目覚ましハンマー
「おい! 起きろ!」
「ん……」
重たい目蓋を持ち上げながら、めぐみはゆっくりと体を起こす。どうやら意識を失っていたらしい。自分の隣にいる少年が自分の肩を揺らしながら声をかけている。ぼやける視界でその少年をめぐみは捕らえた。
「あれ……コタツくん?」
「やっと起きたか。まったく、お前はいつも無茶しすぎなんだよ」
「無茶……? なんのこと?」
「自分がやったこともう忘れたのか。お前は一人で邪神の中に突っ込んで行ったんだよ」
「邪神の中……? あっ!! そうだ、夕司!」
ようやく自分がしたことを思い出したらしい。邪神の中に取り込まれてしまった神矢夕司を助けるため、めぐみは単身邪神の中に突っ込んで行ったのだ。
めぐみは周囲を見回す。外から見たときはあんなに真っ黒だった物体が、中身は色のない真っ白だった。真っ白なため、ここがどういう形をしている空間かよく分からない。
だが、そんな色のない世界に一つだけ、色のある所があった。
神矢夕司が真っ白な邪神の内部に体を拘束されていた。
「夕司!!」
めぐみは急いで夕司のもとへ駆け寄る。
「夕司! 聞こえる!? 夕司ってば! お願い返事して!!」
めぐみは必死に夕司に声をかけるが、夕司からは何の返事もない。頭を垂らしている彼は静かに目を瞑っているだけだ。
「大丈夫だ。ただ意識がないだけだ。ちゃんと生きている」
「ホント!? ――じゃあ、とにかく夕司を助けて、さっさとここから脱出するよ」
虎龍に協力してもらい夕司を邪神の一部から引きはがした。少しは手こずると思っていたのだが、想像してたよりも簡単にはがすことができた。どうやらこの真っ白な体の一部は包丁などの刃物で簡単に切ることができるらしい。これなら脱出の方も意外と簡単にいくかもしれない。そうめぐみが思っていたところで、急に男の声がこの真っ白な空間に響く。
「二度目だが、そこまでだお嬢ちゃん」
「誰っ!?」
声の方に振り向くと初老の男が立っていた。が、その男は顔と足だけしかなく、胴体の部分が見えない。
「ここだ。――ああ、そうか。白衣を着ているから見えずらいか。ホレ、これならどうだ?」
ヌッ、と男の胴体が急にそこに現れた――ように見えた。だが実際には男はただ白衣を脱ぎ捨てただけである。この真っ白な空間に白衣が溶け込んで見えたのだろう。
「お前は、ロイス・ウェイトリー!」
虎龍は男に向かって噛みつくように言う。
「まさか猫にまで呼び捨てにされるとはな。私もかなり舐められたものだ」
「俺達に何の用だ! 邪神はもう召喚された。俺達に構う理由など無いだろう」
「それがそうもいかない。『死霊秘法』、『バルザイの堰月刀』。そしてそれらの次に大事なのが、そこの『神矢夕司』なのだよ」
「ちょっとそれどういうこと!?」
流石のめぐみも黙っていられなかった。どうやらロイスはまだ夕司を使おうとしているらしい。
「そうだな。まだまだ時間はかかるし、特別に教えてやろう。そもそもこの邪神はそれら三つを現実世界に運ぶためだけに呼び出したものなのだ。さっきも言った通り、私の目的は現実の世界で邪神を召喚することなのだよ」
「成る程。現実世界で邪神を召喚するのに、また神矢夕司を利用するって訳か。だがどうやって現実世界へ運ぶ?」
虎龍はロイスの話に乗っかりつつも、後ろにやった右手から、小さな秋刀魚ソードを創り出す。
「分からないか? あのランドルフ・カーターは、現実世界にあった『死霊秘法』をここ『夢の国』に持ち込み、密かに隠していたのだ。ここは夢の中。当然、現実の物を持ち込むことなど常識で考えれば不可能なはず。それなのに、実物の『死霊秘法』はちゃんと『夢の国』に保管されていた。……ここまで言えば分かるだろう?」
もうほとんど答えを言っているようなものなのだが、「え、ぜんぜんわかんない」と呟くめぐみの頭に虎龍はチョップを喰らわし、その正解を口にした。
「『夢の国』は現実世界と繋がっている……つまり夢を介さずに、直接現実世界から『夢の国』に来られるってことか」
「正解」
ロイスは口の端を吊り上げながら気色悪い笑みを浮かべる。
「未知なるカダス…………隠されしレンの更にその奥にあると言われている場所だ。まず間違いなくそこが現実世界とリンクしているだろう。カダスなのかレン高原なのか。どちらかは分からないがこの〝ヴェスリキア=クァーリ〟ならば、その未知なる土地全てを埋めることができ、更にはそのまま現実世界にまで分裂を広げるだろう。そうなれば、後はこの邪神の中を通って現実世界に行けばいい。――簡単な話だろう?」
ヴェスリキア=クァーリ。それがこの邪神の名称。『夢の国』全土を埋め尽くして、そのまま現実世界までをも浸食するために呼び出した邪神だ。
こうして話している間にも、この邪神は一三秒に一回という驚異的なスピードで増殖している。ロイスがこの単純な方法を選んだのも、規格外の増殖スピードに目を付けたからであろう。
「さあ。話は終わりだ。神矢夕司を素直に引き渡せば見逃してやろう。この邪神は物理的な攻撃には弱いから簡単に脱出できる。そしてさっさと現実に戻るがよい。いちいちここでお前らの命を奪ったところで私には何のメリットも、何の興味もない」
そう言ってロイスが顔を意味もなく横に向けたその一瞬だった。
視線をズラしたその一瞬の隙を突いて、右手に隠していた小さな秋刀魚ソードを一気に六本まで増やし、それをロイスに投げつける。
「フン」
しかしロイスは気付いてましたと言わんばかりに、それをヒラリと簡単に躱す。
が、
「――なっ!」
躱すであろうその先に、虎龍は左手で創った新たな秋刀魚ソード一〇本投げていた。ロイスは明らかに虚を突かれたような表情を取る。
「甘いんだよ!!」
しかも追い打ちに右手でいつもの大きさの秋刀魚ソードを構えていた。間合いもかなり詰めたし、絶対に躱せない。虎龍はそう思っていた。だが、
「甘いのはそっちだ」
放った一〇本の秋刀魚ソードが急に何かに弾かれ、見えないその何かはそのまま虎龍に衝突した。
「ぐぁ!!」
「コタツ君!」
ロイスの見えない攻撃によって虎龍はめぐみの所まで吹っ飛ばされた。
「だ、大丈夫っ?」
「くっ……そ、見えない…………攻撃か」
虎龍の状態は悲惨だった。
咄嗟にガードした両腕はあらぬ方向に折れている。鼻と口から血を垂らし、意識がもうろうとしていた。足にも酷くダメージを受けたようで立つこともできない状態だ。
「これでもう動けまい」
ロイスがつまらなそうに言う。
純粋な身体能力だけで見れば、虎龍の方が優れている。しかしロイス・ウェイトリーはこの世界を創造した『造物主』の一人。〝想像力〟の質と量が圧倒的に虎龍を凌駕している。並の『夢見る人』では『造物主』に太刀打ちできないのだ。
「視覚に頼る人間にとって『見えない攻撃』ってのは一番の脅威。ああ、猫は耳が優れていたんだっけな。だがこの攻撃は音も消している。貴様等にこの攻撃は感知不能だよ」
ロイスがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
それに気付いた虎龍は折れた腕でめぐみの首に回し、ぐいっと顔を近づけさせた。
「ぐっ……お前……は、神矢夕司を連れて……逃げろ。俺が……ハァ……、時間を稼ぐ」
「そ、それじゃ意味ないでしょっ」
「こいつを助けに来たんだろうが。早くしろ!」
真剣な顔つきでめぐみを睨んでいる。めぐみも虎龍が本気で言っていることが十分に伝わった。
だからこそ。めぐみは思いっきり、虎龍の両頬を掌で叩いた。
「ぶぶッ!? な、なにをする!」
「コタツ君何も分かってない。大事な人を助けるために、大事な人を犠牲にしちゃあ何の解決にもならないでしょ」
「お、おい……なにをするつもりだ?」
虎龍が伸ばす手を振り払い、めぐみは虎龍と夕司の前に立ち、ロイスに立ちはだかった。
「夕司は渡さない。結局、夕司がおかしくなったのはあなたのせいなんでしょう?」
「私は小僧に必要な分だけの知識を提供しただけだ。それ以外は何もしておらんよ」
「嘘。あなたは夕司をたぶらかして、自分の都合のいいように夕司を利用している。そしてこれからも。そんな人には絶対夕司を渡さない!」
めぐみは毅然とした態度で言った。
めぐみの真っ直ぐな目を見て、ロイスはたまらず溜息をついてしまう。
「はぁ……お嬢ちゃんを見ていると、どこかの馬鹿を思い出す。……ラストチャンスだお嬢ちゃん。痛い思いをしたくなければ、神矢夕司を置いて今すぐ逃げるんだ」
これに対し、めぐみは明確な意志をロイスに告げた。会ったときからずっと日本語を話す彼に対し、より分かりやすく一字ずつハッキリと言う。
「い・や・よ!」
「なら仕方ないの」
ロイスは左手を前にかざす。
見えない攻撃。威力も範囲もスピードもタイミングも質量もエネルギーも、全てが不明の攻撃。
だがめぐみは戸惑うことなく、ロイスが左手をかざしたと同時に〝想像力〟である物を創り、それで防御するように構えた。
それはほぼ透明な物でその輪郭だけが辛うじて見えた。そのシルエットはハンマーの様な形。ハンマーの打つ部分で、ロイスの見えない攻撃を受け止めるようにめぐみは構える。
両者が激突する。
ロイスの攻撃は質量が一〇〇トンの巨大鉄球を見えなくし高速で衝突させるという単純な攻撃。生身の人間がタイミングも分からず、不意にこれに襲われたらひとたまりもないだろう。仮に分かったところで、高速で襲ってくる一〇〇トンの鉄球を喰らって無傷で受け止められるほど、人間の体はそこまで丈夫ではない。
なのに。
めぐみはこの攻撃を、真正面から受け止めた。
「んんッ!!」
「なんだとっ!?」
めぐみが創り出したほぼ透明なハンマーはその鉄球を正確に受け止め、その威力の大半を打ち消した。僅かに残ったエネルギーがめぐみを少し後退させる。
「あ、有り得ん。貴様一体何を『創造』した? 半端に具現化された物で耐えられる攻撃じゃないんだぞ!」
その半端に具現化されたハンマーがめぐみの手から消えてしまう。
「はぁ……はぁ……はぁ、やった。成功した……」
かなり息を切らしながらめぐみは今の〝想像力〟に、確かな手応えを感じた。しかし維持ができない。
「(もって三秒……。それじゃあ防御して終わり。攻撃するために間合いを詰めてる間に、あの見えない攻撃されたら避けることはできない)」
作戦を考えている間もロイスは攻撃を仕掛けてきた。
めぐみにとってはあの見えない攻撃のタイミングは分からない。だからロイスの右手の動きに合わせて半透明なハンマーを創り出し、ロイスの攻撃の威力を低減させるしかなかった。
ロイスの二度目の攻撃もめぐみは防御することに成功する。
「フム…………」
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
まだ二回目の攻撃を受け止めただけというのに、もはやめぐみは限界に近かった。
「どうも私の攻撃を受け止める術を見出したようだな。そんなことが出来るのはカーターだけだと思っていたが……。まあ攻撃の方法は無限にある、が。もはや虫の息。わざわざ対策を取らんでもあと一、二回攻撃すれば終わりじゃな」
「ぜぇ……ぜぇ……」
ロイスの読み通り、めぐみにはもう抵抗するだけの力が残っていなかった。次、攻撃されれば絶対に受けきれないと自分で分かっている。
もう倒れてしまいそうなのに、それでも目の前のロイスを睨みつけるめぐみ。そんな彼女を斜め横から見ていた虎龍は、これ以上は本当に危険だと判断した。
「おい。めぐみ」
「ぜぇ……なに?」
「声に出さなくていいから答えろ。お前は、奴の攻撃を受け止める方法を見つけたんだな?」
めぐみはゆっくりと首を縦に動かす。
「だけど、現実的に不可能な機能、或いは余りにも無茶な能力を付与させようとして上手くいってないんだろ」
またしてもめぐみは首を縦に動かした。
「なら。俺の胸に手を当てろ」
「むね……?」
「いいから言われた通りにしろ!」
めぐみはしゃがんで虎龍の胸に手を当てる。
「なにをしている?」
二人の奇妙な行動にロイスは問いかけるが、二人は無視した。
めぐみが虎龍の胸に手を当てると、まるで虎龍の体が液体になったように、スルッとめぐみの手が虎龍の体の中に入っていった。
「ひっ……!」
「戻すな。痛くねえよ。中に暖かい所があるだろ?」
「う、うん」
「そこに触れて、もう一度さっきの武器を〝想像力〟で創れ」
「え?」
「早くしろ! 今度は絶対に上手くいく」
「うん、わかった!」
めぐみは集中するため目を瞑り、言われた通りにしてさっきの武器を頭の中でイメージする。
形、色、大きさ、重さ、能力……そして込める想い。
めぐみがイメージする武器が、今度はちゃんと具現化されていく。
その様子を黙って眺めていたロイスは急に慌てだした。
「あいつら……まさか…………『羽化術』をするつもりか!?」
ロイスはめぐみと虎龍がしようとしていること理解し、それを阻止しようと見えない攻撃を〝想像力〟で創り、めぐみ達に放った。
だがその見えない攻撃はめぐみに衝突することなく、その手前で消滅した。
「なにッ!?」
「もうあなたの攻撃は効かないよ」
めぐみは自信たっぷりの顔で言う。
めぐみの手にはしっかりと具現化された武器が握られていた。ロイスの攻撃をその武器で受け止め、そして消滅させたのだ。形はさっきと同じなのだが、それはハンマーと言うよりかは……、
「なんだそれは」
「おじさんこれ知らないの? これは『ピコピコハンマー』よ」
ギザギザした赤いハンマー部分の真ん中には可愛らしい星マーク。柄は魔法のステッキのようなデザイン。そしてその全長は一メートルもある。
大きなピコピコハンマーを両手で持ち、めぐみは剣道と同じ構えを取る。
「ふ、ふざけているのか……?」
「そう思うなら一発喰らってみなさいよ。きっと、スッキリ目覚められるから」
「戯れ言を!!」
ロイスは見えない攻撃を放つ。今度はめぐみの頭上から、巨大な鉄球を見えなくしての攻撃。これなら完全に察知できまい、そうロイスは思っていた。
だが、めぐみはそれをまるで見えているかのように、簡単に避けてしまった。
「ッ!?」
めぐみは前に出てその攻撃を避け、一気にロイスとの間合いを詰めていく。
「剣道部員を舐めないで! 例え攻撃が見えなくてもね、あなたの目を見ればどこから攻撃してくるか丸わかりなのよ!!」
闘いの基本。それは相手の目を見ること。
ロイスは決して戦闘のプロではない。ただ『夢の国』の中で最強ランクの存在ではあるが、剣の達人でもなければ格闘のチャンピオンでもない。
彼が目による戦いに不慣れであることを、めぐみは見抜いたのだ。
「くそォ!」
直進してくるめぐみに対しロイスは再び攻撃を繰り出す。重さ一万トンの鉄球。もはや隠す必要などないと思ったのだろうか。ロイスはその攻撃を『見えない』効果など付与せず、めぐみの目と鼻の先に放った。
「試合慣れしてない人ってね、焦ると攻撃が単調になるのよ」
小さな動作でピコピコハンマーを鉄球に当てる。すると、ロイスの創り出した鉄球は音もなく消えてしまった。
「ど、どうなっている!?」
「このピコピコハンマーはね、すべての『夢』を覚ます効果があるのよ。つまり――」
めぐみはジャンプしてピコピコハンマーを大きく振りかぶる。
「夢ばっか見てないで、いい加減目ェ覚ませってことよッ!!」
ピコン! と軽快な音を立ててハンマーはロイスの脳天に直撃した。
悲鳴などない。絶叫もない。怒号も、雄叫びも。
目を覚ますのに、それらは必要のないことだ。ピコピコハンマーの直撃を喰らったロイス・ウェイトリーは静かに『夢の国』から消え去った。
よって真っ白な空間に残されたのは、ピコピコハンマーを持つ雲英めぐみと、彼女が守りたかった神矢夕司の二人だけである。
「はぁ……はぁ……やった!! 想像通りの効果だよ! すごいよこれ。わたし、すごいの創っちゃった! ねえ、見てたコタツ君――――れ?」
いない。
そこにいると思っていた虎龍がいない。
振り返ってもめぐみの視界に映るのは未だ意識のない神矢夕司ただ一人。
「あ、あれ? コタツ君? どこ? どこ行っちゃったの……。あれ? だってさっきまでそこにいて……」
右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、上を見ても、下を見ても、前を見ても……。
どこにも虎龍はいなかった。
「ねえ、隠れてないで出てきてよ。ちょっとこんな時にかくれんぼ? そんなの今度付き合ってあげるからさ……だから……出てきてよコタツ君!!」
「虎龍は…………いない……」
「え?」
弱々しい男の声。それは倒れている神矢夕司から発せられているようだ。
「ゆ、夕司! 気がついたの?」
「少し……前からな」
夕司のもとへと駆け寄り、彼の上体をゆっくりと起こした。
「大丈夫?」
「いくら……呼んでも虎龍は出て来ないぞ」
「な、なんで?」
「お前は分からないでやったんだろうが……その武器こそが、虎龍自身なんだよ」
夕司はめぐみが持つピコピコハンマーを指して言う。
「え? はぁ? ちょ、なに意味不明なこと言ってんの!?」
「〝想像力〟の技の一つに、『羽化術』というものがある」
「メタモルフォーゼ?」
「俺達はこの世界で実体こそあるものの、その本質は『魂』の塊のようなもの。〝想像力〟はこの魂のエネルギーを消費して発動される。だが『羽化術』は、この魂自体を〝想像力〟によって変形させてしまう技なんだ」
「魂の……形を変える……?」
めぐみはカーターから、『夢の国』に入れば実体を得ると聞いていた。心臓も血液もあり、傷つけば血は流れるし、心臓を刺されると死ぬとも言っていた。
だから魂の塊と言われても、いまいちピンとこなかった。
「魂は生命の源。〝想像力〟によって一部魂を失っても、魂には修復しようとする力がある。だが、『羽化術』は魂の本質そのものを変えてしまうんだ。これにより普段〝想像力〟で創るのが難しいものが簡単に創れたり、強力な能力をもった物も創れる。その代償として、『羽化術』によって魂の形を変えられた奴は、二度と元の状態に戻ることはできない」
「え……じゃあ、わたしがやったことって……」
「お前が『羽化術』で虎龍の魂をそのピコピコハンマーに変えたんだよ。虎龍のサポート付きでな。奴はもう元の姿に戻れず、ずっとそのままの形だ」
衝撃が走った。めぐみは自分がやってしまったことを理解し、そして拒絶した。
「ウソ……ウソよ、ウソ!!」
「残念ながら、本当だ」
「ウソ……。わたしがそんなっ……だってわたし言ったもん。なのにコタツ君…………ぅあああああん」
へたりこんで泣き出すめぐみ。自分のやってしまったことの後悔と、虎龍に裏切られた怒り、もう二度と会えない悲しみなどがない交ぜになって、それらが涙となって彼女の目からこぼれ落ちる。
「戻ってよ。もとに戻って。お願いだから戻って。もとに戻れ戻れ戻れ戻れ……もどってよ…………」
めぐみの声は段々と弱くなっていった。しかし涙だけがますます溢れ出てくる。
泣きじゃくるめぐみ。
昔から、そんな彼女をいつも助けてくれるのは、幼馴染みのちょっとした一言。
「虎龍にもう一度会いたいか?」
「……た、助かるの?」
「ああ。俺を信じろ」
夕司はおもむろに立ち上がり、この真っ白な空間にポツンと落ちていた『死霊秘法』の所まで行った。
まともな人間なら触れる事すら危険な『本』。夕司は屈んで、『強仕なる使者』によって侵された左手でその『本』に触れた。すると、ズズッ、と左手が『死霊秘法』の中にのめり込まれる。
「なにしているの、夕司……?」
夕司は『死霊秘法』にのめり込んだ左手を少し動かしている。まるで何かを探しているようだ。
そして夕司は確かな感触を覚え、そのまま左手を『本』から抜き出した。そして『死霊秘法』から出てきた彼の左手にはあの『剣』が握られている。邪神の召喚のために使われた、あの『バルザイの堰月刀』だ。
「めぐみ。ピコピコハンマーをこっちへ」
「う、うん」
めぐみはピコピコハンマーを両手で大事そうに持って、夕司のもとへと駆け寄る。夕司との距離がだいたい二メートルくらい近づいた瞬間だった。
背を向けていた夕司が急にめぐみの方に振り返り、『バルザイの堰月刀』で切りつけてきた。
「ひッ!?」
咄嗟にめぐみはピコピコハンマーで夕司の攻撃をガードしてしまう。
だが、不意を突いての奇襲の割には、衝突した両者の武器の衝突音はかなり弱々しいものだった。コツン、という小さな音。夕司は直前で手を緩めたようだ。
しかし。『バルザイの堰月刀』にとっては、それだけで十分である。当たった所から、ピコピコハンマーは小さな光の粒子となって崩れていき、『バルザイの堰月刀』の中に吸い込まれていく。
「あ、ああっ、何やっての夕司! これコタツ君の魂なんだよ!?」
「『バルザイの堰月刀』は、吸収した魂を変質させる能力がある。儀式に魂のエネルギーを使うため、より多くの魂を吸収できる工夫だ」
「で、でもッ――、」
「いいから聞け。虎龍を救うにはまず魂の形をリセットする必要がある。お前の『羽化術』によって、虎龍の魂はあのピコピコハンマーに固定されちまったんだよ。だがらまず、その魂の形を変質させ、形無き状態にする」
「形が無い……? イメージしづらいなあ」
「イメージとしては、ドロドロのスープ状にしたってのが近い。とにかく、今虎龍の魂はこの『剣』の中にある。そしてこの『剣』を現実世界に持ち帰り、虎龍本体の中に直接流し込むんだ。魂は元に戻ろうとする力がある。本体にも戻った魂はきっと本来の形に定着し、意識を取り戻すだろう」
ああなるほどねー、と何となく納得するめぐみだが、ふと、聞き捨てならない言葉を思い出した。
「ちょっと待って夕司。コタツ君の本体が現実世界にあるってどういうこと!? コタツ君は『夢の国』の住人でしょう?」
結構真面目に言ってるめぐみだが、対する夕司は「は?」という表情。
「お前……鈍感なのにも程があるぞ」
「へ?」
「〝想像力〟は『夢見る人』だけの特権だ。『夢の国』の住人は使えないんだよ。奴は、虎龍は〝想像力〟で秋刀魚ソードを創っていただろう?」
「あ……」
言われてみればそうだとめぐみは気付いた。虎龍は今まで何度も〝想像力〟で秋刀魚ソードを創り出していた。ならば、虎龍は『夢見る人』だということになる。
「いやでもおかしい! だってコタツ君、自分の事ネコだって言ってたよ!」
「『夢見る人』はなにも人間限定の話じゃないだろ。夢見る動物すべてが、ここ『夢の国』に入ることが可能なんだから」
そう言えばカーターも最初、そんなことを言っていたなとめぐみは思い出す。つまり虎龍は現実世界の猫ということだ。それが意味する事は…………。
「とにかく行くぞ。次はこの『バルザイの堰月刀』を現実世界に持ち帰る必要がある」
「そんなことできるの? まさか、あのおじさんが言ってた方法で持ち帰るつもり?」
つまりそれはこのヴェスリキア=クァーリを現実世界まで増殖させようという方法。だが、夕司はその方法を選ばなかった。
「いや。他にもアテがある」
その直後。ズバッ! と白い空間が裂け、裂け目から真っ黒な空間が現れる。その裂け目の中心に、スーツ姿のあのイケメン紳士が立っていた。
「カーターさん!!」
「やあミスめぐみ。助けに来ましたよ。いやあ、この邪神が物理攻撃に弱くてよかった。おかげで簡単にここまで辿り着けましたよ。……おや? ロイスがいませんね」
「聞いてカーターさん! あのおじさんならわたしが倒したんだよ!」
「めぐみが? まさか殺したのですか?」
「そっ、そんなことしないよッ。あのおじさんは今頃きっと、ベットの上で目を覚ましているはずだから」
「強制的に彼の目を覚ましたということですか…………困りましたね」
カーターが苦い顔をする。この世界から取り逃がしたことを後悔しているようだ。
「あの……カーターさん、まずかったかな? わたしその、追い返すだけで精一杯だったし……」
「あ、いえ失礼。良くやってくれましたよミスめぐみ。あなたが生きているだけでも私は嬉しいです。しかし……虎龍の姿もありませんね。まさか…………」
するとそこへ二人の会話を遮断するかのように夕司が割り込んできた。
「虎龍のことはあとで話す。それについてあなたに頼みたいこともある。とにかく、まずは安全な所まで連れて行って欲しい」
カーターは夕司の顔を見て、そして彼が左手に持つ『バルザイの堰月刀』を見る。
「分かりました。まずはここから脱出しましょう。比較的害の少ない邪神の体内であっても、長居は危険ですからね。二人とも、これに捕まってください」
カーターは両腕から黒い塊を出し、それらはやがて悪魔のような形へと変わっていく。
めぐみと夕司は、カーターの創り出した夜鬼の背中に乗った。二体の夜鬼は先に空間の裂け目から脱出する。
一人残ったカーターは真っ白な空間に落ちていた『死霊秘法』を拾い上げ、ボソリと独り言を呟いた。
「何が神様だ。結局守れたのは、今すぐ燃やしてしまいたいこの禁書のみ。力のない神など、いないのも同然じゃないか」
『造物主』の一人ランドルフ・カーターはそんなことを力なく言い、『死霊秘法』を携えてこの真っ白な空間から、闇のような真っ黒な空間へと消えていった。