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竜殺し編19-2

 魔法帝国アーク・ルーンのほぼ中央にある皇宮の南には、けっこうな広さの空き地がある。


 二十年ほど前、皇宮の大規模な増築計画があり、皇宮の南側の区画を強制執行で立ち退かせて更地にし、絢爛豪華な宮殿を建て増ししようとした矢先、ネドイルの台頭によって工事が頓挫したのだ。


 皇宮を増築するために増税が予定されていたので、工事の中止そのものは民に歓迎されたが、場所が場所ゆえに整地してあっても見栄えがよろしくない。


 無論、この空き地を再利用については何度も検討されてきたが、なぜかネドイルが政権を握ってから多数の皇族、貴族が死に、それに伴って多くの空き家が出た。そうした空き家の処理が優先され、この空き地の件は後回しになっているという一面もある。何しろ、四年前の内乱鎮圧の際、またけっこうな数の空き家ができたので、いつまでも本腰を入れて再利用できないのだ。


 この点からしても、雄大なアーク・ルーンの皇宮は、例えばワイズの王宮の十倍ほどの規模があるとはいえ、ネドイルの台頭以降、領土が十倍近く広がったにも関わらず、皇宮の拡張工事には着手されてこなかったことを意味する。


 もちろん、領土の拡大に伴い、行政機能や統帥機能には新たな部署が設立され、人員も大幅に増えている。ただ、ネドイルは皇宮内部の使用割合を変えることにより、建物自体を増築せずに対処してきたのだ。


 結果、現在のアーク・ルーンの皇宮は、その一割を皇族が、もう一割を貴族たちが用いており、残りの約八割をネドイルを筆頭に、諸大臣、諸将とその部下たちが闊歩する状態にある。


 当然、この部屋割りに皇族や貴族が文句を言えば、新たな空き部屋ができるのは言うまでもない。


 ただ、その夜、皇宮の一室に初めて転移したウィルトニアとマードックら四人は、皇族や貴族が皇宮の端に追いやられている事情などまるで知らない。フレオールの生み出した魔法の灯りに照らし出される、重厚で年季の入った建物の中を、ベルギアットの後に続いて歩むのみである。


 時刻が時刻ゆえ、一同は静まり返っている廊下を誰にも会うことなく進む。


 が、短い距離を歩き、目的の場所、大宰相の執務室の近くに来た時には、


「おや、ベルギアット様。いかがなされましたか?」


 そう老いたかん高い声を発する小柄な執事が、伸ばした髪を結い上げ、ヒゲが生えておらず、顔のしわがやたらと多いのは、スラックスと同じ国の出身であり、同じ宦官であるからである。


 アーク・ルーン帝国に宦官の制度はないが、スラックスが祖国と職場を失った同胞の再就職を支援した結果、何十人かの宦官がこの皇宮で働いており、ベルギアットらの前にいるサクロスもその一人である。


「あの人、いえ、ネドイル閣下に用があるのですが、閣下は執務室ですか?」


「はい、左様でございますが、何日も前から寝込んでございます」


「それなら問題ないですね」


 確認を取ったベルギアットは再び歩き出し、サクロスもそれを止めず、一礼して主の執務室に向かう一同を見送る。


 ちなみに、サクロスは職務怠慢で、寝込んでいるネドイルの元へと通したのではなく、相手がベルギアットだからである。これが昼間であろうと、最古参の魔竜参謀が先導するならば、誰も大宰相の元に行くのをとがめたりしないだろう。


 ほどなく、大宰相の執務室の前まで来ると、ベルギアットはノックもせずに両開きの扉を開け、中に踏み込んでいく。


 執務室の造りは、基本的にはどこも変わるものではない。執務用のデスク、来客者用のソファー、資料が並べられた書棚、この辺りは共通だろう。


 もっとも、大半の高官の執務室には高価な調度品が飾られているが、大宰相のそれにはまったく飾り気がない。ただ、部屋の隅にベッドがあるのは、その激務から当然としても、ベッドの側には姿見の大鏡があるのが、他の執務室と異なる最大の点であった。


 広い執務室の片隅で、ベッドに横になるネドイルに、ためらうことなく歩み寄るベルギアットと共に近づくと、アーク・ルーン帝国の実質的な支配者の頬には涙の跡があり、その枕も明らかに濡れていた。


「ほら、起きてください。いつまで寝ているんですか」


「ああ、ベルギアットか。オレはもうダメ……」


 最古参の参謀に声をかけられ、そちらに視線を向けたネドイルの言葉が途切れたのは、ベルギアットかたわ言を聞き流しながら、体を少し動かして、大宰相の視界にマードックらの姿が入るようにしたからだ。

 途端、ベッドからはね起きたネドイルの顔は真っ赤に染まり、


「ベルギアットッ! フレオールッ! なぜ、先触れの使者を発さぬかっ! このような格好で出迎えるとは、無作法にすぎるであろうがっ!」


 鋭い叱責を飛ばすや、次の瞬間、ウィルトニアとマードックらが驚きに目を丸くする。


 ネドイルが深々と頭を下げたからだ。


「お客人、本当に失礼した。どうか、このとおり、お許し願いたい。今すぐ客間を用意させるので、今宵はゆるりと休まれよ。明日、歓待の宴を催し、今日の非礼の詫びとさせてもらいたい」


「ああ、大兄。マードック卿らは忙しき身だから、話があるなら早くしてもらいたいそうだ」


「そうなのか。それは残念だ。宴の席でゆるりと語り合いたかったが、事情があるなら仕方ないな。ならば、早々に話し合った方が良いな」


 立ち上がったネドイルが寝間着の上から上着を羽織ると、マードックらにソファーに座るよう勧める。


 相手の動作が年長者に対して行われようが、下級貴族のマードックらとしては、身分的にウィルトニアと同じ席に座るわけにはいかない。


 仕方なくウィルトニアがソファーに座り、マードックら四人はその背後に立つと、向かい合うようにネドイルが腰を下ろし、その後ろにベルギアットとフレオールが立つ。


「無作法が続き、名乗りが遅れた。我はネドイル・フォン・スウォード。このアーク・ルーンにて、皇帝陛下の信任の元、国家の全権をあずかる立場にある」


 正に堂々とした風格のある声と態度であいさつするネドイルは、寝間着である点以外に非となるところはなかった。


 が、その所業、否、覇業に非などというレベルではなく、憎んでも余りあるほど、祖国も家族もムチャクチャにされた王女は、憎悪に満ちた視線で応じ、


「私は貴国に滅ぼされたワイズ王国の王女、ウィルトニアだ。無理を言い、ここに連れて来てもらったゆえ、自重はするが、本音を言えば、その身を今すぐ八つ裂きにしてやりたい」


「ふ〜ん、あっそう」


 歯を食いしばって耐えているであろう、煮えたぎる怒りを、軽く受け流す大宰相。


「そんなことよりも、そちらの方々の名をうかがいたい」


 魔法帝国の最高権力者に少し身を乗り出しながら促され、四人の弱小豪族はやや面を食らうが、その反応はまだ早かった。


「で、では。それがしはゼラント王国の者で、マードックと申します」

「貴殿にクラーレ子爵位と領地二千戸を与え、東方軍後方総監に任じよう」


「……はっ?」


 当人のみならず、アーク・ルーン側以外の五人の目が点になるが、


「次にそちらの若者は名を教えてもらいたい」


「はっ、わたくしもゼラントの者で、ムーヴィルと……」


「そなたはフリント子爵位と領地千五百戸を与え、軍の副将に任じよう」


「……っ!……」

 モニカの兄は祖父と同じ驚愕を共有する。


「では、そちらのご仁らの名もお願いする」


「……マードックの息子、ミストールでございますが……」


「……その弟、メリクルスでありますが……」


「ミストール卿はスキュトム男爵位と領地千二百戸を与え、ゼラントを征服したあかつきには、その代国官に任じる。メリクルス卿はグリーヴ男爵位と領地八百戸を与え、師団長に任じ、五千の兵をあずけよう」


 モニカの親族らはあまりにも呆気に取られ、動揺することすらできずにいた。


 心理的に圧倒されているのは最も恨み深き王女も同じで、彼女としてはネドイルがモニカの家族をからかっていると思いたかったが、


「以上の条件、我が名を以て、誓約書を差し出そう。貴殿ら四人、どうかアーク・ルーンに仕えてくれぬか」


 再び頭を下げる態度は本当に真剣そのものであり、心からモニカの家族四人に礼節を示す姿には、静かだが鬼気迫る必死さが込められていた。


 だが、ここまで信じ難い話をここまで真剣に言われているからこそ、マードックら顔を見合わせて困惑するより他なかった。


「おお、すまんすまん。当然、マードック卿らの領地は安堵した上で、先ほどの条件をつけ加えさせてもらうぞ。それと性急に申し出た点も、重ねてあやまろう。このような突然の話、この場で返事するなど無理であるな。今夜は誓約書を今すぐしたためて渡すゆえ、返答は後日のこととしてもらっても構わんぞ」


 マードックらの目的は一族の半数を亡命させることである。ミストールとムーヴィルを今の条件で亡命させられたならば、アーク・ルーンが勝利した際の心配はまったくないというもの。


 だが、ネドイルの示す待遇はあまりに破格すぎて、軽々しくうのみにできるものではない。


「……お、お待ちくだされ、ネドイル殿。あなたは何かカン違いなされていませんか? たしかに今、それがしらはウィルトニア殿下の側におりますが、元来ならその近くにひかえることのかなわぬ、低き身分にございます。一応、孫娘が竜騎士を目指す身でありますが、恥ずかしながら我が一門にはまだ、一騎として竜騎士はおりません。それがしたち四人、ドラゴンのいない身である点を踏まえ、再考してくだされ」


 自分たちがいかに取るに足りぬ存在かをアピールし、マードックはちゃんとした話し合いへと下方修正しようとしたが、


「何を言っている。竜騎士かどうかなど関係、いや、あるな。貴殿らは竜騎士ではないと言うが、だからこそではないか。ドラゴンがおらぬ身で、竜騎士らの世を生きてきたならば、貴殿らは人の才知で、ドラゴンの力に渡り合ってきたということ。ドラゴンに跨がれば、誰とて強くなれる。が、人の才知でドラゴンに対抗するは、誰とてできるものではない。どちらが貴重か、論じるまでもないわ」


 泣いた。


 気づいた時には、四人の男は、生まれた時よりドラゴンの上から見下ろされてきた男たちは、両の目から何かが洗い流れるほどの涙がこぼれていた。


「……おおおっ……」


 涙をこらえ切れず、泣き続ける四人の内、真っ先に最も若い者が、


「すいませぬ、お祖父様、父上、叔父上。このムーヴィル、己の命を、人生を、ネドイル閣下に捧げる以外の生き方、もうできませぬ」


 その場に膝を突き、新たな生き方に全てを尽くすことを誓う。


「バカ者っ。この老い先短い命、ネドイル閣下はこれほどに評価してくださったのだ。今さら、一族だの血を残すなど考えられるか。この血の一滴とて残さず、ネドイル閣下のために使い果してくれるわっ!」


「そうとも。もし、この期に及んで、一族のためなどと抜かすやからがいるなら、こっちから縁を切ってくれよう」


「ムーヴィル、おまえとて、ネドイル閣下に尽くそうというのに、我らに頭を下げるとは何事だ。我らの許しなくば、ネドイル閣下に満足に尽くせぬのか? そのような不覚悟、甥とて許さんぞ」


 最年長のマードックも、もう一家を成す年のミストールやメリクルスも、晴れ晴れしい顔で無邪気に吠える。


 一方、マードックらとは真逆な意味で、ウィルトニアも泣きたい気分であった。いや、絶望のあまり泣くに泣けない心境であると言うべきか。


 モニカの家族が富や領土に釣られて裏切るのではなく、己の最も大事な部分をつかまれ、新たな生き方を選んだ点はいい。それよりも重要な点は、ネドイルがそれを成せるという点だ。


 マードック、ムーヴィル、ミストール、メリクルスの個人の才は、ウィルトニアをずっと上回る。それゆえ、ネドイルは弱小豪族を重んじ、亡国の王女には何の関心も示さない。


 身分に捕らわれず、個人の能力を見抜く眼力だけなら、まだ脅威ではない。才能のある者を富や権力でかき集めても、それは優れた駒を揃えただけのことに留まる。


 真にウィルトニアが恐怖を覚えるのは、ネドイルの今の笑顔だった。


 ワイズの王女の背後から去り、自分の側に来た四人が、忠誠を誓って新たな部下となるや、ネドイルはまるで宝物を拾った子供のように、純粋にはしゃいで喜んでいる。


 それは、駒を揃えて悦に浸る男の姿ではなく、人を得て喜ぶ男の姿であるからこそ、屈託ない笑顔が怪物じみたものに見えるのだ。


 アーク・ルーン帝国の大宰相として膨大な富や権力を手中にしてなお、人の中にある宝物を大事できる怪物に、ウィルトニアは言い知れぬ恐怖と絶望で打ちのめされた。


「なに、しばしの辛抱だ。貴殿らを家臣として迎える日は目前に来ておる。七竜連合にトドメを刺すべく、我が作戦『ドラゴンなんて大キライ』はもう発動しているのだ。だから、その日をもう少し待っていてくれ」


 大宰相が自ら立案したアホらしい作戦名に、しかしウィルトニアはカケラも笑うことはできなかった。


 七竜連合の敗北と滅亡と地獄を確信した、本当に全てを失わんとする王女に、見てくれを笑うような余裕はないのだから。


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