エピローグ
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本当は綿密な打ち合わせを数回したのち、落ち着いてはじめた方がいいのだけれど、一日も早く石鹸工場ならぬ工房を作りたいと言えば、二つの町の代官たちは快く受け入れてくれた。
急いで場所を探して、働き手の募集を駆けてくれるそうだ。どの町でも求職者が多いため、人はすぐに集まるだろうと言っていた。
そして、石鹸工房に使う場所の確保と、働き手を確保したと二つの町から報告が来たとき、石鹸の盗難事件が進捗を見せた。
石鹸を盗んだ犯人はなんと、パール商会だったらしい。
ファビアンはブリジットの父のチャールズと、それから彼の一つ年上の兄クレモンに掛け合って、王都に入ってくる馬車に検閲を敷いてもらったらしい。
ファビアンが石鹸が王都へ向かうと踏んだのには、そこが今一番石鹸が注目されている場所だからだそうだ。王女が注目している石鹸は、貴族令嬢や夫人の間でブームになりつつあるようで、わざわざ店頭に並べずとも、邸まで販売しに行けばほぼ間違いなく購入される。購入者はまさか盗まれたものだと思うまいから、調査などしない。二千個などあっという間に売れるだろうから、きっとそのままこの件は闇に葬られる、というわけだ。
ファビアンのこの読みは見事に的中し、石鹸の在庫を乗せたパール商会の馬車が検閲に引っかかったのである。
パール商会のジャンパーニは、これはクインシア商会から購入したものだと言い張ったそうだが、クインシア商会がまだどこの商会にも卸していないことはすでにファビアンから連絡済みだったので、それが嘘であるとすぐにわかったそうだ。ファビアンが被害届も出していたから、パール商会とジャンパーニは、その場ですぐに捕縛された。
だが、その事件は、思わぬところに波紋を落とすこととなって――
「……そう、ですか」
ファビアンから報告を聞いたブリジットは、自分でも驚くほど落ち込んだ声で、そうポツンとつぶやいた。
泥棒の正体はパール商会だった。それは、別にいい。石鹸も無事に戻ってきた。だからそれも問題ない。問題なのは、そのジャンパーニを手引きした男だった。
(どうして……)
その男は、クインシア商会で石鹸の生産に携わっていた一人だった。デイビットが倉庫の合鍵を預けていた一人だ。そして、アンブラー伯爵家の離れの仮石鹸工場に、石鹸の生産を教えに来てくれていた中の一人。――優しい笑顔の、穏やかそうな青年だった。
ファビアンからクインシア商会に報告され、デイビットが彼を問い詰めたところ、彼は自分がやったと白状したと言う。
ジャンパーニから、協力すればパール商会で働かせてやると持ち掛けられたらしい。
クインシア商会は石鹸などの収入で潤ってはいるけれど、やはり田舎の小さな商会。片やパール商会は王都でも一、二を誇る大きな商会で、支払われる給料も格段に違うと言う。……つまりは、金に目がくらんだ、そういうことらしい。
彼はただ俯いて「すみません」と言ったらしい。泣きそうな声で。でもそれで許されるはずもなく、今日の昼前に身柄を拘束されて、警邏隊の牢に入れられた。
領地で起こったことは、領主が裁く。父が彼にどんな裁きを下すのかはわからない。領地によっては、ひどいところは盗みを死罪とするところもあるらしい。父がそのようなことをするとは思えないけれど、たとえそうなったとしてもブリジットにはそれを止める権利も――止めたいのかも、わからない。
「大丈夫?」
執務室の机に座って、机の木目をぼんやりと見つめていたブリジットの背後にファビアンが立った。
そっと、後ろから包み込むように抱きしめられる。
「つらかったら、泣いてもいいんだよ?」
「……大丈夫、です」
少なからず、自分はショックを受けているのだろう。まるで他人事のようにブリジットはそう思う。
ブリジットが守りたかった領民。豊かになってほしかった領民。――大好きな、領民。
ここに住んでいる人すべてが何の罪も犯さない善良な人々という保証はないはずなのに、ブリジットは心のどこかで、ここに住んでいる人たちはみんないい人で、誰もブリジットを裏切らないと、勝手にそう思っていた。
(そんなこと、あり得ないのにね……)
誰も罪を犯さないなら、警邏隊など必要としない。
ここに住む全員を知っているわけではないのに、勝手に家族意識を持って、勝手に信じたのはブリジットで――、今回の件で、裏切られたと、そんなことを思うほど彼らを知っているはずではないはずなのに、どうしようもなく心が痛い。
「嫌になった?」
何が、とは訊ねなかった。
ファビアンはブリジット抱きしめたまま、ブリジットの頭に頬をつける。
「領地のために働くと言うことは、この先もきっと、同じようなことがあるよ」
誰も彼もが味方ではない。笑顔でブリジットを傷つける人もたくさんいる。わかっていたはずなのに、わかっていたつもりだったのに、ブリジットは何もわかっていなかった。
「嫌になったら、いつでもやめてもいい。ブリジットがやめても僕がいるから、君は無理をしなくてもいいんだよ」
ファビアンは本当に優しい。
ブリジットが勝手にはじめて、勝手に傷ついた。すべてはブリジットの行動の結果。
ブリジットは顔をあげて、ファビアンの腕にそっと触れる。
「やめませんよ」
正直、どうしようもないほど落ち込んでいるけれど、やめようとは思わない。
この一件で、今度は領民全員が敵のように感じるのは、それはそれでおかしいのだ。
(全員が味方でもないし、敵でもない。……簡単なことなのにね)
優しい人が多すぎたから、ブリジットは今までそんな簡単なことにも気づけなかった。
でも、優しい人が多すぎたから、ブリジットは今までやってこられたのだ。
だったら答えは簡単で――やっぱりこの領地を、人を、守りたいと思う。
でもやっぱり傷つくこともあると思うから、その時は今日みたいに、ちょっとファビアンに寄りかかってもいいだろうか。
「ファビアン様」
「うん?」
「……わたし、あなたが婚約者で、よかったと思います」
ファビアンが小さく息を呑んだのがわかった。
そんなに驚くようなことだろうか。ブリジットはこれでも、ファビアンにたくさん感謝しているのに。
驚いたファビアンが腕を緩めたから、その隙にブリジットは後ろを振り返る。
そして、目を丸くした。
ファビアンの顔が、真っ赤になっていたからだ。
「ファビアン様?」
「……ちょっとだけ待って」
ファビアンはそう言って後ろを向いたけれど、窓ガラスに彼の顔が映っているから照れているのが丸わかりだ。
(いつも余裕なのかと思っていたけど、こんな顔もするのね)
やっぱり、この人が婚約者でよかった。
どこを探しても、ファビアン以上の人はいないだろう。
「ねえ、ファビアン様」
後ろを向いたままの彼に呼びかける。
「……石鹸工場が軌道に乗ったら、結婚、しましょうね」
ブリジットのその声はすごく小さな声だったけれど、ファビアンの耳にはしっかり届いていたようで、ファビアンはさらに顔を赤くしてその場にしゃがみこんでしまった。
「……ブリジット」
くぐもった声で、ファビアンがブリジットを呼ぶ。
なんですか、と首を傾げたブリジットに、ファビアンがブリジット以上の小声で言った。
「君、不意打ちは卑怯だと思うよ……」
ブリジットはきょとんとして、それからぷはっと吹き出した。
お読みいただきありがとうございます!
これにて完結となります!
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予約も始まっているので、どうぞよろしくお願いいたします!
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