帰ってきました
エリゼーヌは寝返りをうつと、違和感のある抱き心地にうっすらと目を開けた。
抱きついていたクッションから手を離して、すぐに隣の温もりに気づいて抱きついた。すりすりと居心地のよい位置に収まると、ぎゅっと抱きしめられて安心する。すうすうとまた寝息をたて始めたえんじ色の頭を無意識で抱きよせたジェスターが顔をよせる。
じゃれあう子猫のようにくっついて眠る子供たちを微笑ましく見守って、クロエがショールを広げた。二人の身体にかけると、ケヴィンがふうとため息をこぼした。
「どうしました? 何かお悩みのようですが・・・」
「いえ、さすがに侯爵邸に着いたら、これまでのようにはいかないな、と思いまして」
「・・・そうですねえ」
クロエも同意して思案顔になる。
ドロレから王都に戻る馬車の中だった。
10日ほどドロレで療養して帰ってきたのだが、エリゼーヌの救出直後から子供たちはずっと一緒だった。ジェスターがひっつき虫になってエリゼーヌから離れなくなったのだ。
就寝は別々なのに、朝になると必ずエリゼーヌの寝台に潜りこんで少女を抱き枕にしている状態だった。当初は真っ赤になって固まっていた少女も数日すると慣れてしまって、自分からもすり寄ってくっついていた。
いくら、婚約者同士の交流でもあり得ないのだが、引き離すとジェスターの魔力が揺らいで不安定になる。エリゼーヌも夢でうなされることがあって、ジェスターがくっついていると安眠できるらしかった。
あんな非常事態が起こった後だし、落ちつくまでは好きにさせておくようにとディオンからのお達しがあったが、もうすぐ王都に到着だ。エリゼーヌはしばし侯爵邸で預かる予定だが、もう添い寝はさせられない。
二人にどう言い聞かせようかと、若執事は頭を悩ませていたが、ルクレール邸に到着するとそれは杞憂となった。
「おじい様!」
エリゼーヌが手を繋いでいたジェスターを振りきって駆けだした。
使用人たちの前で待ち構えていた初老の紳士が両腕を広げて孫娘を抱きあげた。
「エリー、エリゼーヌ! ああ、無事でよかった。侯爵様から連絡をもらって心臓が止まるかと思った・・・」
えんじ色の豊かな頭髪にはチラホラと白いものが混ざっている。シワのよる目尻に涙を浮かべて、先代シャルリエ子爵ファブリスーーエリゼーヌの祖父は孫娘をぎゅうと抱きしめた。少女はくすぐったそうに首をすくめる。
「おじい様、心配かけてごめんなさい。・・・でもね、お髭がくすぐったい。伸ばしたの?」
「ああ、すまない。お前が心配で、剃る気にはなれなくて不精してしまった」
ファブリスはディオンがエリゼーヌの失踪を知った直後に連絡をくれたから、領地を家宰に任せて飛びだしてきた。侯爵邸の客人となり、孫娘の到着を待ち侘びていた。
置いていかれたジェスターはつい人見知りを発動しそうになったが、相手はエリゼーヌの祖父だ。失踪を防げたかもしれないのに、嫉妬して追い詰めてしまった手前、ファブリスの心象はよくないはずだ。これ以上の失態は避けるべく、密かに気合いを入れた。
「初めてお会いします。ファブリス様、ジェスター・ルクレールです。この度は・・・」
「おお、御子息殿か! 孫娘の救出に尽力してくださったと伺っております。大変ありがたく、感謝してもしきれません。
エリーは私の大切な宝だ。貴方はこの老体の命の恩人です」
ファブリスはエリゼーヌを下ろすと、大人に対するかのような正式な礼をして深々と頭を下げた。
侯爵家嫡男らしい礼をとったジェスターは困惑した。責められる覚悟をしていたのに、大感謝されるとか予想外だ。
「おじい様、おじ様もジェスもわたしを助けるためにムリをしてくださったの」
エリゼーヌが祖父の袖を引いて耳打ちしてきた。イヴォンとは救出直後に顔をあわせて感動のご対面(イヴォン視点のみ)を果たしたが、救出メンバーに父は数えていない。
少女は父の出張先を知らなかったから不思議そうにイヴォンを見あげた。
「どうして、お父様がここにいるの?」
「どうしても何も心配したよ、エリゼーヌ。馬車から一人で抜けだすなんて、危ない真似をしてダメじゃないか」
「だって、お父様はわたしを助けてくれないもの。
お父様はお母様がいればいいのでしょう? お母様に反対なんてしないじゃない」
ディオンの言う通り、娘から父への信頼度はゼロだ。いや、それどころか、元から存在さえしていなかった。
絶句する友人をそれ見たことか、と冷ややかにディオンが見やり、ジェスターも父に倣った。ルクレール親子はイヴォンにダメ父どころか父親の資格なし、と判をくだした。
だが、それはファブリスも同様だった。
「この度は馬鹿息子と毒婦のせいで、侯爵家の皆様にもご迷惑をおかけして、誠に申し訳なく思っております」
「ファブリス様、そのくらいで・・・。子供たちは長旅で疲れておりますし、休ませてあげましょう」
再度、頭を下げるファブリスをとめてくれたのはディオンだ。ドロレで事後処理を終えると、王都で最後の仕上げがあると子供たちより先に戻っていた。
「おお、そうですな。気が急いてしまって申し訳ない」
孫娘の無事な姿を目に収めねば気がすまなかったファブリスが苦笑する。
子供たちは使用人たちに案内されて休息をとることになった。
「エリーはだいぶ御子息と親しんでおりますな」
ファブリスはディオンと応接室で向かいあっていた。
「ええ、婚姻なんて面倒だと独身主義だった息子を変えてもらってありがたい限りです」
にこりと微笑むディオンにファブリスは申し訳なさそうに顔をしかめた。
「その、ありがたいお話なのですが、今回の件で婚約はなかったことに」
「しないですね」
「は?」
「婚約はなかったことにはしません。息子も私も、そして何よりエリゼーヌ自身も望んでいます」
ファブリスは目を丸くした。
子供でも拐かされたなんて貴族令嬢には十分な醜聞だ。破談になっても当然なのに、ディオンはあり得ないと念押ししてくる。
「しかし・・・」
「実は被害者を守るために匿名で事件を裁く法案が通ることになりまして。今回の件から適用されます」
ディオンは昨年から案がでていたと説明してきた。
昨年の摘発時に運よく救出できた子供たちの中に大商人のお嬢様がいた。
下町にお忍びで遊びに行って被害に遭ったのだが、その少女は平民でも祖父が大領地の伯爵だった。少女は男爵家に嫁入りが決まって学院の外部受講生として通っている最中だった。
せっかく無事に戻ってきたのに、攫われたなんて公にされたら婚姻にも差し支える。
伯爵は事件のもみ消しを図り、証拠隠滅で黒幕に繋がる重要な手がかりさえ台なしにしてしまった。そのせいで、カスタニエ商会を捕縛できなかったのだ。
この件があって、兼ねてより犯罪被害者が二次被害ーー公にされることで好奇な目に晒されたり、心ない陰口をたたかれたりーーに遭うことを懸念していた法律関係者が法の是正を求めていた。公式文書には被害者の実名を載せて記録に残すが、取り調べや裁きの場では匿名で扱い、被害者を保護しようとする法案を提出したのだ。
捜査段階から被害者には秘匿権が行使され、捜査や裁きの関係者は口外禁止の誓約を結ぶ。公式文書にも制限がかけられ、被害者名を目にする者は厳しく精査されることになった。
今回から適用されることになったが、エリゼーヌの誘拐は突発的だったし、王都とドロレと複数の同時摘発で多人数と複数部署が関わるため、誓約が間に合わなかった。そこで、ディオンがベネトー公爵夫人と取引したのだ。
エリゼーヌの名が公にされることはない、と保証されてファブリスが深々と頭をさげた。
「重ね重ね、侯爵様にはお礼を申しあげます。そこまで、あの子のために尽力してくださるとは、本当にありがたく、恩にきます」
「いえ、お気になさらずに。義娘のためですから」
ディオンはにこやかに婚約誓約書に保護者と本人のサインは記入済みで後は神殿に提出するだけと告げた。
「子爵領の跡継ぎに関しては以前話し合った通りで構いませんね? 速やかに婚約成立させますので、ご安心を」
「・・・その事なのですがーー」
ファブリスはある提案をしてきた。




