竜殺し編24-1
その日のライディアン竜騎士学園が、時を追うごとに生徒たちのみならず、教官らも表情や態度の緊張の色が濃くなっていくのも当然だろう。
最前線では三千のドラゴンと共に進む連合軍が、ついにアーク・ルーン軍の陣地まで十キロほどの位置まで迫り、今頃は夜営して明日の決戦に備えて英気を養っていた。
ドラゴン族や竜騎士らは夜目が効くが、騎士や兵士はそうではない。また、アーク・ルーン軍が陣地にどんな罠を用意しているかわからない以上、視界が効く翌明朝に総攻撃をかける連合軍の予定は、王族や名門貴族が集う竜騎士学園にも伝わっている。
そうした状勢を踏まえて、学園は明日を特別休学日としているが、学園長の行った特例処置はそれだけではない。
例年なら昨日に行われたはずの騎竜戦を急遽、
「アーク・ルーンとの戦いがどのように推移するかわからず、状況によっては我々も参戦することになるかも知れません。そのような時に備え、負傷する危険の高い騎竜戦を延期とします」
という理由で延期処置を取ったが、本当の理由はウィルトニア、正確には双剣の魔竜がいなくなったからだ。
フレオールとイリアッシュに確実に勝てるレイドがいない状態で騎竜戦を行えば、争旗戦以上の恥ずべき結果になるのは明白だ。
モニカはともかく、ウィルトニアが去った混乱はまだいくらか見えるが、それ以上に学園中の意識はアーク・ルーンとの決戦に向けられている。が、最前線から遠い学園にも、彼らの敵はいるので、そちらに対して無関心でもなければ、野放しにもしていない。
現在の学園の周りには教官や生徒らの全てのドラゴンが集い、その一部が空間封鎖をしてベルギアットの能力の一つを封じている。さらにイリアッシュの乗竜ギガの周りには、六人に減った七竜姫の乗竜六頭を配置している。
アーク・ルーンとの戦いがどうなろうと、フレオールらの身柄を押さえておくに越したことはなく、あからさまな警戒行動は屋外に留まらず、生徒の約半数が交渉材料らの見張りつき、もう半数は早めに寝て夜中の見張りに備えている。
当然、七竜姫の六人も二立てに別れ、クラウディア、フォーリス、シィルエールは自室で必死に寝ようとしている一方、ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナは、見張り易いようフレオール、イリアッシュ、ベルギアットを談話室へと誘い、会話を探って引き止めようとしていた。
談話室にいるのは六人、正確には五人と一頭だが、談話室の周りではロペス、タスタル、ゼラントの教官や生徒らがひしめき合うように待機しており、危急の際に姫君の元に駆けつけられるようにしている。
「しかし、何でこんな回りくどいマネをするかね。とっととオレたちをふん縛ればいいものを」
たった二人と一頭に対する厳戒体制に、フレオールが苦笑を浮かべる。
「それは無理だよ。いや、君はともかく、イリアッシュやベルギアットは鎖でつないでも意味がないからね」
竜騎士やその見習いは、乗竜の能力を用いれば、縄や鎖を引きちぎるなどわけない。イリアッシュを束縛しようとするなら、ギガを殺しさえすればカンタンな話だが、いかに敵とはいえ、ドラゴンを殺すのに竜騎士は心理的な抵抗を覚えずにいられないのだ。
当然、ベルギアット、ドラゴンを鎖でつなぐのもいかに無理な話か、竜騎士らは熟知している。
「けど、あっさりと部屋から出てきてくれたね。正直、そちらは部屋に立てこもるかと思ったや」
フレオールらを談話室に誘ったのはミリアーナである。直に相手を見れない室内では、フレオールらの挙動を完全につかめないし、また、いざという時、どれだけ数がいようと、相手が狭い場所に陣取っていれば、その優位を活かし難くなる。
談話室もそう広いわけではないが、学生寮の相部屋よりはずっと広い。何よりも、部屋のように窓以外はドア一つしか出入口がない場所より、オープンスペースの談話室の方が、少数のフレオールらが不利となる。
「そうか? 外にあれだけドラゴンがいる時点で、こちらは身柄を拘束されているも同然だぞ」
魔戦姫らがいた時も、ドラゴンらが闊歩する外には出られなかったのである。
ティリエランらはあの時の教訓を活かした戦い方をするだろうし、何よりもこの場にはリナルティエとマルガレッタはいない。よほどのことがない限り、この数の差をくつがえせるものではない。
「ともあれ、実質的に哀れな虜囚の身としては、そちらが辛い立場にあるタスタルやフリカの兵士らのこと、忘れずにいてくれることを切に願うよ」
フレオールの言葉に、ティリエランと、何よりナターシャの美しい顔が引きつる。
計三万人以上のタスタル兵とフリカ兵が捕虜となっている状況は相変わらずである。フレオールらを実質的に捕虜としているとしても、アーク・ルーン側に囚われているタスタル兵やフリカ兵の身を案じれば、フレオールらの身も軽々しく害するわけにはいかない。
もっとも、あまりにも多い捕虜は、必ずしもマイナス要素であるだけではない。うまく密偵を用い、彼らを解放すれば、アーク・ルーン軍は背後に三万人以上の敵を受けることになり、七竜連合はそうした工作を進めている。
「それなのに、余裕なんだよね」
この状況にまったく動じないフレオールに、ミリアーナは内心でそんな不審の念を抱く。
当人の性格もあるだろう。三千頭のドラゴンに対する万全の策があり、連合軍の兵数に対して、アーク・ルーン軍のそれは倍近い。密偵の数も質もアーク・ルーンの方が上であり、七竜連合の工作を防ぐ自信を持っていても不思議ではない。
そう考えても、ゼラントの王女は自分の考察に違和感を覚え、何よりもイヤな予感がしてならなかったので、
「明日には答えが出るけど、やっぱりはフレオールはボクたちが負けると思っている?」
「ああ、明日に答え、なんて寝ぼけたことを言っているようじゃあ、本当に話にならん。そして、自分たちが勝つってまだ思っているってのが、あまりに何もわかってなくて、哀れにさえ思う」
「つまり、アーク・ルーンは夜襲をかけるつもりなんだ」
明日ではなく、今夜の話となれば、アーク・ルーンが夜襲をかけるのは、自明の理であり、途端、ティリエランとナターシャは最前線に早急な連絡をするべく、慌てて立ち上がろうとする。
「間に合いませんよ」
ミリアーナの指摘に、ティリエランとナターシャは腰を浮かせたまま固まる。
アーク・ルーンのように魔法による通信手段がない以上、最前線の味方に今夜の夜襲を知らせる手立てはない。今からエア・ドラゴンが飛ばせても、連合軍の元に到着するのは、早くて明日の昼くらいとなる。
「それに、警告しなければ、夜襲に警戒しないようでは、我らに勝ち目はありませんよ」
このミリアーナの指摘も、当たり前のことである。
どれだけ大兵力、大戦力を揃えようが、司令部が夜襲も警戒しないような運用をしているようでは、どのみちアーク・ルーン軍に勝てないという点を、
「たぶん、夜襲くらい警戒しているだろうが、それでもどうにもならんだろう。それほどに、ネドイルの大兄らが何年もかけてきた秘策は、万全の一手だからな」
どれだけうまく連合軍を運用しようが負けると、フレオールが聞き捨てならない訂正をする。
「どうゆうことですか?」
ナターシャと共に腰を下ろしながら、ティリエランが問う。
が、フレオールは苦笑するしかなく、
「問われて、軽々しくしゃべれるわけないだろうが。ネドイルの大兄らが今日という時のため、何年もかけてきた努力と悪知恵の結晶だ。それに、オレの口を割らせるとしても、もう遅い。七竜連合が生き地獄に変わること、もう避けようも止めようもない。オレが言えることは、もうすぐ王宮に戻るだろうから、その時はとっとと家族、いや、親類一同と逃げることだ。もし、うちに降伏してきたら、生き地獄のフルコースを完食せんといかんぞ。生きていくために、な」
これだけ言っても、お姫様たちは未来の地獄絵図を理解したように見えないので、フレオールは深々と失望のため息をつく。
そんなフレオールの反応のみならず、これまでのいくつかのやり取りを思い起こしたミリアーナは、小首を傾げつつ、
「フレオール、君って何だかんだ、アドバイスというより、ボクたちに注意してくれるよね。アーク・ルーンの害にならない範囲だけど」
目前に迫る七竜連合の破滅については、完全にお口にチャックをしているが、軍事機密に抵触しない点においては、フレオールは貴重な情報源となっている。
「でも、ボクの印象だけど、アーク・ルーンの害にならないからと言って、何かしゃべりすぎな気がする。何より、その内容が、うちの国は凄い、ボクたちのここはダメって感じなのが多い。敵の言葉だから、いや、ボクたちは何を言われても、ドラゴン族の力があれば勝てると考えているから、聞き流す形になってきた。けど、今はもう降伏ではなく、逃げることを勧めている。つまり、君は最初の、あの入学式に言った、勝ち目がないから降伏しろってことを促し続けてきたわけ?」
「最初からそう言ってきたつもりだがな。正直な話、後ろめたくはあるんだよ。何しろ、これからこの地で描かれる地獄絵図の作者は、ネドイルの大兄だからな。身内として、大兄が人様の迷惑になっている点は、まあ、心苦しくはあるんだ」
「そのようにわたくしたちを心配してくれる偽善に、心から礼を述べるべきでしょうか?」
ある意味で、滅びたワイズよりも酷い状況になっているタスタルの王女からすれば、この程度の皮肉、心中の怒りを九割以上は抑えた代物だろう。
「いや、偽善なんて、上等なもんじゃないよ。大兄の間違いなど論じるまでもない。が、それを止める言葉も止める力もないから、身内の不始末が多少でもマシなものになるよう、偽善以下の言葉を吐いているだけだ。情けない話だが、オレの力量でできるのは、この辺りが限度なんでな」
「身内の不始末と軽く言いますが、そのためにどれだけの血が流れたかわかっているのですか?」
ティリエランの当然だが無益な非難に、
「そう言われようが、どう言われようが、ネドイルの大兄を何とかしようとしたところで、単にオレの死体がプラスアルファされるだけの話にしかならんよ。大兄は元より、トイ兄、ヴァン兄、メドリオー将軍、スラックス将軍などなど、オレなどが及びもつかん人材が揃っているんだ。首をすくめて生きてないと、首を失うだけだからな。オレのお兄ちゃんが恐くて逆らえない姿、笑ってくれてもいいぞ。むしろ、あんたらに笑うだけの余裕があってくれた方がどんだけいいか。まあ、無理だろうな、もう」
思わずといった風に、戦いを前に武人の性が騒ぎ、こらえ切れぬ笑みが、不意に口の端に浮かんだのを不審に感じ、フレオールに釣られる形で、ティリエラン、ナターシャ、ミリアーナは窓の方に視線を向けると、数瞬だが、夜闇の中、その不自然な光に気づく。
「……っ! イリアッ! 何をしているんです!」
叫ぶティリエランのみならず、二人の王女の視線が、光が消えて自然な夜闇に戻った窓越しの景色からイリアッシュに転じられたのは、その乗竜ギガが飛び立とうとしているからだ。
無論、鈍重なギガント・ドラゴンを捕らえるのは、無理な話というもの。
六人の七竜姫の乗竜らは、突如、周りにいるドラゴンたちに襲われているからだ。
竜騎士やその見習いは乗竜と感覚を共有できる。だから、ティリエランらやイリアッシュは、学園の外の様子、ドラゴンたちがいきなり襲いかかってきたこと、正確には大半のドラゴンがいきなり無秩序に暴れ出したこと、そしてギガがその場からいち早く逃げ出していることに気づいたのだ。
「……何が起こっているんですかっ!」
「と、とにかく、みんなを起こした方がいい」
ナターシャの疑問を考えるより先に、異常事態が起きている以上、ミリアーナの言うとおり、夜中の見張りに備えて寝ている面々を起こすべきだろう。
二人と一頭以外が慌てふためく中であったが、ゼラントの王女の指示を実行すべく、談話室とその周りにいた者たちが、訳のわからぬまま休んでいる学友の部屋に向かおうとした矢先、
「……地震っ!」
ティリエランが叫ぶとおり、学生寮全体が激しく揺れ出す。
そして、談話室の人の背丈より高い書棚が、近くにいた女子生徒へと倒れる。
「……ハアアアッ……?」
その女子生徒は両手を突き出したので、ドラゴニック・オーラが発現すれば、その細腕で書棚を受け止められただろう。
が、乗竜と契約した日から当たり前の力が具現化せず、女子生徒は大いに戸惑ったまま、大きな書棚に押し潰された。
倒れた際、飛び出して床に散らばった本の数冊を、書棚の下から流れ出す血で染まるの光景に、ロペス、タスタル、ゼラントの竜騎士とその見習いは愕然となってただ立ち尽くした。