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石鹸泥棒現る 2

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「びっくりしました。あなたも怒ることがあるんですね」


 ジャンパーニはクインシア商会の馬車で来たので、デイビットも彼と一緒に帰っていくと、サロンにファビアンと二人きりになった。

 ファビアンはブリジットが病弱のふりをしていたとわかったときも、あのように怒ったりはしなかった。心の中では怒っていたのかもしれないけれど、少なくとも、ブリジットに対して怒っているそぶりは見せなかったと思う。……逃がさないとか、いろいろ言われて脅された気はするけれど。


「僕だって人間だから怒りもするよ」


 ファビアンがそっとブリジットの頬を撫でる。


「大切な婚約者にあのような態度を取られれば、僕だって黙っていられない。ああ、でも、余計なことをしてしまったかな? パール商会はこれから大口の顧客になったかもしれなかったのに」

「ううん、いいんです。あんな失礼な人が商会長を務めるところとは、取引なんてしたくありませんし、たぶんデイビットもそうだったと思いますから、きっとファビアン様が断ってくれてスカッとしていると思います」

「君は?」

「え?」

「君も少しはスカッとしてくれた?」


 ブリジットはぷっと吹き出した。


「それはもちろん! 心の中で『ざまあみろ!』って思っちゃいました」


 ジャンパーニはブリジットを小娘と思ってバカにしている節があったから、ブリジットだったら何を言っても彼をあそこまでやり込められなかったろう。ファビアンに拒絶された時のあの顔と言ったら見ものだった。


「わたし、お金儲けは大好きですけど、それだけできればいいわけでもなくて、うちの領地のみんなが幸せになってくれないと嫌と言うか……。だからわたしは、わたしが考えたものを、ここで、みんなで作りたいんですよね」


 そしていつか、この国で一番豊かな領地にしたい。みんながここにいてよかったなと思える場所を作りたいのだ。

 誰かにこのことを吐露したのははじめてで、ブリジットはちょっぴり恥ずかしくなってうつむいた。夢見がちな子供だと思われるだろうか。でもこの夢は、ブリジットがはじめて商品を開発してお金を手に入れたその日から持ち続けていたものだ。


 弟が生まれたとき、領地は継げなくなったのだと思ってがっかりしたことを覚えている。だったらせめて商人になって、領地のためにお金を稼ごうと思いなおし――、予想に反して、もう一度手元に戻ってきたブリジットの大切な夢。

 その夢が、少しずつ現実になってきているのだ。これからなのである。


「いいね。僕もそのブリジットの計画に乗らせてくれる?」


 ファビアンはそんなブリジットの青い夢を、笑い飛ばしたりしなかった。

 それどころか、一緒になって夢を追いかけてくれると言う。

 もしかしなくても、ブリジットは婚約者に恵まれているのではないだろうか。今更ながらに、そんなことを思う。


 ブリジットの夢に反対せずに、同じ方向を向いてくれる人が、いったいどれだけいるだろう。

 最初は、公爵家の男と結婚なんて、やりたいこともやらせてくれなくてきっと窮屈なだけだと思っていたけれど、やってきたファビアンは全然そんな人じゃなかった。

 ファビアンは有能だからまあいいか――ではなく。

 ファビアンだからこそ、これから先、一緒に歩んでいける気がする。


「一緒に……わたしと一緒に、歩んでくれるんですか?」


 気づけば、ブリジットはそんなことを訊ねていた。

 ファビアンは目を丸くした後で、ふわりと柔らかく微笑んだ。


「もちろん。だって僕は、君を愛する婚約者だからね」

「愛する……」


 ブリジットは赤くなって反射的にパッと顔を伏せたけれど、その口元が緩んでいくのを自分でも感じた。


(なんだか、すべてが順風満帆に思えてくる……)


 うまくいきすぎて、少し怖いくらいだ。


(反動で、何か起こらないといいけれど)


 ブリジットはふとそんな不安を覚えて――その不安が現実のものとして襲い掛かってきたのは、それから二週間後のことだった。



   ☆



「石鹸が盗まれた?」


 その耳を疑うような事実は、小雨が降る朝、大慌てでやってきたデイビットによってもたらされた。

 ファビアンが男をブリジットの私室に入れることを嫌がるので、デイビットをサロンに通して話を聞けば、彼は開口一番に「石鹸が盗まれた」と言った。


 クインシア商会の倉庫で作られている石鹸も、アンブラー家の離れを仮の石鹸工場として生産されはじめた石鹸も、出来上がったものはすべてクインシア商会の倉庫に保管している。

 クインシア商会の従業員がそこで在庫管理を行って、そこからクインシア商会の店頭に並べたり、注文主に配送したりしているのだ。

 王女と言う大口顧客がついた今、以前よりも在庫管理は徹底して行い、まかり間違っても在庫切れを起こさないように注意していると言う。

 その石鹸が、ごっそりなくなったらしい。


「全部なくなったの?」

「ああ。積んであった在庫全部だ。城からの追加発注の分をを出荷した後だったから、数で言えば二千個も残っていなかったが……」


 一個の石鹸の大きさは手のひらに乗るくらいの小さなものだが、二千個弱となればそれなりに幅を取る。それがごっそりなくなっているのは絶対におかしい。


「昨日の夜にはあったらしいんだ。確認して倉庫の鍵を閉めたと、倉庫番が言っていた。でも、今朝倉庫を開けてみたらなかったんだ」


 なるほど、それならば盗まれたと考えるのが妥当だろう。


「倉庫の鍵は閉まっていたの?」


 ブリジットの隣に座っているファビアンが訪ねた。

 デイビットが頷く。


「はい。鍵は閉められていました」

「その鍵は誰でも持ち出せるのかな?」

「ええっと、持ち出せると言うか、倉庫を利用する数人に合鍵を持たせています。倉庫の一部で石鹸を作りはじめてから、場合によっては早朝や夜も作業することがあるので、その時に出入りできるように……。マスターキーは倉庫番が施錠したのち、店の鍵置き場に収めていて、最終的に俺か父、もしくは家族の誰かが鍵置き場の棚に鍵をかけるので、夜の間は持ち出せません」

「その合鍵を紛失した人は?」

「いませんでした」


 ファビアンは顎に手を当てて、それから立ち上がった。


「どうやって石鹸が持ち出されたのかは謎だけど、取り急ぎ警邏隊に言って怪しい人物を探させよう。ついでに王都のアンブラー伯爵に遣いをやって、クインシア商会以外の商会などで石鹸が売られているか調べてもらうよ。今のところ、ほかの商会には卸していないんだろう?」

「はい、話はいくつか来ていますが、生産量がまだ不安定なので、契約は待ってもらっています。契約話を持って来た商会のリストは作成しているので、まとまったら提出するつもりですが……」

「うん、それでいいよ。じゃあ、クインシア商会以外のところで石鹸が売られていたら、そこを疑っても問題なさそうだ」


 ファビアンが急いでサロンから出ていくと、ブリジットは別のことが心配になってデイビットに訊ねた。


「在庫全部なくなったって、次のお城の納品分は間に合いそう?」

「アンブラー家の離れで生産されている分があるから、ギリギリってところかな」

「ギリギリ……」


 アンブラー伯爵家の離れの仮石鹸工場で働いている従業員が作業に慣れて、人を増やせれば多少の余裕は出てくるが、まだはじまって二週間。さすがに今からペースアップを頼むのは酷だろう。


(石鹸の噂が王都でも広まっているってお父様が言っていたし、ちらほらと貴族からの注文も入りはじめてきたから、これからそれが増えてくるとなると厳しそうね)


 城に無事納品できたとしても、新規顧客に納品できるものがないとなると信用は駄々下がりだ。それを理由に、クインシア商会で生産を独占することにケチをつけてくるところも出てくるだろう。パール商会のように、商会長単独で動かれた場合は蹴散らせるが、貴族をバックにつけられると少々厄介だ。付け入られる隙は作りたくない。


 これは早々に、計画その二に移った方がよさそうだ。

 本当は石鹸工場が軌道に乗ってから考えていた計画その二。それは、クインシア商会がある町だけではなく、領内のほかの町にも石鹸工場を作ると言うものだった。

 もちろん、工場を建設するのは時間がかかるのですぐにはできない。しかしどこかの空き家を借りてそこに数人の従業員を入れて作業するならば、代官たちの協力があればすぐに可能だ。クインシア商会から石鹸作りの説明に人を派遣してもらわなくてはならないが、ほかの町でも生産が開始されれば、生産力はぐんと上がる。


 幸いにして、石鹸に生産に携わりたいと名乗り出てくれている町はいくつもある。その中の近場の町二つに取り急ぎ石鹸の生産場所を作ろう。


(そうと決まれば急いで代官たちを呼ばないと)


 のんびりしていられない。在庫切れだけは起こさせてはならないのだから。

 デイビットにブリジットの考えを伝えると、彼もその意見には賛同してくれた。在庫がごっそり盗まれてしまったこともあるが、想像以上に注文が入っていて、今の生産力に不安を感じていたらしい。契約したい商会をいつまでも待たせておくのも、そのうち苦情が入りそうで心配だったと言う。


「他の町での生産がはじまったら、最初は少量からしか卸せないことを条件に、いくつかの商会とは契約してもいいかもしれないわね」


 王都で商いをしている商会と契約しておけば、多少なりとも貴族たちの注文がそちらへ向かう。貴族たちの注文に対して、アンブラー伯爵領から出荷する輸送料も馬鹿にならないのだ。もちろん配送費は客持ちにしているが、だからこそ、客たちは大口での注文を入れてくる。その大口注文を裁けるほど生産能力がないのならば、王都の商会に卸して、そちらで販売してもらった方がいい。購入者もそちらの方が安価に買える。

 石鹸泥棒についてはファビアンが手を打ってくれている。

 ブリジットはその間に、自分ができることをしよう。


「デイビッド、代官たちとの話し合いが決まったら、石鹸の作り方を教えてくれる教育者を数人貸し出してほしいんだけど」

「それなら問題ない。アンブラー家の離れは、もう一通り教え終わったらしいからな」

「助かるわ。決まったらすぐに連絡するから」

「ああ。じゃあ俺は、親父にこのことを伝えて来るよ」


 ブリジットはデイビットを玄関で見送ると、急いで執務室へ向かった。執務室ではファビアンが王都にいるブリジットの父チャールズに向けた手紙を書いていた。

 ブリジットが隣の机で同じように手紙を書きはじめると、ファビアンが不思議そうな顔を向けてきた。


「そんなに急いでどうしたの?」

「他の町に小さな石鹸工場を作るんです。新しく建設するんじゃなくて、どこかの家を借りて作業するから、工場と言うより工房でしょうか」

「なるほど、生産力強化だね。どこにするの?」

「ここと、ここです。この町から近いところからはじめます。ほかにもやりたいと言ってくれている町があるんですが、それはもう少し落ち着いてからにするか、石鹸じゃなくて、今後進める化粧品生産の方でお願いしようかと思っています」

「わかった。じゃあ、石鹸が盗まれた件については僕が調査するから、ブリジットはそちらに集中してくれていいよ」

「ありがとうございます! 助かります!」


 やはりファビアンは心強い。

 ブリジットは急いで二つの町の代官にあてた手紙を仕上げると、ブラハムに急いで届けてもらうように指示を出す。


(急がなくっちゃ)


 せっかくはじまった計画なのだ。絶対に失敗させたくない。


(石鹸はこの領地の大切な特産品になる予定なんだから、余計な口は挟ませないわ)


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