば、連合軍は戦わずに四散する。そう予測していたアーク・ルーン軍だが、それに反して連合軍は、ドラゴンの大半と二、三万の兵を失うだろうが、この苦境を乗り越える展開が濃厚となってきた。
連合軍の野営地に限らないが、ドラゴンはドラゴン同士で固めて管理するのが、七竜連合のやり方だ。そこに『ドラゴン・スレイヤー』を撃ち込めば、まず手近な存在、狂ったドラゴンはドラゴンに対して牙を向ける。
加えて、アーク・ルーン軍の陣地に狂ったドラゴンのほんの一部が押し寄せたように、狂気を宿らされたドラゴンの行動パターンは大別して三つとなる。
手近な同胞を襲う。
手近な人間を襲う。
四方八方に散って、手頃な獲物を襲う。
単純な計算ゆえに正確さを欠くが、連合軍に襲いかかった狂いしドラゴンは全体の三分の一となる。そして、一千頭前後に対して、人間の数は二十八万を数える。
水晶球に映し出されている戦いぶりは、連合軍の弊害である統一性の悪さがいくらでも目につくが、そんな非効率的な戦いも、圧倒的な数が補っている。
何より、狂っていても生存本能は働くのか、人間の武器で手酷く傷ついたドラゴンが、明後日の方向に逃げ去るのに対して、死に物狂いになっている連合軍は、多少の犠牲にも怯む色がまったく見られない。
「閣下、出撃なされますか?」
連合軍はドラゴンらと死力を尽くして戦っている。その結果、ドラゴンを倒し、追い払った後の連合軍は、精も根も尽き果て、マトモに戦うどころか、立ち上がることもできないとクロックは見ており、そこを突くのが彼の献策である。
普通なら、クロックの作戦は間違ったものではないが、
「いや、今の連中はどう見ても普通じゃねえ。むしろ、向こうが攻め寄せてきたことを考えるべきだ」
ヅガートが懸念を抱くのは、連合軍の将兵の精神状態である。
普通ならば、陣中でいきなり三千頭以上のドラゴンが暴れ出せば、驚き、怯え、為す術もなく逃げ散ってしまうものだ。
あくまでドラゴンを狂わすマジカル・ウィルス『ドラゴン・スレイヤー』は、何度かの実験で人体には無効であることが実証されており、その影響を直に受けて連合軍が狂ったように戦ったわけではない。
親しく頼もしい隣人であるドラゴンたちの狂乱を目の当たりにして、連合軍の混乱は一種の飽和状態となり、このようなあり得ない反応を生み出したかも知れないが、重要なのは敵の心理の動きではなく、今の異常事態が生じた点だ。
言うなれば、今の連合軍は明らかにマトモではない以上、クロックの口にするマトモな戦法を用いるのは危険な賭けとなる。
「時が経てば、連中の狂熱も冷めるだろう。問題は連中の狂乱がこちらにも向けられたら、こっちにはどううまく負けるか、しかない点だな」
二十数万の兵に狂ったように突撃されれば、いかに強固な陣地でも持ちこたえられるものではない。
敵の狂熱を計算した上での罠を陣地に仕掛けようにも、今すぐ連合軍にまっすぐ来られたら、そんな時間はない以上、ヅガートは酒杯を置き、うまい敗走を思案しつつ、水晶球の中の光景を凝視し続ける。
幸いにも、狂乱の中、理性のカケラは残っていたらしく、連合軍の司令部は兵に警戒と休息、死者の埋葬、負傷者の手当てを命じつつ、善後策についての会議を始め、常識的な対応し、今すぐ動くという非常識な判断を見せず、ヅガートは安堵の息をもらして再び酒杯を取ってチビリッと飲む。
酒好きの上官に眉をしかめつつ、
「閣下。当面の危機は去り、当分、彼らは会議を踊らせるだけでしょうが、連合軍が弱体化したとはいえ、こうして残った以上、いずれ死に物狂いでこちらに向かって来るのではないのですか?」
「そりゃそうだ。二十万以上の食い物だ。補給などもう無理だろうから、早晩、連中は空きっ腹を抱えるだろうな。それで自分ん家でメシを食いに帰ればいいが、オレらのメシを横取りしようとするかも知れねえな」
「はい。我が軍の食料を手に入れるため、敵が遮二無二に攻めて来る可能性があります。犠牲をいとわず、死に物狂いに攻められた場合、防ぎ切るのは難しいのではありませんか?」
「無理だろうな。飢えて死ぬかどうかの瀬戸際だ、その時は。退けば飢え死が確実なら、ただ進むことを選ぶだろうよ」
「では、他の軍団の兵を借り、防備をさらに固めますか?」
「はあっ? っんな、必要はないだろ。空陣の計の準備をしとけ」
「ああ、なるほど。その手がありましたか」
酒杯の底をなめ始めた将軍の策に、クロックは大きく目を見開く。
「では、さっそく、手はずを整えてきます」
「ああ、ついでにおかわりも持ってきてくれ」
一礼して去る副官を、空になった酒杯とボトルを掲げながら見送るヅガート。
そして、その天幕で一人となった将軍は、ワインボトルを逆さにして、底に残っていた数滴を舌の上に落としつつ、
「まっ、最低でも十万人くらいは殺せるだろうから、ツケを払っても、当分は酒代に困らんだろう」




