野外学習編28-9
ベルギアットの尻尾が力強く叩きつけられた湖面から、激しく大量の水飛沫が上がった。
水飛沫は、ベルギアットの巨体と小兵なフレオールの肉体を濡らしたが、レイドは大きく後ろに跳び、地面を濡らすどころか、穴をうがった水飛沫を全てかわす。
重力制御の応用である。水飛沫の一部に重圧にかけたのだ。もし、かわしていなければ、レイドの身体が穴だらけになっていただろう。
水飛沫をかわすため、ただ大きく後ろに跳んだ双剣の魔竜に、魔槍を構えたフレオールが突進する。
強引な回避運動に姿勢を崩しながら、双剣で迎撃せんとするレイドの動作は、いつもに比べてはるかにぎこちない。
これは争旗戦である。レイドの背中にはワイズの旗がくくりつけられており、それが人の形を取るドラゴンの動きを縛るのだ。
特に、上半身の折り曲げなどほととんどできないので、ダッキングやスウェーバックを用いることができない。
そんな苦しい姿勢の中、双剣の魔竜は巧みな剣さばきで、突進を利用した魔法戦士の、強力な突きをうまく受け流す。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
が、初撃をさばかれたフレオールは、すぐに真紅の魔槍を手元に引き戻し、苦しい体勢の双剣の魔竜に、素早い連続突きを繰り出し、その全てを受け流される。
「未熟! その一撃は強力なれど、ただ強いのみ! 力をまるで活かしておらん!」
フレオールの攻勢を十合としのいだ時点で、自分の十分の一と生きていない若造の無駄を指摘できるだけ、レイドの姿勢は安定してきていた。
双剣の魔竜は真紅の魔槍をさばきつつ、不安定な体勢を少しずつ立て直していき、さらに五合とフレオールの鋭く強いが、ただそれだけの突きを受け流すと、ついに反撃に転じた。
背中にくくりつけた旗のせいで、いつもよりぎこちない動きをゆえ、
「ハッ! ハッ! ハッ!」
足元を狙った連続突きで、フレオールは一気に間合いを詰められることはなかったが、完全にレイドの前進を阻めずにいた。
ただ双剣を振るうのみならず、その足運び、一挙一投足がフレオールの意識を惑わし、守りを削っていき、じわじわと着実にフレオールを追い詰めていく。
フレオールとて、いつものようにただ魔槍を繰り出すだけではなく、フェイントも織り混ぜてはいるが、レイドは技量と洞察力の前には、そのような小細工はまるで通じなかった。
双剣の魔竜が両手に持つ剣は、ドラゴンの爪牙でできたものではなく、単なる鉄製であり、それを魔力やドラゴニック・オーラで強化しているわけでもない。
フレオールの繰り出す真紅の魔槍が、ドラゴンの爪牙でできた武器を砕く威力があるのは、ウィルトニアとの決闘で証明されている。普通の武器なら、一撃でオシャカになってもおかしくないのに、レイドの手にする普通の剣二本は、二十合以上も打ち合って傷んだ気配もない。
「イリアやアーシェア殿がかなわんわけだ」
どんどん劣勢に追い込まれ、じりじりと後退を余儀なくされるフレオールは、心中で双剣の魔竜の技量に白旗を挙げざるえなかった。
さすがに、幼い日に体験した、力を無にするまではできずとも、力の流れを読むのはできるらしく、どれだけ強い攻撃も力を受け流され、武器を傷ませることもできないだけではない。
力の流れを読めない側は、受け流しの技と平行して、力を無理な方に流され、それに引っ張られる形で、体勢が悪くなっていく。
わずかだが崩れた姿勢を立て直すのが、余分な動作になり、レイドからの攻撃の対応を遅らせる。無論、姿勢を立て直さねば、苦しい状態で戦うことになり、余計に苦しくなっていく。
まるでアリ地獄のような悪循環であり、これには最強の竜騎士アーシェアも、長く粘ることはできても、結局は崩されて敗れるのだ。
この場にはベルギアットがいるが、フレオールをその剣勢で追い詰めていくレイドは、その存在を忘れておらず、充分に警戒をしている。ベルギアットが横槍を入れたところで、レイドは充分に対処できるだろう。
わかりきっていたことだが、マトモに戦っても勝てないのがハッキリしたフレオールは、大きく後ろに跳んで間合いを取る。
「ガアアアッ!」
後ろに跳んだフレオールに、レイドは追撃をかけず、こちらも後方へと跳ぶ。
後退に後退を重ねていたため、後ろに跳んだフレオールは湖の上におり、ベルギアットが重力を操り、見えない足場を築いておらねば、今頃は水の中だろう。
ドラゴニアンは翼ある竜である。人の形になろうが、小さくした翼を背中から生やすのは可能である。ただし、ワイズの旗を背中にくくりつけていなければ。
いかにレイドがドラゴニアンであり、達人であるとはいえ、水の上を走れぬ以上、フレオールを追えず、岸に踏み留まるしかない。
「マトモにやっては、勝てぬどころか、一矢、報いることもままならんか。なら、マトモでないやり方で、双剣の魔竜の引き出し、できるだけこじ開けるとするか」
安全地帯に立つフレオールは、方針を変更を決めるや、意識を集中させて魔力を高める。
「槍よ! 刺し砕け!」
真紅の魔槍の穂先に膨大な魔力を込め、フレオールは得物をレイドへと投げ放つ。
フレオールのこの一撃が、ドラゴンさえ打ち倒すものであるのは、すでに実証されているが、同時にドラゴンの魔力を以てすれば防げることも実証済みだ。
飛来する魔槍というより、膨大な魔力に対して、レイドは両腕を上下に振り、
「ハッ!」
同時に上下から双剣の斬撃を受け、真紅の魔槍は数瞬、空中で静止し、そして激しく躍りながら双剣の魔竜の脇へと転がる。
「……見事! ウィルトニア姫の技を取り入れたか」
ドラゴニック・オーラこそ使わなかったが、上下から完全に同時に繰り出した斬撃、その二つの衝撃を力の流れを読んで膨大な魔力が渦巻く魔槍の穂先の中に通し、内で二つの衝撃を合流させた際に生じた破壊力で、真っ向からフレオールの強力なる一撃を弾いてのけたのだ。
無論、レイドが得意とする、アギト、という技である点と、フレオールの投げ放った魔槍の動きが直線的で軌道が読み易かった点を差し引いても、その剣技が神技の域にあるのを否定する材料とならないだろう。
「が、それほどの神技でなければ、オレの一撃を防げんのが、弱点と言えば弱点か。さて、オレの魔力が尽きる前に一度もミスをせずにいられるかな」
神技とは奇跡としか思えぬ武の結晶である。が、極限の精巧さが要求されるがゆえ、わずかなミスも許されぬ厳しさもともなう。
「槍よ! 来い!」
フレオールが得物を手元に戻し、これより試さんとするのは、十度、魔槍を投じて、十度、神技が成立するかだが、時間感覚の乏しいドラゴンの方は、そんな気長な我慢比べにつき合うつもりはなく、真紅の魔槍が持ち主に戻ると同時に、その乗竜へと疾走する。
湖上に立つフレオールに仕掛けるのは難しいが、ベルギアットの方はそうではない。何しろ、今の彼女は本来の姿、あまりに大きすぎる。
レイドの動きに気づくと、フレオールは慌てて重力の足場からベルギアットの背中に移動すると、魔竜参謀は用いる能力を、重力操作から空間操作に変える。
自分自身であっても、大質量を空間転移させられないベルギアットは、双剣の魔竜の前進を阻むように発生させた空間に歪みを、剣の一振りで斬り裂かれる。
「っ!」
もはや、魔法戦士も魔竜参謀も驚きが声にならないが、双剣の魔竜からすれば、不規則で流動性の高い風や水を斬るよりカンタンな芸当だった。万物には力の流れがあり、しかもそれが固定している空間の歪みに比べれば。
元から不自然な歪みは斬り裂かれた途端、四散して自然なる形に戻り、阻むもののなくなったレイドは、ベルギアットの背中へと跳躍する。
「……ガアアアッ!」
「ハッ!」
宙を舞う人の姿をしたドラゴンを、魔法で作られたドラゴンは重力を操って捕らえんと、発生させた力場が双剣で十字に斬って捨てられる。
当然、フレオールは傍観しておらず、レイドの着地点に駆け寄り、真紅の魔槍を繰り出せる姿勢を取る。
翼を生やしていない以上、空中で身動きの取れないレイドは、フレオールの魔槍をかわせず、またその威力を思えば、地に足に着いていない不安定な姿勢で打ち払えるものではないので、右手の剣を投じる。
が、フレオールは最小限の動きで投げつけられた剣を魔槍で払い、即座に元の体勢へと戻す。
「ハッ!」
そして、左手の剣に注意を払いつつ、落下してくるレイドへと繰り出した真紅の魔槍が、タイミングが狂ってわずかにそれてしまう。
正確には、右手でワイズの旗をつかんで広げたレイドにより、フレオールの一撃はタイミングを狂わされたのだ。
小雨の中ゆえ、水を含んではいるが、広げたワイズの旗は風や空気抵抗で、レイドの落下速度をゆるめ、フレオールの狙いを見事に狂わせる。
フレオールは慌てて魔槍を引き戻し、着地したばかりのレイドに再び繰り出すが、不安定な姿勢ながら真紅の穂先を左手の剣で受け流してのける。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
剣が一本しかなく、体勢が不充分な双剣でない魔竜に、フレオールは猛攻をかけるが、その勢いと攻守は十合の内に逆転する。
左手の一本ゆえに、レイドの剣撃は常の苛烈さと連続性を欠く。もし、この状態で初手であれば、フレオールは三十合くらいは互角に渡り合えたかも知れない。
しかし、先の攻防でフレオールの技巧やクセは見抜かれ、技量の差がさらに明白となり、早々に後退を重ねる状況に追い込まれたのだ。
接近戦を演じているため、フレオールに加勢するタイミングがつかめずにいたベルギアットは、不意に気を失って、その長い巨体を横たえる。
フレオールへの攻撃から一転、レイドに剣の腹で叩かれたベルギアットが、その衝撃で心臓を打たれたからである。
これが争旗戦でなければ、ベルギアットは心臓を刺し貫かれていただろう。
ベルギアットが倒れゆく、躍動する足場で、レイドはフレオールへの攻撃を再開する。
バランス感覚のいいフレオールだが、突然のことに、突っ込んでくるレイドへの対応が甘くなってしま
い、ゆるい魔槍の一撃は左手の剣に打ち払われ、懐への侵入を許してしまう。
「くっ」
苦境に呻きながらも、得物に固執せず、とっさに魔槍から手を放し、大きく後ろに下がろうとする判断は、間違ったものとは言えないが、それをレイドは追い詰める材料とする。
フレオールが手放した魔槍を右手でつかみ、相手の武器でレイドはその左足を打ちすえる。
「がっ」
倒れゆくベルギアットの背中で、こちらも倒れんとするフレオールの顎を、しっかりとした足運びで肉薄したレイドは、剣の柄で殴って気絶させる。
「ほう、悪運が強いな」
レイドのつぶやくとおり、倒れたベルギアットの長い巨体の約半分が湖に没しているのに、白目をむいて乗竜の背から転がり落ちたフレオールは、湖の中ではなく、地面の上で気を失っている。
魔法戦士と魔竜参謀をノックダウンさせたレイドは、まず投げた剣を回収すると、次にベルギアットが変身した際、地面に転がったアーク・ルーンの旗を拾いに行こうとし、足を止めた。
近づいて来る物音に意識を集中させると、そこに主にして弟子たるウィルトニアの存在を感じたからだ。
勝利の旗を手にする役を主に譲ることとした双剣の魔竜は、二本の剣を腰の鞘におさめて、
「良き勝負であったぞ」
深々と気を失っている一人と一頭に一礼をした。