変わらぬ風景
「お若い方、1人旅かね?」
「あ、ハイ」
乗車している蒸気機関車の客車の中で、通路を挟んで隣の席に座る老人が声をかけてきた。
大学に入り最初の夏休みに1人旅を思い立ち、向かう先に空港が無いので飛行機は論外だけどヘリコプターやリニアモーターカーって手もあった。
だけど、情緒が無いと思い今乗車している蒸気機関車で目的地に向かっている。
「目的地はどこだね?」
「シュガードーナツ湖を見てみたいと思いまして」
「ああ、あそこは良い所だ、湖の傍に立ち入る事が出来ないのが残念だが」
「そうなのですよね」
「だけどそのお陰であの湖の周りは開発されず、昔ながらの風景を留めている事が出来ているのだから、仕方が無いのかも知れないな」
「それはそうなのですが……」
機関車が目的地より幾つか手前の駅に停車した。
「あ、ここだ、じゃお若い方、良い御旅行を」
「ありがとうございます」
話しかけて来た老人は手荷物を持って降りて行く。
僕は写真や宇宙からの映像でしか見たことが無い、シュガードーナツ湖の事を頭に思い浮かべる。
10億年程前、惑星の生物を殆ど全滅させた直径が数十キロ程ある巨大な隕石が活火山の上に落ち、活火山を押しつぶして巨大な淡水の内海を作り出した。
押しつぶされた活火山はそれから数億年程の年月をかけて、押しつぶされる前の高さまで盛り上がる、その盛り上がった部分が丁度内海のど真ん中で、上から見るとドーナツのように見えるのだ。
その山側と反対側の海岸沿いに、淡水性の白いサンゴの欠片が数億年の年月のあいだ積もり続け、まるで砂糖をまぶしたように見える事から、シュガードーナツ湖の名前が定着する。
400年以上昔までは、内海から取れる海産物を購入しようとしたり、内海と周囲の山々が織りなす四季折々の光景を見ようしたりする観光客が多数訪れ、内海とその周囲は発展し地方政府の首都が中央の島に置かれていた。
中央の島から見るシュガードーナツ湖と、内海を囲む山々の四季折々の絶景を映した写真を思い浮かべる。
春はシュガードーナツ湖の透明度の高い透き通るような青々とした内海の色と、湖畔の白いサンゴの欠片、そして山々を覆い尽くすように咲き誇る花々のコントラスト。
夏はシュガードーナツ湖の青色と湖畔の白色、それに生い茂る山々を覆い尽くす木々の緑。
秋は内海の青と湖畔の白、それと対照的な色で山々を染め上げる紅葉。
冬は周りの山々だけでなく、シュガードーナツ湖の名前の由来である砂糖をまぶしたような湖畔をも、覆い尽くして全てが砂糖でコーティングされたように見える、雪が降り積もった湖畔と山々それとシュガードーナツ湖の青色が織りなす光景。
それらの景色は言葉で言い表す事が出来ない程であったと、物の本に書いてあった。
しかし、ある生物学者が他では見ることが出来ない希少な生物相を、中央の島とその周辺の内海で発見した事により、400年前に総統命令による帝国直轄の自然保護区に指摘され、隕石の激突により盛り上がり出来上がった内海やシュガードーナツ湖をぐるりと取り囲む山々の内側が、シュガードーナツ湖自然保護区に指定されて立ち入り禁止にされる。
そのため巨大な内海を取り囲む山々のうち民間人の立ち入りが許されているのは、内海を取り囲む山々の外側の斜面の下半分と山々の一部の山頂部だけであった。
民間人の立ち入りが認められている山々の外側の下半分と一部の山頂部以外は、2000年程前に帝国が行った世界統一戦争において最大の戦果を上げ、中央政府では無く歴代の総統にのみ忠誠を誓う親衛隊の演習地となっている。
そのためシュガードーナツ湖を取り囲む山々と内海の上空は、民間機の立ち入りが禁止されていた。
200年程前帝都の高級官僚がその地位に物を言わせて、シュガードーナツ湖上空の遊覧飛行を試みた事がある。
しかし融通の利かない親衛隊に問答無用で撃墜されてからは、それを試みる者はいなくなった。
遠くにシュガードーナツ湖を取り囲む山々が見えて来る。
シュガードーナツ湖を取り囲む3000メートル近くある山を登るため、山々の手前の駅で2両の蒸気機関車が追加で連結された。
2両の蒸気機関車が連結され3両の機関車になったがそれでも機関車たちは、喘ぎながらシュガードーナツ湖を囲む山々の外側を頂上を目指し登って行く。
此処まで来るときに通り過ぎて来た丘陵地帯には牧草地が広がり、飼育されている多数の牛がゴマ粒程の小ささで見えていた。
機関車が山を登るに連れて丘陵地帯の向こう側に広がる、帝都まで続く広大な平野部が見えてくる。
遠く東の方角を見ていた目を、シュガードーナツ湖を取り囲む山々の外側に向けた。
山々の斜面を利用した棚田や段々畑、山の外側を流れ落ちる急流と落差が大きな滝、急流の先には水力発電所が見える。
3両の蒸気機関車は5時間程の時間を掛けて喘ぎながらも、ようやく山の山頂部にある地方政府中の島国の首都である中の島市の、シュガードーナツ湖畔駅に到着した。
蒸気機関車に連結されている、帝都民だけしか乗車出来ない1等客車から降りたのは僕だけだったけど、2等客車や3等客車からは帝国内の各地方政府管轄領から来た観光客が続々と降りて来る。
駅の外では、ホテルや旅館の客引きが観光客の争奪戦を繰り広げていた。
そんな中、駅から出てきた僕を見つけた客引きが、地方政府管轄領からの観光客やその観光客を相手に客引きをしてる者たちを突き飛ばし薙ぎ倒しながら駆け寄って来て、深々とお辞儀をしてから声を掛けて来る。
「帝都からお越しのお客様とお見受け致します。
お泊りになる宿はお決まりでしょうか?」
「否」
「それでしたら、当方のホテルは如何でしょうか? 山頂部に建っておりまして、どのお部屋からでもシュガードーナツ湖を見渡す事ができます」
「フーンそうなんだ、まぁ泊まれるなら何処でも良かったからアンタの所にするわ」
「ありがとうございます。
お荷物をお持ち致します」
客引きはまた深々とお辞儀をしてから手を伸ばして僕の持っていた荷物を受け取り、客引きの後ろにいる荷物持ちの者に渡す。
客引きと僕の荷物を運んでいる荷物持ちは、僕たちの進路上に立ち止まっていたり僕にぶつかりそうになったりする地方政府管轄領からの観光客を、突き飛ばし殴りつけて排除する。
突き飛ばされたり殴られたりした地方政府管轄領からの観光客の殆んどは、僕の姿を見てペコペコと頭を下げて遠ざかって行くが、僅かに僕が帝都民だと気が付かず突っかかって来る奴がいた。
そいつらは客引きの合図に気が付き駆け寄って来た、警邏中の中の島国保安警察隊の隊員に警棒て袋だたきにされる。
征服民族である帝都民に、被征服民族である各地方政府領の国民が逆らうことは許されない。
だから保安警察隊の隊員が袋だたきにするのは、これで勘弁してやってください溜飲を下げてくださいって意味もあると聞く。
僕は直接危害が及ばない限りはそれで構わない方だけど、中には溜飲が収まらず帝都に戻ってから、地方政府の保安警察隊の上部組織である国家保安警察軍に訴え出る奴もいて、その所為で逆らった本人だけで無く親族まで処刑される事もあるらしい。
中の島市はシュガードーナツ湖を目的とした観光客で持っている街だけに、ホテルまで行く途中の道には飲食店や観光物産店が立ち並ぶ。
主要道路から外れた路地の奥には観光客が落とす金を狙う、賭博場や奇形の者たちを見世物にした見世物小屋が立ち並んでいる。
路地のところどころには春を売る女たちや男たちが立っていて、道行く人の袖を引いていた。
僕は道沿いにある店などの説明をしてる客引きに声を掛ける。
「なあ、湖の傍には行けないのか?」
言った途端、客引きは「シ!」と言いながら周りを見渡す。
それから小さく僕に囁く。
「それは此の街ではタブーです。
ですからその事は後で、部屋にご案内してからご説明します」
「分かった」
ホテルに着き最上階にある部屋に案内された。
部屋まで荷物を持って来た客引きが、部屋のドアを閉めてから説明てしくれる。
「湖畔に行くって事はタブーですが、抜け道はあります。
ただ凄くお金が掛かります」
「だいたい幾らぐらい掛かるんだ?」
「少なくとも8桁、カードやスマホのキャッシュレスは駄目で、現金のみの支払いになります」
「8桁か、まぁ8桁なら何とかなる」
「分かりました、それでは後ほど詳しい者を寄越します」
「頼む」
客引きはペコペコと頭を下げながら部屋から出て行った。
客引きがいなくなってから部屋の中を見渡す。
部屋の窓からはシュガードーナツ湖の中央にある中の島は遠すぎて見えないけど、可也広範囲が一望できた。
ベランダの一角には露天風呂があって風呂に浸かりながら、シュガードーナツ湖やそれを囲む山々の眺めを楽しむ事が出来るようだ。
だからシュガードーナツ湖を眺めながら温泉に浸かる。
温泉に浸かり旅の疲れを癒していたら部屋のドアがノックされ、豪華な夕食が運び込まれて来た。
夕食を食べ終え、沈みつつある太陽が織りなす銅色に染まるシュガードーナツ湖を眺めていたら、また部屋のドアがノックされる。
客引きが言っていた抜け道に詳しい者が来たのだろう。
ドアの向こうに声を掛ける。
「入って来い」
「失礼いたします」と言いながら、顔に醜い大きな腫瘍のある男が部屋に入って来た。
男はドアの直ぐ内側に正座し土下座する。
僕は部屋のソファに腰掛けたまま問いかけた。
「お前が抜け道に詳しい者なのか?」
男は土下座したまま返答する。
「左様でございます」
「で、幾ら掛かるんだ?」
「5000万程、掛かります」
「結構掛かるんだな?」
「帝都の関係省庁の許可を貰い、地方政府の役人とともに正式な身分でシュガードーナツ湖の周辺に入る際は、生存競争力が弱い貴重な生物相を守るために宇宙服のような防護服を着せられて、外部の菌類や種子が入らないようにしています。
お客様は、そんな物を着用して中に入りたいわけでは無いのでしょう?
ですから、その支払われる金の大部分は地方政府の役人や、境界線を警備している保安警察隊の隊員たちに渡されて、見て見ぬふりして貰うのに使うのです」
「袖の下に大部分が使われるのか、まぁそれは仕方がないか。
ま、5000万でシュガードーナツ湖の湖畔に行けるのなら安いものかも知れないな。
それで中央の島には行けないのか?」
「山々の頂上部の数百ヶ所に親衛隊により、シュガードーナツ湖を監視している監視カメラが設置されています。
地方政府の保安警察隊が設置した監視カメラの映像は金さえ積めば何とかなりますが、親衛隊が設置した物はどうにもなりません、ですから不可能です」
「そうか、無理か」
「親衛隊の融通の利かなさは、帝都にお住まいのお客様の方がよくご存知なのでは?」
「そうだな」
「金を用意できましたらホテルの客引きに言ってください。
金を受け取ってから準備を始めます。
ですから、数日はこのホテルに滞在していただく事になります」
「分かった」
翌朝僕は中の島の銀行に行き6000万引き出そうとしたら、そんな大金は置いてないから数日後に来るように言われてしまった。
まぁ帝都ならともかく、こんな地方の銀行では仕方が無い事なのかも知れない。
シュガードーナツ湖畔に行けるのが少し先になるが逃げる物では無いので、中の島市周辺の観光を楽しんで待つ事にする。
数日後僕は客引きの男を連れて銀行に行き金を受け取り、5000万を客引きに渡す。
客引きに金を渡してから2日経った日の夕方、夕食を摂り終え部屋で寛いでいたら突然、ホテルの通路が騒がしくなった。
何が起きたのかと通路を覗き見ようとドアの方に近寄ったら、通路側からドアがノックされる。
「誰だ?」
「お客様、私です」
顔に腫瘍がある男の声が聞こえた。
ドアの鍵を外す。
男は部屋に入って来ると前と同じく、ドアの直ぐ内側で正座し土下座する。
「何が起きたんだ?」
「お客様のように湖畔に向かおうとした帝都の方が、保安警察隊に捕まったのです。
お客様は誰にも教えていないですよね?
捕まった方は帝都の友人に自慢する電話を掛け、その電話が盗聴されていたみたいでお縄になったようです」
「あぁそれは大丈夫だ」
「良かった、それで準備が整った事をお知らせに参りました」
男は明日の早朝に合流する場所を言ってから帰って行った。
翌朝太陽が昇る遥か前に旅館を出た僕は、男に教えられていた場所に向かう。
教えられていた場所には腫瘍の男と13~4歳の男の子が待っていて、僕が近寄って来たのに気がつくと2人は一緒に頭を下げた。
近寄ったら子供は口の端から涎を垂らし白痴のようにみえる。
「此奴は?」
「息子です」
「白痴か?」
「はい、でも力持ちなので荷運びを手伝わせているのです」
確かに2人は大量の荷物を背負っていた。
それだけで無く男は散弾銃を肩から下げている。
「凄い荷物だな?」
「湖畔まで曲がりくねった道を行くので、行きに2日帰りに3日は掛かります。
ですからそれに必要な食料や水などを担いで行かなくてはならないのです」
「そうか」
僕たちは連だって保安警察隊が警備している場所まで歩く。
400年前までは中の島市から湖畔に通じてた道の起点だった所。
街の中を警邏していた保安警察隊の隊員の武器は警棒だけだったのに、起点の周囲にいる隊員たちは自動小銃を所持していた。
少し離れた所に止められている装甲車には、汎用機関銃や自動擲弾銃が載せられている。
「地方政府の保安警察隊の割には、重武装だな?」
「親衛隊の管轄地と隣接しているので、舐められないように重武装しろと保安警察隊の上部組織である、帝都の国家保安警察軍から指示されているかららしいです」
「あぁ、親衛隊と国家保安警察軍の仲が悪いのは、帝都でも有名だからな」
男はそう言いながら保安警察隊の隊員たちに手を振った。
男が手を振った途端、保安警察隊の隊員たちは全員此方に背を向ける。
「さ、行きましょう」
男は背を向けている保安警察隊員たちの後ろを通り、湖畔に通じる道を歩き始めた。
僕は荷物を背負って歩く2人の後ろを歩く。
歩きながら前を歩く男に質問する。
「そういえばその銃は何の為に装備してるんだ? 凶暴な獣でもいるのか?」
「野良犬の入り込んでいる時があるんです。
生態系に影響が無いように、保安警察が偶に駆除してるんですけどね。
だから見つけ次第射殺する為に所持してるんです」
「フーン、そうか」
山道を下っていたら、湖畔に白い窓の無い建物が建っていることに気がついた。
「あの建物は何だ?」
「この内海の生物相を研究している、帝都から派遣された研究者の人たちが働いている研究所です」
「あそこで働いてる奴等は、中央の島に行くことは出来るのか?」
「研究している人たちですから、行けるのではないでしょうか」
「買収できないかな?」
「研究所の人たちは帝都から派遣されて来た研究者の人たちですから、買収するとしても可也高額な金が必要になると思いますよ」
「そうだな、中央の島に行くのは諦めよう」
僕たちは建物が見えなくなる所まで歩き続ける。
道の両脇に生い茂る木々や草花は、帝都やその周辺で見かける物とは何処かしら違う物ばかりだった。
保安警察隊が警備していた所から歩き始めてから2日後の昼の今、僕たちは湖畔に着く。
男と男の子がテントを張っている間に僕は水際に走り寄った。
湖の水は透き通っていて太陽光を浴びてキラキラと輝いている。
僕は身に付けていた物を全て脱ぎ捨ててから、湖の中に走り込み潜水した。
湖面から数メートル下には白い淡水性のサンゴで覆われていて、サンゴを住処にしてるらしい魚や甲殻類の姿が見える。
サンゴの周りにいる魚や貝類や甲殻類は全て、他の地域では見たことの無い姿形をしていた。
浮き上がり浜の方に目を向ける。
テントを張り終えた親子が砂浜に並んで座り、ニコニコとした笑顔で僕を眺めているのが見えた。
僕はそこから沖の方へ向けて泳いだ。
疲れて来たので戻る事にする。
テントの位置を確認しようと浜を見たら、テントの傍に宇宙服のような物を着用して銃を持った者たちが10数人いた。
銃を持っている者たちは僕に戻って来いというように、手を降っている。
もしかして親衛隊に見つかったのか?
僕は慌てて砂浜に向けて泳ぐ。
砂浜に泳ぎついた僕は銃を突きつけられ、砂浜に腹這いになり両手を首の後ろで組むように指示された。
指示に従い砂浜に腹這いになり両手を首の後ろで組んでから、言い訳しようとしたが「黙ってろ」と言われる。
腹ばいになるように指示を出した者とは違う宇宙服のような物を着用してる者たち数人が、何かの計測器で僕の身体を調べ始めた。
何をしているのだろうと首を後ろに向けようとしたら、白い砂浜に転々と赤い物が落ちたのに気が付く。
鼻血か?
首の後ろで組んでいた手を解き鼻に手を当てようとしたら、計測器を操作していた宇宙服姿の者たちに罵声を浴びせられ、無理矢理両腕を後ろ手にされ結束バンドで結束された。
「離せ! 鼻血を止めたいんだ」
宇宙服姿の者たちの1人が返事を返して来る。
「心配するな、暫くすると鼻以外の粘膜からも出血が始まるから」
「え? どういう事だ?」
戸惑っている僕の方へ腫瘍の男が笑顔で近寄って来た。
男の背後では白痴の子供がテントを畳んでいる。
笑顔の男は僕に声をかけて来た。
「お客さん喜んでください、彼らがあなたを中央の島、中の島に連れて行ってくれますよ」
「どういう事なんだ?」
僕は戸惑いながらも返事を返す。
「ここはね、帝都や他の地方政府管轄領では帝国直轄の自然保護区と言われているけど、正式名称はシュガードーナツ湖放射能汚染物質最終処分場と言うんですよ」
「な、何だ、それは?」
「500年程前、中の島に帝都の奴らが帝都の西部地区に必要な電力を得るために、原子力発電所を50数基造ったのさ。
シュガードーナツ湖とその周辺に、1万年前から住んでいた私たち中の島人は、シュガードーナツ湖では500年から600年の周期で大きな地震が発生するのを知っていたから反対したけど、無視された。
それで、400年前。
帝都西方域大地震と言われている大地震が発生した、それはお客さんあんたも小学校で習った筈だから知っているだろ?
地震により発生した津波により50基以上あった原子炉の全てが緊急停止、全ての原子炉がメルトダウンを起こしそうになる。
それに慌てた中央政府と電力会社は全ての原子炉を湖の中に蹴っ転がしたって訳さ。
そのお陰でメルトダウンは起きなかったが、湖は放射能で汚染されてしまった。
原子炉は未だに放射線を撒き散らし続けているとの事だ。
見ただろう?
ここに来る途中生い茂っていた植物や湖の中の魚貝類などの生物、あれらは皆んな新種の生物では無く、何世代も被曝し続けた結果出てきた奇形動植物なんだよ。
あんたが不審に思った銃だが、原子炉が湖に放り込まれたとき、人間はあの山の向こうに逃げる事ができたが、飼われていた動物たちペットの犬や猫、放牧されていた馬や牛などは皆んな置き去りにされた。
奇形で生まれた殆どの動物は成体になる前に死んでしまうし、成体になっても弱々しい。
それでも極めて稀に怪物としか言いようのない物が出てくる時があるんだ、そいつらを駆除する為に銃が必要なんだよ。
事故の数年後、地方政府の役人たちが中央政府に、帝都の最新医療による被曝者の治療と援助を求めて陳情に行った。
帝都の奴らは、今までの100年間どこから電気が送られていたかも知らずにいて、陳情に行った者たちの中にいた放射能ケロイドの症状を見せていた人に向かって、「化け物は帝都から出ていけ」と罵声を浴びせたそうだよ。
その後も何度か陳情に行ったけど結局中央政府から貰ったのは、「帝都西方域大地震」と付けられた地震の名称だけだった。
シュガードーナツ湖を取り囲む山々と遠望できる地域で暮らさざるおえない中の島地方政府管轄領の国民は、帝都や他の地方政府管轄領に住んでいる者たちに比べて、癌になる確率や奇形児が生まれる可能性が著しく高い。
子供たちに帝都の最新医療による治療を受けさせたくても、あんたが何の躊躇も無く支払った金でさえ地方に住む者には一生かかっても稼ぐことができない金額だ。
だからそれ以上の金が掛かる治療を受けさせる事なんて事はできっこ無い。
それで私たちはある所から頂いて治療費に充てる事にしたのだよ。
役人や保安警察の隊員に金が渡される事なんて無い、渡されても彼らも受け取らないだろう。
防護服を着ていない私と息子は、今現在も湖の中の原子炉から発生している放射線を浴びて被曝し続けているが、あんたをここに連れて来る任務をこなした事で、この子の双子の妹を優先的に治療して貰えるのさ」
そこで男は一度言葉を切り、テントを畳み荷物を纏め終えて男の脇に立っている息子の頭を撫でてから話しを続ける。
「この子幾つに見える?
13~4にしか見えないだろうけど、この子はもう20過ぎの成人した大人なんだよ。
奇形でね、これ以上大きくならないんだ」
「僕が行方不明になったら、父や家族が探しに来るぞ! 」
「来るかも知れないね、でも大丈夫。
違反したら即座に処罰される歴代総統が直接下した命令、総統命令に違反して湖の傍に行くため立ち入り禁止地区に入ったと分かれば、諦めるさ。
だいたい立ち入り禁止地区に入って捜索するのには、あんたが支払った金の数百から数千倍の金が必要になる。
そんな金を右から左にポンと支払えるような親族を持つ奴は全員、保安警察に拘束される。
あんたの泊まっていた部屋の隣の奴みたいにね。
準備に2~3日掛かると言うのは、あんたの身元と親族の財力と帝都での地位を確認する為の時間なのさ。
それにそいつらはそいつらで良い金蔓になるからな、総統命令の違反者は5等親以内の親族全員がその身分と財産を全て剥奪されて、帝都からの追放される。
そうなりたくなければ保安警察に口止め料を払わなければならなくなる。
帝都から追放された奴の末路は惨めだと聞くぜ。
殆んどの奴らは追放先で地元民に無視され、最後は一族全員野垂れ死にだとさ。
あんたの親族も探しにくれば、捜索どころか逆に口止め料を請求されるだろうな」
男はまた言葉を切り沖の方を見た。
「迎えが来たようだ、お客さんサヨナラだ」
「ま、待って! お願いです、待ってください」
泣きながら腫瘍の男に縋る僕を、宇宙服姿の男が覗き込む。
僕はがそれに気が付き、宇宙服姿の男に声をかける。
「あなたたちは帝都の人間でしょ? 助けて下さい、お願いします」
宇宙服姿の男はマイクのスイッチらしい物を操作してから腰を屈め、話しかけて来た。
「私は帝都大出身で帝都にある研究所から派遣された研究員だけど、元々此処、中の島国の出身者なのだよ。
帝都出身の研究者が、放射能に汚染されたこんな辺鄙な所に来る訳がないじゃ無いか。
中の島には君のお仲間が数十万人以上いるから大丈夫だよ。
まあ……皆んな死んでいるけどね。
ハハハハハハ」
「こんなこと、こんなことが許される筈がない! お前たち全員逮捕されて死刑にされてしまえ!」
「あぁ、それも大丈夫。
私の帝都大時代の友人に、次の総統に指名されている方の子息がいてね。
彼が教えてくれたのだけど、中央政府の上層部はこの事を知っているらしいよ。
帝都の中央政府に表だって逆らわず機密を漏らさず、こういう形で中央政府に対する恨み辛らみの鬱憤を晴らす事ができるのなら、帝都の下級市民が少しぐらい死んでも構わないとの事だ」
「そんな、そんな、何とか、何とか助けて貰えませんか?」
「んー、無理だね、君、1時間以上水に浸かっていただろう。
湖の水には、私が今着用している放射線防護服を着ていても触りたく無いと思う程の、放射能が溶け込んでいるのだよ。
それ程の放射能が溶け込んだ水に浸かっていたのだから、直ぐに鼻以外の粘膜からも出血が始まり、2~3時間で大小の便を垂れ流して意識が無くなるよ。
どのみち直ぐに死ねるから、苦しむのもチョットの間だけだ」
そう言ってから研究者の男は僕から顔をそらし、湖の方を見ながら話しを続けた。
「良い景色だろ、数億年の昔から殆ど変わらぬ風景だ。
この内海には、10億年の歳月の間この内海で独自に進化した生物相があり、私ら中の島人には文字通り母なる海だったのさ。
それが今では独自に進化した内海の生物は絶滅し、放射能による奇形の生物しか見あたらなくなってしまった」
そう言ってから研究者の男は腰を上げて、部下の男たちに声をかける。
「サッサとボートに乗せちゃって、無線誘導は大丈夫なのだろうね?
さっきのように途中でボートがひっくり返るなんて御免だよ」
鼻以外の場所、目や歯茎、肛門などからも出血が始まり、譫言のように助けを求め続ける僕を、2人の男が波打ち際まで引きずって行きボートに放り込む。
僕を乗せたボートは無線誘導で操作され、放射能の汚染が酷過ぎて人間が立ち入る事ができない中の島に向かって走り始めた。