外なる神
めぐみは夕司の姉を踏み台にして夕司に飛びつき、そのまま抱きついた。ただ抱きつくだけでなく、夕司の両腕を封じるようにめぐみは腕を回す。
「捕まえた! もう逃がさないぞ」
「くそッ、いつの間に接近した!?」
「へっへー! めぐみ流遁術・其の五〝カメレオンマント〟。背景に溶け込んで近づいたのよ。こうやって不意を突くためにね!」
勿論夕司の姉の攻撃対策でもある。
めぐみが〝想像力〟で創ったマントとは、背景に完璧に溶け込めるような万能マントではなく、単にめぐみが背景の色と近い色のマントを創って被っただけである。よくよく見ればバレてしまうかもしれないが、一瞬の隙を突くには十分な代物だ。
「あとはカーターさんが『本』を奪えばもう終わりよ! 男なら潔く諦めなさい。夢の中とは言え、夕司のしてきた事はいけないことなのよ」
「黙れ! お前に何が解る!?」
「わたしも一緒に付いていてあげるから、みんなに謝るの。例え牢屋に入れられる事になっても一緒にいてあげる。……もう、夕司を一人っきりにさせないから」
「うるさいッ!! 俺の隣にいるのは――隣にいて欲しい人は、姉さん一人だけだ!!」
「お願い夕司…………もう止めよ」
自然と体に回している腕に力が入る。
それに呼応するように、一層束縛を解こうとする力も増した。
その時だった。
『死霊秘法』を引っ張っている何十本もの見えない手が、いきなり砕け散ってしまった。
よって。急に引っ張る力がなくなったため、夕司の姉は勢い余って後ろにいためぐみにぶつかってしまう。
「きゃッ!」
ぶつかった衝撃で夕司の拘束を解いてしまった。痛みの衝撃で一瞬目を瞑ってしまい、次に目を開けたときには夕司ではない別の顔が目の前にあった。
目を赤く光らせている、夕司の姉だ。
「あっ、やばッ――」
回避することも防御することもできない。それどころか反応すらできずに、めぐみは吹っ飛ばされてしまう。
しかし地面に激突することは免れた。虎龍が上手くめぐみをキャッチしたからだ。
「あてて……ありがとコタツ君。――カーターさん! 何で引っ張るの止めちゃったのよ!」
「いや。私が手を止める理由はありませんね。あれは何故か、私の手が急に砕け散ったからですよ。ミスター神矢の仕業ではありません。勿論、麗しのシスターでもないですね」
「急に? 何で?」
「そんな事より、マズイですよ」
「え、なんのこと……」
めぐみの言葉を遮るように、薄暗い神殿内に夕司の声が響き渡る。儀式を続行したようだ。
『力をあたえよ――』
夕司は赤い光を帯びる『バルザイの堰月刀』を逆手で持ち、その手を真っ直ぐ上へと持ち上げる。左手は『死霊秘法』に添えていた。
『力をあたえよ――』
更に剣を持っている手を、ぐぐぐっと後ろに回した。
その様子を見たカーターは右手を前に突き出し、狙いを夕司本人に定める。
「申し訳ありませんがミスめぐみ。彼には骨の一〇本、二〇本くらいは覚悟してもらいます!!」
「ちょ、それやり過ぎ――」
言い終える前にカーターは容赦なく夕司に攻撃を仕掛けた。カーターが夜鬼の次によく使う〝見えない攻撃〟。
攻撃方法を視覚的に見えなくすることで、相手の不意を突くことに徹底した攻撃方法。仮に相手が警戒したところで、こちらの攻撃手段が何なのかが解らなければ、回避どころか防御すら不可能な技。しかし〝想像力〟で創り出した攻撃に、更に〝見えない〟という能力を付与するには、かなりの高度な〝想像力〟を有するのだ。
それに対する防御方法も然り。一朝一夕でできるものではない。
なのに。
カーターの攻撃は夕司に届くことなく、その手前でドドドドドドドドドッ! と見えない何かで返された。
「なッ!? これはまさか――」
しかしその解答を聞く合間もなく、事態は最悪の方へ進んでしまった。
夕司の、歪んだ最後の言葉がその最悪な事態を招く。
『力をあたえよ!!』
勢いよく夕司は『バルザイの堰月刀』を『死霊秘法』に突き刺した。
すると、ジジジジジジジジジジジッ! と放電しているような音が鳴り響き、突き刺した剣が視覚的に『ブレ』た。
分かりやすく言うと、TVのノイズのような現象。そのノイズはやがて少し上へ移動し、さらにそのノイズの範囲が広ががる。
そして〝それ〟は現れる。
広がったノイズからノッペリとした足のような物が出てきた。
次に関節が見当たらない腕。
丸い肩。
蝙蝠のような翼。
そしてマントを被ったような頭。
全体的に黒紫色の体。体長は約三メートルくらいか。シルエットは翼の生えた人間に見えるが、顔がどう見ても人間ではない。黄色い線が七本走っていて、中央の線だけが胸当たりまで伸びている。
口らしきものも、目らしきものも、鼻らしきものもない。明らかに異質な〝それ〟。
この広大な宇宙の、更にその外側に住まう邪神――『外なる神』。
「あれが邪神……? 思ったより小さ――――おぇうッ!?」
そんな感想を漏らした直後に、今まで以上の吐き気にめぐみは襲われる。
幸い、ここ『夢の国』に来てから何も口にしていないので吐くことはなかった。だが、異常なくらい気持ち悪い。かの存在はただそこにいるだけで、人間にとって不快感を抱かせる存在のようだ。
その不快な存在に、声を大にして言葉によるコミュニケーションを取ろうとする人物がいる。
神矢夕司だ。
「邪神よ!! 時空を超越し〝門の守護者〟よ!! この神矢夕司の願いを叶えよ。我が姉、神矢さつきの元へ俺を連れて行け!!」
夕司はノイズが走る邪神に向かって、己の望みを述べた。しかし邪神の反応はない。
代わりに、めぐみの隣にいるカーターが夕司に向かって叫んだ。
「違うッ! それは〝門の守護者(Yog-Sothoth)〟 ではない!」
「え? なにが違うのカーターさん」
めぐみの疑問を無視し、夕司の目の前にいる〝それ〟の適切な名称をくちにした。
「それは〝強仕なる使者(Nyarlathotep)〟だ!!」
は? ――という夕司の顔。そして邪神の顔にある黄色い線が光り出した途端、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
急に夕司は頭を抱えて叫びだした。
「ちょ、カーターさん! あれ、夕司どうしちゃったの? 苦しんでる!」
「おそらく邪神がミスター神矢に話しかけているのでしょう」
「話している? あれが?」
「音による伝達なのか、電波なのか。もしくは全く未知の伝達方法かもしれません」
「た、助けないとっ」
苦しむ夕司のもとへ駆けつけようとしためぐみを、虎龍が力強くめぐみの腕を掴み止めに入った。
「だ、駄目だ……。行ってはいけない……」
非情に気持ち悪そうな表情の虎龍。めぐみの腕を掴む彼の手は、汗でびっしょりだった。
「虎龍の言う通りですミスめぐみ。あれに触れてはいけません! 並の人間では精神が崩壊しますよ」
「でもっ、夕司がっ――」
その時、邪神に動きがあった。
触手のように滑らかな手が、夕司の左手を巻き付くように包み込む。ゆっくりと夕司の左手が持ち上げられ、やがて夕司の手が白銀に輝き出す。
より一層、夕司の絶叫が激しさを増した。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
夕司の左手が一番の輝きを見せた後、〝強仕なる使者〟はノイズの穴へと再び帰って行き、めぐみ達の前から姿を消した。同時に、ノイズの穴も消えていた。邪神が消えたことで当たり一辺を覆っていた不快感がなくなった。
どうやら事を終えて勝手に帰ったらしい。だが、夕司の左手は未だ輝いたままである。
「邪神と契約を結んだのか……? ならあの左手は…………まさか」
「ねえカーターさんもういいでしょ!? 邪神いなくなったんだしっ。コタツ君も早くこの手を放してよ!」
「いや……まだです。なにか、様子がおかしい」
再び夕司の左手の輝きが増した。さきほどとは比べられないほどに。すると掲げられた左手のすぐ上の空間にまたノイズが走る。
「カーターさん! また空間がブレてるよ! どういうこと!?」
「これは……また邪神を呼び出そうとしている……? だがミスター神矢の意識はもうないはず」
カーターの言う通り夕司の意識はもうすでになく、完全に白目をむいていた。生きているのかどうかさえ怪しい状態である。
「今度こそ本当に止めなきゃ危ないよカーターさん! 夕司、このままだと死んじゃうかもしれない!!」
「分かってますからめぐみはそこにいてください。虎龍、絶対に手を放してはいけませんよ」
邪神が消えたことにより、虎龍も気分がかなり回復しので、めぐみを押さえる手にも力が増す。
「言われなくても」
カーターは自分の腕から夜鬼を一体創り出すと、それを夕司に向かわせた。
高速で夕司に向かう悪魔のような夜鬼。しかしあと一歩の所で夜鬼は、一本のロングソードによって頭から串刺しにされ、塵になって消えてしまう。
「ああっ!? 刺されちゃった」
「上だ! カーター」
「ええ。どうやら先程の私の〝見えない手〟が砕け散ったのも、〝見えない攻撃〟を防いだのも奴のせいですね」
ちょうど夕司の真上一〇メートルくらいの所に男が浮いていた。
白髪が多い初老くらいの年齢で、白衣を纏い、手にはあのおぞましい『死霊秘法』を持つ男。
「ロイス・ウェイトリー!!」
死んだはずの男がそこに悠然と浮いている。めぐみ達三人を見下ろすロイス・ウェイトリーの表情は、至極ご満悦といった感じだ。
「えぇ!? うそ……だってさっき夕司が……刺したハズじゃあ」
「まさか……分霊術?」
虎龍がめぐみにとって聞き慣れない単語を口にする。
「ええ。どうやらそのようですね。私の『夜鬼』やミスター神矢のシスターと同じ技です。きっと、ミスター神矢が刺したのは分霊術によって創られたダミーの方だったのでしょう。入れ替わったのはおそらくこの神殿に入った瞬間ですね」
「でもカーター。神矢夕司はそのダミーを刺して儀式を始めたよな?」
「ダミーと言っても、分霊術は本人の〝魂〟を好きなように分割する技です。『バルザイの堰月刀』からしてみれば、ダミーだろうと本体だろうと同じ〝魂〟です」
「なるほど……」
「ちょっと二人とも! わたしを置いて勝手に納得しないでよ! さっきから意味分かんない」
一人会話に付いていけず怒るめぐみに対し、カーターは適切に、めぐみを安心させる言葉をかける。
「要は、ミスター神矢はロイスを殺していないってことですよ」
「そ、そっかぁ」
胸の中にあった重たい何かが降ろされた気分にめぐみはなった。ギリギリ、人としての一線を越えていないことに、心底安心したようだ。
だが、そこへロイスの非情な大声がめぐみの安堵を台無しにする。
「カーターァ!! 呑気に無駄話をしている場合か!? ワシはもう、準備を終えたぞ」
遠目で見るとロイスの口が小さく動いているが、何と言っているか分からない。その動きは二秒もかからず一瞬にして終わり、『死霊秘法』が黒く輝きだした。
そして。
意識のない夕司の頭上にあるノイズが、今度はモヤの様に変化した。いや、モヤと言うよりかは空間が歪んでいる。
そして。
そこから黒い何かが夕司の元へ落ちた。それは夕司より一回り大きい物体で、夕司をすっぽりと包み込んでしまう。
そして。
モゾモゾモゾモゾッ!! と一瞬にしてその黒い物体は所々膨れあがり、やがて直径五メートル大の円筒形になった。
そして。
またそれは一気に膨れあがり、その中心に亀裂が生まれ、その黒い物体は二個に分裂した。二個は次に四個になり、四個は八個になり、八個は一六個と徐々に数を増やしていく。
「これは……増殖している?」
「どうするカーター。増殖のスピードが速すぎる!」
数をどんどん増やす黒い物体は、次第に虎龍達を逃げ場のない壁へと追い詰めていく。
「虎龍とめぐみは一旦逃げてください。これは私がなんとかします」
しかしまたしても、カーターの指示は無視されることになる。
「夕司ッ!!」
雲英めぐみが、虎龍の制止を振り切り、増殖する黒い物体へと突っ込んで行ってしまった。
「戻りなさいめぐみ!!」
当然、カーターの言うことなど聞かず、めぐみは〝想像力〟で宙に浮くと黒い物体の丁度真上まで飛んでいった。
そこまでの移動中でめぐみは更に〝想像力〟で自分の四倍はある長い薙刀を創り出した。
「くそッ! 待てめぐみ! 一人じゃ駄目だ!!」
虎龍も宙を飛び、めぐみを追う。
虎龍が動き出したと同時、めぐみは長い薙刀を勢いよく黒い物体同士の丁度割れ目に突き刺し、それに沿って黒い物体の中へと降りていった。
そして黒い物体へと自ら飲み込まれていっためぐみを追うように、虎龍も躊躇なく、同じルートで黒い物体へと突っ込んで行く。
その様子を見ていたカーターは、珍しく悪態をつくように舌打ちをした。
「まったく。全然言うことを聞いてくれない二人ですね。逆に素直に聞いたことがあったかと疑問を持ちたくなりますよ」
めぐみも虎龍もこの場から消えたが、ロイス・ウェイトリーの姿もなかった。その手に持っていた『死霊秘法』ごと。
「(非情にまずい状況ですね。邪神は召喚されるわ、『死霊秘法』は奪われるわ、裏切りのロイスは取り逃がすわ……私が直接対応しておいて何一つ好転していない)」
今や邪神と自分しかいないこの空間も、やがてはこの邪神に建物ごと飲み込まれてしまうだろう。すでにもう、カーターの一メートル先まで黒い物体は迫っている。
「(ここは一旦退くしかないですね。二人のことやロイスのことは、仲間を呼んで作戦を立ててからでしょう)」
カーターは左手を壁に押しつけ、いとも簡単にその壁を破壊し、外へと脱出する。
そのまま猫の神殿から十分に距離を取り、少し様子を見ることにした。
神殿の外ではまだ怪物たちと猫の兵士や夜鬼が戦っていたが、どうやら今は猫の兵士側の方がかなり優勢な状況だった。一目で双方の数に偏りがあることが分かる。
カーターは〝想像力〟で創った夜鬼を解除する。猫の兵士側の戦力が一気に減ったが、それでも怪物側より多かった。
だが。
そんな戦争などどうでもいいと言わんばかりに、黒い物体が神殿の外にまで広がってきた。
周囲にいる猫の兵士や怪物を飲み込みながら、それは増殖を続ける。
「増殖のスピードが桁外れですね。分裂にかかる時間が約八秒。分裂後から次の分裂開始までの時間が約五秒。つまり世代交代が一三秒…………異常すぎる。こんな邪神がいたとは」
しかもそれは一三秒ごとに一回り大きくなると言うことではなく、一三秒ごとに二倍の大きさに膨れあがると言うこと。さっき、神殿と同じ大きさにあったその邪神は、一三秒後には神殿の倍の大きさに膨れあがっている。そしてその一三秒後には更に二倍……また一三秒後にはその二倍……というふうに。
「このままではいずれ『夢の国』があの邪神で飽和してしまいますね。……そうか、それが狙いか。ロイスめ」
カーターはいよいよ焦りだした。放っておけば『夢の国』全土がこの邪神で満たされてしまう。この国に住む住人や、夢見る人全てを飲み込んで。
しかもあまり考えている時間もない。増殖するスピードが地球のどの生命よりも速すぎる。いったい何時間もつか……いや、何分もつかと考えた方がいいかもしれないとカーターは思う。
「狙いは分かりました。――とにかく急いで仲間を招集しなくてはいけませんね」
カーターは身を翻し、その場から消えてしまった。
そしてその数秒後に、カーターが先程までいた所を黒い物体が増殖によって空間を埋めていく。
取り残された邪神はただただ、意志を持たず、感情を持たず、目的を持たず、反撃してくる『夢見る人』や逃げる『夢の国』の住人を無情に飲み込んでいく。それだけではない。建物やそこに住む動物、植物など、ありとあらゆる物その全てを。
そう。増殖した過程で、たまたま飲み込んでしまっただけの話。これは悪意なき破壊なのだ。
そしてそんな邪神の中心に、幼馴染みを助けるためどこまでもどこまでも追い続け、自ら邪神に飲み込まれた少女がいた。
軽く意識を失い、倒れていた少女はゆっくりとその目蓋を持ち上げる。