梓紗が俺の事を鮮明に覚えていた理由
その翌日、俺たちは海に来ていた。この前の約束通り、欄場さんと蘇上友理会長も一緒だ
「んーん。来たわね。海」
世純は伸びをしながらそう言った。なお、俺たちは世純の別荘に来ている。世純の別荘は俺の家程のサイズがあり、蓮山グループの財力に梓紗と蘇上会長たちは驚いていた。
なお、梓紗のわがままで、やぬもこの別荘に同行している。そのため、今の梓紗はとてもご機嫌だ。
「早速中に入って着替えない?もちろん更衣室は男女別ね」
世純は、「男女別」という言葉を強調して言う。
「分かってるよ。俺がそういう風に見えるか?いや、欄場さんに言ってるのか?」
そう言って俺たち六人は、世純の別荘に入って更衣室に向かう。なお、やぬは外で待つ事になったらしい
「いい?絶対に入っちゃだめだからね」
俺は軽く「はいはい」とあしらい、更衣室の中に入って行く。
更衣室の中は俺の部屋程のサイズがあった。棚以外には何もない空間で落ち着かない。
「お前、顔色が悪いが、大丈夫か?」
更衣室に入って早々欄場さんがそう訊く
「いいえ全く、親父のせいで朝から吐きましたから」
「何があった?」
「一昨日の答えなんですけど、実は女嫌いは親父のせいなんです」
俺はため息をつきながら言う。
「そ、そうか、本当に何があった?」
「俺の親父、結構有名な人で神野快樹って知ってます?」
「あぁ、女癖がかなり酷いって有名な社長だろ。それとこれに何の関係が…まさか」
欄場さんはようやく俺の言いたいことを察したようだ。
「その通りです。欄場さん」
俺は頷きながら言う
「俺のことは辰巳でいい」
「じゃあ辰巳さん。どうすればいいですか?」
「どうって何を訊きたいんだお前は」
そう会話しながら俺と欄場さんは着替えを終わらせて、更衣室を出る。
一方、女子更衣室では
「どっちがショウに可愛いって言われるか勝負よ。梓紗」
「望むところ。最初に可愛いって言われるのは私なんだから」
と、訳の分からない張り合いをしていた。
「お二人とも、神野さんの事が好きなのですか?その…恋愛的に」
「「もちろんです」」
「では、わたくしが欄場さんを落としたテクニックをお教えしましょう」
「あ、来た来た。待ちくたびれたぜ」
俺がそう言うと、世純は
「ごめんなさいね、ちょっと話が盛り上がっちゃって」
「まぁいいや。さっさと泳ごうぜ」
俺が海の方へと歩き出そうとすると、急に世純に腕を掴まれた。
「準備体操の方が先、全くショウってばいつも準備体操を忘れて泳ごうとするんだから」
「へぇ、ショウ君ってそういうところあるんだ。フフッ、可愛い。あ、や~ぬ~どう?可愛い?」
世純がそう言うと梓紗は俺をからかう。そして、すぐさまやぬの方へと駆けていく。一方でやぬは、梓紗に向かって伏せの体勢を取って梓紗に甘えていた。
「ちょっと梓紗。訊く相手間違ってるわよ!」
どういう意味なのかと俺は首をかしげる
「あ、そうだった」
そう言って梓紗は、今着ているスクール風の水着を突然脱ぎ始めた。
「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待て梓紗。っていうか、世純お前止めろよ。っていうか会長も」
俺は顔を背けて世純と蘇上会長にそう訴える。だが世純と蘇上会長は、俺の言葉を無視し梓紗の方をずっと見ているだけだった。というか、世純は「梓紗だーいたーん」とまで言って俺の言葉をまるで聞いていなかった。
すると、梓紗の方から「着替えしゅうりょーう」という声が聞こえた。恐る恐る顔を向けると、そこには先程とは打って変わった水着を着た梓紗の姿があった。どうやら、スクール水着の下にもう一枚水着を着ていたようである。
その水着は恐らく、いや絶対に昨日買った物だろうと窺えた。
「っていうか、世純って両親居ないだろ。山羊嶋さんとかの給料とかどうしてるんだ?まさかただ働き…」
俺はふと気になった事を世純に訊いてみた。
「失礼ね。ちゃんとあげてるわよ。お父様たちが居ないのに何でお給料をあげられるかよね、その点については心配いらないわ。時々、お母様名義で荷物が届くのよ。最初に届いたのが確か丁度一年前かしら、その時は通帳が入ってたわ。中身を確認したらざっと三億は入ってたわね。あんな大きな箱に通帳一つだけ、今となっては少し怖いけど問題なく使えてるから今は全く考えないようにしてるわ」
「へぇ、生きてたんだな。加奈芽さん。なりすましとかもあり得るからお前その時は注意した方がいいぞ」
俺がそう言うと、世純は「ありがと」と返した。そして次の世純の言葉は、俺の言葉を真っ正面から否定した。
「でもそんなことはあり得ないわ。未だ現役だもの。三億とか稼いでいても不思議じゃないわ。それにこの前会った時にはものすごく元気そうだったわよ」
そう、蓮山加奈芽さんは未だ現役グラビアアイドルであり、テレビにも多く出演している。
「まぁ、確かにそうだけど…。世純がそこまで言うなら信じる。けど、おかしいと思ったらすぐに通報しろよ」
世純は俺の言葉に笑顔で頷き、梓紗に向かって「準備体操するわよ~」と叫んだ。
その後俺たちは準備体操をし―――終わった。そしてすぐさまやぬに駆け寄る梓紗とそれに呆れる世純
その光景は、実に微笑ましかった。
「じゃあ、早速泳ごうぜ」
俺がそう言うと、世純は頷いて俺の腕を引っ張り、海へと向かっていった。対する梓紗は、やぬを別荘の柵から外してから、俺たちを追った。
「よーし。って、あれ?山羊嶋さんは?」
俺は辺りを見回して、山羊嶋さんが居ない事に気が付いた。
「あ~、確かに居ないわね。どこに行ったのかしら」
その口ぶりから察するに、世純もまた山羊嶋さんがどこに行ったのか分からないようだ。
「うわ!どこに行ってたんですか山羊嶋さん!」
俺がふと世純の方を見ると、その後ろに山羊嶋さんが居た。
世純は俺の声に驚き、恐る恐る後ろを振り向くと同時、大きな悲鳴をあげた。
「ど、どこから涌いて出たのよ」
そう言う世純はどこか少し涙目だ。
「え?さっきから居たよ。山羊嶋さん」
そう言って、山羊嶋さんの後ろから顔を覗かせる梓紗
「わ、私はゴキブリか何かでしょうか…。私は先程まで梓紗様と共にやぬ様のリードを柵から外しておりました」
「やぬのリード絡まっちゃって。そしたら山羊嶋さんが簡単に外しちゃってさ」
梓紗がそう山羊嶋さんの言葉に付け足すと世純は
「はぁ~、梓紗。あんたっていつも言葉足らずなのよ。山羊嶋の言葉に助けられてるじゃないの!全く」
「まぁ、それはそうだけどさ。いい加減泳ごうぜ」
この場所は、蓮山グループのプライベートビーチ。誰一人として入ってこれない、そんな場所。なのだが……
「君たち可愛いじゃん。もしかして観光客?僕たちと一緒に遊ぼうよ」
こともあろうか、部外者がやってきた。
「困ります。この場所は蓮山グループの所有地なので、無断立ち入りはご遠慮願います」
山羊嶋さんが男たちに向かってそう叫ぶと
「あぁ?蓮山グループ?確かそこの社長はもう死んでるんじゃなかったっけ?」
男の一人がそう言って山羊嶋さんを蹴る。
男の一撃は、軽い山羊嶋さんを簡単に飛ばし、そのまま地面に激突する。
「だ、大丈夫?山羊嶋」
「はぁ~、世純。山羊嶋さんを頼む」
俺がそう言うと、世純は心配そうな声色で
「で、でもあの時は素人だったから良かったけど、今相手は武道の殴り方だったわ。それに今日朝ご飯食べてないんでしょ。いくらショウが強くても経験者には敵わない。だから負ける喧嘩は―――」
「―――よしなさい。だろ。確かに今の俺は全快じゃない。だけど俺にはお前たち二人を守らなくちゃいけない。俺が女嫌いな分、お前たちを守るって決めたんだ。それに世純は俺が負けたとこ、見たことあったか?俺なら平気だから、俺はあの時から学んだんだ。俺は昔までの俺じゃない。喧嘩する相手は選ぶ」
途中、世純は「そういう事じゃないのよ!」と叫んだが、俺の耳には入らなかった。
「ほ~う。分かるんだ君。まぁ、この彼氏面の顔をべっこんべっこんにするから、よーくその目に焼き付け――」
男が何か言おうとしていたが、俺はそれを言い終わる前に男を殴り、ダウンさせる。
「俺を、何だって?」
俺がその男を殴り、一撃でダウンさせたところで、周りの男たちの雰囲気がガラッと変わった。
他の者たちが逃げようとすることを、当然俺が許すはずもなく、全員叩きのめしたのであった。
俺があらかた片付けていた時、辰巳さんは「俺の出番ねぇじゃん」とどこか悔しそうに呟いていた。
「それで、何か言う事は?」
俺は一番始めに退治した男の上に座り、他の男たちを見下ろす。途中、「女の子が良かった…」などという言葉が聞こえたため、俺はその男にもう一撃を入れる。
「…「「す、すみませんでした」」…」
そして、俺が座る男を除く全員から謝罪をもらった後、俺は立ち上がり、座っていた男を蹴る。
そしてその後、俺が男たちを睨むと、俺が蹴った男を連れて足早に去っていった。
「ショウ。終わった?」
俺が振り返ると、世純が目の前に来てそう言った。なお、世純の目には涙が溜まっていた。それほどまでに怖かったんだろう。
「あぁ、何か悪いな。楽しむ為に来たのに邪魔が入って」
「いいえ。それは私が謝ることだわ。ショウは悪くない」
そう言って世純は、背伸びをして俺の頭を撫でた。その時の世純の目には、まだうっすらと涙が溜まっていたが、それを笑顔でごまかしていた。なお、梓紗はずっとやぬに夢中で、俺たちの事を見向きもしなかった。
「さぁ、気を取り直して泳ぎましょう。と、その前に山羊嶋をどうしましょうか?今日は山羊嶋しか連れてきてないから、これから帰るにしても、迎えが来るまで待たないといけないし」
そう世純の言葉を聞きながら、俺は山羊嶋さんを抱えて別荘まで戻ろうとすると、梓紗がそれに気付く
「ねぇ、ショウ君。どこに行くの?え…?山羊嶋さんどうしたの…?生きてるよね…?」
梓紗は一度興味を持ったらなかなか飽きない性格であり、更には興味の対象が目の前にある場合は、周りが見えなくなってしまう。だから、こんなにも早く興味から現実に戻ることは珍しいことだった。
「あぁ、多分な。とりあえず俺はこのまま山羊嶋さんを別荘に連れていく。心配だったらついてきてもいいぞ。世純はもちろん来るよな」
俺は世純の方に振り向いて訊く。すると世純は無言で俺についてきた。そして案の定、世純が行くと当然梓紗もついてくる。そして梓紗は案の定、やぬを連れて世純に続く
俺たちは、別荘の中のソファーベッドに山羊嶋さんを寝かせる。そして、世純が山羊嶋さんに一歩近付いて
「山羊嶋……」
と、胸の前で手を組み、どこか祈るようにしながら呟く。世純に何をしているのかと訊くと、どうやら山羊嶋さんは一年前に持病が再発してしまったようで、心臓に強いショックを与えないようにと医者に言われていたらしい。恐らく、先程男に蹴られた衝撃で、ショックを与えてしまったのではないかと世純は言う。
「なるほどな。っていうか、何で世純はその事知ってるんだ?確か、世純に内緒にする事を条件にって、親父たちから教えてもらったんだが」
まさか、梓紗が……とも思ったが、どうやら違うらしい。世純は薄々その事に気付いていたらしく、ある日、山羊嶋さんが買い物から帰ってくると、どうにも元気がない様子だったらしい。それから世純は、使用人たちにその事をいろいろと訊いて回ったとのことだった。いわく、本人にその事を訊いてもはぐらかされるだけであり、それで本人に訊くのは諦めたとのことだ。
「ねぇ、山羊嶋さん、死なないよね。死んじゃやだよ……」
梓紗が泣きながらそう言う。そしてその涙は世純にも伝播し、世純は泣いている顔を山羊嶋さんから背けた。
「どうする?このまま他の使用人を待って帰るか?」
「うーん。でも、せっかく海に来たんだから、泳ぎたい気持ちもあるにはあるのよね」
俺の言葉にそう答える世純。確かにせっかくの海だ。それを無駄にすることは俺たち三人にとっては、どうしても避けたかった。
そして、俺たち三人は、ちらりとやぬの方を見る。そこにはいつも通り、梓紗の隣で伏せの体勢をとっているやぬの姿があった。だが、よく見るとやぬは、その口にボールを咥えていた。
それを見て梓紗は、ひとまず山羊嶋さんの事なんて忘れて、皆で遊んではどうかと俺たちに提案する。
「いや、そういうのもどうかと――」
「――えぇ、分かったわ。そうしましょう」
そう言って、梓紗の方へと向かって歩いていく世純。その目にはやはり、涙が溜まっていた。
「はぁ~、分かったよ。俺にとっては、お前ら二人の方が優先順位上だしな」
俺もそう言って、世純についていった。
「ふぅ~、じゃあ、最初は何をしようかしら。ビーチバレー?それとも泳ぐ?」
世純は深呼吸をしてから、意を決するかのように言った。
「じゃあ、ビーチバレーをしようよ。やぬも遊べるようにさ」
梓紗のその言葉に、俺と世純は思わず吹き出してしまった。
「はははっ、梓紗。あんたねぇ」
「お前、昔の思考回路に戻ったか?」
俺の言葉に、梓紗はきょとんとしていた。
昔の梓紗は、俺たちよりもやぬの事を真っ先に考えるような子だった。つまりは、動物好きな子だったということだ。
そして俺たちは、満場一致でビーチバレーをする事になった。
「振り分けどうする?この状況だとどうしても二対三になるぞ」
そう、こうなってしまうと、どっちに転んでも二対三になってしまう事は避けられない。
「え?二対三じゃなくない?」
と、梓紗が急にそんな事を言い出したのだ。俺たちが首を傾げる中でも梓紗は続ける。「やぬの事を忘れてない?」と
「あ、そっか。やぬも入れるから、普通に三対三になるのね。梓紗にしては考えたじゃない」
梓紗はどうだと言わんばかりに胸を反らした。
「ふふーん。そうでしょそうでしょう。ん?今世純、梓紗にしてはって言った?」
「いいえ。言ってないわ」
またも、幼馴染二人は睨みあってしまった。
「はぁ~、喧嘩するのはよそでしてくれ。そんなに競い合いたいんだったら、ビーチバレーで決着つけたらどうだよ。っていうか俺はやらないから、二人共仲良くな」
今日の俺は本調子ではないことは二人共よく知っているはずだ。
「えぇ、分かったわ。じゃあ、ショウは見ていてくれる?出来そうだったら入ってもいいけど、多分出来ないわよね」
世純は俺の気持ちを汲んで、ビーチバレーから俺を除外した。一方で梓紗は
「え~、やろうよショウ君。後で何か作ってあげるから」
梓紗は、そう空気を読めずに、いつも今ではない時に何かを言う。まぁ、そこが可愛いと言われる人気な部分なのだろうが、俺には分からない
「いや、そういう問題じゃなくてな…まぁいいや、とにかく俺は見てるからな」
そう言って俺は、世純たちからそう離れていない場所に腰を下ろした。
「もうちょっと離れた方がいいのではないですか?」
蘇上会長は俺にそうアドバイスをする。そして俺はそのアドバイス通りに移動する。
「本当に大丈夫か?親父さんの件」
「はい。何とか、今日は親父のことを忘れるために来たっていうのも目的の一つなんで、っていうか辰巳さんはやらなくて大丈夫なんですか?」
「もちろんやるぞ。お前のことを心配して来ただけだからな」
辰巳さんと蘇上会長は笑顔でそう言って世純たちの元へ戻った。
「楽しそうでございますね」
ふと俺の隣から声がしたと思って、隣を見るとなんとそこには山羊嶋さんが立っていた。
「わわっ、本当にどこから湧いてきやがった山羊嶋さん。……っていうか、生きてるよな?」
「本当に私はゴキブリか何かでしょうか…。ショウ様、私はこの通り生きております。もし良かったら触ってみますか?」
山羊嶋さんは手を俺の方に伸ばしてきた。俺は恐る恐るその手を握る。山羊嶋さんのそのしわしわの手を
結論。山羊嶋さんは生きていた。
世純の奴、相当驚くだろうな。だってそうだもんな、もう目覚めないと思っていた人が目覚めたんだもんな
「神野様、失礼でなければ訊いてもよろしいでしょうか」
その言葉に俺は首をかしげる。それを見て山羊嶋さんは続ける。
「その…ショウ様はご参加されないのですか?失礼であることは重々承知しておりますが、参加しなければお嬢様や梓紗様にご心配を掛けてしまいますよ」
「あぁ、今日の俺は全快じゃないんですよ。朝食も吐いたし…」
「なるほど、快樹様がお帰りになられたのですね。それで快樹様が浮気を」
世純から聞いたのだろうか、いや、世純も多分知らないだろうから、梓紗から聞いたのだろう。むしろそうじゃないと辻褄が合わない
「何で親父が浮気したことを知ってるんですか。まぁ、梓紗辺りから聞いたんでしょうけど…それにしてももう大丈夫なんですか?」
「はい。もう大丈夫ですよ。ご心配をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。それと質問の答えですが、神野様が落ち込みになられる事など、十分に予想できます。神野様が女嫌いになられる前からご一緒に居ますからね」
あぁ、そうだ。そうだった。山羊嶋さんはいつも俺が落ち込んだ時に親身になって寄り添ってくれた。俺なんかよりも優先すべき人が居るというのに
「行くわよ~。そーれ」
世純たちはチーム分けを終え、ビーチバレーを始めた。なお。チーム分けはこうだ。世純と会長ペア、梓紗と辰巳さんペア。そして俺はどうせ見るなら、得点係をやってくれと世純に頼まれたため、言われるがままに得点係をやっている。
まぁ、それもすぐに山羊嶋さんが変わってくれているのだが。けれど俺は山羊嶋さんと話し合って、山羊嶋さんが世純・会長ペア、俺が梓紗・辰巳さんペアの得点を数えている。なお、今現在、世純・会長ペアが一ポイントリードしている。
「梓紗様が一点返しましたね」
「そうですね」
「え……?」
その時、世純と完全に目が合った。世純はまっすぐに俺と山羊嶋さんの方を見ている。世純はボールが来ているのにも関わらず、こちらをガン見して硬直している。
「お嬢様、一点入ってしまいましたよ。集中なさってください」
さすがに山羊嶋さんの声が聞こえたのか、梓紗も会長も欄場さんも一斉にこちらを見て、全員が硬直した。
これはもうプレーどころではなくなり、世純は山羊嶋さんめがけて一直線に走る。そして山羊嶋さんは世純を優しく抱き止める。世純は涙を流しながら
「もう心配かけたら許さないんだから、バカ…」
「申し訳ございません。善処します」
その光景には涙を誘う何かがあったようで。俺を除く全員が涙を流していた。
その夜、一体誰が発端か女子の料理当てクイズが始まることとなった。そして俺たち男子組は二階の寝室で料理が出来上がるまで待っている。出来上がったら世純から連絡が来るらしい
「夕食は私が作りますのに……」
山羊嶋さんは自分の仕事がなくなり、少し拗ねている。山羊嶋さんには少し子供っぽいところがあり、世純は山羊嶋さんのその部分が大のお気に入りだ。なぜこんな所に山羊嶋さんが居るのかというと、俺たちの監視らしく、世純はもしものためにと山羊嶋さんにそう命令したらしい
「ところで欄場さんは会長の料理食べたことあるんですか?」
「いや、残念なことに一度も……」
ということはこれは俺が頼りか。梓紗は味を変えてくる可能性があるし、世純は…形で分かるかも、いや、もしかしたら玉子焼きだけ形が変なだけかもしれないからな。残るは会長か、会長の料理が二人と違うことを祈るのみだな。それに梓紗と世純は最近噓下手になってきたし、最悪問い詰めればいけるぞ
「あの、すみません山羊嶋さん。何かヒント的なものって……」
「申し訳ございません、神野様。なにぶんお嬢様から口止めをされているものでして、しかし実を言うと私も何も知らないのでございます。お役に立てず申し訳ございません」
山羊嶋さんにヒントをすがってみたが、山羊嶋さんはきっぱりと、そして申し訳なさそうに俺たちに言い放った。
「なるほどなあ。ヒントはなしか。これはきついぞ。なあなあ神野君」
辰巳さんはガックリと肩を落とす。そして期待の眼差しで俺に話しかけてくる。
「ショウでいいです。で、なんですか?」
「ショウ君、君は友理以外の二人と知り合いなんだろう?」
「知り合いというか幼馴染ですけど、一体何が言いたいんですか」
その時、俺のポケットの中のスマホが激しく震えた。
「はい」
『もう降りてきていいわよ、ショウ♡それとね、ショウ――』
世純は猫なで声で降りてきていいと言った途端、俺はすぐに一方的に電話を切った。
一階に降りてダイニングに向かう途中、廊下で幸か不幸か世純とすれ違った。
世純は俺を見つけるとこちらに近づいてきて少し強い口調で言う
「ちょっとショウ、何で電話切ったのよ」
だろうな。そう言われると思った。
辰巳さんは空気を読んで世純と俺を残して先にダイニングへと歩き出した。本当は気まずいので一緒に居てほしかったのだが、辰巳さんが先に行ってしまったので、仕方なく世純と立ち話をすることになった。
「いや、もう話終わったかと思って」
「明らかに続いてたでしょ!まぁいいわ、ここで話の続きを言うわね。その前に座りましょう」
世純は廊下にある二人掛けのソファーを指さした。
俺たちはソファーに座り続きを話す世純に耳を傾けた。
「私がショウに言いたかった事は、私が作った料理のヒントを教えようかと思って……」
「いや噓つけぃ!」
堂々と噓をつく世純。先程の電話で世純が言おうとしていたのは、恐らく俺の家に泊まった時に俺が言った、昔梓紗と世純のどちらかのことが好きだったこと、それを思い出したかどうかを訊くためのものだったのだろう
世純は一度、咳払いをして
「それじゃヒントね、私が作った料理は美味しいやつー。それじゃあ私の料理を当ててね♡」
「お、おい、世純!」
世純は急にソファーから立ち上がり、俺に投げキッスをすると、そのままそこから立ち去った。
俺がダイニングに向かうと案の定辰巳さんは居た。そしてテーブルの上を見るとそこには四皿の料理があった。
俺も料理を前にして椅子に座ると、会長から説明がされた。
「お二人共、心の準備はよろしいでしょうか。ではわたくしから説明をさせていただきます。この四皿の中からわたくし、姫霧さん、蓮山さんの作った料理がどれかを当てていただきます。この中の誰か一人だけ二皿作っていますので、誰が二皿作っているのか予想してお食べください。では、ゲームスタートです」
俺たち二人はいただきますをしてから食べ始める
テーブルの上にある料理は、左からサラダ、肉じゃが、アイスクリーム、冷やし中華
「に、肉じゃが……」
俺の様子を見て欄場さんはなぜか小声で
「どうした?神野君、もしかして肉じゃが苦手だったりするのか?」
「いや、苦手ではないんですけど、こんな暑い日に肉じゃがって」
欄場さんが小声だったので俺も反射的に小声で返す。
「梓紗。絶対にショウたちにヒント出しちゃだめよ」
いや、お前が言えた義理かお前が
「わ、分かったよ……世純」
梓紗は渋々ながら答えた
形がどれも綺麗なんだが……。形で世純って分かるようなものが一つもないな。これは形で世純のものを当てるのは諦めた方がいいな
俺はまず最初に肉じゃがをお皿によそう。食べた感想は
うん、いつもの梓紗っぽくない。っていうか少し辛い?
一方で欄場さんは冷やし中華から攻めるようだ
「うん、普通に美味いな。少し辛口で悪いが、もしこれが友理だったら味が薄いからもっと濃くしてもらいたいな」
続いて俺はサラダに手をつける。サラダはニンジンやキャベツ(レタス?)などが入っていて、これも梓紗っぽい味ではなかった。食べて思ったが梓紗はやはり味付けを変えていた。次にアイスクリームだが、これは時間が経ちすぎたのか少し溶けていた。そして肝心の味だが、少ししょっぱかった。多分これ、砂糖と塩を間違えてるな。梓紗はこんなヘマしないだろうし、世純だったら梓紗が教えるだろうし、いや、会長の場合も梓紗が教えるかな?
その時、梓紗と世純と蘇上会長がこのゲームと多分全く関係ない会話をしだした。
「そういえば会長ってこの前言ってた感じじゃないですよね。誰に対しても平等に接するって」
「あぁ、その点に関しては欄場さんのせいです。一度別れてしまって自分の気持ちを再認識したと言えばよろしいでしょうか」
俺と辰巳さんは一通り食べて、意を決したように顔を見つめ合い同時に頷く
俺たちの様子を見た蘇上会長が笑顔を見せて
「では、お二人の答えを聞かせてください」
俺は食べ始めた時から世純のヒントの意味をずっと考えていたが、最後の最後まで気付かなかった――わけではなかった。気が付いたのはついさっき、四皿の料理を見て誰かが二皿作っているか、共同で作ったひっかけ問題なのではないかをずっと悩んでいた。そして先程、蘇上会長はこの中の誰か一人だけ二皿作っていると言っていた。蘇上会長のその一言で確信に至った。
『美味しいやつー』このヒントが意味するものは、世純が二皿作っているということ。つまり四分の二。ここで見破れなかったら幼馴染失格だ。俺は、もし見破れなかったら一日中何でも命令を聞くことを心に決めた。
俺は辰巳さんに自分の考えを伝えた。すると辰巳さんは自分も同じ答えだったと言ってくれた。
「梓紗は冷やし中華で、世純はサラダと肉じゃが」
「そして友理はアイスだな」
蘇上会長は少し瞳を揺らし、少し間をおいてこう言う
「…………正解です。お二人には参りました………なんて言うと思いました?わたくしの作った料理は合っていますが、姫霧さんと蓮山さんの作った料理は惜しかったです。正解はご本人から言ってもらいましょうか」
「ショウ君……少し残念だよ。私が作ったのはサラダだけ。でもよく私が一品だけだって分かったね」
世純からヒントを貰っていたなんて言えないだろどう考えても
俺はちらりと世純の方を見る。当の世純はというと、俺と目が合ったかと思えばさりげなく目線を逸らす
「ま、まぁ…な。それはそうとなんかごめん」
「あ、別に気にしてないよ。本当に少し残念だけど」
「本当にごめん、二人共、お詫びに一日中何でも命令を聞くよ」
「本当に?約束よ、ショウ」
世純は気まずい状況はどこへやら、急に笑顔で俺に抱き着いてきた。
「フフッ、微笑ましいですね。欄場さん」
「あぁ、そうだな。なぁ…友理、俺たちもやらないか?」
こっちはこっちで何やら二人で何か話していた。
「それはそうと女性陣も一緒に食べましょうよ。ってこれ世純が泊まった時と同じ会話してるな……」
梓紗はいつもの笑顔で俺の前の席に座った。
「あ、梓紗!そこは私の席でしょう!」
「何言ってるの?早い者勝ちなんだから、私の席もないでしょ」
目を離せばこういつもいつも喧嘩をする二人
「ぐぬぬ。もういいわ。とにかくどきなさい」
世純のその一言で俺のイライラは最高潮に達し、ついに俺は席を外してしまった。
「はぁ~」
俺はとりあえず廊下のソファーに座る。恐らく、ダイニングでは、皆が俺を心配していることだろう
「ショウ?ごめんなさいね、皆心配してるから一緒に行きましょう?」
世純が俺の元へ来て手を差し出す
「あぁ、いや、今日の俺みっともないところばかり見せてごめんな」
そう言って俺は世純の手を取り立ち上がる
「気にしてないわよ。ショウが嫌なことばっかりして私たちもごめんなさい」
そうしてダイニングに戻ってきた俺に気付いた梓紗が近づいてきた。
「ごめんショウ君。大丈夫?」
「まぁ、一応」
そうやって楽しい時間は一瞬で過ぎて、山羊嶋さん以外の皆が寝静まった頃、俺はトイレで起きた。
なお余談だが、寝室は男女兼用である。俺は別でいいと伝えたのだが、世純がせっかくだから皆同じ部屋で過ごそうと言い出して聞かないので、俺も渋々承諾した感じである。
トイレで用を足した後、自分の寝ているベッドに向かう途中にふと梓紗の寝ているベッドを見ると、梓紗はそこに居なかった。
俺は梓紗を探した。トイレでは会わなかったし、別荘中を探したが見つからなかった。となると後は外だが、梓紗は家事などを終わらせるため遅くまで起きていることはあったが、今は深夜こんな遅くまで起きているというのは珍しかった。梓紗は確かに寝る直前までは一緒に居た。会長と世純が恋バナしようと言ってきたのは覚えている。覚えているが、その話は興味がなくて寝てしまったため、その後のことは覚えていない。
山羊嶋さんに断り、別荘の外に出ると遠くの砂浜に人影が見えた。
近くに寄ってみると、そこには梓紗が砂浜に座ってのんびりと海を眺めていた。
「そんな所に座ってると服が砂だらけになるぞ」
後ろから話しかけたため、梓紗はビクッと体を震わせて
「わぁ、い、いつからそこに居たの?びっくりした」
俺は梓紗の隣に立って
「どうした?眠れないのか?」
俺がそう言うと梓紗は「うん、そんなとこ」と小さく笑った。
俺は昔からずっと訊きたかった事を訊いてみることにした。
「お前、記憶喪失だっただろ?」
「うん」
返ってきたのは弱弱しくもどこか力強い言葉
「何で俺の事は鮮明に覚えてたんだ?まぁ、答えたくなかったら答えなくてもいいけどさ」
俺はやっぱり取り消そうとして次の言葉を言おうとすると、梓紗はいつの間にか立ち上がっていて、こう告白する。
「愛してるからだよ」
その時、俺の頬に柔らかい感触が感じられた。
「じゃあねショウ君、おやすみ、バイバーイ」
そう言って梓紗は走って別荘に戻っていった。俺は一瞬何が起きたのか理解が追い付かなかったが、ようやく理解出来た。
俺は梓紗にキス、されたのだと
こんにちは、いや、おはようございます?新田凜斗です。俺の幼馴染は記憶喪失 ですが俺の事だけは鮮明に覚えてます はこれにて完結です。(多分)ただ今俺の幼馴染は記憶喪失 ですが俺の事だけは鮮明に覚えてます のスピンオフ、わたくしの元カレは乱暴者 ですがわたくしにだけは優しかったです を書き下ろしています。スピンオフの主人公は蘇上友理会長ですよ。蘇上友理会長!どうやって蘇上会長は欄場さんに惚れたのか、どうして二人は別れてしまったのか、初心者は初心者なりに努力しているのです。更に世純が花咲学園に居た時の物語を…お話ですかね?も書き下ろしている途中です。このお話はどうして蓮山グループの社長、要は世純の父親はどうして死んでしまったのか、その殺人犯目線でお話は進んで行きます。どうぞお楽しみに。では、次のお話でまたお会いしましょう。さようなら