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竜殺し編17-1

 ネドイル倒れる。


 アーク・ルーン軍との決戦が目前に迫る現在、七竜連合に駆け巡る幸先の良い報告の中でも、それは最上級の吉報と言えよう。


 ミリアーナの案が七竜連合に正式に認められ、その方針に密偵が総動員されると、いくつもの成果を上げることができた。


 長い国境線をびっしりと埋めるアーク・ルーン軍の陣地に入るのは、さして難しいことではない。


 交戦状態にあろうが、民間の往来や行商を妨げないのが、アーク・ルーン帝国の基本方針である。だから、陣地の中を通り、ワイズから旅人や商人がタスタル、フリカに行くのも、その逆を行くのも自由としている。


 無論、旅人や商人に化けた密偵を警戒して、陣地を通り抜けるまでアーク・ルーン兵が見張るが、それで密偵の潜入を完全に防げるものではない。


 五十万もの大兵でも足りぬほど、アーク・ルーン軍が築いた陣地は長大にすぎた。見張りの甘い部分はいくらでもあり、そこからアーク・ルーン兵に化けた密偵が潜入するのは不可能ではない。


 当然、陣中でも各軍団の司令部や軍の機密のある辺りは警備が厳しく、ヘタに近づいた密偵は皆、捕まって殺されている。


 が、そうした重要な地点を探らず、兵士らの噂話を集めただけで、


「ドラゴンに対抗するため、我が軍は一万本にも及ぶ毒槍を用意したそうだ」


 決戦時の対ドラゴン用の手立てを探り出すことができた。


 さらにワイズに潜入した密偵は、その地の不平分子と接触した上、捕虜となったタスタル兵やフリカ兵を解放する計画を立てており、五十万の敵軍の後方を乱す策も着々と進行している。


 極めつけは、密かに兵や民の間で流れ出した、ネドイル倒れるの報であり、これには七竜連合の者たちが喜び狂うのみならず、アーク・ルーン帝国の内外で大きな波紋も呼んでいる。少なくとも、東方戦線の五十万の兵の間で、小さからぬは動揺が見られている。


 これらは喜ばしいニュースだが、敵に知られて対応策を取られても困るので、七竜連合は公式に発表はしておらず、上層部が吉報を独占している状態にある。


 が、七竜連合各国の首脳部の子女が集うライディアン竜騎士学園には、その機密情報で満たされており、すでに教官も生徒らが一緒になって戦勝ムードをかもし出している。


 気の早い者の中には、ネドイル倒れるの報を耳にした翌日が休学日だったこともあり、ライディアン市に出かけて戦勝を祝う宴の手配している者もいれば、一部の男子生徒はイリアッシュとベルギアットをどう扱うで盛り上がっている。


 アーク・ルーン側についたモニカも、二重スパイの業務が閑古鳥状態にあることを、フレオールらの前では残念がるふりをしつつ、内心では「これで父たちが思い直してくれる」とほくそ笑んでいる。


 フレオール、イリアッシュ、ベルギアットの悲惨な未来予想図に、学園が笑みで満たされる中、さすがに七竜姫の面々は軽薄に浮かれることはなかった。


 特に、ウィルトニアは懐疑的な反応を見せ、ミリアーナも自分の策略がうまくいきすぎているのことに、むしろ不審の念を覚えている。


 当然、彼女たちは現状について会議を開いたが、その結論は、


「わかっていない者同士でしゃべっても、何もわからないだけだ」


 となり、アーク・ルーン側の情報と事情がわかっている者に聞くしかないとなった。


 雨期の終わりが近いある日、騎竜戦の準備を進める放課後の生徒会室で、ティリエランこそ仕方なく不在だが、他の六人、珍しくもウィルトニアとフォーリスが共におり、フレオールとイリアッシュのみならず、こちらも珍しくもベルギアットまでいるのは、七竜姫らは今回の情報収集を重視しており、フレオールの方はあまりにバカバカしくて一人でやっていられないからである。


 もちろん、フレオールやベルギアットが一から十まで手の内をさらしてくれるとまでは思っていないが、多少なりともしゃべってくれれば、何もわかっていない者同士でしゃべるよりはマシな成果が得られるというもの。


 ちなみに、モニカはいつも通り雑用をこなし、レイドも自己鍛練は勤しんでいる。


「さて、御身の兄君の身に不幸があったと聞いたが、まずはそのことに見舞い申し上げるべきかな」


 盟主国の王女の責務として、まず皮肉めいた口調で心にもないことを述べる。


「いや、ネドイルの大兄の自業自得だから、気にしたら負けと思うぞ。スルーした方がいいのに、うちの諜報部の八つ当たりに、何でああも引っかかるかね」


 哀れねような口調で応じられ、六人の王女はいぶかしげな表情となる。


「どういうことだ?」


「それに答える前に、なぜ、そうなったか、いささか長い説明をしていいか?」


「……答えてもらえるなら、それでいい」


 クラウディアからすれば、返答が得られれば御の字。それが長いものとなるほど、アーク・ルーンの内情をより知ることができるので、手短になどと言えるものではない。


「まず、誤解していると思うが、トイ兄を最も強く次期大宰相に推しているのは誰と思う?」


「そんなの、ネドイル自身に決まってますわ」


「はい、フォーリス姫、不正解。トイ兄こそ、次代のアーク・ルーンを背負う人材と誰よりも主張しているのは、ヴァン兄なんだな。前に、ネドイルの大兄と似ているって言ったかも知れないが、ヴァン兄も重度の能力主義者だ。何で、ヴァン兄からすれば、自分が上に立つことより、能力的に勝るトイ兄が上に立てないことが、この上なく我慢ならんって人なんだよ」


「そ、それでは、当の競争相手であるヴァンフォールが賛成しているなら、後継者争いなど起きようがないではないか」


「クラウディア姫の言うとおりだろうね、普通なら。けど、そのトイ兄がヴァン兄こそが次の大宰相を務めるべきと主張しているから、中々に決着を見ないんだ、これが。まあ、世襲制を用いてこそ、無用な争いが避けられ、アーク・ルーンの未来を安定させられるってのは、オレも同感だと思うが」


 今はネドイルの下、トイラックもヴァンフォールも互いを認め合い、良好な関係を築いている。仮に、三者がそれを死ぬまで維持したとして、その後はどうなるか。


 もし、実力がある者が大宰相を継ぐという前例ができれば、国内の有力者らは自らの勢力の拡大と、競争相手を蹴落とすのに腐心し、激しい派閥争いと内部抗争に明け暮れるだろう。それでは、アーク・ルーン帝国は遠くない未来、内側より崩壊していくことになる。


 もっとも、ネドイルの血族が代々、大宰相を務めるとなっても、同族支配の弊害、能力が軽視されて血筋のみが重視されるようになるが、こちらの方がマシな一面がある。

 血統による明確な支配階層を定め、その能力が足りない分を補うだけの支配構造を確立した方が、不確定要素の多い実力主義よりも安定性は高い。


 無論、ネドイルの子孫がどうしようもないバカならそれこそどうしようもないが、そこまで考え出すときりがない。


「ヴァン兄はトイ兄の才幹に、心から敬意を払っているし、トイ兄も妹のサリッサともども、右も左もわからない貴族社会で、色々と助けてもらったヴァン兄に、心から感謝している。つまりは、トイ兄もヴァン兄も、親友と言うべき間柄なわけだ」


 幼い頃、ネドイルに拾われたトイラックとサリッサは、ネドイルの実家にあずけられている。当然、フレオールやベダイルだけではなく、ヴァンフォールとも兄弟同然に育っているのだ。


「で、ですが、あ、あなたは、後継者争いが起きている……そうおっしゃったではありませんかっ!」

 問いただすフォーリスの顔と声が強張るのも当たり前だろう。


 トイラックとそれほど仲が良いなら、ヴァンフォールを利用した内部かく乱策など成立するものではない。もし、ミリアーナの代案がなかったら、シャーウは名誉回復どころか、恥の上塗りとなっていただろう。


 シャーウの王女の慌てように、フレオールは苦笑を浮かべ、


「トイ兄とヴァン兄の部下たちが、まあ、睨み合っているのはたしかだよ。それに、トイ兄にしろ、ヴァン兄にしろ、ネドイルの大兄の後継者を誰にするかで、意見が対立しているのは間違いないしな」


 トイラックはヴァンフォールを、ヴァンフォールはトイラックを次の大宰相に推しているので、両者の主張が真っ向から対立してはいるのだ。


「まあ、部下たちがいくらヒートアップしても、トイ兄とヴァン兄が連携して抑えれば、目立った問題とはならんだろう。正直、ネドイルの大兄はオレより長生きしそうだから、まだ後継者を決めるのは早すぎると思うし、大兄自身もそれは重要視してないからなあ」


「つまり、ネドイルがトイラックを後継者にするため、ヴァンフォールに対して密偵を用い、諸将や諸大臣と密かに連絡を取り合ったというのは、まったくの偽りということか」


 してやられた、という反応を見せるクラウディアらは、あまりに大宰相ネドイルという人物を知らなすぎた。


 そして、四十四歳のどうしようもないオッサンを良く知る魔法戦士と魔竜参謀は、七竜姫らに哀れむような表情を見せ、


「基本的にはウソだが、真実がまったくないわけではない。ネドイルの大兄がヴァン兄に対して、密偵を総動員したのも、諸将や諸大臣に密かに協力を求めたのは本当だ。ただ、トイ兄を後継者とするというのは、完全に虚偽だ」


「真相としては、密偵たちが暴走して、真実の破片を組み合わせ、何も知らない人間が誤認する情報を、意図的に、なるべく広域に流したんでしょう。無茶振りされた彼らからすれば、自分たちだけ不幸になるのがイヤだから、できるだけ多くの人間を巻き込もうとしたんでしょうね」


 ニセ情報に踊らされただけ。それに真剣に頭を悩ませた六人の王女は、この時点で充分に不快な気持ちを味わっているが、しかし真実はさらに彼女たちをあざ笑う。


 世の中には、知らない方が幸せなことがいくらでもでもある。だから、フレオールもベルギアットも、誰も幸せにならない舞台裏を、進んで話す気はなかったが、


「……話を聞く限りでは、多数の密偵を用い、諸将や諸大臣に協力を求めたのは偽りではない。そして、それはトイラックを後継者とするためでも、我々をあざむくためでもない。では、ネドイルの目的は何だったのだ?」


 盟主国の王女が鋭く問い、向こうから禁断の箱を開けてきたので、大宰相の異母弟は隠さずに大兄の失敗談を告げる。


「ヴァン兄とサリッサをくっつけること」



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