(仮)婚約になります
ジェスターが目を覚ますと、枕元に父ディオンがいた。
「ああ、ジェスター、起きたのか。もう夜中だ。君がなかなか目を覚まさないからエリーが心配していたよ」
どうやら、昼寝どころか大幅に寝過ごしてしまったようだ。ディオンは息子の額に手をやって熱の有無を確かめる。
「熱はないか。昔に比べると、丈夫になったな」
「父様、ちょっと魔力を使いすぎただけだから」
それに旅の疲れが加わったのだ、と息子は肩をすくめた。
食欲がないという息子のために用意されていた軽食とスープをディオンが手渡す。ジェスターは寝台に起きあがってもそもそと口にした。本当は食べたくないが、エリゼーヌが心配すると思うと少しは食べたほうがよい。
「実はね、エリーにはもう話してあるのだが・・・」
ディオンはエリゼーヌはファブリスに親権が移り、領地で暮らすことになったと説明してきた。
本来なら問題を起した貴族夫人は領地で幽閉されるものだが、マドレーヌは馬車の長旅に耐えられる身体ではないし、あんな毒婦を領地にやりたくないとファブリスが嫌悪していた。
王都のタウンハウスでイヴォンに見張らせることにした。もうエリゼーヌには関わらせないと誓約つきでエリゼーヌの成人までは領地からの援助がでるが、その後はイヴォンの給与のみで生活させる。今のうちに伯爵令嬢時代の贅を凝らした生活を改めさせる方針だ。
もし、子爵夫人の生活に馴染まなければ、ケロール修道院にでも放り込んでやる、とファブリスは本気だった。
ケロールは浪費家で始末に負えない妻を見限った夫が放り込む場所でも有名だ。厳しい修道院の生活にマドレーヌの身体がもつかは知らないが、猶予は与えてやるのだ。改めるつもりがないのなら、見限る気満載である。
明日一日で領地に移る準備をして明後日には出発すると聞いて、ジェスターの手が止まる。
「そんな急に・・・」
「いや、ファブリス様は十分準備済みで、後はエリーだけなんだ。これ以上、領地を空けてはいられないから仕方がない」
シャルリエ領では領主自ら見回り、採取しなければならない薬草の群生地が多数あるのだ。長くは留守にできなかった。
「それでね、君たちの婚約の件なんだが・・・」
ディオンが言いづらそうに口を開いた。
ファブリスからの提案で婚約誓約書を提出するのは一年空けたほうがいい、と言われて、ジェスターはスープ皿をひっくり返しそうになった。
「どうして? 一年後なんて、ファブリス様はやっぱりお怒りで・・・」
「いやいや、待って、ジェスター、落ちついて。そうじゃないんだ」
ディオンは顔色を変えた息子の背をなでた。
まだ魔力が不安定だとケヴィンから報告を受けている。動揺させないように、ディオンがこうして直に話を伝えることにしたのだ。もし、魔力の揺らぎが現れたら、抑えられるのはディオンだけだ。
「ファブリス様は反対なさっているワケじゃない。ただ、時間を置いて冷静になったほうがよいとのお考えだ」
ファブリスは吊橋効果でジェスターが勘違いしているのではないか、と案じていた。
なにしろ、ファブリスが孫娘と直接婚約の話をしたのはまだジェスターが塩対応していた頃だ。その後、ディオンと話し合う機会があって、恋愛初心者による素直になれない照れ隠しだと説明されたものの、利益度外視で個人の感情で成り立つ婚約だ。
もし、後から勘違いや思い違いだった、他に想う相手が現れた、となったら婚約解消もあり得ると心配されていた。
「僕は心移りしない。婚姻したいと思ったのはエリィが最初で最後だ」
ディオンはむすっと拗ねる息子に苦笑した。
「うん。私たちはずっと君たちを見てきたからわかるけど・・・。まあ、案じるファブリス様の心情がわからないでもないんだ」
これまでジェスターに袖にされた令嬢たちは皆エリゼーヌより家格が上だ。ジェスターに気に入られての婚約となると、エリゼーヌがやっかみをうける可能性は高い。それなのに、思い違いの婚約だったなら、妬み嫉みの悪意から孫娘をどれだけ守れるのかとファブリスは危惧していた。
しかも、エリゼーヌと婚約者候補の交流をしていた間にも袖にした令嬢の妹や従姉妹など、対象年齢以下の娘を持つ貴族から婚姻の打診があったと聞いて、ジェスターはゲンナリした。
今年で13歳になるジェスターだが、高位貴族でこの歳まで婚約者がいないのは珍しかった。政略結婚なら10歳差も珍しくないのだ。獲物認定されていると思うと、ぞわりと鳥肌がたつ。
「誓約書自体はいつでもだせる状態だ。どうせなら、この一年を根回し期間にしようと思うのだが・・・」
ディオンはエリゼーヌは彼のお気に入りで侯爵家当主が望んだ婚約だと噂を流し、やっかみをそらす作戦を提案してきた。
「エリゼーヌにとって代われば、次期侯爵夫人になれると思いあがる相手がでてきたら困るからね。エリーも君も用心しておかないと」
「僕も?」
「叔父の話をしただろう?」
驚く息子にディオンは補足説明だ。
叔父は婚約者と仲がよかったから、婚約者の安全には配慮していた。まさか、高位貴族の令息を直接狙う輩がいるとは予想外で罠に嵌められたのだ。
「叔父のような目に遭いたくないだろう? 君の最愛と知らしめたかったら、デビュタント、いや結婚式の場でも構わないな。成人して、横やりが防げるようになってからでも遅くはないよ。
ジェスターは自分でエリーを守りたいだろう」
父の言葉に息子は不承不承頷く。ディオンはほっと頬をゆるめた。
「後の憂いを断つためだよ、ジェスター。ここはファブリス様の提案に従おう。なあに、提出が一年後なだけで、婚約を発表しないとか、外堀埋めはしないだなんて約束したわけではないんだ。
我が家からの発信が領地のファブリス様の耳に入るのが、ちょっおおおっとばかり、遅くなってもしかたないよね?」
ディオンはにこりと微笑んだ。根回しして囲う気満々である。
ジェスターは父の黒い笑顔にほっとして頷いた。
おじい様は心配性なだけで反対してはいませんが、ディオンも確信犯です。




