婚約者の交流?です
エリゼーヌは困っていた。
目の前にお茶の支度が整っているのに手をだせない。せっかく、侯爵家バージョンのザッハトルテがあるのに、背後からぎゅうっと抱きついているひっつき虫のせいで手が届かないのだ。
「ねえ、ジェス。お茶が冷めちゃうよ?」
「ん、もう少しこのまま。エリィを堪能させてよ」
ジェスターはファブリスの登場でエリゼーヌを抱き枕にするのはもうムリだと悟った。でも、今までずっとくっついていたのに、急に離れるのは心の準備ができておらず、あと少しだけとくっついていた。
「でも、せっかく、ジェスがわたしのために用意してくれたのでしょう?」
「・・・エリィは僕よりケーキの方が好きなの?」
むすっと膨れた少年に控えた侍女たちから微笑ましいモノを見る視線を送られたが、本人は気づいていなかった。
「ジェスに決まってるでしょう」
赤くなったエリゼーヌはなだめるように抱きつく腕をぽんぽんと撫でた。
エリゼーヌは旅の汚れを落としましょうと侍女に案内されて湯浴みでさっぱりした。ジェスターとお茶でもと誘われたが、まずは使用人たちに挨拶したいと申し出た。
侯爵家の使用人たちが下町を探し回ってくれたと聞いたが、出迎えてくれた時には皆ファブリスに遠慮していたから挨拶ができなかったのだ。ジェスターも彼らを労いたいと言いだしたので、少年少女は使用人部屋に案内してもらった。
バスチアンはディオンとファブリスの話し合いに付き添っていたから、その他の使用人たちが集まってくれて挨拶とお礼ができた。
ジェスターも鷹揚に彼らを労ったのだが、その間ずっと二人は手を繋いでいたから、使用人たちの眼差しはとても生温かいものだった。
「エリゼーヌ様、若様からザッハトルテを我が家で再現できるように命じられておりまして。
ようやく、完成したので、ぜひご賞味ください」
侯爵家のシェフ会心の作と告げられて、エリゼーヌは目を丸くして隣のジェスターを見つめた。かすかに頬に朱を昇らせた少年はそっぽを向く。
「エリィが気に入ったみたいだったから。予約しないと手に入らないとか不便でしょ。好きな時にお茶菓子にだせるようにしてって言っただけ」
「・・・ありがとう、ジェス」
ふにゃりと笑み崩れたエリゼーヌは繋いだ手を嬉しげにぶんぶんと振った。子犬がまとわりつくような無邪気さだ。
ん、と返したジェスターはその場からの撤退を選択した。
使用人一同からの生温い視線がいたたまれなかったのだ。
サンルームにお茶の支度をしてもらって温室の花を鑑賞しながらのお茶会だ。約束していた通り、庭師のじいが頑張ってくれてエリゼーヌの好きな菫が満開になっていた。
ご機嫌で席についたエリゼーヌはジェスターと隣りあって座った。ドロレでもくっついて座っていたのだが、ジェスターは少女の背後に回ると後ろから抱きついてきた。
「今だけだから。もう、これまで通りでいられないのはわかってるから」
すりすりと後ろ髪に頬ずりする少年に少女は平静ではいられなかったが、好物を目の前に置かれると関心はザッハトルテに移った。
どうやって離れてもらおうかと思案していると、ジェスターが耳もとで切なげなため息をもらしてぞくりとする。
「ああ、もう、早く大人になりたい。婚姻したらずっと一緒にいられるのに」
「えっと、あのね、ジェス。わたしもそうしたいけど、やっぱり物事には順序があると思うの」
「順序?」
「うん、婚約届けだして、正式に婚約を交わして、婚約者の交流をしてって、婚姻の順序だよね。でも、今はケーキを食べるのが先じゃない?
お店のとはまた一味違うって言ってたし、ぜひとも味わってみなきゃ」
力強く頷く少女にジェスターはしぶしぶと腕の力をゆるめた。ケーキを食べたくてうずうずしているのが伝わってくるから、とりあえずは解放してあげる。
「そうだね、それじゃあ、エリィが先に食べてていいよ。僕はこのままでいたいから」
「ジェスは食べないの?」
「あまり、食欲がないから」
ジェスターは少女の肩に顎をのせて囁いた。
ドロレで初めて作動させた守護の魔法陣にジェスターは全力の魔力を注いだ。少しでも強力な守護を望んだ結果で、数日間は魔力不足で寝込むハメになった。エリゼーヌも死神の御手の影響で寝込んだが、回復は早かった。今ではすっかり元気だ。
ジェスターは加減がわからずにムリをしたのが祟ったのか、今ひとつ調子が戻らなかった。
ケヴィンは魔力が不安定なせいで、しばらく大人しくしていて落ちつけば元に戻ると言っていたが、エリゼーヌと離れる不安からまた不安定さがぶり返しそうだ。
「一口だけでも食べない? 食べさせてあげようか」
エリゼーヌはケーキ皿を手にとると、フォークで切り分けた。身体ごと後ろに向き直ろうとして、離してくれないジェスターに困った。
「ジェス、あーんしない?」
「・・・する」
ようやく、ジェスターが少し離してくれたから、エリゼーヌはいそいそと餌付けだ。
もぐもぐする少年がかわいいなあ、と頬をゆるめるが、拗ねられるから口にはださない。
「ジェス、おいしい?」
「ん、エリィには僕が食べさせてあげるよ」
ジェスターが自分の分を手にとって、あーんしてくれる。
ケヴィンやクロエにとっては見慣れた光景だったが、初めてみる侯爵家の使用人は目を丸くする者続出だ。
二人はイヴォンの前でもこの調子で、『嫁入り前の娘が何をして・・・』と邪魔しかけたイヴォンは優秀な若執事に速やかに排除された。
エリゼーヌは最初に顔中にキスされるという難易度の高い触れあいをされたので、キスに比べればどうということはないよね、と少々羞恥心がマヒしていた。恋愛小説に書かれていた恋人同士の交流を参考にしたら、ジェスターが喜んでくれたからこれが婚約者同士の交流なのだと思った。
少女の若干ズレた認識をクロエは正そうとは思わなかった。
外堀埋めて逃さないようにと使用人一同で決定事項だ。もし、エリゼーヌが嫌がるなら止めに入るが、少女本人が楽しんでいるから問題なしとみなしていた。後でジェスターと離れてから冷静になったエリゼーヌが思いだしては羞恥にかられてジタバタするハメになるのだが、それは後々の話である。
婚約者(決定)とのイチャイチャ、もとい交流ですっかり満足したジェスターは休息を勧められて横になることにした。
エリゼーヌ以外は皆確信犯。囲い込み決定。




