病弱令嬢、お金に憑りつかれる 1
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ブリジット・アンブラーは確かに病弱だった。それは間違いない。
幼少期に喘息を発症し、八歳の時には一時は命すら危ぶまれるほどにひどい症状が出ていた。
ナイシール国の宰相という重要な立場にあるアンブラー伯爵はそうそう領地へは帰れない。忙しい夫に代わり伯爵家を切り盛りする母も、ブリジットにつきっきりというわけにもいかず、悩みに悩んだ末、ブリジットを遠く離れた領地に住まう祖母に預け、療養させると言う結論に至った。
そうしてナイシール国の南西、ワイプア湖という南北に細長い二十六夜月の形をした湖の南側にかかる場所に存在する、田舎も田舎の何もないアンブラー領地へ、八歳のブリジットはやってきたのである。
幼いころから父母について王都暮らしだったブリジットだが、何もない田舎を不便には感じなかった。
なぜなら祖母も使用人も優しいし、何より、王都で暮らしていたときも一日の大半をベッドですごしていたブリジットにとって、外に何があろうと大差なかったからだ。
王都でどんな名医に見せてもだめだったのだ。きっと一生この体はこのままだろう。ブリジットは八歳ながらに深い諦観の中にいた。
――が。
父の計らいでブリジット専用に医師が雇われ、苦い薬を飲みながら療養すること丸四年。ブリジットの喘息は医者から「完治」と太鼓判を押されるほどによくなって、驚くほど元気になったのである。
医者からは領地の澄んだ空気がよかったのだろうと言われたが、医学の心得のないブリジットにはよくわからなかった。
祖母も医者も使用人もブリジットの快方を感涙にむせび泣くほど喜んでくれたけれど、ここでふとブリジットは思った。
(あ……まずい)
父と母の耳にブリジットの完治の知らせが入ったら、間違いなくブリジットは王都に連れ戻される。このときブリジットにはまだ弟がおらず、六歳の時に婚約させられたファビアン・ドリューウェットという公爵家の次男坊を婿に迎えて伯爵家を継ぐことになっていた。伯爵家を継ぐための勉強も淑女教育も療養のために後回しになっていたから、これ幸いと綿密なカリキュラムが組まれることだろう。
(絶対やだ)
ブリジットは何も、伯爵家を継ぐことが嫌なのではない。嫌なのは、このど田舎のアンブラー伯爵領を離れることだった。
喘息の症状はここにきて半年もしない間に少しずつ回復の兆しを見せていた。体が元気になるとベッドの上が退屈になるもので、ブリジットは暇つぶしに、父について伯爵家に出入りしていた四っつ年上の商家の息子デイビットと組んで、悪だくみ――もとい、商品開発をして遊んでいたのである。
一日中ベッドの上でごろごろしていたブリジットの妄想力は驚くほどに鍛えられていて、ブリジットの考案した商品はどれもびっくりするくらいに売れた。
幼かったブリジットにはよくわからなかったが、デイビットが「利権登録」というものをしてくれていて、ブリジットが考案した商品が売れるたびに、ブリジットのもとにじゃらじゃらとお金が入ってくるようになっていたのである。
目の前に積まれて行く金銀銅貨。ブリジットはその輝きに瞬く間に虜になった。
「あらあら、ブリジットは商人の才能があるのねえ」
祖母がそんなことを言って褒めてくれたからさらに調子づいて――十二歳の時には、驚くほどのお金持ちになっていたのである。
じゃらじゃらと金貨のこすれる音。キラキラと輝く黄金。それらが日に日に増えていく楽しみ。それらの幸せは、そう簡単には手放せない。
そこで、ブリジットは考えた。
商品開発で頭を使うブリジットは、十二歳という年の割に頭の回転が速く、悪知恵も働く子供だった。
考え抜いたブリジットは、祖母も使用人も医者も全員味方につけて、「病弱令嬢」を演じ続けることにしたのである。
使用人を味方につけるのは意外と簡単だった。みんなのことが好きだからここを離れたくないと言う泣き落としに加えて、黙っていてくれたら儲けの中から分け前をあげると言えば、驚くほどあっさりブリジットについた。
医者には使用人たちに言ったことに加えて、王都に戻って喘息が再発したら先生の責任にされると思いますよと脅せば一発だった。
一番の難関は祖母だったが、ブリジットの儲けが伯爵家の懐を潤わせていることを強調すると、ブリジットの働きによって収入が日に日に増えて言っていることを知っていた祖母は、最終的にはしばらく様子を見ましょうと言ってくれた。
そうして四年。十六歳になったブリジットは、今も嬉々として商品開発にいそしんで、金貨をじゃらじゃらと鳴らしながら、うっとりと恍惚に浸る毎日を送っている。
「それで、お嬢様。婚約破棄を狙っているとはどういうことでしょうか?」
昼食のあとに自室に戻って新しい商品について計画書をまとめようとしたブリジットを押しとどめて、ベラがジト目で睨みつけてきた。
「ああ、そのこと?」
対してブリジットはけろりとした顔で応じる。
「だって、うちにはもう弟が生まれたし、わたしが跡を継がなくてもいいじゃない? だったらわたし、商人になりたいのよね」
「……はい?」
「だから、商人。それでお金をじゃんじゃん稼いで国一番の大金持ちになって金貨に囲まれて生活するのよ。でも、さすがにファビアン様と結婚したら商人になれるはずないでしょう? あの方、公爵家の出だし、お父様もあちらのご両親も猛反対するに決まっているもの。だから、婚約破棄してもらって、晴れて自由の身を手に入れたいのよ」
「たとえ婚約が白紙になったとしても、旦那様がお許しになるとは思いませんが」
「大丈夫よ。だって考えてみて? これまでこの領地からはまともな収入がなかったわけでしょ? うちの経営なんて宰相職のお父様の給料だけでまかなっていたようなものじゃない。それが今やこんなに潤っている! どこに反対する要素があるの?」
「そうだとしても、貴族令嬢が商人に身をやつすなど、アンブラー家の恥になりますよ」
「ベラ、今の時代、貴族も働かなくちゃ生活できないのよ? よっぽど観光地とかで領地が潤っている家ならいざ知らず、いつまでも働かないまま左うちわで遊んでいたら、あっという間に没落よ。そうして没落した家、いくつもあるじゃない」
「ですけど……」
「お父様は利を知る方だもの、わかってくれるわ」
「そんなに簡単にいかないと思いますけどね……」
ベラはまだ納得いかないようだが、ブリジットは揺るがない。商人になるため、何が何でもフェビアンと婚約破棄するのだ。
(そうよ、のんびりしていられないわ。結婚話が出る前に対策を取らないと)
ブリジットは商品計画書を後回しにして、レターセットを取り出した。
ファビアンは二つ年上の十八歳。早く解放してあげないと彼の結婚にも差し障るだろう。
(よし、さくっと婚約破棄してもらいましょう)
ブリジットはにやりと笑うと、いそいそとファビアンに向けた手紙を書きはじめた。