竜殺し編3-1
吉報。
「我らの要請に応じ、ドラゴンたちが続々とタスタル、フリカの両国に集結しつつあります。両国の西部を荒らし回っていたアーク・ルーン軍も、ドラゴンたちの姿に恐れをなし、戦わずに陣地に引き上げました。奴らは戦々恐々とし、ただ陣地の防備を固めるだけだそうです」
最前線から届いたその報に、七竜連合全体が大いに沸き立っていた。
無論、それは辛うじてワイズの優勝で終わりはしたが、苦い青春の一ページとなった争旗戦の終了から日も経ち、レイドによるレクリエーションで何とか平穏を保っていたライディアン竜騎士学園も例外ではない。
バディン、シャーウ、ゼラント、ロペスの援軍はまだ進発したばかりだが、ドラゴン族は予定の半数がタスタルとフリカに集まると、アーク・ルーン軍はワイズの国境まで退いた。
言うまでもなく、七竜連合の軍事行動は間違ったものである。最前線に戦力を集結させる際、足並みを揃えねば各個撃破されかねない失策だ。
もちろん、タスタル軍もフリカ軍も堅固な陣地を築いているが、多少の被害を覚悟の上で強攻し、敵軍の集結前に叩くのが当たり前の戦術セオリーであるので、
「いったい、アーク・ルーン軍は何を考えているのだ?」
生徒会室で自習にはげみながらも、ウィルトニアは時おり、首を何度もひねっていた。
外が雨であるのもあるが、これまでの勉学の成果を見るための試験が近いため、生徒会室で七竜姫の五人は一国の王女として恥ずかしくない結果を出さんと、ウィルトニアのみならず、クラウディア、ナターシャ、ミリアーナ、シィルエールも自習に勤しんでいた。
当然、アーク・ルーン軍撤退の報に、学園に満ちていたその悪感情がちょっぴり和らいだとはいえ、フレオールとイリアッシュを野放しにできるはずもなく、二人もこの場で自習している。
ちなみに、フォーリスはシャーウの生徒らとの試験勉強を口実に、ウィルトニアの同席を避けて、生徒会室にいない。無論、試験のテストを作る側のティリエランもここで仕事ができるものではない。
試験勉強の必要のないレイドは、雨の中、座禅を組み、イメージトレーニングにふけっている。
そして、苦学生であるモニカは、テスト前でも学園の雑用に勤しんでいる。
アーク・ルーンに取り入ろうが、ゼラントの密命で二重スパイをやろうが、収入が増えるわけでも学費が免除になるわけでもないので、働かないと学園に留まることもできなくなるのだ。
もっとも、この時期でも働く主な理由がビンボーだからとしても、他にも彼女が単独行動している方が、祖国と戦争の先行きに不安を抱く者を釣り上げ易いということもある。
七竜姫の誰かが側にいればもちろん、フレオールやイリアッシュと直に接触して誰かに見られては、立場がまずくなる。自然、アーク・ルーンの勝利した場合にも備えておこうとする者は、まだ言い訳がしやすいモニカを通して保険をかけようとする。
そうして接触してきた者を、モニカはフレオールに報告しつつ、ウィルトニアにも情報を流しているが、アーク・ルーン軍の撤退の報が届いてからは、彼女の元に訪れる加入希望者が激減している。
ともあれ、クラウディア、ナターシャ、ミリアーナ、シィルエール、フレオール、イリアッシュと共にしていたテスト勉強が一段落つき、全員が何となく休憩すると、教科書を閉じたウィルトニアは不可解な表情を浮かべ、
「そもそも、敵が守りを固めるのも、その守りが国境線全域に及ぶ、南北の長きに渡るのもおかしすぎる」
試験よりもはるかに難しい問題をこの場に投じた。
ワイズに駐留するアーク・ルーン軍は五十万。大変な大軍だが、南北に長く伸びるタスタルとフリカとの境に広く配置しては、五十万の兵が分散して、その陣容と密度はどうしても薄くなる。
そのアーク・ルーン軍に最近、三度に及ぶ大敗を喫した七竜連合が、再び結成させる連合軍は二十七、八万と下方修正されている。
が、数で劣ろうとも、せっかくの五十万の軍勢を広域に配置し、密度の薄いアーク・ルーン軍に対して、兵力を集中させて戦えば、連合軍の勝算は高い。
長大なアーク・ルーン軍の陣地の一点に兵力を集中して強攻突破できれば、後は広域に分散した配置が仇となり、連合軍は各個撃破を繰り返せばまず勝利が間違いないと目されるだけに、ウィルトニアの疑念を強めざるえない。
ドラゴン族の参戦もあり、例え兵数に倍近い差があろうとも、野戦でもまず負けることはないだろう。また、現時点でもタスタル軍とフリカ軍の築いた堅陣の元には数百のドラゴンがおり、それを力攻めすれば多くの犠牲が出るのもたしかだ。
それでも、ヅガートによって、アーク・ルーン軍の強さを骨身に染みて思い知らされている亡国の王女の発言で、ただ待ちに徹して無為無策でいることに一種、罠のようなものを四人の王女も感じるようになり、その顔は問題集と向き合っていた時より、はるかに真剣なものとなる。
「連中は陣地に罠を用意して、我らが攻めて来るのを待っているということか?」
そう言うクラウディアの口調が、自信を欠くものとなるのも仕方ないだろう。
彼女にはその罠がいかなるものか、まったく想像できないからだ。
「……大量の毒矢でも用意しているのかな?」
ミリアーナの推測も自信なさげであった。何しろ、その手の情報がほとんどなく、想像でしゃべっているのだから、バディンとゼラントのみならず、他の三人の王女も確とした言が吐けるものではない。
毒矢を大量に用意しているかも、という発想も、先のタスタル・ワイズ連合軍の敗戦から、多数のドラゴンに対して有効な手立てがそれしか思い当たらないからだが、それがアーク・ルーン軍の用意している罠なら、そう恐れる必要はない。
ドラゴンにも効く猛毒は、無論、侮っていいものではないが、警戒さえしていれば対処できないものではないのだ。
ウィルトニアがしてやられたのも、ドラゴンには毒が通じない、その強靭な肉体にはいくらか矢が刺さっても問題ないという先入観があり、何よりそこに不意打ちを食らったからだ。あらかじめ知っていれば、ドラゴンの能力を駆使して、毒矢を防いでいただろう。
「が、アーク・ルーン軍のこれまでのそつのない戦いぶりを思えば、その程度の備えであるとは思えん。ドラゴンを倒す猛毒を作ったように、何やら対ドラゴン用の新兵器を開発し、それを使った罠を自陣に張り巡らし、我らが攻め寄せるのを待ち構えているのかも知れん」
ウィルトニアの言が正しければ、アーク・ルーン軍が戦術的なミスをおかしているのにも得心がいく。
こういう話題である以上、五人の王女は時おり、敵陣営の二人に視線を向けるが、
「その点はいくらでも想像してくれ。オレから言えるのは、タスタルやフリカの民が殺し合う点も考えてやれってくらいだ」
さすがに七竜連合に対する策略の秘中の秘ゆえ、フレオールの言はドラゴンの助勢を得たことに対する弊害を指摘するものとなる。
「……どういう意味ですか?」
祖国に関する不穏な発言に、ナターシャは眉をひそめて問い、シィルエールも誰よりも緊迫した表情で返答を待つ。
「いや、カンタンなことだ。ドラゴンたちのエサを確保したしわ寄せが、民にいっているだろうと思ってな。何しろ、人より先にドラゴンの方が来ているんだ。そうなっていてもおかしくないだろう」
タスタル王国とフリカ王国の食料事情の悪さは言うまでもない。
ドラゴンは雑食性で、その巨体に比しては食べる量は少ないから、方々の山や森に散っているなら、その腹は自然の恵みによって満たされるだろう。が、数百頭が一ヵ所に集まる不自然な状態なら、自然の恵みなどたちまち食い尽くすのは明白だ。
このライディアン竜騎士学園にいる百を越すドラゴンらたちですら、その維持にロペス王国はかなりの食料と経費を必要とする。しかも、そのために専用の牧場を複数用意するなどの環境を整えているからこそなのだ。
食料難と財政難な上、ロペスような事前準備が整っていないタスタルとフリカの目算としては、バディンなどの援軍と共にやって来る兵糧でドラゴンたちを食事を用意するつもりだったが、それは人間の予定にすぎない。
人間のような時間感覚のないドラゴンらは、人間の要請に応じて、ゆっくりと駆けつける個体もあれば、人よりも、何よりメシの支度ができるよりも早く来る個体もいる。
助力を仰ぎ、真っ先に駆けつけて来たドラゴンらを、空きっ腹で放置させられるわけなく、
「……つまり……フリカ、タスタル。民から、食べ物、取り上げる?」
「ああ、そうなるだろうな」
蒼白なシィルエールの言葉を、フレオールはあっさりと肯定し、それを否定できる者は誰もいなかった。
ドラゴンを飢えさせないという選択肢を取れば、民を飢えさせるしかないというのはタスタルだけの話で、実のところシィルエールは顔を青ざめさせる状況に、フリカはなかったりする。
アーク・ルーン軍に敗れてはいるが、タスタルに比べてまだマシなフリカは、食料や財政に多少の余裕があり、何より一人の文官が、
「我が国の食物は異様な高値となっていますが、これは単なる不足によるものだけではなく、食料を買い占め、不当な儲けを得ている者がいるからです。すでに調査して、彼らの倉庫に食料がたくわえられているのを突き止めましたので、陛下が王命を以て、彼らから食料を適正な価格で買い上げれば、民の元にある少ない食料を求める必要はなくなるでしょう」
一つの献策を行い、それが実施されたので、フリカの民は食料の徴発を受けずにすんだ。
その文官が食料の買い占めでボロ儲けをしていた商人や貴族らに恨まれ、無実の罪をでっち上げられて、国内の有力者たちとこれ以上の対立を避けたフリカ王に投獄されたなどを、フレオールらが知るのは後日のことである。
フリカ王国はまだ一人の不幸ですんだが、それより食料事情や財政状況がなお悪く、買い占めなどで利己に走る有力者らを何とかしようとする官吏が一人もいないタスタル王国は、
「我が国はドラゴンの食べ物を確保するため、民を飢えさせていると言いたいわけですか」
「飢えるどころか、餓死している者もいるだろう。無論、餓死を避けるため、野盗と化した民もいるだろうな」
苦々しい表情でナターシャが口にした甘い表現と推測を、訂正するフレオール。
「タスタルもフリカも、いや、七竜連合の人間ならドラゴンの強さを心得ているだろうから、お上にたてつくマネはすまい。もちろん、守りを固めているうちなど襲えるものじゃない。ならば、飢えたタスタル、フリカの民が餓死しないためには、同じタスタル、フリカの民を襲い、食べ物を奪うしかないな」
甘さなど含んでいないその表現と推測に、五人の王女は愕然となりつつも、それを否定できるものではなかった。
食料の徴発を受け、もはや飢え死にするしかなくなった民の選択肢は二つのみ。そのまま餓死するか、食べ物を奪って空腹を満たすかだけだ。
タスタルの民の中には、飢えた我が子のために、武器を手にした親が押し込み強盗を働き、弾みで殺人を犯してしまったケースもある。また、ある村では皆で話し合った結果、男衆が武器を手にして、隣の村を襲って食べ物を奪うという事例も起こっている。
そして、そうした話を耳にした村や町では民が武器を手にし、同胞の襲撃に備えるようになり、タスタルの民とタスタルの民が殺し合う光景が珍しいものでなくなりつつあった。
「……ナータ、シィル。これはあくまで、フレオールの想像にすぎん。仮に、タスタル、フリカの民が苦境にあろうが、もうすぐ援軍と共に大量の兵糧が届く。それで食料の問題は解決しよう」
自分でも信じていないクラウディアの言葉は何のなぐさめとならず、タスタルとフリカの王女の顔色はいささかも良くなることはなかった。
七竜連合の国々の国土は山が多く、鉱物資源こそ豊富だが、農業生産はそう高い方ではない。不作の年は、近隣諸国から食料を輸入せねばならないほどだ。
そして、今年の近隣諸国の食料は、トイラックの手配でまずワイズに輸入されるようになっているので、タスタルとフリカに向かう援軍の兵糧が、民に分け与えられるほどの量がないのは、この場にいる七人が知らぬものではなかった。
休憩は終わりとばかりに、テスト勉強を再開したフレオールとイリアッシュに対して、暗い顔のクラウディア、ウィルトニア、ミリアーナと、特に暗い顔のナターシャ、シィルエールは、うつむいたまま答えの出ない問題を考え続けた。




