第二話 いざ、フェンリエ公国へ!
――当日は、動きやすい服をお召しください。
輿入れの準備を進める中で、フェンリエ公国から「乗馬はできるか」と聞かれたので「嗜む程度だ」と答えたら、この返事だった。
言われた通りに、乗馬服を着る。結婚の打診から今日まで、あっという間だった。
「輿入れに乗馬服なんて、狼大公は何をお考えなんですかね」
侍女のアンヌが、私の服のボタンを留めながら唇を尖らせた。
「普通は綺麗に着飾っていくものですよ! そりゃあクリスティーヌ様はドレスじゃなくてもお美しいですけど!」
「きっと馬車だと国境の山脈を越えるのが大変なのよ。フェンリエ大公のお気遣いなのかもしれないわ」
「荷物も最低限だって言うし……まさか、不自由な生活をさせる気なのでは!?」
「私のために、公国で必要なものを揃えてくださっているのかもしれないわ。それよりアンヌ、あなたの準備は万全なの?」
「もちろんです!」
慣れ親しんだ、しかも同い年の彼女を連れていけるというのは心強い。出立の準備を終えて、屋敷を出る。庭先には、父と母が待っていた。
「ああ、クリスティーヌ! もうこんな日が来てしまうなんて……!」
父が涙ぐみながら両手を広げる。近づけば、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「あなた、泣くのはまだ早いわよ。来月には結婚式もあるのだから」
ふふふ、と母が微笑む。そのとき、遠くからドドドと何かが地面を蹴っているような音が聞こえてきた。
何の音かと視線を門扉の方へ向ける。ちょうど大きな塊が通過したところだった。
「わあ……!」
「ひっ」
目の前には、灰色の大きな狼の群れがいた。その背には騎士たちが乗っている。その凄みのある姿に思わず感嘆の声を上げた隣で、父が息を呑んだ。
「クリスティーヌ・ド・ラフォン様でいらっしゃいますでしょうか?」
「はい、私ですわ」
「我々はフェンリエ公国騎士団です。大公閣下の命により、お迎えに上がりました」
先頭を走っていた騎士が、狼から降りて敬礼をする。なるほど、公国へはこの大きな狼に乗って行くらしい。
「お、狼の背に娘を乗せるというのか!?」
同じことを思ったらしい父が、慌てたように声を上げた。その腰はちょっぴり引けている。
「ご安心ください。彼らは人を乗せることに慣れております。それに、万が一でも落ちないよう風魔法でしっかりとお守りいたします」
「まあ、魔法なんて素敵ね」
母がうっとりとした顔で騎士を見た。やはり公国騎士団ともなると、優秀な人材が揃っているらしい。
「お荷物は荷台を背負っている狼に。クリスティーヌ様には、あの一番大きな狼に乗っていただきます」
グウウ、と群れの中でも一際体の大きい狼が小さく唸る。その背には女性騎士が乗っていて、敬礼をしてくれた。
「お父様、お母様。お元気でいてくださいね」
騎士たちが荷物を載せてくれている間に、出立の挨拶を済ます。母は名残惜しそうに、父はポロポロと涙をこぼしていた。
「来月のあなたの晴れ姿、楽しみにしているわね」
「ううっ、クリスティーヌ。もし何かあったら、すぐに帰ってくるんだよ」
「アンヌ。娘のことを頼みましたよ」
「はい、奥様! おまかせください!」
女性騎士の手を借りて、狼の背にまたがる。手のひらに触れた毛並みはふわふわしていて、思わずぎゅっと抱き着きたくなったのを我慢した。
「お父様、お母様! それでは行ってきます!」
「出発!」
騎士の掛け声で、狼たちが走り出す。魔法のおかげか揺れはほとんどなく、そよ風が吹いているように空気が流れた。
王都の中ではそれはもう大変に目立った。行き交う人々の視線が私たちに刺さる。中には「わあ! 大きな犬さんだ!」なんてはしゃぐ子どもの声も聞こえてきて、思わず顔がほころんだ。
「クリスティーヌ様。怖くはありませんか?」
「ええ、ちっとも怖くないわ」
「それはよかったです。王都を出たら、もう少し速度が上がりますよ」
私を背中から支えてくれる女性騎士が笑った気配がした。その言葉どおり、王都の外に出た瞬間、景色が流れるのが速くなる。魔法で守られているおかげで、景色を楽しむ余裕もあった。
「すごいわ! 狼に乗るのは、こんなに気持ちが良いものなのね!」
「お気に召していただけたようで何よりです」
王都からフェンリエ公国まで、なんと二日で着くそうだ。馬車だと十日はかかるらしい。
「最初は馬車でお迎えに上がる話もあったのですが、長旅は疲れるだろうと大公閣下が心配されたのです」
「まあ。そうだったのね」
どんな方なのかまだ分からないけれど、これなら結婚生活もうまくいくかもしれない。
国境の山脈の麓にある村で一泊してから、山越えをした。狼たちは、馬車が通れないような岩場を跳び抜けて、スイスイと進んでいく。しなやかなその動きに、思わず見惚れてしまった。
「クリスティーヌ様。公都が見えてきましたよ」
女性騎士が指さす方に、オレンジ色の屋根が可愛らしい街が見えてきた。公都は城に向かって高台になるように作られているようだ。遠目にも街が一望できた。
公都の人たちは、私を快く迎えてくれるかしら? そんな心配は杞憂だった。
「わあ! 公妃様だ!」
「ようこそ、フェンリエ公国へ!」
公都に入ると、私たちを見た人々が歓声を上げた。どうやら私の輿入れは街中の人々の知るところらしい。至る所で歓迎してくれて、私は笑顔で手を振った。
そして城の前では、一組の男女と使用人たちが出迎えてくれた。
「いらっしゃい、クリスティーヌ嬢」
「よく来てくれたわね」
狼から降りたところで一番に声をかけてくれたのは柔和な雰囲気の男性と、思わず視線が釘付けになってしまうような女性だった。
「僕はルイ・ド・フェンリエ。こっちは妻のオルタンスだ」
ルイ様は前大公だ。つまり、私のお義父様とお義母様ということになる。
「お初にお目にかかります、ルイ様、オルタンス様。クリスティーヌ・ド・ラフォンでございます」
「そんなに堅苦しくならないでおくれ。気軽に呼んでくれて構わないよ」
「ぜひ、お義母様と呼んでちょうだい」
「ありがとうございます。そのようにさせていただきます」
私は二人にアンヌを紹介する。彼女にも柔らかい態度で挨拶を返してくれた。それにしても、目の保養になるご夫婦だ。この様子なら、フェンリエ大公もさぞ眩しいお方なのだろう。
「あの、大公閣下は……?」
しかし大公らしき方の姿は見えない。恐る恐る伺ってみると、お義父様とお義母様は困ったように顔を見合わせた。
「あの子は……少し政務が立て込んでいて……」
頬に手を当てながら、お義母様が言いにくそうに口を開く。フェンリエ大公はこの場にはいらっしゃらないらしい。
「まあ。お忙しいのですね」
会ってみたかったが残念だ。背後のアンヌからは黒い気配が滲み出た気がした。




