入学編4-1
「……おおっ」
感嘆の声をもらしたのは、フレオールのみならず、その場にいる一年生のほぼ全員と、二年生の大半だった。
入学式から四日目。学園長と二人の姫、クラウディア、ミリアーナ、さらに教官の三分の一を欠いた状態で、ライディアン竜騎士学園は通常カリキュラムを再開した。
正確には、再開させざる得なかったと言うべきか。
留守をあずかるティリエランの本音としては、通常カリキュラムの再開はもっと事態が落ちていてからとしたかったが、それを待っていては何日かかるかわからないのが実状だ。何より、生徒らから授業再開を望む声が、とても無視できないほど高まり、残っている教官らの深夜残業によって、何とかカリキュラムを組み直すことができ、一年生は二年生の実技訓練を見学できるようになった。
もっとも、一人を除いて手が止まっている今、二年生の実技を見学しているという表現は正しくないだろう。
一年生と二年生、そして教官の視線は、亡国ワイズの姫ウィルトニアに集中していた。
いや、釘付けにされていた。
一年生に披露される実技訓練の内容は、武器を使って一対一で戦うもので、ドラゴンを用いない授業だが、この場には一頭だけ例外がいる。
その一頭、ウィルトニアの乗竜たるレイドは、その異名『双剣の魔竜』にふさわしく、手にする二本の剣を自らの騎乗を認めた主に振るっていた。
見た目がどれだけ似ていても、ドラゴニアンの身体能力は人のそれとはケタが違う。
激しく舞うような躍動感のある動きに、速く軽いようでいて、その実、一撃一撃が重い金属音を響かせ、手にするのが小回りの効かない大剣であるのもあり、ウィルトニアを防戦一方に追い込んでいる。
レイドの息をつかせぬ連続攻撃は、ただ二本の剣を遮二無二に振るっているだけではない。的確に急所を狙い、斬撃に緩急をつけ、フェイントも織り混ぜる。ウィルトニアをただ圧倒するだけではなく、一手一手、詰め将棋のように相手を切り崩す技巧が凝らされていた。
ウィルトニアは戦士として優れているが、ドラゴニック・オーラで肉体を強化しておらねば、レイドの猛攻をしのげはしないだろう。つまりは、レイドは自らの力を貸した状態、純然な技巧と身体能力のみでこれだけの戦闘力を発揮しているのだ。
「アーシェア殿も凄かったが、妹の方もかなりものだな」
押されっ放しのウィルトニアの戦いぶりが、むしろフレオールを大いに感心させる。
「伊達にティリーやクラウに勝ってませんよ。教官でも相手にならないから、レイドがこうして相手を務めてるほどですから。去年よりもけっこう伸びていますし、もうフォーリス姫ぐらいが二人がかりでないと、倒せませんよ」
去年、唯一、従妹に黒星をつけた裏切り者がそう評する。
基本的にこうした授業では生徒同士が組み、学年の生徒数が奇数の場合、あぶれた者を教官が受け持つ。そして、こういう時は仲の良い者か、実力の同じ者で組むケースが多い。だから、友好と実力の両面から、クラウディアとナターシャは、ペアを組むことが多い。ただ、それも同じ学年に実力の近い者がいれば、だ。
イリアッシュの場合、ティリエランと良く組んだが、実力的には彼女の方がずっと上なため、相手に合わせて手加減していた。
「ウィルの場合、常に全力投球、手加減なんてまったくしませんからね。それでフォーリス姫や教官さえ相手になるのをイヤがるようになって、レイドと組む特例が認められるようになりました」
おそらく、これがフォーリスがウィルトニアを嫌うようになった最初の原因だろう。
自らの才を誇り、プライドの高い彼女が、一方的に打ちのめされたのだ。これで自尊心が傷つかないわけがない。
もっとも、そのきっかけがなくても、どう考えてもそりの合わない二人だから、どこかで仲が悪くなっていただろうが。
「しかし、それだとアーシェア殿など、相手になるヤツがいなかったんじゃないか?」
「ええ、いません。まあ、ウィルと違って、手加減はできますから、相手に合わせて強さを調整していたみたいです。ただ、全力が出せなくてフラストレーションがたまっていたのか、私が入学すると、よく自主訓練につき合わされましたよ」
最後の方はしみじみとした口調になる。
二人がしゃべっている間にも、お姫様とドラゴニアンの手合わせは続いている。正確には、レイドがウィルトニアを完全に追い詰めていた。
並の竜騎士見習いなら、数合としのげぬレイドの猛攻を、実に百合以上も耐えたウィルトニアだったが、
「……アギトですね」
イリアッシュがつぶやく、二本の剣による、まるで顎を閉じるかのごとく、上下からの同時攻撃『アギト』を繰り出し、レイドの剣は狙い通りに得物をくわえ込む。
ウィルトニアの手にする大剣を。
本人は後ろに跳んでかわしたが、得物である大剣は、器用に二本の剣にはさまれ、そのままひねって奪う。
否、自ら手放したのだ。
万全の状態ならともかく、百合以上もレイドの猛攻をしのいで、ウィルトニアも疲弊している。後ろに跳んだ不安定な姿勢で、絡め取られた大剣を保持しようとすれば、さらに姿勢を崩す。
疲れて、反応や動きが鈍り出し、手にする大剣を重く感じ出したウィルトニアは、不安定な姿勢でレイドの猛攻をしのげないと判断し、得物をあえて捨てたのだ。
レイドもウィルトニアが疲れた頃合いを見て『アギト』を仕掛けたのだが、剣を失った程度で、ワイズのお姫様の戦意は衰えない。
「ハアアアッ!」
両の拳をドラゴニック・オーラで覆い、武器を失ったウィルトニアは、ドラゴニアンに殴りかかる。
が、レイドは双剣を振るい、ウィルトニアの接近を阻む。
驚いたことに、ウィルトニアは素手で、レイドの猛攻をさばき、相手の懐に飛び込む機会をうかがっていた。
両の拳で二本の剣をさばき、敵に肉迫する。懐に飛び込まれれば、二本の剣が振るい難くなり、素手の方が戦い易くなる。
ただし、逆に言えば、懐に飛び込めなければ、すでに素手のウィルトニアの攻撃は届かない。それゆえ、レイドは双剣で苛烈に攻め立てる。
両の拳で双剣をさばきはしているものの、さばくだけで精一杯で、間合いを詰める余裕はない。というより、レイドの激しい攻めが、足を進ませる余裕を与えないのだ。
そうした攻防を五十合と重ね、大量の汗をかき、呼吸が荒くなったウィルトニアは、最後の賭けに出て、レイドの斬撃を両手で挟み、真剣白刃取りをやってのける。
もう一本の刃は、ドラゴニック・オーラで覆った右足で蹴り弾き、刃を挟んだ両手で双剣の片方を奪おうとするより早く、レイドの足払いが片足で立つウィルトニアを仰向けに倒す。
そして、仰向けに倒されたウィルトニアの豊かな左胸に切っ先が向けられ、首筋にも刃が触れて、主を見下ろすドラゴニアンの勝利が確定する。
本来なら「参りました」や「ありがとうございました」と言うべき場面なのだが、汗だくになった全身で荒く呼吸をするウィルトニアは、大の字になったまましゃべることもままならないほど、疲労の極にあった。
「……姫様!」
ワイズ出身の二年生らが、タオルや水筒を持って駆け寄り、第二王女のケアを行う。
「……こら、何を手を止めている。ウィルトニア姫に負けぬよう、訓練せんか」
自分のことは棚に上げている教官の注意が飛び、亡国の竜騎士見習い以外、二年生は訓練を再開するも、彼らの動きはどことなく気が抜けていた。
レイドとウィルトニアの戦いぶりに圧倒され、誰もがそちらに心を引っ張られてしまったのだろう。
見学する一年生らも、目の前で再開された、フォーリスを含むその他、大勢の訓練を見ている者より、ウィルトニアの戦いぶりを語っている者の方が多い。
ちなみに、一年の担当教官であるティリエランもこの場にいる。
現在、学園長代理を務める彼女は、不在の叔母の代わりにやることが多々あるが、それらを調整して放課後に回し、担当教官の職務を優先するのは、ひとえにフレオールを見張るためである。
彼の祖国の防犯アイテムのせいで、バディン、ロペス、ゼラントの三ヵ国に及ぶ外交問題が巻き起こされたのだ。ロペスの王女としては、これ以上の国際問題をノー・サンキューなので、無理に授業を受け持ち、フレオールに対して注意を払っているが、それだけではない。
ドラゴニアンにしごかれたお姫様の戦いぶりに、侵略者と裏切り者が語り合っている傍らには、フリカのお姫様の姿がある。
ティリエランがいかに注意を払おうが、生徒と教官と立場が違うのだから、どうしても目が届かないところがある。そして、まだターナリィと共にクラウディア、ミリアーナが帰って来ないため、ロペスの王女はシィルエールに頼み、フレオールの監視に協力してもらっているのだ。
フレオールとイリアッシュだけではなく、一年生の中には見学中におしゃべりしている者が何人もいるが、大きな声を出したり、騒いだりして、授業の邪魔にならない限りは黙認される。
もっとも、黙認されていても、口数の少ないシィルエールは、フレオールらの会話に参加できず、置物のように佇んでいることしかできないでいる。
そうしている間に、ウィルトニアは乱れていた息が整ったか、立ち上がってレイドに歩み寄り、先ほどの戦いについて語り出し、亡国の家臣らも自分たちの訓練に戻っていく。
「シィルエール姫だったか。あんたも大変だな。まっ、オレのせいだが、こちらとしても、姫様が側で目を光らしていてくれるのは助かる。説得力がないかも知れんが、オレとて無用な騒ぎと死体は望んでいない」
フレオールの方から声をかけるも、引っ込み思案なシィルエールは少し怯えた表情となって答えることができず、当たり前のように彼女の側にひかえるフリカ出身の一年生らが、敵国のクラスメイトに非友好的な視線を向ける。
軽く肩をすくめ、フレオールは相手を刺激しないよう、向こうの拒絶を受け入れようとするが、
「……まっ、待って。聞きたいことある」
「ん? ああ、そりゃあ、山ほどあるだろう。何でもってのは無理だが、答えられることなら答えるぞ」
呼び止め、向こうが返答の意思を示すと、フリカの王女は体内の勇気を総動員して、質問を口にする。
「……アーク・ルーン、私たちの国を攻めるの?」
「そいつは、状況しだいとしか言えんな。そちらの動きを見て、タスタルを先に叩く方に戦理が傾けば、タスタルを攻めるし、逆にフリカがそうなら、フリカを先にする。また、守りを第一とするなら、どちらも攻めない。重要なのは、フリカが攻められずにすむ状況を構築することだと思うぞ」
言葉足らずの質問だったものの、祖国が攻められる点も心配だが、タスタルともめている現状に、心を痛めている相手の意図を察して、受け手側は答える。
ナターシャは普段どおりにしているが、連合軍の駐留を巡って、タスタルとフリカの生徒は、険悪とまではいかないが、微妙に緊張した関係となっている。
表情にとぼしいゆえ、周りの者にはわかり辛いが、フリカの王女としてシィルエールは、心を痛めているだけではなく、何とかしなければいけない、というプレッシャーを感じていたのが、彼女をワラにもすがる思いで、敵に知恵を求めさせたのだろう。
もちろん、フリカを攻めさせない状況と言われても、シィルエールに思いつくものではなく、銀髪のお姫様は侵略者にすがるような目で見る。
捨てられた子猫のような哀れさと可愛さにやられたか、
「参考になるかどうかわからんが、まず大軍というのは有利な点もあるが、不利な点も少なくない。去年、オレたちはワイズの国境を突破するのに日数をかけ、連合軍結成の公表から十日後に攻めた。国境を守っていた五万のワイズ兵は、当初は国を守るのに決死の覚悟を決めていた死兵だった。が、連合軍が結成されると聞いたのだろう、日ごとに命を捨てる覚悟が鈍り、死兵でなくなったのを見定めてから、ヅガート将軍はワイズ軍を攻めた。まっ、それでも千に近い兵を失ったが、タイミングを誤っていたら、その十倍以上の被害を被っただろうな」
兵は死地に置いてこそ活きる。軍学の基本の一つである。
苦しい状況にあるからこそ、兵は死に物狂いに戦い、思わぬ力を発揮して、苦境をはねのけて生き残ることもある。
アーク・ルーンの侵攻で絶望的な状況にあったからこそ、ワイズ兵は死を覚悟して死兵と化し、かえってアーク・ルーン軍の攻撃をためらわさせた。
そして、連合軍の結成で生きる希望を得たワイズ兵は、命を惜しむようになり、かえってアーク・ルーン軍に攻め入る隙を与えてしまった。
「その点を踏まえた上で、フリカのために策を立てるなら、連合軍はタスタルに譲るべきだろう。そして、その状況を利用して、連合軍には兵を送らず、連合軍の来ないことで、覚悟を固めさせたフリカ兵で、自国の防衛を第一とした方針を定める」
「け、けど、もし、アーク・ルーンが我が国を攻めたら、とても我が軍だけでは対抗できない」
フリカ王国の総兵力は、百五十騎の竜騎士を含む十五万だが、一戦場に全ての兵を集めるのは不可能。アーク・ルーンの侵攻に備えられるのは、その半分か、無理をしても三分の二が限度。一個軍団ならともかく、五個軍団を相手にできるものではない。
「ふん、うちの将軍に、決死の兵が守っている所に力攻めを仕掛けるバカはいないが、まっ、それを言っても詮ないか。相手の器量と己の器量を信じる度量なんて無理だろうから、もう少し合理的な話をすれば、その気があるなら、オレが仲介してやるから、うちと密約を結べばいい」
「そ、それは、うちの国に裏切れと言っているの?」
「そうしてもらえればベストだが、そこまで要求する段階じゃないのも理解している。まっ、フリカを攻めない代わりに、フリカは連合軍に実質的に参加せず、その決着を傍観するというのはどうだ?」
国防に全力を尽くすなら、フリカに連合軍に参加する余力はなく、何もしなくても、国家の安全を敵国に保障してもらえるということになる。一見、好条件のように思えるので、シィルエールと同い年の家臣らは、大いに戸惑う。
「密約と言っても、それに縛られることはない。あんたらはうちと連合軍の戦いをしばし傍観すればいい。連合軍が勝てば、あんたもそれに加わってうちを攻めればいいし、負けた連合軍を助けてもいい。七竜連合を裏切って、アーク・ルーンの手先になる選択肢もある。無傷であればこそ、あんたらには選ぶ余地があるってのが、重要だ。まっ、いかにお姫様でもそんな権限はないだろうから、父親と相談して決めてくれ」
「……わかった。父様には手紙を出して、判断を仰ぐ。けど、一つ気になる。どうして、そこまでフリカのことを考えてくれるの?」
「フリカのために策を立てる、と言ったからな。それに、意図したものではないとはいえ、オレが起こした騒ぎで、あんたに無理をさせているとなると、オレとてスマン気持ちになる。何より、もう、次に問題を起こすと、退学ですまん話となるんだ。あんたには迷惑を承知で、当面、側にいてもらわないと、本当に困ったことに巻き込まれそうなんでな」
フレオールは視線を、バディンやシャーウの生徒に走らせ、現状の危うさを暗に示す。
クラウディアが戻ってくればいいが、彼女もミリアーナもターナリィもいつ戻れるかわからない以上、シィルエールやティリエランに見張ってもらっていないと、トラブルがいつ飛び火するかわからないほど、バディンの生徒らは苛立っていた。
タスタルとフリカが軽い緊張状態にあるのと比べものにならないほど、バディンとシャーウの生徒らは、険悪な雰囲気をかもし出している。
正確には、苛立っているバディンの生徒が、シャーウの生徒を睨みつけ、ケンカ腰になっていた。
七竜連合の盟主国と副盟主国であり、シャーウ王国が盟主の座を奪わんと策謀を巡らしたことが何度もあるので、この二ヵ国は元から仲が良くない。
が、フォーリスの提案で失敗したツケを、クラウディアが負ったという点が、バディンの生徒の苛立ちに方向性を与えてしまったのだろう。
この手の話はなぜか伝わり易く、また原因の大元であるフレオールよりも、フォーリスの方に怒りが向くことが多い。
何よりも、バディンの生徒たちが苛立ちを募らせている根本は、死んだ三人の同胞にある。
彼らが遺した、品性を疑いたくなるような格調の高い会話は、学園中に知れ渡っている。それにより、バディンの生徒らは、自分たちが死んだ同胞と同類と見られるようになった、と感じている。実態はどうあれ、他人の視線をそう感じてしまう、被害妄想ぎみな状態になってしまっている。
見られてもいないのに視線を感じるようになったバディンの生徒らは、日が、時が経つほどストレスがたまっていき、いつ暴発するわからないという心理状態にあった。
フレオールに視線を追い、バディンの生徒らの余裕のない態度と表情に気づいたシィルエールに、交渉窓口になるのを申し出た同級生は、改めて頼み込む。
「迷惑料というか、協力の代価として、アーク・ルーンと交渉する場合、それに協力しよう。だから、クラウディア姫に非がないことで、彼女を追い詰めるのは本意じゃないんで、それに協力してもらいたい」