おまけの話 君だけが・・・(後編)
「ごめん、エリィ。本当にそんなつもりじゃなかったんだ」
ジェスターは背後から抱きしめて、えんじ色のつむじに囁いた。休む時は抱き枕になってくれていた少女が今はクッションを抱っこして少年に背を向けていた。
最初は添い寝を拒否されたのだが、ジェスターが吐きそう、死にそう、もうダメだと青い顔をしていたら、抱き枕を譲歩してくれた。ただし、後ろ向きで顔は見せてくれない。
エリゼーヌが起きあがられるようになったら、婚約誓約書にサインをもらう予定だった。だから、ケヴィンが説明していたというのに、とてもではないがそんな雰囲気ではなくなってしまった。
ケヴィンからは絶対に仲直りしてサインの承諾をもらえと説教された。クロエがジェスターのやらかしで敵に回る可能性濃厚なのだ。
エリゼーヌ本人が少しでもしぶるようなら、全力で婚約回避されるだろう。
以前、名前呼びを断って絶縁させられた前科があるから、専属侍女に敵対されては少年に勝ち目はない。
「ねえ、エリィ。まだ、怒ってる?」
「・・・怒ってない。ただ、なんだかモヤモヤしてるだけ」
それって怒ってるのでは? と思ったが、ジェスターは懸命にも口をつぐんだ。さすがに学習している。
むすっと応えたエリゼーヌはクッションに顔をうずめて呟いた。
「誰にでも苦手なモノとかあるし、嫌いなモノはしかたないもん。ムリしなくていいから」
「だから、ムリしてないってば。エリィは特別なんだ。エリィなら、刺繍も手作りもなんでも受けとるから」
少年はぎゅうっと抱きしめる腕に力をこめた。エリゼーヌは身を強ばらせてじっとしている。今までは赤くなりながらも、自分から抱きついてきたりもしたのに、すっかり拗ねていた。
「図柄が苦手とかじゃなくて、刺繍そのものがイヤなんでしょう? ・・・ばあやは人の嫌がることをすると嫌われてしまうって言ってた。だから、もうジェスには刺繍したものは渡さない」
ジェスターに嫌われたくないと告白しているのと同じだ。エリゼーヌは気づいていないようだが、ジェスターは赤くなって目を伏せた。
背後で少年が身悶えしているなんて全然気づいていないエリゼーヌはうなだれていた。刺繍は乳母がエリゼーヌに残してくれた数少ない他人に誇れる特技だ。
それをまさか恋しい相手が怨念なんて捉えているとは思いもしなかった。ショックだった。
本当は一人になって泣きたいところだが、放置されていた自家とは違って、専属侍女がついて至れり尽くせりの生活では一人で泣く隙なんかなかった。これだけは自家のほうがよかったな、とつい罰当たりなことを考えてしまう。
くすんと鼻を鳴らしたら、背後から慌てた声があがった。
「え、エリィ、どうしたの? 泣いてるの? ごめん、泣かせるつもりなんて・・・」
「違うもん。欠伸だもん。もう寝るから、静かにして」
エリゼーヌは眠くなかったが、目をつぶった。
ジェスターを休息させるために抱き枕になっているのだ。寝たふりでもして休んでもらうのだ。泣くのはジェスターが寝ついてからにする。
「・・・エリィ、君を傷つける気はなかったんだ。・・・その、初めてなんだ。誰かを想うのって。
だから、慣れないというか・・・。えーと、あの・・・」
ジェスターは気まずそうに言葉を探して、言い淀んだ。
素直にならないとノエルみたいになりますよ、と護衛からのアドバイスを思いだして苦い顔になる。万年振られ男とか嫌すぎる、というか、振られたくない。
「エリィ、ずっと君にそばにいてほしい。年をとって、一緒におじいさん、おばあさんになりたいんだ。・・・エリィはイヤかな?」
エリゼーヌは耳元でこっそりと囁かれて、どきりと心臓が高鳴った。
添い寝中はキス禁止令をだしているから、耳ハミハミ攻撃は受けないが、耳元で切なげに囁かれるのもまた心臓に悪い。
一つしか歳は違わないのに、なんだこの色気は⁉︎ と、パニくりそうになる。
少女はクッションに顔をうずめたまま、ジタバタとした。
「エリィ?」
ジェスターは挙動不審な少女に不安になった。
もう元気になった、寝台で横にならなくても大丈夫と起きだしたエリゼーヌだが、まだどこか具合が悪いのでは、と心配になってくる。
「エリィも休んだほうがいいね。・・・僕と一緒がイヤなら、離れるよ。僕はものすっごおく、イヤだけど?」
「ううん。ジェスと一緒がいい」
エリゼーヌはクッションを手放すと、くるりと反転してジェスターに抱きついてきた。この数日のうちにすっかり慣れた定位置に収まってくる。
ほっとして抱きしめ返す少年に拗ねた声がかかる。
「ねえ、わたしってクマクマの代わりなの? 抱き枕?」
「はっ? 何、それ」
「だって・・・」
護衛たちの立ち話で聞いてしまったのだと、エリゼーヌはすりすりと頬をよせてきた。
乳母によく抱っこや頬ずりしてもらった少女は久しぶりの温もりに躊躇いなくふれてくる。キスには固まるが、こうしてくっつくのは大好きなようだ。
「気になったきっかけは確かにクマクマの色合いだからだけど、好きになったのはそれだけじゃないよ。
・・・だって、クマクマは抱き締めてもこんなに柔らかくないし、いい匂いもしないし、何しても反応しないし、僕にくっついてくれないし。
ねえ、エリィは僕のこと、大好きでしょ」
「ひゃい!」
ジェスターもすりよって耳元で囁くと、エリゼーヌが身をすくめた。
「み、耳元で囁くのも、禁止! 落ちつかないから、ダメなの・・・」
ジェスターはくすりと笑みを浮かべて、うんと頷いた。
初対面ではエリゼーヌは挨拶のキスにも動じなかった。まるっきり他人事状態でジェスターなど気にもとめていなかったのだから、これは大いなる進歩だろう。
「ねえ、僕を許してくれる? 僕は君じゃないと、ダメなんだ」
「・・・ジェスは、そのう、わたしで、いいの?」
「エリィがいい。君だけがいいんだ」
「わたしも、・・・ジェスが、いい」
むぎゅうううっと抱きしめあっていた二人はお互いの温もりにうとうとし始めて、いつの間にか寝入っていた。二人ともまだまだ休息が必要だった。
目覚めたエリゼーヌからクロエの横やりが入らないうちにサインをもぎ取ったケヴィンは『さすが若様の専属執事、勇者だ』と護衛たちから称賛の眼差しを浴びることになった。
今後、ジェスターがやらかす度にクロエの殺人光線が発揮され、ケヴィンとの攻防が繰り広げられるのだが、この時の護衛たちにはまだまだ他人事状態だった。いずれ巻き込まれて散々な目にあわされるのだが・・・。
何はともあれ、婚約成立はめでたいことだった。
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二部はこれにて完結になります。
三部は少し時間を置いて6月1日の18時に連載開始します。ストックがなくなったので、少しためておきたいので、毎週水曜の18時投稿です。またたまってきたら、連日投稿しようと思います。
三部のあらすじ紹介します。ネタバレがお嫌な方は飛ばすことをお勧めします。
領地暮らしが始まってニ月後、エリゼーヌは従姉妹の結婚式に参加するためにミルボー領へ出向いた。エスコート役は婚約者のジェスターだ。イレーヌの弟・ユベールも参加するが、彼は果たして更生しているのだろうか? という始まりで悪役令嬢の退場までのお話の予定です。




